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2-4 Bullet Of Justice

LTRl2-4

 週末も終わり、平日が戻ってきた。同時に家を出た室堂父娘は、同じ列車に乗る。しかし、降りるのは澪が先だ。父の常願はそのまま臨海副都心へ向かう。

 東都学園高校の女子の制服は黒のセーラー服だが、上に羽織るコート類は自由だ。澪は愛用の、ベージュ色のケープ型コートを揺らして、改札前で同級生2人と顔を合わせる。

 何の変哲も無い、しかし平穏な1周間が始まる……そう思った澪の耳に突然、バスのクラクションが突き刺さった。一瞬遅れて、鈍い音が響く。何かに衝突したような音。

「え?」

と顔を向けた澪は、1分前に通り過ぎた駅前の交差点に目を向ける。横断歩道の真上に、緑のラインが入った白い路線バスが停まっている。

「誰か!!」

「救急車!!」

と、バスの物陰から焦りの声が上がる。無意識に現場の方向へ顔を向ける刑事の娘は、

「澪?」

とその名を呼ぶ同級生の声より寸分早く、地面を蹴った。


 ハザードランプを点滅させるバスの前で、人が倒れている。女子高生のようだ。

「退いて!」

と叫びながら、人集りを掻き分ける少女の視界に、うつ伏せで倒れている少女の顔が映る。

 ……見覚えが有る、どころじゃない。焦燥感と苛立ちを露わにしながら、澪はその名を叫んだ。

「明澄さん!!」

その声に返事は無い。ポニーテールの少女は血塗れで、意識を失っている。

 「澪!救急車、すぐ来る!」

と、結奈が後ろから声を上げる。そして彩花は澪の隣に駆け寄り、明澄の身体を仰向けにさせると、耳を口元に当て、首筋に触れ、眼鏡越しに腕時計の針を見つめる。6秒で1回……。1分に10回は有る計算だ。

「呼吸と脈、遅いけど有るわ……」

と言った大きな三つ編みの女子高生に、刑事の娘は少しだけ安心する。しかし、頭を打っているようで油断できない。

 澪は咄嗟にスマートフォンを取り出し、耳に当てた。

「何だ?」

「明澄さんが事故に。東都学園の最寄り駅で」

通話相手の返事を待たず、澪は通話を終えた。未だ列車に乗っているから、手短に終わらせる必要が有った。しかし、父は次の駅で折り返してくるだろう。

 「お前か!!」

近くにいた、スーツを着た若い男が叫び、緑のセーターの男に走り寄る。

 不気味な笑みを浮かべながら逃げ出した男は、しかし数十メートル走って止まり、後ろへ振り向きながら中口径の銃を取り出す。スーツの男は怯むが、セーターの男はその足下に向けて引き金を引く。銃声が周囲に反響し、明澄に集まる人々を戦慄させた。

 「へへ……っ」

と低い声が聞こえた瞬間、澪は男を鋭い眼差しで睨む。……澪の戦士然とした表情は、結奈や彩花ですら近寄り難い。

 その2人は、澪が明澄と呼んだから一瞬判らなかったが、目の前で倒れている高校生がアスミックだと判る。あのeスポーツプレイヤーだ。

 「何が……!?」

と謎に包まれる結奈と彩花。しかし今は、救急車が駆けつけるまで、彼女から目を離すワケにはいかない。そして、

「明澄さんを頼むわ!」

と言って立ち上がり、2人に背を向けた同級生を見守るだけだ。……謎は後回し。


 「まさか、Rセンサーの副作用……!?」

澪は呟いた。対峙する男の下衆な嗤い方に、澪はその確信を秒ごとに強めていく。

 麻薬中毒に似たような、軽い人格崩壊を起こした目付き。しかし、麻薬のそれと決定的に異なるのは、手足の動きが酩酊状態ではないこと。眠っていた闘争心を呼び醒ましたように見える。

