これは育成契約です。
落書きみたいなものなので、思いついたところだけ書いてます
瞳の色はヘーゼルだった。
「小姓は必要としていないが?」
家令の案内してきた客人に、思わずそう放った。
「いいえ、旦那様。お伝えしました通り、ウィークリッド家からお越し下さいました御婚約者さまでございます」
「私もそう聞いていたが」
所在無げな顔をしている子供を見下ろす。
家令が告げてきた婚約者の来訪に、それなりの年齢の者と相対するつもりでいた心構えが氣勢を失った。
「ヨールキ、私は幼子を娶る気は無い。そう見える体質なだけで成人しているのか」
苛立ちを殺しきれず、家令を咎める。
そもウィークリッド家からは、齢三十三になる出戻った本家筋の娘を婚約者として送るとあったはずだが。
それがどうだ。
婚約者だと連れてこられた子供は、どう見ても十に満たない様子だ。
「シュツルナ様、おいくつになられますか」
ヨールキの問いにシュツルナと呼ばれた子供は少し眉を寄せ、俯いた。しかし直に顔を上げ、私をひたと見据えて言った。
「数えで12に、なります閣下」
大きな瞳にちらりと緑色の光が走る。潤んだ目に怯えさせたかと、感情を抑えられなかった己の大人気無さを少し恥じる。
咳払いで心に芽生えた疚しさを打ち払う。
「ン。12か。それにしては小柄なようだが、まあいい。君はウィークリッド家から、我がユトレック家に嫁ぐように言われてきたので間違い無いか」
「はい、閣下。私はウィークリッド伯爵より、ユトレック家の要請に応えるように申し付けられました」
「我が家からウィークリッド家に伝えた条件は聞いているか」
「はい、閣下。ウィークリッドの直系で子を孕める者をと聞いております」
「それだけか?」
「恐れながら閣下、左様にございます」
幼子ながら受け答えがしっかりしている。ウィークリッド家ではかなり教育を受けたのだろう。
「なるほど、ヨールキ」
「心得て。直ちにウィークリッド家には抗議文を送ります」
私達のやり取りを見て、シュツルナははっとする。それまでピシリと背筋を伸ばしていたのが、きゅうと上着の前を握りしめ、背を丸めている。眼球が忙しなく私とヨールキを行き来する。
「わっ、私ではユトレック家の御子を孕めませんか?
私は男児ですが、Ωですので問題ないはずです!ユトレック家の条件を満たしているはずです!!」
そう叫んだシュツルナの顔は、青ざめていた。
胸元を掴んでいる手が幽かに震えている。
「君が孕めるかどうかは今は問題ではない。君が聞かされなかった条件が問題となる。我がユトレック家が格下のウィークリッドに侮られた。それに対して処さねば、私は我が公爵家の面汚しになる」
ウィークリッドが行ったことは、契約違反。いや、詐欺とも言える。我が公爵家に対して、よくもそのようなことを行おうと思えたものだ。
「あなどられた……」
「君に責を求めるつもりは無い。座りなさい。少し話をしよう」
青ざめたシュツルナをソファに案内しようと近づくと、ビクリと大きく身を震わせた。
私を見上げる瞳は濃い榛色だ。緑の光が走らないことを少し残念に思う。
「……そこのソファに掛けなさい。茶を用意させよう。ヨールキ、クリームティーを。それからカンツァーとマルグリットを呼ぶように」
ソファを指すと、シュツルナは後退り、ソロソロと示された場所へと近づいていく。それを見送って、ヨールキに執事と家政婦を呼ぶように言うと、一礼して退室して行った。
応接間には私と、怯えた幼子の二人きりになる。
気不味い。
ソファの方をみると、近くまでは行ったが座らずに立ったままのシュツルナが居る。
「左のソファに座りなさい」
「は、はい、閣下」
恐る恐る腰掛けるシュツルナが、落ち着くのを待って、私は向かいに腰掛けた。
「さて、シュツルナ。改めて話をしよう」
