【Ep.1-2】常闇の人形館(2)
人形館で分断されてしまった第4班。羽田ひよりが福留太一達と合流するその裏で、完全に別ルートを辿ることになった如月梓は―――
この洋館に入ってからはどんな事があろうと受け入れる、そういう覚悟はあった。たとえ全員が散り散りになろうと光もない道を宛もなく進むことになろうとも、ただ私は―――否、私達は任務を遂行するまでだ。
私―――如月梓は展開した投擲ナイフから僅かに放たれる赤い光を頼りに暗闇に閉ざされた洋館を進んでいく。全員が別々の場所に転送されているのは大方察していた。今回の討伐対象である異常生命体はかなり厄介な力を有していそうだ。
(取り敢えず、今はみんなを探すのが最優先ね)
何処からともなく甲高い笑い声や湿った足音がするのがとても気味が悪い。恐怖からなのかナイフを握る手が小刻みに震えていた。すると、後方からただならぬ気配を感じた。私は即座に振り返り、ナイフを投げつける。その軌道は赤く煌めき闇を貫く。ナイフは大きな黒い蜘蛛の様な影を刺していた。それは断末魔を上げながら煙となって消失する。
(うっわ、最悪…苦手なタイプの敵に当たっちゃったわ)
蜘蛛を含め虫の類が苦手な私にとって今回は最悪の任務になることが確定した。とはいえ真っ黒な影だったと言うことはあれは異常生命体の手下である“影の眷属”だろう。
異常生命体は顔面が黒塗りになった人型の存在で、魔力に近い特殊な力を有している。さらに強い力を持った物になると、闇や影から手下を作り出すことも出来る。眷属の姿は生み出し手である異常生命体の個体にもよるが、あんな気色悪い眷属を生み出せるならば主も相当の気色悪さなのだろう。想像するだけで悪寒がする。
私は再び歩みを進める。先程よりも慎重に歩を進めて行ったのだが、突如として私の足元が大きく揺れ始めたのだ。
「えっ、何!?」
私はその場で身を屈めて揺れに耐える。遠方から獣のような呻き声も聞こえている。身を屈めた姿勢を保ったままゆっくりと声の方へ進んでいく。するとそこには赤く眼を光らせた影絵劇から飛び出した切り絵のような姿の黒い巨大なドラゴンと、それに対峙する私と同じ隊服の男性―――群生圭の姿があった。圭は物怖じすることなくドラゴンを優しい眼差しで見つめるとそれに向けて手を伸ばし、落ち着き払った声で言った。
「主よ、彼の哀しき生命を救いたまえ」
するとドラゴンの胸元に緑色の十字架が浮かび上がる。圭は右手に持った翡翠色に煌めく刀身の大斧を十字架に目掛けて振りかぶる。ドラゴンは十字架を基点に翡翠色の光に包まれて叫び声を上げながら消滅した。その光を見送りながら圭は祈りの言葉を呟いた。そして私の姿に気付いたのかゆっくりと振り返る。
「おや……いたのですか、梓班長」
そう言って微笑む彼はまるで天使のように美しかった。
「……って、そんな呑気に挨拶してる場合じゃないでしょう!ところで圭、他の子達とは合流できたの?」
私が問い掛けると彼は溜め息を吐きながら首を横に振った。
「そうですね。一度塩崎君とは合流出来たのですが、眼を離した隙にまたいなくなってしまいましてね。“獲物発見~!”とか言って私の制止も聞かずにそそくさと行ってしまいました」
塩崎にこ―――私達第4班の中でも随一のマイペース戦闘狂である。敵を見つけたら形振り構わず闘いを吹っ掛けては必要以上に攻撃をするオーバーキル常習犯だ。
「本当ににこちゃんは相変わらずなんだから……で、何処ではぐれたかは覚えてるの?」
「いえ、それが全く。恐らくこの洋館自体が奴の領域なのでしょう。空間ごと歪められていて、正確な位置を把握するのは困難です。来た道を安易に戻ろうなど考えない方が賢明……」
圭がそう言いかけた矢先、何処からともなく叫び声が聞こえた。
「今のは……!!」
「急ぎましょう!」
私達は急いで声の聞こえた方へ走る。
声の方へ進んでいくと、そこには人形のような影の集団に囲まれた女性隊員―――塩崎にこの姿があった。にこは怖がる所か嬉々として血に塗れた包丁の刀身を愛しそうに撫でながら、狂気を孕んだ笑顔で言った。
「次は誰が来るの…?にこはぁ、誰でもOKだよ♡」
