【Ep.2】哀に吠える影狼
大神村では5カ月前から、夜になると黒い狼の群れが現れ村の住人を襲うという事件が相次いでいた。事件発生当初は村の子供達が次々と食い殺され、それ以上の死者は出てはいないものの、怪我人の数は計り知れなかった。地元の猟師が何人か捕獲にあたったが狼に銃弾や麻酔銃の類は効かずお手上げ、そして今に至るという。
都市部から遠く離れた小さな村―――大神村。そこで不可解現象が確認されたとの報告を受け、私―――羽田ひよりは先輩隊員の湯川豆吉郎、福留太一と共に現地へと赴いた。
私達は秘密組織。隊服を着用して日の下は歩けない。その為、外部の狩猟組合所属の猟師という体で村を訪れる事になった。アウトドアウェアを着たのは中学校の野外合宿以来だ。
「まずは村の人達に聞き込みだな」
太一がそう言い意気揚々と歩きだそうとしたので私は彼の腕を掴んで引き留めた。
「またそうやって単独行動しようとする!先輩が迷子になったら探すのは私達なんですからね!」
「あー、わかったよ……」
村にいる人達はほとんどが高齢の方々だった。話を聞くには申し分ないが、こんな田舎じゃ都会から来た人間なんて珍しいのかジロジロ見られて少し居心地が悪い。それでも聞き込みを進めて、情報を仕入れないといけない。大体の人が狼に対する恐怖とか怒りをぶつけていた中、とある老人から有益な情報が手に入った。
「5ヶ月前か?そういえばその時は"たぁ坊"がいなくなった頃だったなあ」
「……"たぁ坊"?」
私が聞き返すと、老人は"たぁ坊"について話し始めた。
たぁ坊―――本名は"タカシ"という少年らしい。タカシ少年は元々大神村の住民ではなく、1年ほど前にこの村に来たという。どうしてこの村に来たのか、何処から来たのかも分からない、謎の多い少年だった。それでも村の人達はタカシ少年を快く迎え入れた。大人しい性格だったが人懐っこい一面もあり、すぐに村に馴染んだそうだ。しかし、その一方で村の子供達は彼を"よそ者"だ、"化け物"だと言って虐めていた。
そんなある日の事、事件は起こった。その日、子供達は散々怒られて反省したのかタカシ少年と一緒に山に遊びに行った。しかしタカシ少年だけは村に帰ってくることは無かった。その日の夜から村に黒い狼の群れが現れ始めたのだ。
「狼に殺されたのは、たぁ坊を虐めていた子供達だけじゃった……」
「特定の人に対して恨みを持っていた…ってことっすか」
「情報提供、ありがとうございました!」
私達はその老人にお礼の言葉と共に深々とお辞儀した。
その日の夜。
狼を恐れてか、この村では夜の外出を禁じていた。私達は村長から狼退治の依頼を受けたという事で特例許可を得て静かな夜の村に繰り出した。いつ狼が現れるか分からない。私達は念の為にバスターデバイスを起動させ武器を展開する。
「気ぃ抜くんじゃねえぞ」
「了解です!」
太一の指示に返事をすると同時に私は耳を澄ませた。すると微かに何かの音が聞こえてきた。獣の唸り声の様だった。その声は段々近くなり私の背後にまで近付いていた。咄嗟に振り返り、声の主―――黒い狼に向けて鋏を突き刺す。黒い狼は叫び声を上げながら黒い液状になって影に溶けていく。
「"影の眷属"か。そりゃ銃弾も効かねえよな」
「という事は、この村に異常生命体が?」
影の眷属は異常生命体が影から生み出す召喚獣のようなものだ。つまりこの近くにその主である異常生命体がいる事になる。周囲を警戒しながら辺りを見渡す。すると妙な事に、私達を囲んで襲撃の時を窺っていた狼達が山の方へ走り出していくのだ。まるで私達に恐れを為したかのように。
「逃げるつもりっすか?」
豆吉郎は逃げていく狼に向けて大鎌を振るい切り裂いた。しかし、狼達はそんな攻撃も無視してひたすらに逃げ続ける。
「追い掛けましょう!」
私の提案に二人は軽く頷くと、私達は逃げていく狼を追って山を登って行った。
「くそっ、見失った……」
「何処に行っちゃったんでしょう?」
狼の姿を探して暗い山の中を進んでいく。すると、豆吉郎が私達を呼んだ。
「あの、二人とも。あれ……何っすかね?」
彼の指差す先には古びた木造の御堂の様な建物があった。
(御堂……?)