「はい、閣下。私の存ずることでしたら何でも」
「では、私はガードナー・オルドレ・ウォロック。ユトレック家の惣領を務める」
まずは自己紹介からと名乗り、それからシュツルナを促した。
「私は、シュツルナ……。シュツルナ・ミュルゲ。ウィークリッド家のΩです」
「君のウィークリッドでの立場は、Ωというだけか?」
「…………ウィークリッド伯、オルゲン・アスト・ソードナーの五男、ということになっています」
ふむ。ウィークリッド伯爵の子は、3人の娘と4人の息子のはずだが。誰もがβで、Ωの息子が居るという話は聞いたことがなかった。
「先ほど少し出たが、我がユトレック公爵家から出した条件に直系がある。何かあるなら話しにくかろうが、話してもらわねば困る。君がウィークリッドの直系ですら無いのならば、ウィークリッドにはそれなりの報復をする」
シュツルナはコクリと素直に頷く。
「はい。私は、現ウィークリッド伯の子ではなく、先々代ウィークリッド伯ローゲン様の胤になります」
「ローゲン大老の……」
確か、かの老人は87になるはずだったが。とすると、75のときの子か。
「母御は?」
「ウィークリッド家に侍女として勤めていた、ミュルゲ・ウッド。カリナ男爵家の三女です。今は、オルゲン様の側室ということになっています」
側仕えに手を出したか。しかも孫に押し付けとは。老人のお盛んさにうんざりする。
カリナ男爵家ならば、建国より続く騎士の家系だったな。ウィークリッドの寄子であるし、シュツルナの出自をそこまで疑う必要はないか。裏付けはするが。
「なるほど。血筋としては問題はないな」
「恐れながら閣下、お伺いしてもよろしいでしょうか……」
「ふむ。聞こう」
「閣下はご婚姻を急いでいらっしゃるのですか?」
「いいや。婚姻自体は急いではいない。私が早急に求めるのは直系となる子だ」
「なぜ、とお聞きしても……?」
「そうだな……。我がユトレック家がチェンジリングの家系という噂は知っているか?」
シュツルナはポカンと私の顔を見た。
「初耳という顔だな。ふむ、その顔ならば疑うまいよ。まあ、詳しくは話せないが、そういうことだ。妖精関係で急いでいると思ってくれ」
「で、は、ウィークリッド家との御縁を望まれましたのは」
「ウィークリッドの『真実の眼』の力を取り込みたい」
ウィークリッド伯爵家は武門の家系であるが、『真実の眼』という対妖精に特化した魔術眼の発現する家系である。フェアリーリングや妖精の悪戯にまどわされることが少ないため、衛士として優秀だと言われているのだ。
その『真実の眼』を持つユトレックの子孫が生まれれば、チェンジリングに対抗出来るようになるかもしれない。我がユトレック一門の悲願である。
「妖精耐性でしたらば、ウィークリッドでなくとも」
「そうだな。ウィークリッド以外にも打診した。いくつか候補が上がり、ウィークリッドからの返信が一番希望に沿っていたのだが……」
そう、こちらから出した条件は二つ。直系であること。直ぐに子を孕む用意があること、できれば経産婦が望ましい。それに対してウィークリッドからは、出戻りした血縁の娘はどうかとの返答だったのだ。婚家では二人の息子があったとの釣書に、顔合わせすることもなく即決してしまった。
蓋を開けてみれば、まだ発情期にも遠いΩの子供が送られて来たわけだが。
「そのあたりの事情は君に問い詰めても仕方あるまい。ウィークリッドに説明させよう」
そこまで話したところで、カンツァーとマルグリットの入室の許可を求める声が掛けられた。応えを返すと扉が開く。
カンツァー、マルグリットと続いて、ティーワゴンを押したメイドが続く。
「お求めに応じ参りました閣下」
3人とも扉の前で立ち止まり、一礼を見せた。
「ああ、ご苦労。まずは茶を頼む」