その瞬間、刀身に着いた血が青白い炎となり包丁を覆う。影達はそれに恐れを為して逃げようとするが、にこはそれを逃がすわけもなく炎を纏った包丁で次々と切り裂いていく。返り血を受ければ受けるほど炎は力を増していく。そして最後の一体に包丁を力一杯突き刺す。その影は苦しみ悶える声を上げて力なく倒れた。しかし彼女は満足しなかったのか、その影に何度も包丁を抜き差ししていた。刺す度に飛び散る赤黒い飛沫を顔に受けながら彼女は高笑いをする。その様子がもう見ていられなくなったのか、圭が彼女の元に近寄ると呆れたような声で言った。
「塩崎君、無事で何よりです。それにしても、いい加減“過剰断罪”はやめろと前にも言った筈ですよ?」
「あ、けーさまだ!いーじゃん、別にぃ……だって、にこはこいつの苦しむ声がだーい好きなんだもん☆」
そう言ってる最中も攻撃の手を一切緩めない彼女の瞳には正気の色が感じられなかった。暫くして影が消失を始めると、にこは悲しげな眼で影の成れの果てを見送る。圭がその隣で祈りを捧げるのを見ると、彼女もそれを真似して祈っていた。私はずっと言えなかった疑問を聞いた。
「圭はさ、何で敵を倒す度に祈りを捧げている訳?」
すると彼はいつもの優しい口調に戻って答えた。
「我々の手で処されなければならない哀しき運命を背負った彼等に、魂の救済が在るように祈っているのですよ」
圭は教会経営の養護施設に幼い頃から居り、その管理人を義父に持っていた。彼の信ずる教えは殆ど義父から教わったものだという。それ故だろうか、彼からは常に慈愛に満ちた雰囲気を感じる。私達とはまるで違う世界の住人のようだ。
「行きましょうか、班長。まだまだ合流できていないメンバーもいますしね。塩崎君、勝手な行動は慎むように。今度勝手に動いたらその時はもう探してあげませんからね」
「けーさまの意地悪ぅ~!」
「意地悪ではありません。当然の処置です」
私は少し苦笑いしながら頷く。そして二人を引き連れて先を進んでいった。
当てもなく暗闇の中を進んでいくと、前方から小さな可愛らしいイカのような生き物がとてとて歩いてきた。
「あれって…瑠美ちゃんが連れてるイカちゃんじゃない?」
「と言うことは、彼女はこの近くに……」
イカに向けて包丁を突き付けようとするにこの腕を掴みながら圭は言った。私はイカと視線を合わせる様に屈むと優しい声で聞いた。
「君のご主人……瑠美ちゃんは何処にいるの?」
するとイカは泣きながら小さな触手で彼が来た道を必死に指差す。
「そう…ありがとう」
そう言って頭を撫でると、イカは再び歩き出した。私達はその後を追って行くことにした。その最中もにこはイカを美味しそうという眼で見ていた。
イカを先頭に暫く進んでいく。すると、私達を待っていたと言わんばかりに両側の鏡貼りの壁から無数の黒い腕が伸びてきた。私達は咄嵯に戦闘態勢に入るが、腕の標的は私達ではなく前方で怖がりながら蹲る眼鏡の女性―――伊川瑠美だった。震える手で万年筆を握り締めてノートに何かを必死に書き記している。その傍らには麗しい青年の形をした白い光が彼女を護るように立っていた。瑠美の姿を捉えたイカは号泣しながら彼女の元に飛び付いた。
「うわぁっ!だ、ダイオウイカちゃん!皆を連れてきてくれたの?」
瑠美はイカ(ダイオウイカだったらしい)の頭を優しく撫でると右肩に乗せる。そしてノートに淀み無く文章を書き記していく。書き終わると紙面に記された文字が光り輝き、青年の形をした光に集約されていく。そしてその光は剣を振りかざし瑠美に迫る黒い腕達を次々と切り裂いていく。後ろでそれを見ているだけの瑠美はご満悦の表情だ。
「最高の"脚本"です!」
瑠美の武器は白紙の本と万年筆だ。本に絵を描けばそれを具現化して使役することが出来、文章を記せばその通りに使役した存在を動かすことが出来るのだ。彼女自身戦闘技能はかなり低く生身で戦うのが困難の為、こうして彼女の幻想を使役し指揮することで班の中での遅れを補填しているのだ。黒い腕達はいくら切り裂けども鏡の壁から次々と湧いてくる。それらを対処しながら私は溜め息を吐いた。
「これじゃキリがない……どうしよう?」
「大元を絶ちましょう。その方が手っ取り早いです!」
そう言うと圭は鏡の壁に向けて大斧を振る。壁は粉々に砕け散り、伸びていた腕達は一瞬で消失した。
「わぁ~、けーさますっごーい!にこもやるー!!」
それを見たにこは包丁をもう一方の鏡の壁に力強く刺した。大きな音を立てて鏡が割れると腕の襲撃が収まる。
「おぉ…ありがとね、にこ、圭。さぁ、早く行こう」