恐る恐る近づくと、建物の中から子供の泣き声みたいな音が微かに聞こえた。
「誰か中に閉じ込められてませんか?」
「よし、開けるぞ」
太一は木製の閂を外して扉を開け放った。暗い内部を見渡すと、その片隅で蹲って泣いている少年がいた。
「君、大丈夫……っすか?」
『うぅ……』
豆吉郎は少年に駆け寄り声を掛けるが、少年はずっと泣いていて顔すら見せてくれなかった。豆吉郎は続ける。
「怖がらないでください。自分達は君を助けに来ただけっすよ?」
『ほ、本当に……?』
「本当っす!だから安心してください!」
そう言うと、ようやく少年はこちらを向いてくれた。私達を見る少年の顔は、黒塗りになっていた。黒塗りの顔は異常生命体の特徴だ。
「こいつ……異常生命体だ!」
太一は即座に少年に向けて鉤爪を構える。私は慌てて太一を止めた。
「待って下さい、先輩!彼が例の件の主犯じゃないかもしれないじゃないですか!それに……彼、凄く怖がってます」
少年は怯えた目で私と太一を交互に見ていた。太一は大きくため息を吐くと鉤爪を仕舞って言った。
「仕方ない、話だけでも聞いてやる。そこのガキ…名前は?」
彼の質問に少年が俯きながら小さな声で答えた。
『……崇』
「"タカシ"……あのおじいさんが言ってた"たぁ坊"じゃないですか、この子!?」
「タカシ君は、何でここにいたんっすか?」
豆吉郎からの問いに対し、タカシは泣きながら自分の事を話し始めた。
タカシは、人間という存在に興味があった。自分に似ているようで全く違う存在に心を惹かれた。ある時、彼が当てもなく歩いていた時に偶然大神村に辿り着いたという。村の人々は異境からの来訪者である彼にも暖かく接してくれた。タカシは村の人達の優しさに触れた。もしかしたら人間と仲良くなれるかもしれないと思った。しかし、彼を化け物呼ばわりして虐める人もいた。そしてある日の事、彼らはタカシを山奥の御堂に閉じ込めて置いていった。彼は助けを求めてずっと泣いていた。そして今日まで来たのだという。
『僕はただ…この村の人達と仲良くしたかっただけなのに……!』
タカシは大きな声を上げて泣き出した。すると、彼の周囲の影が沸き立ち狼の様な姿に変わる。私は泣きじゃくるタカシをそっと抱き締めると頭を優しく撫でて慰める。
「タカシ君、落ち着いて!大丈夫、怖かったよね……」
『うぅ……』
タカシが泣き止むと狼も姿を消した。どうやら影の狼は彼の精神状態を反映したものなのだろう。心を少しでも落ち着かせようと私の胸の中で荒く息をするタカシに視線を落とし、太一が声のトーンを落として言った。
「落ち着いたか、ガキ?」
『はい……』
「実はな……お前が泣いた時に現れた黒い狼が、村の人達に被害を及ぼしていた。俺達はそれを退治する為にここに来た。よって心苦しくはあるが、お前をここで殺さないといけない」
『えっ…?』
タカシは信じられないという表情を浮かべる。しかし太一は再び鉤爪を展開させ容赦なくその手をタカシに向けて振り上げる。私は鋏を展開させ、タカシを庇う様に鉤爪を防いだ。
「何をしてるんだ、ひよりちゃん!まさか……こいつに情が移ったか!?」
怒りの籠った声で叫ぶ太一に臆する事無く、私は必死の抵抗を見せて言った。
「確かに人殺しは悪いことです…許されない事です!でも…この子には殺したいとか、そういう気持ちはなかったじゃないですか!?ただ私達人間と仲良くなりたかっただけ。それなのに…その思いを無下にして無慈悲に倒すなんて……そんなの間違ってます!!」