シュツルナへ茶を出すよう、メイドを促す。
ベテランである彼女は心得たと目を細め、先にシュツルナの前に綺麗に口の開いたスコーンと真っ赤なジャムを挟んだケーキの乗った皿を置き、茶を満たしたカップアンドソーサーを置く。金縁で飾られたターコイズブルーの茶器は、ユトレック家が擁する陶磁器窯のものだ。
私の前には、同じ形のロイヤルブルーの茶器が置かれる。濃い赤茶の水色は、最近鉄道が通じた東の大陸からもたらされた茶葉だろう。渋みが少なく風味が豊かだ。
恐縮したままのシュツルナへ「まずは食べなさい」と勧め、私も茶に口をつける。甘やかな蜂蜜に似た風味が鼻腔に漂う。
「うん、丁寧に淹れられている。美味い」
「恐れ入ります」
メイドは再び目を細め、そのまま下がった。
シュツルナは遠慮がちにジャムケーキにフォークを入れて、そっと口に運んでいる。
口に合ったのか、ほんの少し顔が綻んだ。
「ではカンツァー、マルグリット」
壁際で佇んだままの二人を呼び寄せる。
「カンツァー。ウィークリッドの釣書についてもう一度説明しなさい」
「は、閣下。ウィークリッド伯爵家からの釣書は、当家の求めに応じ、ウィークリッド一門のマーゴット・エヴァ・ソードナーを婚約者として推すものである。
マーゴット・エヴァ・ソードナーは前伯爵妹エヴァ・オルナ・ソードナーの娘であり、トルカン子爵に嫁ぎ二人の子息を設けたが、本人の希望により出身家に戻った。マーゴットの身上はユトレックの求めに添うものであると考え、ウィークリッドは彼女を推すものとする」
「ふむ、確かに釣書は、条件に沿っていたな」
それが、どうしてこうなったのか。12になったばかりという痩せっぽっちのΩ。とてもその年齢とは思えない細さである。ちゃんと食べているのかと、要らぬ心配がもたげてくる。
ジャムケーキを食べ終わっていたシュツルナは、目を伏せ俯いた。
「マーゴット夫人と面識はあるかシュツルナ」
「はい」
「では君とマーゴット夫人が入れ替わった経緯は説明出来るかね」
「いえ、私はマーゴット様が御婚約者であることを存じ上げませんでした。初めから私がユトレックで子を成すようにとしか」
「君の御姉妹方には、この話は行かなかったのかな?」
「私の知る限りでは、お姉様方に来た話では無いといった風でした。その、閣下の条件に近い一番上のお姉様は嫁ぎ先が決まっておりましたし、二番目と三番目のお姉様はまだ在学中ですし」
「その言い分でどうして君は良いということになるんだね。就学前だろう」
「わ、私は、お、おめ、がです、ので」
「だからと言って、仮にも伯爵家の子息が就学もせずに嫁ぐなど非常識にも程があるな。Ωに対する偏見や嫌悪はだいぶ薄らいだと思っていたのだが、いや、そうか、ウィークリッドは武門か。男児に求める資質がまだ勲か」
シュツルナの様子を見る限り、Ωであるということは家中に置いてあまり良い方に働かなかったのだろう。
Ωだから仕方がないというふうに、彼自身も思い込んでいるようだった。
「だが良いわけではない。マルグリット、シュツルナは子を産めるか」
家政婦のマルグリットは、産婆の知識と技術も持ち合わせている。呼ばれ進み出たマルグリットは、シュツルナの隣で跪いた。
「失礼します、シュツルナさま。マルグリットと申します。お身体を拝見しても?」
マルグリットにそう申し出られたシュツルナは、私を見てきた。どうしたら良いのだろうという顔だ。
「シュツルナ、立て。少し身体を触られるが良いか」
そう言うと、コクリと頷き立ち上がった。
「それでは御身失礼いたします」
マルグリットが筋肉の付きや骨格を確かめる様に触診し始めた。
腰や鼠径部を触り、シュツルナに脚の上げ下げなどをさせている。
「はい、終わりました。ご協力ありがとうございますシュツルナさま」
