【Ep.11】私だけの神様
―――神とは"救済"と"信仰"の下に存在する一つの概念であり、決まった姿を持つことは無い。
―――神は各々が信ずる姿で我々の下に現れる。
―――神は他者によって"信仰"される事で存在し、信ずる者を"救済"する責務を持つ。
私が見た"神"は、愛する義父の姿をしていた。
「……義父さん!!」
自分の叫びで目を覚ます。無機質な自室の天井に向かい伸ばした手が朧げな視界に映る。私―――群生圭はゆっくりと上体を起こす。
―――また、あの夢を見た。
大きく息を吐いてからベッドを降り、カーテンを開ける。壁に掛けられた時計は午前5時を指していた。児童養護施設時代の癖で早起きになってしまう。部隊の起床時間は6時半なのだが、長い事身に染み付いた習慣というのはそう簡単には抜けない。まだ夢の中にいる同居人を起こさぬように私は静かに身支度を済ませて自室を出た。
起床時間前という事もあり、隊員宿舎内の施設はまだ閉まっている。退屈な約1時間半をやり過ごす為、私は屋上へと向かう。珍しく先客がいた。児童養護施設時代からの私の友人である、第3班所属の太川陽司だ。食堂が開くまでの暇な時間をここで談笑しながらやり過ごすのが私達のモーニングルーティーンだ。いつもなら私の方が先に屋上に来るのだが今日は陽司の方が先だった。
「珍しいな、圭が後に来るなんて」
「……またあの夢を見てしまってね」
「もしかしてお前の義父さん……管理人さんのか?」
「あぁ、そうだ」
私の義父は教会経営の児童養護施設の管理人だった。
私は本当の両親を知らない。物心ついた時から私は児童養護施設にいた。私と陽司は長い事引き取り手が現れず、私は施設の管理人である神父の、陽司は教会のシスター長の元で育てられる事になった。私は施設の子供達と関わるのも楽しかったし、義父の事を何より尊敬していた。彼の教えはいつも私の心の中にあり、今日でも忘れることは無い。
「お前、本当に管理人さんの事好きだよな」
そう言って陽司は笑う。
「当然だ。義父さんは私を救ってくれた……神様なのだから。感覚的には…そうだな、陽司にとってのシスター長さんみたいなものかな?」
「確かにそれ、良い例えだな」
そんな他愛もない話をしている内に、時刻は既に7時に近づいていた。私達は混み合わない内に食堂に行くことにした。
食堂でのいつも通りの朝食。対面で座った私達は両手を組んで祈りの言葉を捧げる。これも施設時代からの習慣だが、この場ではかなり異質に見える。でも、それで良かった。この時だけは施設での楽しかった思い出が蘇るから。私達は目線を合わせると少し微笑み、朝食を食べ始めた。
施設での楽しい日々がいつまでも続くと思っていた。でも、当たり前の日々が永遠に続かない事は前々から分かっていた筈だった。
私達がこの部隊に入隊する数年前、施設があった第10区域周辺で妙な事があった。無事に引き取り先が見つかった子供達が次々と施設に戻ってきた。まるで引き取り先から逃げるように。子供達曰く、引き取り先の親達が"化物を神様だと言っていて怖くなった"との事だった。確かにその当時、カルト的教団が活動を始めているという情報が近辺で流れていた。まだ幼気で、穢れ無き眼差しを持つ子供達に化物を崇めろというのは酷な話だ。恐怖に震える子供達を、その時も義父は優しく受け止めていたと記憶している。
成人となった私と陽司は施設の職員として働くことを決めていた。これまで私達を支えてくれた施設に恩返しが出来るという意味では悪い話ではなかった。私は生涯をこの施設に、教会に捧げるという強い意志があった。
そんなある日の事だった。深夜に施設の前に黒いローブを纏った人々が現れた。黒地に白い眼の様な紋章が描かれた面で顔全体を覆った彼らは、異様な雰囲気を漂わせていた。
―――あれが噂になっていた教団か?
