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偽邦人  作者: てんの翔
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第一章 5

       5


 1994年。

 美樹のことを浅倉雅人に相談したのは、あの夜から数日後のことだった。

「で、おれにどうしろと?」

 雅人の反応は、想像以上に冷たかった。

「どうしろっていうわけじゃないけど……」

 場所は、大学近くの喫茶店だ。聖児は就活中だが、雅人は大学に残るつもりらしい。父親と同じように研究者をめざすのだろう。

「おれはなにもしてやれない。おまえが自分で確かめるしかないんだ」

 そのとおりなのだが、突き放されたような気がした。

「……たぶん、正直に告白してくれないと思う」

「おまえはどうしたいんだ? 彼女にクスリをやめさせたいのか? 彼女に嫌われたくないのか?」

「まだやってるってきまったわけじゃ……」

「そんなことはどうでもいい。なにが大事なのかをよく考えろ」

「……」

 なにも言い返せなかった。

 ばつが悪くなかったので、まっすぐに雅人のことが見れなくなってしまった。しばらく下を向いていたが、雅人もなにも言わなくなったので、そっと瞳をあげた。

 雅人は、聖児を凝視していた。

「ど、どうしたの?」

「してないんだな?」

「なにを?」

「十字架だよ」

「え、あ、ああ……」

 なんだ、そんなことか……そう思った。

「どうしてだ?」

「い、いや……べつに」

 もともと、つねにかけていたわけではない。だが、このところしていない時間が多いのはたしかだった。どうしても教会のことを考えると、不吉な疑念がわきあがってしまう。

「祈りもあげてないのか?」

「あ、うん……そんなことはどうでも……」

 聖児は、ポケットのなかから十字架のロザリオを取り出した。かけてはいないが、つねに持ち歩いている。

「完全に信仰をなくしたわけじゃないみたいだな」

「どうしたの? 神は信じてないんだよね?」

「もちろんだ。医学だろうと科学だろうと、学問は神の存在を否定するものだからな」

 いつもの議論になっていた。だが、いまはその話をしたいわけではない。

「とくに……これからやろうとしていることはな」

 そのつぶやきが、とても気にかかった。

「え?」

「なんでもない」

「これから、なにかをするつもりなの?」

「……というより、おれじゃない。オヤジがな」

「雅人のお父さん?」

「その話はいい」

 自分からしておいて、雅人は続きを拒絶した。

「おまえも覚えておけ。信じるものは結局、自分自身で決めるしかないってことを」


     * * *


「2094年……!?」

 男は、呆然とつぶやいた。

 バカな冗談だと思った。それでいて、公園で目覚めてから感じていた違和感の正体がわかったような気がした。

 もしそれが本当だとしたら、この世界は自分の知っている世界では……自分の知っている時代ではない。

 百年後の未来だ。

「その様子では、信じられないようだね」

 インテリ──教授が、興味深そうな眼をしていた。

「だがね。いまは21世紀だよ。もうすぐ、22世紀になろうとしている。おまえさんの知っている時代ではない」

「どういうことだ、教授?」

 シゲが、そう問いかけた。

「なんで百年前だなんて……」

「まさか、百年前からタイムスリップしてきたなんてことはねえだろうな?」

 そう言ったのは、ガンさんだ。

「そんな非現実なことがおこるわけなかろう」

「だったら、どうしてこの男は百年前だなんて……」

「おそらく記憶をなくすまえに、百年前の映像か、当時のことが書かれている本を読んだのだろう」

 教授はそう言うと、男の眼を診察するように覗き見た。

「おもしろい眼をしておる」

「え?」

 なにがおもしろいというのだろうか?

 そういえば、あることに思い至った。

 男は、自分自身の容姿も思い出せない。いったい自分は、どんな顔をしているのだろう?

「正気を失っているわけでもなく……この現実をうけいれているわけでもなく……」

 少し考え込んでから、

「この時代の人間ではない……あながち、まちがっていないのかもしれんな」

「おい、教授……冗談はよしてくれよ」

「ほほほ、なんにせよ、しばらくすれば、思い出すかもしれん。ここでゆっくりしていけばいい」

「……」

「それにしても、名前もわからないのでは、呼ぶのも困るな。なにか浮かんでくる名はないのか?」

「名前ですか……?」

 考えてもわからない。

 男は首を横に振ろうとした。

「あ」

 思わず声がもれた。

 なにかを思い出しかけている。

「ま、まさ……と」

「まさと?」

「まさと……雅人」

「雅人というのが、君の名前なのかね?」

「それは……」

 わからない。

 しかし、脳裏にその名が浮かび上がったのは事実だ。

「では、雅人にしよう。それでよいかな?」

 否定する材料もなかったので、記憶喪失の男──雅人は、うなずいた。

「あの……いったい、これはどうなっているんですか?」

「これ、とはなにかね?」

「なぜみなさんは、こんなところに……それに、なぜ警察官があんなに乱暴なんですか?」

「そうだな……君が本当に1994年の記憶しかないのだとしたら、いまの常識は通用しないだろうな」

 教授は、しみじみと語った。

「難しいことは、ちょっとずつ教えるとして……そうだな、われわれの立場だけでも伝えておこうか」

 教授が、この空間に集まる全員を見渡した。

「われらは、上の人間からは《にせ》と呼ばれている」

 たしか、警官もそう口にしていた。

「正式には、『偽邦人』という。意味は、読んで字のごとく、偽物の邦人ということだ」

「ぎほうじん……」

 邦人──自国の人。つまり、日本人。

 その偽物。

 異邦人という言葉は外国人をさすが、偽の邦人とは、どういうことだろう?