コクリと頷いて、シュツルナはソファに座り直す。
喉が渇いたのか、カップに残っていた冷めた茶を一気に呷った。
カンツァーが新しい茶を空になったカップに注ぐ。ミルクを半分も入れてやっていた。それでは茶の風味はしまい。
「それでマルグリット、どうだ診立ては」
「左様でございますね。まずは孕めるかということでございますれば、できましょう」
Ωは体質的に身体の成熟が早い。子を孕むだけならば今のシュツルナでもできようと。しかし、とマルグリットは言う。
「骨盤が未発達でございますゆえ、出産となると難しいでしょう。もし無事に胎で御子をお育てできたとしても、シュツルナ様のお身体が耐えられないかと」
「安全に出産するにはどれくらい育つ必要がある」
「シュツルナ様はΩ種でいらっしゃいますから、あと二年ほどお育ちいただければ恐らく」
ですが、とマルグリットは微笑んだ。
「わたくしとしましては、あと五年ほどはお待ち頂きたいですねぇ。ええ、わたくしとしましては」
母子共に健康に。
マルグリットの信条である。しかし
「五年も猶予は無かろうよ」
こちらはこちらで切羽詰まってはいるのだ。
「鉄の呪い師に頼りなさい。そうすればもう少し引き延ばされるはずです」
マルグリットは素気ない。
私としても幼子にあれこれしたくはない。する気も無い。
シュツルナの処遇は、ウィークリッドからの返答次第で考えるつもりだが、このまま返しても碌な目には合わないだろうことは想像に難くない。
棄てられた子供を、さらに捨てるという真似はしたくはない。さりとて、子供に子を産ませるわけにもいかない。
「どうしたものかねぇ」
「恐れながら閣下」
「何だ、カンツァー」
「こちらの目録に御目通し下さい」
悩んでいると、カンツァーから革表紙で装幀された冊子を渡された。箔押しで『持参品目録』とある。
中を見ると、シュツルナが嫁ぐにあたっての持参金、分与財産、私財、衛士、侍女についてが収録されている。
「思いの外、本気で嫁がせるつもりでいるようだな」
出自故に、家から捨てられたのかと穿ったが、そうでは無さそうだ。それとも公爵家に出すにあたって、体裁は整えたというだけか。
「シュツルナ様は、ウィークリッド家の家紋入りの馬車で参られました。衛士は二名、侍女一名。ウィークリッド家の管財士が一名待機しております。私財を積まれた荷馬車が2台ございます」
「管財士もか」
本気で嫁がせるつもりどころか、本気で嫁がせていた。
管財士は、資産持ちの娘(またはΩ)が嫁ぐに、婚家での資産運用が正しく行われているか、本意でない搾取をされていないかを監視、その者の財産を守るために付けられる。棄てた者に付けるには手厚い。
ウィークリッド家の思惑がますますわからなくなってきた。
シュツルナは恐縮したままで、スコーンに手をつけていない。
「シュツルナ、スコーンも食べなさい。ジャムは好みで無いか? カンツァー、他に何かなかったか。キャラメルとか、メープルシロップとか」
「メープルシロップでしたら直にご用意を。キャラメルソースは少しお時間を頂きます」
慇懃に礼をするカンツァーに、マルグリットがこれだから殿方は!と首を振った。
「あらやだ、ガードナー様。初対面の御婚約者の前でスコーンは食べづらいものですよ。プティフールになさるのがよろしいかと」
「そうか。それは気が利かなかった、悪かったシュツルナ。カンツァー、他の菓子の盛り合わせを」
「あう、あの、いえ、だ、大丈夫です! スコーン食べますっ! ジャム、好きです……」
大人3人の勢いに気圧されたのか、シュツルナの答える声が小さく尻窄みになる。
アウアウ言葉にならない音をさせて、諦めたように薄く笑った。
