【Ep.27】神でも解けない問題
ある日の昼下がり。4班の会議室は私―――群生圭と塩崎にこの二人きりだった。にこは真剣な表情で数学の問題集を解いていた。静寂に包まれた会議室に、鉛筆を紙に走らせる音だけが響く。
ある日突然、にこは"高校生になりたい"と言い出した。学生隊員達が楽し気に学校生活について語る様を見て憧れを抱いたのだという。しかし彼女は小学校在籍時に一連の事件で少年院に収監となり、そのまま更生班での活動を経てこの部隊に正式入隊した。学歴で言えば"小学校中退"、高校なんて通えるはずがないのだ。という訳で高校編入に先立ち、中学卒業認定試験を受けるという運びになった。
そして今、にこは試験の為に必死に勉強しているという訳だ。彼女の進学に関しては支援が下りる事になっていた。しかし問題は彼女の学力だ。そこで私は彼女に家庭教師を買って出た。とはいえ私も施設暮らしでまともに学校に通えていたわけではない。それでも、部隊での活動の合間を縫って高校卒業認定を既に取得していた。ある程度教養はあるが、人に教えるとなると話は別。自分から買って出た任ではあるが正直自身は無かった。
「うぅ、わかんない……」
にこが手を止めて悩み始めた。私は彼女の手元をのぞき込む。お世辞にも綺麗とは言えない文字で埋め尽くされたノートに顔を顰めつつ、私は聞いた。
「どの問題ですか?」
すると彼女は問題集にある一つの大問を指差した。中学3年の二次方程式の文章題だ。
「この問題か。これはですね……」
そう言って私は彼女に問題の解法を順を追って説明した。にこは私の解説を聞きながら少しずつ手を進めていく。暗かった表情が段々と明るさを取り戻す。
「すっごーい!解けちゃった!!ありがとう、けー先生!」
「そ、そんな…"先生"だなんて……」
にこが私に満面の笑みを見せながらお礼を言った。その笑顔を見た時、私の心の中に温かい気持ちが流れ込んできた気がして少し照れ臭くなった。
彼女は長い事外界から隔絶された世界で生きていた。正式に部隊に入隊してから私達4班のメンバーをはじめ沢山の人間と関わり、外界の物に触れた。彼女にとっては、他の人が当たり前に思っている事が珍しい物で新たな刺激だった。混じり気のない気持ちで様々な物に触れる彼女の表情一つひとつが私を癒し、微笑ましい気持ちにさせてくれる。私はそんな彼女の―――特にはち切れんばかりの笑顔が好きになっていた。
気付けば2時間程が経っていた。一旦休憩という事で、私は売店で買ってきた鮭おにぎりをにこに渡した。彼女はそれを嬉々として受け取ると頬張る。
「おいしい~」
幸せそうな顔を浮かべる彼女を見ているだけでこちらも幸せな気分になる。すると突然、彼女が私に言った。
「けーさまって物知りだよね。にこがわかんないことをなーんでも教えてくれるじゃん!」
私は少し照れながらも応える。
「いやいや、何でもは知りませんよ。私にも分からない事はあります。第一、この世に"全知全能"なんて有り得ませんから」
「あはは!けーさまは"ケンキョ"ってやつだね!」
"謙虚"―――恐らく国語の問題集を解いて知った言葉なのだろう。私は苦笑いすると言った。
「私からしたら貴女の方が相当物知りだと思いますよ、塩崎君。一般教養レベルの事が分からないのに、何故あんな物騒な物をそんなに知っているのか……逆に此方が知りたいくらいですよ」
とある文章題が分からないと彼女が言っていた。私は想像しやすいイメージに置き換えるように教えた。その一環で彼女の好きな物を聞いた時、彼女は文字に起こすのも憚られる様な物騒極まりない言葉を羅列し始めたのだ。これも少年院暮らしの成せる業か。
「何で知ってたかはわかんないよ?でも自然と覚えちゃったんだ!」
「そういうのを自然と覚えられても困りますよ……」
一線を越えてしまった事を後悔した。そんな私を見て、揶揄う様に彼女は笑う。そして何かを思い付いたという表情を見せて言った。
「あ!じゃあさ、何でも知ってるけーさまに質問!」
「いや、何でもは知らないってさっき言ったじゃないですか……」
「いいじゃん!それでさ……」
するとにこは私に視線を合わせるように顔を上げると言った。
「けーさまは……にこの事、好き?」
「……え?」
突然の質問に戸惑いの声を上げる。しかし当の本人は真剣そのものといった面持ちだ。私が解答に迷っていると、にこは少し悲し気に俯いて言った。
「あ、ごめん…けーさまはにこの"かみさま"だもんね。かみさまは人間の事を好きになっちゃいけないんだもんね……」
彼女の悲し気な顔を見て私はしまった、と思った。私は心を決め、その手で彼女の顔を此方に向けさせると言った。
「神が人間を愛してはいけないという決まりはありません。神話においても神に愛され、神と結婚した人間は存在します。私は…塩崎君が好きです。結婚したい、とまでは行きませんが……」
そう言うとにこが驚いたような表情を見せた。私は少し気恥しくなり顔を赤らめて視線を逸らす。すると彼女は私を抱き締めて嬉しそうな声で言った。
「わーい!やったぁ!けーさまはにこの事が好き!にこもけーさまの事が好き!これでにこ達は"りょーおもい"、だね!」
「え、"両想い"、ですか!?まぁ、そうなりますね……何処で覚えてきたんだ、その言葉……」
にこが無邪気に喜ぶ姿を見て私は思わず笑みを零した。
その時、感覚的に私達以外の気配を扉の方から感じた。ふと扉の方を見ると、換気の為に少しだけ開けていた扉の隙間から誰かが覗いていた。私はにこを椅子に優しく座らせ、扉の方へと歩き出す。そこにいたのは私の施設時代の友人で3班所属の太川陽司だった。陽司はにやついた顔で私を見ていた。
「おいおい、圭様よぉ~!お前も男だなぁ」
「覗き見とは感心しないな、陽司」
「いやいやぁ、俺はただ通りかかっただけだぜ?扉が開いてるのが悪い」
陽司は悪びれもせずに言う。
「てか、圭。お前……顔真っ赤だぞ、大丈夫か?」
そう言われ私はハッとした。自分の頬に手を当ててみると確かに熱を帯びている気がする。私は慌てて平静を取り繕った。
「心配はいらない」
すると陽司が私の肩に手を置いて笑顔を見せると言った。
「彼女の事、大事にしてやれよ」
私は少し気恥しくなり、彼の手を乱雑に肩から降ろして言った。
「言われなくても、それ位分かってる……」
そう言って私は彼を部屋から追い出した。私達のやり取りを見て、にこは終始爆笑していた。




