【Ep.3】Underdog Pride
―――やめて!私の為に争わないで!
この言葉を使えばよかったと思った時はこの時以上に無いと思う。
それはとある土曜日のことだった。
私―――羽田ひよりは朝から部隊拠点を訪れた。更衣室で隊服に着替え、訓練場へと向かう。訓練場と銘打ってはいるが、銃の試射場が併設されている事に目を瞑れば機材のラインナップは殆ど普通のトレーニングジムと遜色ない。さらに屋外に繋がる扉を開ければ、その辺の競技場と対等に渡り合える広さのタータングラウンドが広がり、隊員たちが各々の武器を振るい手合わせ訓練をしていた。
バスターデバイスから展開される武器は異常生命体にのみ実ダメージを与えられる特殊仕様になっており、誤って人に当たったとしてもホログラムを触る様に透過して怪我をすることはない。その為躊躇いなく本調子で訓練に臨める。
競技場の片隅で見慣れた人物がいた。私と同じ第4班に所属する湯川豆吉郎である。先程まで先輩隊員の福留太一と手合わせ訓練をしていたらしく、彼の表情から疲れが見えていた。
「お疲れさまです、湯川君」
「あぁ……ひよりさんじゃないっすか、こんにちは」
彼は気怠そうに挨拶をした。私はタオルを手渡す。
「ありがとうございます……」
豆吉郎は汗だくになった顔を拭いながら言った。
「いや、マジで太一先輩強すぎるっすよ……隙が無いというか」
彼の指差す先では、太一が別班の隊員の手合わせ訓練に付き合っていた。先程まで豆吉郎と手合わせをしていたとは思えないほど疲れは見えず、相手を圧倒していた。
「ですね……」
私は少し驚き交じりの声で言った。
「でも、自分も負けてられないんで頑張るっす!ひよりさん、良かったら手合わせ付き合ってください!」
「えぇ!?まだ心の準備が……」
豆吉郎は意気揚々と言った。突然の手合わせ交渉に私は引き気味で少し後退りした。その時、私達の間に割って入る様に一人の男性隊員が話し掛けてきた。
「おやおや……見覚えのある顔がいると思えば、冴えない落ち零れ君じゃないか」
艶やかな水色のショートヘアに、前髪を星型のヘアピンで留めた豆吉郎と同じ位の背丈をした青年。隊服の左腕に着いていた腕章の色が緑なので第2班の所属だ。彼の姿を見た途端に豆吉郎の表情が陰る。一つ舌打ちをすると豆吉郎は2班の青年の方を見て言った。
「こんな所でも会うとはな、桧星宙」
2人は知り合いらしい。だが仲が良い雰囲気ではない様に見える。
「えっと、この人……湯川君の知り合い、なんですか?」
私が恐る恐る訊ねると、豆吉郎は嫌そうな顔のまま答えた。
「知り合いっつーか……自分と同じ高校で同じクラスなんっすよ」
豆吉郎と同級生の桧星宙は笑いながら続ける。
「君みたいな低級と一緒にされたくないなぁ……ところで、そこのお嬢さんはこいつとどういう関係?」
宙の視線は私の方へ向く。私は慌てて自己紹介を始めた。
「は、羽田ひよりと言います!湯川君と同じ班に所属していまして……」
そう話す間も宙は私を品定めするように見つめてくる。暫くすると彼は私の手を握って言った。
「こんな低級野郎なんかを相手にするより、僕と手合わせした方が楽しいと思うけど……どうだい?」
突然の出来事に私は戸惑う。しかし、そんな私を見兼ねたのか豆吉郎が宙の手を強く払い言った。
「その汚らわしい手で彼女に触るな、"コネ入隊野郎"が!」
豆吉郎の言葉を聞けど、顔色一つ変えず煽るように宙は言い返す。
「ははっ、"コネ入隊"?そんなの弱者の言い訳だろう?」
「親の後ろ楯があるからこうして偉ぶってられるんだ!配属試験の成績だって、俺達さほど変わらなかっただろ?それなのに何故お前は第2班に入れた?お前の親が政府の関係者で、上層部に掛け合って上の班に入れるよう仕向けたんだろ?この部隊は政府直下機関だからな……身内が政府の関係者ならコネ使い放題って訳だ」