それから小さな手でスコーンにナイフを入れて、クロテッドクリームを盛り付け、ジャムを見て少し迷っている。それにカンツァーが「左から、マーマレード、カシス、パイナップルジンジャーでございます」と助言する。
ちょっと考えて、シュツルナはパイナップルジンジャーを選んだ。案外、冒険心に富んでいるのかもしれない。
小さな口を一生懸命に開けて、盛り付けたスコーンに齧り付く。ポロッとスコーンが崩れた。なるほど、初対面の婚約者の前では食べづらいかもしれない。気取って食べるものでは無いな。
ムグムグと頬を膨らませるシュツルナは、何だか永遠に見ていられる気もするが、時間は有限である。
いつの間にかシュツルナの隣に腰掛けて、口をナプキンで拭ってやっているマルグリットに、シュツルナの侍女を呼ぶように伝えた。
名残惜しそうに退室してゆく。
マルグリットは大方面倒見が良い女だが、特に小さい子供が好きなのだ。早く行け、と手を振った。
カンツァーに貰った新しい茶を飲むシュツルナに、取り敢えずの方針を伝えることにする。
「ウィークリッドの思惑は何であれ、シュツルナ・ミュルゲ。君を我が家に迎え入れよう。我が家が『真実の眼』を欲していることに変わりはない」
シュツルナはカップをソーサーに戻し、テーブルに置くと、膝の上で手を揃え深々とお辞儀をした。
「寛大なご処置に感謝します、閣下」
「うん、よろしく頼む」
「精いっぱいお努めさせて頂きます」
「はは、それは気にすることでは無い。君は健康に育つことが努めだ」
コツコツと扉が鳴った。
迎えに来た侍女にシュツルナを渡し、用意していた部屋へ下がらせた。私は執務室に戻る。目録を手にしたカンツァーが続く。
電交機で何処かと連絡を取っていたヨールキの目礼に手を上げ、そのまま続けろと示す。
執務机の椅子に座り、カンツァーから目録を受け取る。
「ふん、改めて見てもしっかりしたものだな」
「持参金は少ないようですが」
「そうだな。それでも結納金に対して常識外というものでは無い。分与に土地があるな。これはどこのものだ。税収は望めるのか」
「管財士を呼びますか」
「いや、後で良い。大陸横断鉄道の株式もある。最低限だが、随分と張り込んだものだ」
シュツルナの持参品は多くは無いが、質の面でいえば最良のものばかりだった。実家を追われた者だとしたら、これほどまでのものを持たせるだろうか。
「耄碌爺が孫に不始末を押し付け、冷遇されているかと思っていたが、もしや可愛がられているのか?」
「そうかもしれません。シュツルナ様の私財を運び入れましたが、衣装櫃が五つと宝石金庫が三つございました。お持ちになった家具も、キュルグス工房の一級品でございましたし」
「キュルグスの、新しく誂えたものか?」
「いえ、鏡台など新しいものもございましたが、多くは使われていたものでございました。侍女の話ではご実家の私室で使われていたもののようでございます」
「ふむ。冷遇している者に与える品では無いな。
全て新品であったら、事前から用意されていたウィークリッドの陰謀と断じたところだか」
嫁入り家具は、最低でも一年前に注文するものだ。
ウィークリッドとの縁談が整ったのは、八ヶ月前。シュツルナとマーゴット夫人の入れ替わりが直近だったとしても、鏡台ぐらいなら三ヶ月もあれば間に合うか。
「マーゴット夫人用の家具を、シュツルナ様に当て変えたことも考えられますが、御婦人の好むデザインのものでは無かったですし。シュツルナ様に用立てられたものでしょうねえ。察するに、交代劇は急なものだったのでは」
もしや我が公爵家が、ウィークリッドのお家騒動に、いいように使われたわけではあるまいな。どうしてやろうか、あの筋肉親父。
「ウィークリッドの言い訳が楽しみだ」
「お声が疲れてらっしゃいますよ、閣下」
疲れたくもなると言うものだ。問題を解決しようとして、新たな問題を背負い込んだのだ。二倍である。