そう言って再び進もうとすると、急な浮遊感に襲われる。それは全員感じていたらしい。私達のいた床が抜けて私達は下の階に落下した。
「痛たたたたた……大丈夫、みんな?」
「えぇ、何とか……」
「にこも平気だよ☆」
強打した腰を擦りながら私は皆に聞く。にこと圭は何とか上手に着地して事なきを得ていたが問題は瑠美だった。その時、私に声を掛けたのは銀髪の女性隊員―――増間亮だった。亮はその腕に瑠美を抱えていた。簡単に言えば“お姫様抱っこ”の状態である。
「あの…この子、どうすれば……」
彼女が困惑するのも無理はない。亮に受け止められた瑠美はその状態のままときめきに悶えて足を高速でばたつかせながら発狂していた。
「はっ、はわわ…えっ、亮様ぁ!?私がっ、亮様に……お姫様っ、抱っこされてるうっ!?」
「暴れないで下さい!腕が痛いです」
「そんな事より顔が近い…!はわっ、眼福……」
確かに亮は世の女性が皆一目見るだけで惚れ、男性も嫉妬するほどに美しい顔立ちである。初見では男と勘違いするだろうが亮はれっきとした女性だ。この部隊の中でも彼女のファンは(男女問わず)多く、特に瑠美は筋金入りだった。亮はゆっくりと瑠美を降ろす。名残惜しそうな顔の瑠美を他所に亮は私の方を見て言った。
「あれ、夕暮副班長達は?」
「佳子ちゃん達とはまだ出会えていないわ」
私達第4班は10人、今この場にいるのは5人。つまりこの洋館の中で綺麗に二手に別れてしまった説が濃厚だ。取り敢えずもう一方の組とも手っ取り早く合流したい所だ。その時、私達を囲むように大量の蜘蛛型の影達が迫る。
「さっ、最悪!何でこんなにいっぱい……!!」
「嫌あぁ、どっか行ってえー!!」
「すっこんでろ、化け物おおおお!」
「主よ、我等を救いたまえ」
にこは涙目になりながら包丁を振り回し、瑠美は本を開き必死に筆を走らせ、圭は全てを諦めた表情で斧を構え祈りを捧げる。私もナイフを手に取り蜘蛛に向けて投げる。騒ぎ立てる私達の後ろで亮は一人冷静さを欠くことなく洋剣を構えると、踊る様な剣捌きで蜘蛛の影達を次々と切り裂いていく。その動きは先程見た瑠美の使役する光の青年と酷似していた。考えてみたら光の青年の容姿も何処と無く亮に似ていた気がした。亮を除いてこの場にいるメンバーは蜘蛛を含め虫の類に苦手意識を僅かでも持っていた。その為私たちは正常な判断力を欠いてしまい思ったような戦いが出来ていなかった。私達を囲っていた蜘蛛の影は殆ど亮が倒してしまった。訪れる静寂に私達は一息吐いた。未だに違う意味で冷静になれない隊員が1人、瑠美だった。
「はわわ……亮様の剣捌きはやはり素敵ですなぁ♡」
「瑠美ちゃん、さっきまで側にいたあの人ってもしかして……」
私は今まで聞けなかった事を瑠美に聞いた。すると瑠美は赤面しながら話す。
「この洋館に入ってからみんなと別れて……ずっと寂しかったんです。だからせめて頼れる誰かが欲しいって思って、幻影の亮様を呼び出して側に居てもらってたんですぅ……きゃー、本人がいる前で言っちゃったぁ!」
そう言いながら彼女はジタバタ悶えている。頭の上に乗っているイカも長さの足りない触手で赤面する顔を隠していた(隠せてはいない)。すると亮が真剣な目付きで瑠美に無言で近づく。その気迫に恍惚の表情だった瑠美の顔が強張る。
「え……もしかして迷惑でした?本人の幸せを陰らすなんてファン失格……」
すると亮は唐突に洋剣を勢いよく突く。剣の切っ先は瑠美の右肩を掠める。
「うわぁ、ごめんなさい!」
瑠美の叫びに対し、亮は表情を変えずに言った。
「後ろに敵が」
彼女の剣には蜘蛛の影が刺さっており、暫くするとそれは煙となって消失した。
「はわわぁ♡」
亮の神対応にときめきがキャパオーバーを起こした瑠美はその場で膝から崩れ落ちる。亮は困惑の表情を見せている。
「あの、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないです……梓班長、私は色々な意味でここまでみたいですぅ……」
「え!?」
「もう死んでもいい……」
こんな所で大事な隊員を置いていくわけにはいかない、そう言おうとした矢先。
「はいは~い、るみたん!いっくぞー☆」
そう言ってにこが明らかに自分よりも身長の高い瑠美を軽々と持ち上げて私達の前を歩き始めた。意気揚々と進んでいくにこに着いて行くように私達も歩き出す。そしてもう一方の集団への合流を目指すのだった。