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2-3 Embrace My Devil

 ディードール、その名をアドレスバーに入れ、検索結果に目を通すブロンドヘアの少年。数分前に本名でも試したが、ヒットしなかった。

 引っ掛かったのは最終学歴だった。都内の工業大学を卒業したが、学部は情報工学部。今度はその名で検索した。公式サイトに並ぶ教授リストをスクロールするアルスの手が止まる。

 ミツトシ・トス。学部に数人いる客員教授のうち、プロフィールを見る限りクラウドの専門家はこの男だけだ。

「Un ancien élève d'une personne de Progressive Inc., dont le père est à l'ATA ?(……プログレッシブの人間の元生徒、その父親がATA……?)」

と呟くアルスは、今度はATAのサイトに飛び、そして

「Tosu et Kagogawa, anciens employés de Progressive, Inc.(トスとカゴガワ……元はプログレッシブ同士か……)」

と声に出し、ボールペンを手にした。

 紙面を転がるボールから剥がれたインクが綴ったのは、それぞれの名前と関連するワードの数々。その真ん中には、あの女記者の名前が綴られていた。


 亜沙の父、篭川颯人がATAにヘッドハンティングされたのはATAの設立と同時だった。それまでは部署こそ違えど、鳥栖と篭川は同じ会社にいた。

 其処での関連性は知らないが、気になるのはATAもプログレッシブからのスピンアウトだったことだ。大企業からの独立自体は珍しい話でもないが、流雫から聞いたFTWと合わせた、このメタバース関連の2社が引っ掛かる。

 そして、VRデバイスのプレイバースを展開するPJCは社内カンパニー。一つの企業のように独立採算制で活動するが、法律上はプログレッシブの事業部の一つ。だから鳥栖も、PJC在籍とは云うが正確にはプログレッシブ日本法人に属する労働者の1人だ。

 鳥栖と篭川に、亜沙も知らない関係が有るのだとすれば、水面下で両社のタッグに向けた動きが有ったとしても不思議ではない。

 ただ、そのためにヘラクレスが邪魔だったとしても、VRMMOのサービスを強制終了させる事件を起こす理由が無い。一時的に巨額の損失を計上し、同時に企業としての地位を落とすことになるからだ。あまりにもリスクが大き過ぎる。そこまでバカな連中ではなかろう。


 ……全ては思い過ごし、俺は複雑な相関関係に飲まれて本質を見失っているだけだ。そうであってほしい。ルナが遭遇した事件も偶然の別物、データ消失は単なる事故。そうあってほしい……とアルスは思っている。

 どれだけ崇拝する戦女神ルージェエールに、彼が事件に遭遇しないよう祈りを捧げようと、それが叶わないことを、ブロンドヘアの少年は知っている。ならば、せめて無事であれと祈るだけだ。そして、そのためには力を貸す。

「J'entre.(入るわよ)」

と言ってドアを開けたのは、バスルームから戻ってきたアリシアだった。互いの家はすぐ近くだが、今日は彼の家に泊まる日だ。

 赤毛のロングヘアを揺らすパンツルックの少女は、ネイビーのジャケットを脱ぎながら

「L'affaire à venir est-elle un métavers ?(今度はメタバース?)」

と問う。時々流雫のことは話題に出るから、その流れで今の問題も知っていた。

「Le Japon est un problème après l'autre. Le Japon est un problème après l'autre. Je plains Luna.(ああ。日本で、次から次へと問題が起きる。ルナが不憫だよ)」

「C'est la raison pour laquelle vous êtes allé à l'église tous les jours ces derniers temps, n'est-ce pas ?(ここ最近、アルスが毎日教会に通うのは、そう云うことだったのね)」

とアリシアは問う。

 流雫と転生の概念について話したあの日から、アルスは毎日数分だけでも教会に寄ることに決め、今日まで続けてきた。そのことは流雫も知らないし、知らなくていい。

 あれだけ強請っていたカフェチケットなど、本当はどうでもいい。ただ、河月の学校では孤独な流雫の喜怒哀楽が死なないように、と云う半ば独り善がりのジョークに過ぎない。そして彼は、思い通りのリアクションを示していた。

