【EX】ニュー・スペード・パラダイス
冥界のさらに奥深く。地獄を思わせる洞窟で、一体の冥人―――ジョーカーが苛ついた表情で玉座に座っていた。例の遊戯場の一件で持っていた力を全て奪われ、かつての道化師の姿をした悪魔のような威厳のある背格好を失い、今や小悪魔のような姿を保つので精一杯という状態になっていた。
『地上の存在ニあんな屈辱を受けルとはナ……』
『しかし、ボス……再戦スルにしてモ、今の力でハ冥界の外ニ出るのも難シイのでは?』
玉座の傍らに立つ影の悪魔が不安そうな声で言う。
『分かっテいる!こんナ事はシタクはなカッタのだが……』
そう言うとジョーカーは両手を強く叩く。すると彼の目の前に小さなトランプに手足が生えたような影が現れた。身体には"♠3"が描かれていた。"♠3"はジョーカーを一目見るなり怯えた様な動きを見せる。その姿を見た影の悪魔は驚く。
『ぼ、ボス!こいつハあの時貴方を裏切っタ奴ですヨ!?』
ジョーカーはそれを無視してドスの効いた声で"♠3"に声をかける。
『貴様に一度だけ機会ヲやろう。地上に赴き、俺様ノ為に人間共ノ魂を奪ってコイ!』
"♠3"は無理ですと言わんばかりに手足をばたつかせる。するとジョーカーは手にした三叉槍で地面を強く叩き叫ぶ。
『しくじっタら……コノ手で貴様を消し去っテやる!!』
その言葉に恐れを成したのか、"♠3"は逃げるように地上へと走っていった。それを影の悪魔が不安そうな表情で見送った。
どうしてこんなことになったのだろう。最初に浮かんだ言葉はそれだった。
僕は項垂れながら地上を歩く。あの時ジョーカーの手から解放されたと思っていたのに、奴がまだ生きていたと知った時は驚きよりも恐怖が勝った。首筋に浮かぶ"♠3"と描かれた刺青をそっと撫でて溜め息を吐く。例のゲームパーティーの時ですら一人の人間も手に掛けられなかった僕に、そんな仕事を任せるなんて酷な話だ。
(って、何を気負ってるんだ僕は!僕は一度奴を裏切ってるんだぞ!あんな奴になんか従う必要なんてない!それに……)
僕はふと思い出す。あの地獄のようなゲームパーティーに現れた紫ジャケットの救世主。忌まわしきジョーカーからの離反を誓った僕を"勇者"と讃えてくれた銃使いの殲滅隊員。あの人にまた会えるかもしれない、そう考えると心が高鳴る。そうだ、これは神様が与えてくれた、ジョーカーの魔の手から逃れ、地上で新たな人生を始めるチャンスなのだ。そうと決まれば早速行動開始だ。僕は決意を固めた表情で走り出した。
「やらかした……」
某所の商店街を力なく歩きながら呟く。当然の事ながら僕は金無し宿無しの状態。言わば異世界転生ものの主人公だ。初めて歩く昼間の活気溢れる地上の景色に心を躍らせ、無計画に動き回ったのが祟ったのだろう。飲食店が視界に入るほどに空腹感が身体を支配する。お洒落な外装のお菓子屋の前で足を止める。ガラスケースに入れられた童話モチーフの可愛らしいマカロンに見惚れる。時計を持った白うさぎ、赤い薔薇の咲く庭園、そしてトランプカードの兵隊の行進。こう言ったモチーフには本能的に心が惹かれてしまう。すると横から声を掛けられた。
「そのマカロン可愛いですよね!」
声の方を見るとカジュアルな格好をした女性だった。背丈的には学生だろうか。僕は慌てたように言った。
「え、あっ…ですよね!思わず見惚れちゃいましたぁ……」
恥ずかしさを隠す様に顔を背ける僕に笑顔を見せながら彼女は言う。
「買わないんですか?」
「あ、はい。お金も無いし、今日は見てるだけで…」
と言いかけた矢先、お腹の音が鳴り響く。僕は赤面してその場に座り込んだ。女性はくすりと笑う。
「よかったら一緒に食べませんか?奢りますよ!」
先程の店で買ったマカロンを食べながら商店街を歩いていく。僕がこの町が初めてだと言うと彼女は商店街を色々と案内してくれた。
「私、沼田まひる!貴方は?」
「えっ!?ぼ、僕は……」
そう言いかけた時、僕は致命的な事態に気が付いた。僕にはこれと言った呼び名が無かった。言われていた名前と言えば"♠3"といった暗号みたいなやつ位だ。
(そのまま名乗っても変に思われるし、だからと言って偽名なんて考えてなかったしなぁ……どうしよう……)
口籠る僕をまひるは不思議そうな顔で見つめる。その時、僕の脳裏にあの時の事が過った。
―――つまり君達は異常生命体の下僕…"影の眷属"という事ですか。
そして近くにある電機屋にディスプレイされている複数のテレビから音声が耳に入る。
―――問題。壇ノ"浦"の戦いが起こったのは……
―――トランプのマークにはそれぞれ意味があり、スペードは"剣"を……
僕は閃いたように手を叩き言う。
「えっと、紙とペン……貸していただけますか?」