 だが、大きな疑問が生まれる。未だ市場に出回っていないRセンサーを、どうやって使用したのか。それも、イベントなど何も開かれていない月曜の朝に。

 「殺人未遂の現行犯……!」

そう声を張り上げた刑事の娘に、銃口を向ける男は

「五月蠅い!」

と怒鳴りながら上空に向かって引き金を引く。しかし、ボブカットの少女は銃声ごときでは怯まない。

 「何故彼女を狙ったの!?」

その問いに答えは無い。

 ……答える必要が無い?それならそれで、父に引き渡すまで。あたしはそのための時間稼ぎ。そう決めた澪は、シルバーの銃身を取り出す。

「澪!!」

結奈が声を上げた。しかし、少女の耳には届いていない。どう自分にだけ目を向けさせるか、それだけが彼女の意識を支配する。

 「明澄さんを狙うなら、あたしが相手になるわ!」

その声と同時に、澪は後ろ向きに軽く地面を蹴る。男の銃口がその身体に向き、同時に銃声が響いた。しかし、澪の20センチ左を飛ぶ。

「……3」

澪は呟く。残り3発……弾切れさせるか、その前に撃たざるを得ないか。

「どうすれば……」

と澪は言った。……流雫は隣にいない。頼れるのは自分だけ。彼の概念を感じさせる、左の手首を飾るブレスレットに静かなキスを捧げる澪。その眼差しは、険しいままだ。

 「流雫……護って」

と呟く少女に、再度銃口が向く。もう十分、正当防衛の条件は成立した。最終手段だが、撃つのを躊躇う必要は無い。

 コートのケープが揺れる、と同時に男が動いた。4発目の銃声、しかし目の前の少女を仕留めるには至らない。

「くそが……!」

と声を上げる男を前に、澪は動じない。冷静さを失わないこと、それが流雫の隣で戦う中で学んだ、死なないための絶対条件。それが正しいのは、男の焦りが手元の震えに表れていることで判る。恐らく、BTBでは体感できない銃の反動と、BTBとは異なる標的の動きに翻弄されている……。

 ゲーム感覚で人を撃つこと、それは澪にとって最愛の少年が、最も忌むこと。そして、刑事の父譲りの正義感を持つ少女にとっても、同じことだった。

「これはゲームじゃない!!」

そう声を張り上げた澪に、再度銃口が向く。少女は咄嗟に銃を構え、

「ゲームじゃない。あたしを斃しても、単なる殺人鬼にしかならないわ!」

と威嚇する。

 「五月蠅い!」

と声を上げた男の指が僅かに動く。澪は迷わず、引き金を引いた。

 火薬が爆ぜる音は、小さく2回。しかし銃弾は男のベージュのズボン、その太腿に小さな穴を開け、赤黒い染みを招いた。

 「ぎぁぁっ……!」

撃たれた右足から崩れ、その反動で引き金を引く。2発の銃弾は澪の足下を大きく逸れ、アスファルトに跳ねた。そして、スライドは動かなくなる。弾切れ。

「くっ……そがぁぁ……っ!」

足に力が入らない男は叫びながら悪足掻きしたが、再度崩れる。澪はその後ろ首を掴み、下に押し付けると後頭部に銃を突き付ける。

 「……警察に全て話しなさい……!」

と言った澪の視界の端に、刑事が見えた。

「澪!」

と娘の名を呼びながら走り寄る父に

「明澄さんを殺そうとした犯人よ」

と言った少女は、その身柄を引き渡す。緑のセーターの袖口に手錠を掛けたベテラン刑事は娘に問う。

「殺そうと……!?彼女は!?」

「バスの前。結奈たちが介抱してる」

と答えた澪の耳に、救急車のサイレンが聞こえる。常願は別の警察官に犯人を引き渡すと、

「病院についていくぞ。其処で話を聞く」

と言って娘の前を走り出した。


 近くの病院に搬送された明澄は、ICUで処置を受ける。その容態が気になりながらも、待合室の端で父に何が起きたか話す女子高生の耳に

「澪さん!」

と名を呼ぶ声が聞こえた。亜沙だ。

 澪は、救急車に乗るや否や、彼女にメッセンジャーアプリで一報を入れていた。女記者は今日は休みの日だったが、スーツを袖に通して駆けつけたのだ。

「明澄は……!?」

「未だ……」

と亜沙の問いに答える澪の隣で、常願は経緯を簡単に説明する。

 「……狙われた……!?」

と女記者は声を上げ、目を震わせる。……思い当たる節は無い。

「……あの凶行の引き金は、恐らくRセンサーの影響……。ただ、だとすると何処で使ったのか……」

と言った澪を見つめる亜沙は、唇を噛む。もしそれが全て正しいのならば、義妹はRセンサーに殺されそうになったことを意味する。

 ……脳への電気信号を生み出す装置は、その使い方次第で人を洗脳することさえ可能なのか……。その存在を初めて耳にした時から、亜沙は大きな疑問を抱いていた。その答えが、彼女が望まなかった方で見えてきたような感覚がした。