「Je suis de son côté.(……俺はあいつの味方だからな)」

とアルスは答えた。


 そもそも、流雫が日本に移り住んだのは、血の旅団がパリで起こした無差別宗教テロの脅威から避難するためだったからだ。

 親戚が受入先だったから定義からは外れるが、流雫は或る意味宗教難民に近い過去を抱えている。アルスが彼に力を貸したのは、それに対する贖いからだった。

 ……祖国フランスに泥を塗るなら、それが流雫だろうと容赦しない。しかし、その祖国を追い出す結果になったことに、アルスは直接の当事者ではないとは云え、強い愛国心を持つ身として罪悪感を感じていた。

 それが今では、同性の相棒のようになっている。無論、澪には敵わないが。

 「Luna est aussi de ton côté. Earth et Luna, c'est peut-être ce qui était prévu, vu le nom.(ルナもアンタの味方。地球と月……名前からしてそうなる運命だったのかもね)」 

とアリシアは言う。

 アルスのスペルは英語の地球。そして流雫……ルナのそれはラテン語の月。レンヌの太陽騎士団の教会前で偶然出逢って、教団のことに疎そうな日本人を話に誘ったのが全ての始まりだった。それも全て、このフランス人が崇める戦女神の導きなのだと思える。

 そして、フランス生まれの日本人の読めない思惑を訝っていたアリシアも、今はアルスを経由する形ながらも流雫の味方だ。直接彼とは会ったことは無いが、一度会ってみたいとは思う。何なら、澪も交えてのダブルデートが面白そうだ。尤も、周囲から見て3ヶ国語が乱れ飛ぶ4人組は異様に映るだろうが。

 「Quel est mon destin et le vôtre ?(……じゃあ、俺とお前の運命は?)」

恋人の問いに、アリシアは

「C'est juste un caprice de la déesse.(単なる女神の気まぐれ)」

と戯ける。溜め息に似た笑い声を漏らしたブロンドヘアの少年は、自分たちが享受している平穏な日々が日本にいる2人にも訪れてほしいと、強く願いながらノートを閉じた。


 ベッドの上で、部屋の主の胸が、布団越しに僅かに上下に動く。その呼吸している証に安心する流雫は、しかしアルスから得た情報が引っ掛かっていた。

 あの女記者を何処まで信じていいのか。今更疑心暗鬼に陥っても、半ば遅い気がする。しかし、協力を引き受けた澪の判断は、正しかったと思っている。そうしなければ、新しい情報を得られなかったからだ。 

 ……アメリカや中国、そして韓国などの後塵を拝し続ける日本のIT業界。高性能ハードウェアでは健在だが、ソフトウェアやAIでは劣勢に立たされるどころか最早周回遅れだ。

 その日本が、IT大国に返り咲く最後の切り札がVRメタバース。その理想は、オールジャパン体制のメタバースを構築すること。

 プログレッシブが外資系である以上、ゲームチェンジャーを支援したい。そのためにもATAを関与させ、理想通りの体制を構築させる。

 仮に、ATAがゲームチェンジャーを救済することが既定路線だったとして、それがプログレッシブ傘下入りすることになったとすると、ネクステージライブは計画そのものが潰える。

 だとすると、出資と云う形で経営に関与している政府は、プログレッシブによるヘラクレスの買収を認めないが、ATAの買収も認めない。ただ一方的にアルカバースを供給し、2つのVRメタバースの頭脳を牛耳らせたい。

 ネクステージライブがワンワールドに敵わなくても、理想形とはならなくても、アルカバースの採用で巨額の利益がATAに入れば、出資元としては最悪それでもいいのだ。だとすると、やはりAIを暴走させるのはハイリスクか。

 ……だが、関与が明るみにならない、揉み消せる組織が有るとするなら、話は別。今の日本じゃ、それが存在していても不思議じゃない。そして、微かな寝息を立てる目の前の少女が死ななければいい。無論、彼女が銃を握ること無く、全てが終わることが理想だが。