「甘い事を言うんじゃねえ!これは仕事なんだぞ!」
「"自分と違う存在だから"とか"自分と合わない価値観を持っているから"とか……そんなの、他人を傷付けていい理由にはなりません!!私には……この子を倒すなんて無理です!見逃したって……いいんじゃないですか?」
私は涙目になりながら主張した。太一は呆れたように溜息を吐くと渋々鉤爪を降ろした。豆吉郎が私達を見て言う。
「自分はひよりさんの意見に賛成っす。確かに人殺しは許されないっすけど……この子が手を掛けたのって、この子を虐めた奴らだけっすよね?正直そいつらはもう……こんな事言っていいのかアレなんですけど、自業自得というか……まあ、因果応報だと思うっす。しかも、それ以上に実害は出してないんでしょ?自分達にも敵意はないっぽいし。それなら、このまま逃がしても問題ないと思うっすけど」
「豆っちって、たまに辛辣だよな……」
見逃してもらえると分かった途端に、タカシの表情は(顔が黒塗りなので分からないが)心なしか晴れやかになっているように見えた。
「良かったね、タカシ君!」
私はタカシの手を取って微笑みかける。彼は大きく頷いた。
翌日、タカシは村長に己の非礼を詫びた。その後彼が訪れたのは一番お世話になったというあの老人の家だった。タカシは俯き加減で老人に言った。
『僕……もう、この村を出ていく事にします。多分、二度と帰ってこないと思います。村の皆さんには酷い事をしちゃったし……』
その時、老人はタカシを優しく抱き締めると言った。
「"二度と帰ってこない"だなんて……そんな悲しい事を言うんじゃあない。気が向いたらまたおいで……儂らはいつでも、たぁ坊の事を待ってるからね」
『ありがとうございます……』
老人の胸の中で、タカシは泣き出した。それでもあの影の狼が出てこないという事は、彼はきっと嬉しくて泣いているのだろう、と私は思った。
私達は村から少し離れた森までタカシを連れて行く。タカシは私と繋いでいた手を離すと、私達の方を向いて丁寧にお辞儀をして言った。
『あ、あの……ありがとうございました!それと、本当にすいませんでした!!』
「べ、別に良いんだよ!それと……これから、ちゃんとやっていける?」
『はい!何とか…頑張ります!』
タカシは笑顔で言うと、森の中へと走り去っていった。私はそれを手を振って見送る。
「……行っちゃいましたね」
「本当にこれでよかったのか?見逃したりなんかして……」
太一は少し不満げに言った。すると豆吉郎がそれに答える。
「別にいいんじゃないっすか?彼、上手くやっていけそうな気がしますけどね」
「私も同意見です」
「というか、ひよりちゃん……ずっと思ってたんだがお前、まだ異常生命体を倒すの躊躇ってないか?」
太一からの突然の問いに驚きながらも私は少し悲しげな眼で答えた。
「異常生命体も、みんながみんな人を襲う悪者じゃないと思うんです。きっと何かしらの事情を抱えているかもしれないし…タカシ君みたいに私達と仲良くなりたいだけなのかもしれません。完全なる共存は叶わないとは思いますけど……相手の事も分からないで無慈悲に手を下すなんて、私にはできません。私の祖母が良く言っていました。"人を愛するなら、上部だけじゃなくてその人の住む世界ごと愛しなさい"って」
「ひよりちゃん……」
太一が感動の声を上げたその時、私達の前に送迎車が止まる。運転手である班長の如月梓が車内から乗る様に合図する。私達が乗り込むと車は発進し、拠点へと向かった。