豆吉郎は捲し立てる様に宙を言い詰める。それはさながら法廷の検事か議会の政治家か、はたまたテレビで熱弁を繰り広げる評論家の如くだ。すると先程まで余裕ぶっていた宙の表情が陰る。
「僕の父を侮辱するのか?お前みたいな低級如きが!」
「何かにつけて毎回毎回親出してマウント取ってくるのが気に食わねぇんだよ、この“小判鮫野郎”!」
「さっきから“コネ入隊”だの“小判鮫”だの、弱者程口が回るとは良く言ったものだ…僕は根っからのエリートだ!生まれ先の選べない人生の籤引きで当たりを引いた強者だ!そうやって僕の事をとやかく言うのは羨ましいからだろう?なら、そのまま黙って指咥えて僕を羨んでいればいいさ!“ノーマルレアの負け組"君?」
「貴様あぁ!」
「二人とも止めてください!!」
私の制止を聞かず言い争いを繰り広げる二人。埒があかなくなったのか、豆吉郎は右手袋を外すと宙に向けて勢いよく投げ付けた。
「あっ……」
豆吉郎の行動に私は思わず声を上げた。宙は胸元に当たった手袋をすかさず拾う。引きつった顔で彼は豆吉郎に視線を向けて言った。
「お前……今やったことの意味、分かってるのか?」
「あぁ、分かっているさ」
私は母が持っていた漫画で同じ状況を見たことがあったので知っていた。人に向けて手袋を投げ付けるのは決闘の合図だ。豆吉郎は宙から視線を外すことなく声を上げた。
「異常生命体殲滅隊第4班所属・湯川豆吉郎、第2班所属・桧星宙に決闘を申し込む!」
決闘―――とは言え、行うのは模擬戦だ。各々隊服の両肩と胸部に的が描かれた布を貼り付ける。布はバスターデバイスで展開した武器が触れるとその軌道に沿ってインクが付着するという特殊加工がされている。制限時間2分半以内に全ての相手の的に攻撃を命中させれば勝ち。時間切れになれば命中された的の数が少ない方が勝ちとなる。
「これより、湯川豆吉郎対桧星宙による模擬戦を開始します」
審判を買って出たのはその場に居合わせていた第4班のメンバーである増間亮だ。
「両者、武装展開!」
亮の掛け声で向かい合った両者がデバイスを起動させて武器を展開する。豆吉郎の武器は大鎌、対する宙はメイスハンマーだ。
「用意……開戦!!」
開戦の合図と共にお互いに向けて走り出す。張り詰めた空気感に競技場全体が吞まれている。グラウンドの奥の方、休憩スペースの近くで私は見守る事しかできなかった。
「湯川君……頑張って」
私は祈るように呟いた。そんな私の隣にやって来たのは4班班長の如月梓だった。
「ひよりちゃん、こんな所に一人でどうしたの?浮かない顔して……」
私は事情を説明した。すると彼女は笑って私の肩に手を置くと言った。
「何それ!一人の女の子を取り合って決闘!?漫画みたいな展開じゃない!」
「笑い事じゃないですよ!私のせいでこんな事に……」
困惑する私に対し、梓は続ける。
「でも……そういう時って、あんたが"やめて!私の為に争わないで!"って2人を止めるところじゃないの?」
「そ、そんな事言える余裕も無かったですし……」
「冗談よ!まぁ、こんな事に熱中できるのも……ある意味青春だわ」
梓はそう言って満面の笑みを見せた。
「おいおい、あの審判役…君の班のメンバーじゃないか。もしかして身内に審判を頼んで甘めに判定してもらおうって魂胆かい?卑怯なこった!」
そう煽りながら宙は間合いを詰めてメイスハンマーを豆吉郎の胸部に向けて振りかざす。それに対し豆吉郎は鎌の刀身を盾にして対抗すると、続けて鎌を振り攻撃を仕掛ける。武器の性能と的の配置から考えて、うまく行けば一気に三枚抜きで完全勝利も出来る。しかし宙は寸での所で身を仰け反り避けた。その勢いで二度バク転をして距離を取った。競技場全体から歓声が上がる。
「相変わらず無駄な動きが多いな、宙。逃げてばっかりじゃねえか……どうした?攻撃して来いよ、"親ガチャURのエリート"君よぉ?」