 明澄がICUから出てくるのを待ち続ける亜沙と別れた澪は、父の指示で学校に行くことになった。足取りは重いが、仕方ない。

 澪が学校に着いたのは、昼休みになったと同時だった。その顔を見掛けた同級生2人は、遅刻してきた少女を屋上へ誘った。

「……澪」

と名を呼んだ結奈の隣で、彩花が頭に手を置いて囁くように言った。

「……怖かったね……」

 ……澪が返り討ちに遭うワケが無く、必ず仕留めるとは思っていた。だが、何故彼女ばかりそう云う目に遭うのか。それが何よりの疑問だ。

 自分や結奈のように、何も知らず銃を握ること無く、ただ高校生活を謳歌していればいいだけの少女であってほしい。それさえ願ってもムダな、贅沢な願いなのか。

「……何も言わなくていい。今はボクたちに甘えてなよ」

と結奈は言う。

 ……流雫には流石に敵わないが、2人の強みは学校が同じであること。彼が隣にいない時、自分たちが澪の隣にいる。

 そして、何が有っても絶対に澪を見捨てない。それは、澪が絶対に2人を見捨てないどころか、自分自身よりも大事にしたがるからだ。絶対にテロや犯人に屈しない原動力のその性格は、頭が上がらない。

「結奈……彩花……」

澪は安寧を取り戻したような声色で、そう言った。

 この2人がいる、だからあたしは正気でいられる。澪はそう思いながら、少しだけ甘えることにした。


 昨日は何事も無く、デートを楽しめた流雫は、その余韻に浸りながら山梨で孤独な学校生活を送っている。

 昼休み、自分で用意したサンドイッチのランチボックスを屋上で平らげた少年は、曇り空を見上げ、数秒後に目を閉じる。仮に普段から話をする同級生がいたとしても、今日は独りを好んだだろう。

 ……福岡では何も起きないことを願いたい。そう思うだけで、後は心を無にする。肌寒いが、文字通り頭を冷やすにはちょうどいい。

 コンクリートの床に座り、フェンスに背を預けていた流雫のスマートフォンが鳴る。着信は夏樹からだった。昼休みの時間に連絡してくること自体、相手を問わず珍しい。

「流雫くん。いきなりだけど、今日会えるかな?」

「え?今日!?」

突然のことに困惑する流雫。自分が東京にいないことは知っているハズだが、判っていて言っている……それはつまり。

 「何か有った?」

と流雫は問う。それも、メッセンジャーアプリで済む程度のものではない。

「……詳しいことは後で。僕が河月に行くよ」

「……あの姉妹に、何か有ったの?」

流雫は思わず問う。通話相手の沈黙が、外れではないことを意味していた。直接は無関係だが、だからとそう在り続けるワケにもいくまい。

 「……夕方、河月駅前にいる」

とだけ言った流雫に、夏樹は

「ありがと、助かるよ」

とだけ返して通話を切った。

 ……彼自身にではなく、2人のいずれか、或いは双方に何かが起きた。クリアになったハズの流雫の頭に、また謎が襲い掛かる。

「……スターダストのチケット……10枚ぐらい送るかな……」

と呟く流雫のスマートフォンが短く鳴った。澪からのメッセージだった。

「明澄さんが襲われた」

その一言に、流雫の脳が揺さぶられる。流雫は無意識に

「襲われた……!?」

と声をにした。

 夏樹が何故、自分に会いたがっていたのか。その理由を察した流雫は、無意識に唇を噛む。それと同時に、チャイムが聞こえる。午後の授業だ。気が気でないが、受けないワケにはいかない。

 流雫は大きな溜め息を吐き捨て、立ち上がった。


 午後の授業は全て英語。文法偏重の授業だが、元々第二外国語として得意な流雫にとっては、ノートに文章を書きながらも聞き流すだけでよかった。尤も、意識はそれどころではなかったが。

