【Ep.18-3】不思議の森の猫婦人
落ちていった先は木々が生い茂る森の中だった。先ほどまで暗闇の中にいたので気付かなかったが、私―――夕暮佳子は相棒(認めたくない)の有栖川英二の腕を掴んでいたらしい。
「離れなさいよ、このアホ!」
私は勢いよく彼の腕を振り払った。
「自分から掴んできておいてその言い方は無いだろう、マイレディ!」
英二が腕を押さえながら言った。その時、私達の視界にとある物が映った。そこには美しい紫のドレスを身に纏った猫頭の貴婦人が、高級そうな椅子に座り優雅に佇んでいた。レースのクロスが敷かれたラウンドテーブルには様々なお茶菓子が並べられている。
「何かしら、あれ……」
私がそう言うと、私達をその眼で捉えた猫頭の貴婦人が微笑んで言った。
『いらっしゃい、"迷い猫の森"へ』
「"迷い猫の森"?」
私が呟くように繰り返すと、彼女は小さく首を縦に振って続けた。
『楽しんでいって頂戴ね?』
すると英二が少し前に出ると言った。
「悪いが…ご婦人。私達は此処で悠長に長居をしている暇はないのですよ。出口は……どちらかな?」
英二の問いに貴婦人は優雅に笑う。
『簡単に答えを教えたら迷宮の意味が無いじゃないの!答えは自力で探しなさい。まぁ…無理でしょうけどね』
彼女の言葉に、森中から嘲笑う様に鳴く黒い猫達の声が響き渡る。私は少し苛ついたように言った。
「最初から無理って決めつけるの、やめてもらえるかしら?あんたが何て言おうが、私達は絶対に此処から出てやるんだから!」
そして私は英二の腕を引き、回れ右をして走り出した。
一心不乱に右へ、左へ。茂みから覗く黒い猫の嘲笑を聞かないふりをして出口を探す。
「おいおい、マイレディ!そんなに闇雲に進むと余計に迷うぞ!」
「そんなの気にしてられないわ!」
後ろの方で呆れたような声を出す英二を無視して、更に奥へと進む。しかし一向に出口らしきものは見つからない。それどころか辿り着いたのは、猫頭の貴婦人が優雅に紅茶を飲んでいる初期位置だった。
「戻ってきた……」
私の呟きを聞いた英二が溜息をつく。
「だから言っただろう?」
「分かってるわよ!でも……」
そして私は猫頭の貴婦人を指差して言った。
「あのおばさんが、脱出は無理って決めつけてきたのが気に入らないのよ!」
私の言葉に少し眉を顰めた(様に見える)貴婦人は、優雅にお茶菓子を食べながら言う。
『威勢だけは褒めてあげるわ。せいぜい頑張りなさい』
「ぐぬぬ……」
私は少し唇を噛んだ後、回れ右をして走り出す。英二も慌ててそれを追い掛ける。
「全く…マイレディの負けず嫌いは底無しだな」
「本っ当に腹立つ!」
私は森の中を早足で歩きながら言った。歩いていると蔦で作られた壁に突き当たる。
「また行き止まり?」
私は一つ舌打ちをすると、左腕に装着したバスターデバイスを起動し、機械槍を展開する。そして壁に向けて勢いよく槍を突き刺し、壁の蔦を引き千切った。すると壁の向こうに道が現れた。
「はぁ…何よ。最初から脱出させる気は無かったって訳ね」
すると、ようやく追い付いた英二が息を切らしながら言った。
「マイレディ、世の中には"左手の法則"というものがあってな……迷路を攻略する時に…」
「それは知ってるけど、トラップ付きの迷路に対しては使い物にならないわよ」
英二の言葉を遮るように言うと、私は開けた道を進んでいく。すると私達の背後で植物が動くような音が聞こえ、先程引きちぎられた蔦の壁がひとりでに直っていた。
「ね?作為的に道を塞ぐなんて……相当意地悪な事をするものね」
そう呟いて暫く歩いていくと、前方に大きな青い芋虫が茸の椅子に座っていた。
「おやおや、猫の貴婦人の次は芋虫博士かい?まさに"不思議の国のアリス"じゃあないか」
英二が少し興味深そうに言った。私達はゆっくりと近付いていき、彼の前で立ち止まる。すると芋虫は何かに気付いた様に茸の椅子から降りると、私達の手を取り何も言わず走り出した。
「ちょ、ちょっと!?」
私がそう言っても彼は止まる気配は無く、ひたすらに走っていく。そして植物に囲まれた壁をその手で搔きわける。そこには"Staff Only"と書かれた無機質な鉄の扉があった。芋虫は扉を開け私達に入る様に促した。
中は普通の休憩所だった。私達は椅子に座って一息吐く。すると、芋虫が話し始めた。
「まさか貴方達と此処で会えるとは……」
聞き覚えのある声に私達は驚く。
「え、あんた…まさか!」
私の言葉に軽く返事をすると、芋虫はその着ぐるみを脱ぐ。現れたのは黒髪に丸眼鏡の青年―――私達が以前受けた遊戯場の任務で助けた"♠3"の青年だった。
「あの時の!?」
「はい、お久しぶりです!」
彼はとある異常生命体から生み出された影の眷属の一人だったが私達に協力的で、とある一件で主である異常生命体から離反し、独立存在の"影浦剣三"となった。今は部隊の特例監視対象となっており、色々あって英二の従妹である沼田まひるの家でお世話になっているらしい。