まひるはカバンからメモ帳とペンを取り出し渡した。僕はそれを受け取ると澱みなく文字を書き記し、彼女に見せた。
「"影浦剣三"……何て読むの?」
「"かげうら けんぞう"って言います!」
急ごしらえの偽名ではあるが、そのまま"♠3"と名乗るよりは幾分かマシだ。僕の名前が分かると、まひるは笑顔で言った。
「ようこそ、剣三君!これから宜しくね!」
僕も笑顔で返事をする。
「はい!よろしくお願いします、まひるさん!」
行く宛がない事を正直に伝えた所、彼女が泊めてくれると言ってくれた。人間の親切さには感銘を受ける。両親の許可も下りた様で、僕は彼女の家にお世話になる事になった。
「剣三君ってさ、どこから来たの?」
「え?あー、ここよりはかなり遠い場所から…」
あながち間違ってはいない。
「え、海外?にしては日本語上手だよね!」
「いや、海外じゃないです……子供の頃から施設で暮らしていて、施設周辺の地理とか全然分かんないんです。だからここが施設からどの位遠いのかすらも分からなくて……」
いや無理がありすぎるだろ、と自分で言ってて思った。僕は絶望的に嘘が下手だった。流石に彼女もここまで来たら怪しむだろう、と危惧してはいたのだが。
「そっかぁ……」
あっさり納得してくれた。少し安堵の表情になる。するとまひるが突然携帯の画面に目をやる。暫くすると彼女の顔が一層明るさを増した。
「やったぁ!今日、お従兄ちゃんが遊びに来るんだ!」
「まひるさんのお従兄さん、ですか?」
僕が聞くとまひるは目を輝かせて言った。
「お従兄ちゃんはすっごい良い人だよ!遊びに来る度にプレゼントをくれるし、カッコいいし、優しいし、強いし、頭も良いんだよ!」
「そうなんですか!会ってみたい…」
まひるの興奮した様子に思わず笑ってしまう。
暫くするとインターホンが鳴る。まひるが玄関へと駆けていく。
「遊びに来たぞ、Princess!」
「お従兄ちゃん!」
居間に戻ってきたまひるは長身の美青年を連れてきた。茶髪のショートヘアーに端正な顔立ち、服装は違えど、その出で立ちはあの日ゲームパーティーで見た紫ジャケットの救世主だった。僕は驚きの表情を見せた。
「紹介するね、剣三君!私のお従兄ちゃんの有栖川英二……どうしたの、剣三君?」
「え!?あ、いや……」
すると英二が一つ咳払いをして言った。
「まひる、ちょっと彼と二人きりで話をさせてくれないか?」
「え?うん。私の部屋使っていいから…」
まひるは不思議そうな顔をしながらも承諾した。
僕は英二に連れて行かれるままにまひるの部屋に入る。扉を閉めると、英二は僕に距離を詰めて言った。
「何故君がまひるの家に居るんです、Spade Boy!あの時君は消滅したんじゃ!?」
「えっと、色々ありまして……」
「色々とは何ですか!?詳しく聞かせて頂けますか!?」
僕はここに至るまでの顛末を事細かに英二に話した。話し終わると、英二は大きく溜息を吐いて言った。
「成程……全て理解しました。良いでしょう、ここは私に任せてください」
そう言うと彼は僕の手を引いて居間に戻る。
「あ、お帰り!お従兄ちゃんに剣三君……」
まひるがそう言うと英二は真剣な表情で言った。
「まひる、実は…彼は私の知り合いでな」
「え!?本当?」
「ああ。彼がまだ養護施設にいた頃に会ったことがある。一度外に出れば、悪漢に理不尽な因縁を付けられて殴られるなんて当たり前なほど悪辣な治安の地域でな。仕事でその地域を訪れていた時に、集団リンチに遭っている彼を見つけて助けてあげたのさ」
凄い、何の躊躇いもなくありもしない出来事を英二は見事にでっち上げて見せたのだ。その様はまるでストーリーテラーの如く。僕は思わず感動してしまった。僕は彼に続く様に言った。
「まさかこんな所で会えるとは思ってなかったですよ!この人は僕の救世主ですっ!」
「大袈裟ですよ、Boy?」
彼に比べて僕の演技が下手なのは浮き彫りだった。僕は少し苦笑いをした。しかし、まひるは何も疑う様子などなく信じてくれた。
冥界の洞窟では鏡に映る地上の様子を眺めながら、ジョーカーが苛立ちを募らせていた。
『あやつカラ何の報告モ無い……一体何ヲしているノだ?』
鏡に手を翳し右にスライドさせると、鏡に映る景色が変わる。そこに映っていたのは人間の少女と楽しそうに談笑を交わす"♠3"の姿だった。ジョーカーは足を強く踏み鳴らし叫ぶ。
『あやつ……ニンゲンに絆されタか!!』
その声は洞窟内に反響して消えていった。
『ほら、やっぱり言ったジャないですカ!あいつには無理デスって……』
影の悪魔はジョーカーの機嫌を取る様に言う。
『黙レ!…まぁ、良い度胸ダとでも言っておコう。此方ニモ策はアルからな……』
ジョーカーは悪い笑みを浮かべた。