 放課後になると同時に、流雫はトリコロールのヘルメットを被り、ネイビーのロードバイクに跨がる。駐輪場を後にしたとほぼ同時に、正門前に止まっていた黒いセダンから

「流雫くん!!」

と呼ぶ男の声が聞こえた。

「弥陀ヶ原さん!?」

と返しながら流雫は、運転席に座る顔馴染みの刑事の後ろで、黒いショートヘアの少年が俯いている。……警察が連れてきた。それが意味するものは。

 「……扇沢さんに何が?」

と刑事に問う流雫に向けた、夏樹の黄色の瞳は軽く見開き、しかし怯えたような表情を際立たせている。

「……取り敢えず、河月署な」

と言った刑事は、市内唯一の警察署へ行くよう指示し、車を走らせる。流雫もそれに続くように、ペダルを踏み付けた。


 殺風景な警察署の建物に入ったオッドアイの少年を

「流雫くん……」

と呼ぶ夏樹は、流雫が車の外から見た時よりも少しだけ安心したようだった。今の彼にとって、頼れる唯一の存在だからだ。

 取調室に案内した後で、高校生2人にコーヒーを出した弥陀ヶ原はストレートに

「扇沢明澄が重体だ」

と話を切り出した。

 「……え!?」

と無意識に声を上げる流雫。その隣で、夏樹が続く。

「今朝、横断歩道でバスに撥ねられたんだ」

「犯人に後ろから突き飛ばされてな」

その刑事の言葉に目を見開き

「殺人未遂……!?」

と声を上げた少年の隣で、夏樹は静かに頷く。弥陀ヶ原はネットニュースの記事を流雫に見せ、言った。通知に出てこなかったから、彼にとっては初耳だった。

 「犯人は周囲の制止を振り切ろうとしたが、澪ちゃんに撃たれた。容態の回復を待って、取り調べることになった」

「澪が……!?」

流雫は目を見開いた。先刻のメッセージでも、自分が撃ったことは書かれていない。尤も、話の優先順位からすればどうでもいいことなのだろうが。

 弥陀ヶ原は一度軽く頷く。

 「東都学園のすぐ近くで、登校中に遭遇したらしい。今は室堂さんが取調をやっている」

「彼は彼女と仲がいいから、参考までにと訊ねた。すると、流雫くんに会いたいと言ったから、連れてきたんだ」

と続けた刑事に、

「僕は、君しか頼れないんだ」

と続いた夏樹を、流雫はただ見つめている。

 ……ゲームに関しては決して相容れない。しかし、それ以外では誰より頼もしい、目の前のオッドアイの少年。

「篭川さんへの脅迫として……扇沢さんを狙った……?」

流雫の言葉に、夏樹は背筋が凍る感覚に襲われる。……一度は頭を過るも一蹴したことを、シルバーヘアの少年が声に出したからだ。

 「脅迫……!?」

と夏樹は反射的に声を上げる。

「多分、一連の事件を誰より追ってるのが、篭川さんだからだよ」

「脅迫だとして、誰にだ?一連の真相を暴かれるのを怖れている奴らにか?」

そう問うた顔馴染みの刑事に、流雫は頷きながらスマートフォンの画像を出し、答えた。

「……VRMMOのデータ消失と、Rセンサーによる発狂。一見別物に見える2つの関連性を暴かれると困る連中……」


 レンヌから送られてきた画像には、亜沙を中心に据えた相関関係図が記されている。其処に並ぶ名前とは全く面識が無いアルスだからこそ、贔屓目も無く見ていられる。

「あのフランス人、宛ら情報屋だな」

と弥陀ヶ原は言う。

 彼の短期留学中に流雫や澪と一緒に取調を受けた際、弥陀ヶ原と澪の父親は揃って頭を抱えた。日本では手に入らない情報を大量に持っているアルスの発言に、頭の整理が追いつかなかったからだ。しかし、それが捜査と解決のスピードを押し上げた。

 もし流雫がアルスと知り合っていなければ、詩応の姉の死の真相すら解けないままだっただろう。日本が平和を取り戻した、その立役者……と言っても過言ではない。尤も、アルス自身は流雫を少し手伝った程度に過ぎないと思っているが。

  「僕だけのね」

と言って軽く戯ける流雫は、しかし表情を険しくする。

「狙うのはVRメタバースの覇権?巨額の利益?」

と言った夏樹に、流雫は一度はそうだと思った。要因の一つなのは間違い無いだろう。だが、シルバーヘアの少年には別の答えが浮かぶ。流雫は、思うがままに言った。

「……VRメタバースの神の座……」

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