豆吉郎が宙を煽ると、その挑発に乗ってか宙はメイスハンマーの持ち手のボタンを押す。すると柄の先から鎖が伸び、フレイルの様な状態になる。
「"防御は最大の攻撃"……基本中の基本だろ?」
そう言いながら宙はフレイル状のメイスを大きく振り回し豆吉郎の足元を狙う。豆吉郎は舌打ちをしながらジャンプで避ける。ぶつかってもすり抜ける仕様とはいえ僅かではあるが痛みに近い感覚は受けるので、出来る限り攻撃を喰らうことは避けたいところだ。宙はすかさず追い討ちをかける。
「まだまだ行くぞ!!」
宙が更に追撃を加えようとしたその時、豆吉郎はジャンプをした勢いで上から鎌で攻撃を嗾けた。
「おっと!」
宙はそれをひらりと躱した―――かのように思われた。ふと彼の胸元を見ると、的に赤い縦線が一本浮かび上がっていた。
「あっ……」
宙は思わず声を上げた。豆吉郎はにやりとした表情を浮かべると、攻撃を一旦止めて言った。
「やっぱり口だけじゃねえか、宙。散々俺を"負け犬"だとか煽っておいて先制取られてやんの…ダサすぎて草」
「て……てめぇえ!」
宙は力強くメイスを振り抜き豆吉郎の胸元に一発攻撃を喰らわせた。胸元の的に赤い飛沫が着く。驚きの表情を見せる豆吉郎を見ながら、宙は余裕を失った笑みで言った。
「隙だらけだぞ、湯川豆吉郎……これでイーブンだ」
「ははっ、最後まで本気でやり合おうぜ……桧星宙ぁ!」
豆吉郎は再び宙に向けて武器を振るう。今度は宙がそれをメイスハンマーで受け止める。一進一退の攻防が続く。
「残り1分!」
審判の亮が残り時間を告げる。その言葉を聞いてお互い焦りの色が見え始め、口数も減る。迫る制限時間、緊迫する競技場。2人は力一杯武器を振り互いに向けて一撃を打ち込んだ。
「終了!」
亮の掛け声で競技場全体は静寂に包まれる。2人は攻撃を打ち込んだままの姿勢、背中合わせの状態で静止する。よく見ると、宙の両肩の的に赤く太い線が引かれていた。対する豆吉郎は胸元の的以外は無傷だった。
「勝者、湯川豆吉郎!」
「……っしゃあああ!!」
豆吉郎は歓喜の声を上げる。競技場全体は一気に湧き立った。一方宙は絶望した顔で膝から崩れ落ち、そのまま動かなかった。いや、悔しさに打ちひしがれ動く事が出来なかったと言った方が正解だろう。
模擬戦を終えた豆吉郎に、私は訓練場の自販機で買ったスポーツドリンクを渡す。
「湯川君、お疲れ様です!凄く格好良かったですよ!」
豆吉郎は私から視線を外しながらスポーツドリンクを受け取ると言った。
「べ、別にひよりさんの為にやった訳じゃないっすから……あいつに吠え面かかせられたんで自分は満足っす」
心なしか彼は頬を赤らめていた。私は少し遠めのベンチに座りタオルで汗を拭う宙の下に行くと、豆吉郎の時と同じくスポーツドリンクを渡した。
「桧星君……でしたっけ?お疲れ様です。よかったらこれ、どうぞ!」
すると宙は勢いよくスポーツドリンクを私の手から奪い取ると言った。
「……ありがとよ、低級女」
宙はそう言って立ち上がると豆吉郎を指差して叫ぶ。
「この低級女はお前にくれてやる!落ち零れ同士お似合いだろうからなぁ!だがな、一度勝てただけで思い上がるなよ?次は絶対に勝つ!覚えてろ!」
そう言い残して足早に訓練場へと戻って行った。その様子を見ていた豆吉郎は呆れた様子で呟く。
「本っ当に腹立つ……」
「あはは……」
私は苦笑いをするしかできない。豆吉郎は続ける。
「ひよりさんもあいつとは極力関わんない方がいいっすよ?碌な事にならない」
「色々と面倒臭そうだなとは思いましたけど、それは流石に言い過ぎではないですか?」
「いーんすよ、あんな奴。それより……一緒に食堂行きません?時間的にもそろそろ昼飯だし…自分、マジで腹減りました」
「はい、行きましょう!」
そう言うと私は豆吉郎と共に食堂へと向かうのだった。