淀んだ気持ちを吐き出すように、長めに息を吐いていると、通信を終えたヨールキが近づいてきた。
「旦那様、ウィークリッドの当主から、明日伺いたいと電信がございます」
「ヨールキ、抗議の文は」
「早馬で送りましたので、一時間前にはあちらのタウンハウスに渡っておりますでしょう」
ならば目にして直に連絡をしたものと見える。今日にでもとしなかったのは、あちらの矜持か。
「随分と急いたものだ。あちらも余裕が無いか」
諾と返信させる。
ここ数年で通信機が発達したが、貴族のやり取りは使いに手紙を持たせる事が正式かつ優雅とされている。
余程のことが無い限り、電信で直接やり取りはしない。
邸宅を訪問するにしても、遅くとも一週間前に訪問したい日時の打診をするものである。
「ご苦労だった。シュツルナについては何かわかったか」
「ウィークリッド領の方に人をやりましたので、明朝には一つ二つ報せがあるかと。今のところタウンハウスの周辺では、シュツルナ様のような子供の情報はございません」
「シュツルナ様を問い詰めるのはお可哀想ですしね」
シュツルナに情が移ったな、カンツァー。
「ところでヨールキ、目録を見たか」
「一通りは」
「向こうは本気で嫁にだしてるよな?」
「管財士が居りましたので、そうであると」
「そうかー。やっぱりそうだよな~」
「ガードナー様」
机に上半身を投げ出す砕けた態度に、ヨールキのこめかみがピクリと動く。行儀が悪い、当主の威厳が、散々言われたことだ。
「すまない、わかっている。だが少し見逃してくれ!
事情があるとして、そのまま返すわけにもな〜。あー、どうしよう」
「お優しいことです。あちらの事情なのですから、当家には関係ないこと。追い返したところで、誰に後ろ指を指されますまい」
ピリッとヨールキに釘を刺される。
一個人としてではなく、ユトレックの惣領としての判断を。
仕方なく体勢を起こし、ユトレック公爵として取り繕う。
「ユトレックとしては、このままシュツルナをもらう。妖精抗体が強い直系が必要なのに変わりはない」
「畏まりました、旦那様。そのように」
「が、しばらく様子を見る。少なくとも二年」
「旦那様のお決めになられましたこと、このヨールキに否やはございません」
「うん。感謝する、ヨールキ」
深々と腰を折る家令に倣うように、執事も深く礼を取った。
「では面談するか。管財士からだな。次は衛士を一人ずつ。最後に侍女だ」
結果として、管財士も衛士も侍女も白だった。
今回の入れ違いのことなど露知らず皆、シュツルナが望まれて来たと思っており、涙ながらに感謝された。年老いた管財士などは、おいおいと声を上げて泣き出したほどだ。
判ったことといえば、シュツルナの母ミュルゲもΩであること。枯れたと思われていたローゲン大老が、ミュルゲの突発的なヒートに当てられての間違いであったこと。さすがに祖父様と若い娘の子どもなど外聞が悪いと、筋肉、ウィークリッド伯爵が泥を被った形で収めたこと。ウィークリッド伯爵家には第二性の出るものがこれまで居なかったために、扱いかねた結果、Ωだから良くないといった雰囲気になりつつあり、早くに家を出たほうが良いとなったこと。
概ね推測できたことばかりである。
「大老は間違いを犯されたことを悔やんでおられ、ミュルゲさまとシュツルナさまに不自由無いようにと、私財の大半を譲られました。シュツルナさまの持参金などのお品は、大老の私財だったものです」
大老が悔やんで居ることは、聞かねば想像もつかなかった。
なるほど。それならばあの太い品揃えになろうというものだ。大陸横断鉄道の株式など、新規で取得するのは大分骨が折れる。
だが、それならばシュツルナを駒のように差し出すことをよしとするだろうか。