「というか…あんたが何故ここに?」
「いや、実は有栖川さんから"まひるちゃんが危ない"って言われて…」
すると英二が得意げな顔で言った。
「彼にこのアトラクションの内情を調べるように言ったのさ」
「……それで、内情は分かったの?」
私が聞くと剣三は軽く頷いて言った。
「はい。このアトラクションにいるのは着ぐるみを被った異常生命体です。きっと顔さえ隠していれば殲滅隊にマークされないって思ったのでしょう」
「成程ね……で、どうするのかしら?此処から出る方法とかあるんでしょうね」
私の問いに、剣三は言った。
「意図的に道の構造を変えているみたいです。道が塞がれていても関係なく突っ走ればなんとかなるでしょう。後、猫婦人はあそこから動くことは無いです。しかし、出会う度に言葉で惑わせてきますし…第一、この森の全てを操っているのは彼女です。隙を見せた所を狙って倒しちゃってもいいと思いますよ?」
「それなら話は早い。行きましょう!」
英二がそう言って立ち上がる。私もそれに続いて立ち上がり言った。
「あの腹立つ猫おばさんに一泡吹かせてやるわっ!」
開かれた道を無視し、剣三を先頭に突き進んでいく。茂みから顔を出すと、猫頭の貴婦人の後ろ姿が見えた。英二がハンドガンを上に向けると、爆裂弾を一発撃った。橙色の閃光が轟音と共に爆発する。
『な、何かしら!?』
慌てたように猫頭の貴婦人が立ち上がり言う。そこに賺さず剣三が彼女に向けて手を伸ばすと、黒い帯が彼女の顔に絡み締め付ける。
「今だ!マイレディ!」
「分かってる!」
私は機械槍の柄を強く握り、槍身に電気を纏わせると、勢いよく貴婦人に向けて貫く。槍が当たった瞬間、眩しい光を放ちながら放電し、辺りを焼き焦がしていく。後方に吹き飛んだ貴婦人は、頭に被っていた猫の被り物が外れ黒塗りの顔面が露になった。
『な、何テ事をシテくれたノ……!』
主のピンチを察したのか、黒い猫の大群が私達に向かって追い掛けてくる。
「二人とも、出口はこっちです!」
私達は剣三の先導の下に走り出す。追い掛けてくる猫達を英二が追尾弾で対処していく。
『早ク捕まえナさい!!』
貴婦人の叫び声が聞こえると同時に、背後から大量の猫が押し寄せてきた。
「ちょっと!?これじゃあキリがないじゃない!!」
私は立ち止まり振り返ると、トリガーを強く握り叫んだ。
「ヴァルキリーサンダー!!」
槍先から雷撃砲が放たれ、猫の大群が一瞬にして吹き飛んでいく。
『嘘でショ!?』
慌てふためく貴婦人に英二が銃口を向けながら言う。
「悪いな、ご婦人。私達は……"ワンダーランドの住人"になる訳にはいかないのです」
そして引き金を引くと貴婦人は青色のシャボン玉に囚われた。シャボン玉の中でジタバタする貴婦人をその目で捉えながら英二は言う。
「―――"水泡檻"」
そして両手を一つ打ち鳴らすと、シャボンが弾けて貴婦人は消滅した。野太い猫の鳴き声が森中に響き渡る。
「終わった…一生分の猫を見た気がする……」
私は疲労が滲む声色で言う。すると、剣三が声を掛けてきた。
「此処が出口です」
そして出口の電子ロックにカードキーを差して扉を開けた。
「そのカードキー、何処で手に入れたのです?」
英二が聞くと、剣三は少し微笑んで言った。
「さっきの芋虫着ぐるみの持ち主さんから貰いました」
「要は処した、か」
英二は察したように言った。
「さぁ、早く行きましょう!」
「えぇ、そうね」
私達は扉の中へと入っていった。
扉の先は薄暗い廊下だった。私は英二から目を逸らしながら言った。
「正直スペード君と会えて安心したわ。英二と二人きりなんて気が狂いそうだもの」
「その言い方は無いだろう、マイレディ!」
そのやり取りに剣三が笑う。
「あの時から思ってましたが……本当に2人とも仲が良いんですね」
「えっ!?」
私が驚いていると、剣三は続けた。
「いや、だって……お互い信頼し合ってないと、そんな事言えないですよ」
「そ、それは……」
私が口籠もっていると英二は言った。
「私達は組んで長いですから。お互いの事は分かっているつもりです」
「まあ、そういう事にしておくわ」
私は小さく呟く。すると、彼は突然足を止めた。目の前に大きな鉄製の扉が現れる。その傍らには手書きの貼り紙が落ちていた。私はそれを拾い上げる。そこにはこう書いてあった。
《関係者以外立ち入り禁止!侵入者を見たら即排除だぞ☆ 工場長マッド・マーチ》
「何処までも私の神経を逆撫でしてくるのね、このアトラクションは!」
私は貼り紙をを強く握り締めると、扉を足で勢いよく開ける。扉の奥には工場の様な施設が広がっており、稼働中なのか大きな機械音が鳴り響いていた。
「行くわよ」
私がそう言って工場の中へと進んでいく。英二と剣三はそれに付いて行った。