「おれたちは、日本人とは認められてねえんだよ。にせ、ってことだ」

 吐き出すように、ガンさんが声を荒げた。

 偽物の日本人。

 それが、偽邦人──。

「どうして、そんなことに……」

「二十年前、この国の仕組みが変わった。それからだよ」

「仕組み?」

「ああ。いまこの国は、自由主義をやめた」

「え?」

「日本は、民主主義国家ではない。一党独裁の共産主義国家だよ」

 雅人は、驚きのあまりに表情を凍らせた。

「それじゃあ、中国みたいだ……」

 呆然とつぶやいた。

 ソ連崩壊から数年が経っていたことは覚えている。現在(雅人の知っている世界)では、大国で自由主義ではない国など存在しない。中国は人口と領土でいえば大きいが、大国とは呼ばない。

「中国か……そうだったもしれんな。当時は、そんな国だった」

 教授のその言い方は、いまの中国は、それとはかけ離れているということを示唆していた。

「自由主義の超大国になっている。まあ、だいぶ分裂を繰り返したので、領土は小さくなっとるが」

「……」

 ここは、本当に未来の世界なのか……。

「この国の話にもどろうか。いま日本は、鎖国しておる」

「鎖国?」

 雅人の声はうわずった。

 あの江戸時代におこなわれていた……。

「なんで、そんなことに……」

「いつの時代でも国がおかしくなるのは、指導者のせいと相場がきまっておる」

 教授の言葉が、淡々と響いた。

「あの男が日本の首相になってから、もう七十年になるだろうか」

 突然、おかしなことを言い出した。

「七十年?」

 どういう意味ですか、という視線を向けた。

「そのままの意味だよ」

 一党独裁だから、その政党が七十年支配を続けているという意味のはずだ。はずなのだが……。

「まさか、本当に一人の独裁者が……」

「そのとおりだ」

 仮に、二十歳のときに独裁者になったとしても、現在九十歳になっている。政治家が高齢なのは、それほど珍しくはないが、やはりそれだと計算がおかしくなる。

 二十歳の若者が、ある日突然、独裁者になれるわけがない。きっと、はじめは普通の議員だった。だが国会議員に立候補できるのは、二五歳になってからだ。

 それからさらに、政治家として何年も修行をつまなければならない。大物として頭角をあらわすのは、何十年もかかる。異例の早さで出世しても、総理大臣になれるのは三五歳がいいところだろう。それでも若すぎる。

 四十歳として計算すると、その独裁者は百歳を優に超える。

 それ以外にも考慮しなければならないことがある。総理大臣がイコール、独裁者ではないとういことだ。

 総理大臣になり、権力を強め、法律を変え、もしくは憲法すら変えて、独裁者になるための土台をつくる。その根回しに、何年かかることか……。

「その独裁者は、何歳なんですか?」

「さすがに高齢だ。150歳ぐらいになるだろう」

 信じられないことを、教授はさらりと口にした。

「150!?」

「なにを驚いておる?」

 教授だけではない。シゲやガンさんも、不思議そうな顔をしている。

 そして、思い出したように、

「お、そうだった、そうだった。おまえさんが百年前の記憶しかないのなら、このことも伝えておかなければならんな」

「?」

「ちなみに、わしの年齢は何歳に見えるかね?」

「え? 年齢、ですか?」

 外見から判断すれば、教授は六十歳から七十歳のどこではないだろうか。

「今年で、128歳になる」

 最初、なんのことを言っているのか理解できなかった。その次に脳裏をよぎったのが、冗談を言って笑わせようとしているのではないか……と。

 教授の眼を見て、それが冗談でないことを悟った。

「本当に、128歳なんですか?」

「そうだ。シゲは八十歳。ガンは九二歳」

 雅人は混乱した。みな、見た目より若い。いや、そんなことより120歳を超えて生きている人間を、噂ですら知らない。

 どういうことですか?──雅人は、そんな視線を向けた。

「百年前は、たしか八十歳ぐらいだったかな……日本人の平均寿命は」

 では、現在ではちがうということか?

「およそ倍になっておる。160歳が平均だ」

 平均ということは、当然、早死にする人もいるだろうから、生きる人は、もっと多く歳を取るということになる。

「いやいや……まれに、170歳ぐらいまで生きる人はいるが、そこまでが限界だ。早死にする人間がいなくなったのだ。医学の進歩は凄まじいということだよ」

 つまり、みなが似たような寿命をまっとうできるようになっているのだ。

「人生は長い。百年前は、人生はあっというま……だったのかもしれんな」

 教授の言葉が、時の流れをあらわしているようだった。雅人の胸中に、望郷の念にも似たものがわきあがった。

 もう、知ってる時代にはもどれない……。

 浦島太郎みたいだ。

 言葉には出さなかった。百年前はだれでも知っていた昔話が、はたしてこの時代でも残っているのだろうか?

 128歳の教授は当時を生きていたから、たとえ忘れられた昔話でも覚えているかもしれない。だが、ほかの若い人たちは?

 確かめる勇気はもてなかった。もしだれも覚えていなかったら、それこそ自分は、玉手箱を開けるまえの浦島太郎だ。


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