大老の思惑は無く、現伯爵の独断だということか。
それにしてはウィークリッド伯爵の慌てよう……
何処かでボタンが掛け違えられているようでならない。
ガードナー・オルドレ・ウォロック
ユトレック公爵
三十後半、四十手前。αではない。
妖精との契約期間のアレコレが近づいてきて少し焦っている。普段はもう少し慎重。
ナチュラルボーンに偉そうだが、この階級社会では実際に偉いので仕方ない。
今まで婚約者が居なかったのは、傾いた事業などの立て直しなどが忙しかったため。(祖父の代が殿様商売すぎて、どっと落ち込んだ。父が頑張って何とか現状維持の低迷飛行。ガードナーは割と商才があったので盛り返した)
シュツルナを見ての感想は、砕けて言うと(子供かよ、マジ勘弁)。成熟した大人なので、相手も成熟した大人が良い、極めて良識的な人。保護者としては文句なし。
このあときちんと籍を入れて、シュツルナは正妻としてのポジションに収められます。
同腹の妹が一人。女子寄宿学校の校長をしている。
側室腹の弟が一人。領軍の大将を任されている。
本当は、同腹の兄がいるらしいが……?
シュツルナ・ミュルゲ・ウォロック
ウィークリッド伯爵家の五男。
ユトレック公爵夫人。
虐げられたりはしなかったが、微妙に肩身が狭い気持ちで過ごす。養父も生母も生父も、仲が悪いというわけではないが、何となくよそよそしい。本人も早いうちから自分が先々代の子供であることを聞かされているので、養父母らに遠慮がある。
今回の嫁入りは、自分が生家の役に立てると思ってけっこう意気込んでいた。子供はお呼びでないと言われて、かなり落ち込んだ。
生家の役には立てなさそうだが、ガードナーの役には立てそうなので、子を成すことには前向きなのだが、いかんせん相手にされていない。
生家での感じから、世間的にΩはあんまり良くないんだな、という認識。本人はΩであることに対しては、そういう性別というだけであまり深く考えてはいない。Ωだから、と言われたらそうなんだと受け入れてしまう。
ユトレック公爵家では、貴族子息としての教育を受けさせるべきか公爵夫人としての教育を受けさせるべきかで大いに意見が割れている。
ウィークリッドでは、子息女どちらの礼儀作法や行儀にも対応出来るように、厳しく躾けられていたので、切り替え対応は得意。ダンスもどちらのステップでも完璧に踊れる。
シュツルナは15になったら、貴族学校に入れられてちょっぴりグレます。やっぱり自分では駄目だったんだ!新しい奥さんもらうんだー!って涙目になる。
ガードナーはこの頃には、妖精契約のことはほぼ諦めていて、シュツルナにはきちんとした貴族としての教育を受けさせようとしての行動。
ウィークリッド伯爵家は、シュツルナの生母ミュルゲを含めると夫人が四人居た。正室に側室が三人。ミュルゲが引き取られた頃には、第二夫人が下がって再婚してしまったのでいま現在は三人。
正室腹の長男長女、第二夫人の次男三男、第三夫人の次女四男三女。
この世界(特に貴族)では、結婚は家や異能のためにするものなので、契約期間が終われば嫁ぎ先から出ることもできる。特に側室は短期間の婚姻契約で結ばれる事が多い。(婚姻期間は五年ぐらいが平均。性別問わず子供をひとりもうければ可、など)
もちろん入り婿も同じ。
貴族、平民ともども婚姻は事業のように考えられている。恋人と配偶者は別である。恋人から配偶者になるケースや、配偶者に恋するケースもあることにはある。
ジャムケーキはヴィクトリアケーキのイメージ。こちらの世界にはヴィクトリアという名の女王陛下はいらっしゃらなかったので、その名前にはなりませんでした。ジャムケーキとか、シロップケーキとか呼ばれています(ジャムでなくとも、甘く煮詰めたフィリングを挟むため)