―――分からないけど、あまり関わらない方が良いかも……
私達は遠巻きに見ていたが、その時、子供達が眠っている筈の部屋から悲鳴が聞こえた。私は速足で階段を駆け上がり部屋へと向かう。そこには子供達を攫おうとしている黒いローブ姿の男がいた。彼はローブの中から黒い触手らしき紐を伸ばし子供達を縛っていた。
「子供達を離せ!」
私は男に向けて走り掴みかかる。男は振り払うように腕を振るうが私はそれを躱す。すると男の身体の一部が盛り上がり、異形の姿へと変貌した。その姿を見た私は思わず動きを止める。恐怖で身体が思うように動かない。そのまま異形は子供達を連れたまま窓から飛び降りた。私は慌てて窓の外を見る。逃げられた。その時だった。建物の外から咆哮の様な音が響く。すぐさま階段を下りてエントランスホールへと向かう。私の眼前には、龍の様な大きな翼を広げた鎧姿の長身の男だった。その顔面は黒く塗り潰され見えない。そして彼の前には、子供を必死に抱き締めながら倒れる義父の姿があった。
「義父さん!!」
私は義父の元に駆け寄る。しかしその時、床から黒い剣が突然伸びて私の行く手を阻む。
「逃げろ、圭!」
義父が弱々しい声で必死に叫ぶ。
「嫌だ!義父さんを置いていくなんて出来ない!」
「駄目だ、私はもう……」
「諦めちゃ駄目だ、義父さん!」
炎が上がる中を、私は口を袖で押さえながら進んでいく。子供達の救助に向かっていた陽司の制止すら聞こえなかった。赤く揺らめく炎と大きな黒い怪物の影は、私の脳裏に鮮明に焼き付いている。
児童養護施設で起きた一連の騒動は、殲滅隊によって収束した。子供達も無事に保護され、記憶処理を行い別の施設に移送された。しかし私と陽司は居場所を失ったも同然だった。私の義父である管理人も、陽司の義母であるシスター長もこの騒動の犠牲者となった。そんな私達を部隊は快く迎え入れてくれた。その時の私達には、安住の地があるだけで充分だった。そして今に至るのだ。
―――義父さん、私は貴方にとって良い子だったでしょうか。
「おい、圭。手、止まってるぞ」
「あぁ……済まない」
「大丈夫か?」
「問題無いよ。心配してくれてありがとう」
陽司の心配の言葉に私は微笑んで礼を言う。
あの日から私は時折施設での騒動の夢を見る。炎に包まれた施設のエントランスホール、何かを伝えようと必死になっている義父、その背後に立つ鎧の異形。夢というのは、睡眠時に記憶を整理する際に見える一種の幻覚というのは分かっていた。それでも同じ光景を定期的に見る等、私に何かしらのメッセージを伝えようとしているとしか思えない。ここ最近、夢のメッセージを読み解く事に思考を割いてしまい、他の事が疎かになってしまう。班のメンバーからも暫く休んだらどうだと言われる始末だ。しかし仕事柄、安易に休む訳にもいかないのは事実だ。
朝食を終え、4班の会議室に向かう。私は会議室の机に置かれた一枚の資料を手に取る。そこには大きな写真と共に、第10区域周辺で多数目撃されている異常生命体に関する情報が記されていた。写真が私の視界に入った途端、私は驚愕した。そこに映っていたのは、私達のかつての安住の地を奪った異形だった。
「何故、奴が……!あの事件はもう終わった筈では……!?」
脳裏にあの時の記憶が過る。頭が痛い、呼吸が荒くなる。
「落ち着くんだ、圭さん。深呼吸して、ゆっくり息を吸え、そして吐け」
私の隣にいる先輩隊員の福留太一に促されるままに深呼吸をする。漸く心が落ち着いた頃、私は資料を握りしめて言った。
「この資料って、今回の任務のものですよね?」
「えぇ、そうだけど……」
班長の如月梓が困惑気味な声色で答える。私は彼女に視線を合わせると言った。
「この任務、私だけで行かせては貰えないでしょうか?」
「そんな、無茶よ!あんな巨大な異常生命体、単独での殲滅なんて1班ですら無理だって言うのに……」
「この件は私の問題です、止めないでください」
梓の制止を振り切って、私は会議室を出ようと扉に手をかけた。すると誰かが私に声を掛けた。声の方を振り返る。声の主は塩崎にこだった。
「にこも行く!これはけーさまだけの問題じゃないっ!」
「塩崎君……」
確かにそうだ。この件は彼女にとっても無関係ではない。
私とは違う境遇ではあるが彼女もまた、彼の異常生命体に全てを狂わされた被害者なのだ。