 「流雫……?」

薄らと目を開けた少女の一言に、眼前の流雫は穏やかな表情で

「おはよ、澪」

と囁く。寝起きから近過ぎる。

「ふぁ……っ!!バカッ……!」

と赤面して反対を向く少女。ただ、今までこう云うことは無かったから、余計に鼓動が大きくなる。

 少しだけ意地悪な微笑を浮かべた後、流雫は何事も無かったかのように言う。

「アルスから連絡が有って、色々話してた。……篭川さんたちには気を付けろ、そう言ってたよ」

「……それって」

と澪は言いながら、恋人に向けた身体を起こす。

 「……詳しいことは追々。疑うのは忍びないけど、僕も澪も、あの3人のことは……よく知らないんだ」

「それは、そうだけど……」

「アルスが言ってることを、鵜呑みにしたいワケじゃない。だけど、篭川さんたちをそうするのも、危険だと思ってる」

「……何を話してたの?」

と澪は問う。後で話そうと思っていた流雫は、しかし今片付けることにした。最愛の少年に向ける眼差しは、寝起きながらも鋭かったからだ。

 フランス人と話したことを端折って説明した流雫に、澪は

「……流雫」

と言葉を被せる。

 「……家族が手掛けているものが、メタバースの世界のゲームチェンジャーに成り得る。でもそれが、政治的な部分で渦中の存在になることを……、扇沢さんは怖れてる」

「怖れてる?」

「僕と澪への態度で判るよ。あの人にとって、BTBは半分人生のようなものだと。……だから或る意味、僕が憎い。BTBを拒絶することは、扇沢さんそのものを否定することと似てるから」

と言った流雫は、最愛の少女から目線を逸らす。

 ……生きている以上、他人を憎んだり恨んだりは、普通に有り得る話。だから自分が明澄と不仲なのはどうでもいい、と流雫は思っている。ただ、それが澪に及べば話は別だ。

 「……だから、明澄さんたちを鵜呑みにできない……」

と流雫の言葉に被せてきた澪を、シルバーヘアの少年はアンバーとライトブルーのオッドアイの瞳で捉えながら頷く。

 「アルスはそこまで知らない。だけど、話しているうちに……そう云うことだろうとは読めたんだ」

その言葉に、澪は思わず唇を噛む。……亜沙と2人で話した時の言葉を思い出したからだ。

 

 「自分が好きなものを否定されたと思って、あの態度に出たんだと思うわ」

あの時、女記者は確かにそう言った。その言葉は流雫には話していないが、彼は自分1人で、別方向から明澄の心理に辿り着いた。そして、今は彼女との向き合い方に悩んでいる。

 アルスが言うように、盲信的になっては足下を掬われる。しかし、疑ってばかりでは先に進めない。……明澄の性格からして、流雫が全面的に折れるのが最善策なのか。

 それは、BTBを受け入れ、プレイすることを求められることを意味している。真相を暴くための最善策ではあったとしても、流雫自身にとってはそうではない。

 ……流雫には澪がいる。亜沙に

「あたしは、流雫の味方です」

と、明確に宣言した絶対的な存在、澪が。

 それでも、ゲームとは云え人を撃ち殺すことに違和感を抱え、プレイをデスゲームを見ているように思われることには耐えられない。

 「テロなんて無ければ、こう云う思いをしなくて済んだのかな……」

と流雫は呟く。澪は少しだけ寂しげな表情を露わにし、そして一気に目の前の恋人を抱き寄せた。

 ……フランスでテロに遭わなければ、流雫は美桜と出逢うことは無かった。今でも両親とフランスで過ごしていたから。そして東京でテロが起きなければ、美桜は死なず、澪と出逢うことは無かった。

 テロなんて無ければ、澪は流雫と一緒にいない。それはそれとして、彼がこうして過去を思い出し、悲しむことは無かった。

 その曇ったオッドアイを、澪は見ていられなかった。

「……流雫……」

と囁くような声で名を呼ぶ少女は、思わず目を閉じる。


 ……銃は悪魔のようなもの。流雫は何度も、そう言っていた。

 自分や他人を護ることができる、使い方と使う理由さえ間違えなければ、有効な武器。しかし、その銃声や反動と云った五感は、何時になっても忘れられない。

 そして、犯人とは云え、撃たなければ殺されるとは云え、人を撃ったと云う現実が付き纏う。……殺されないために引き金を引く、そう判ってはいる。ただ、ふとしたことで思い出す。そして、その感覚は恐らく死ぬまで続く。

 ……生きている限り、逃れられない呪縛を残す。だから悪魔なのだ。形振り構っていられないが、テロによる望まない死から逃れるために、悪魔の手を握る……。流雫がヒーローと呼ばれるのを拒絶したがる理由の一翼でもあった。

 「……流雫が悪魔だとしても、あたしは流雫といっしょだから」

澪はそう囁いた。

 流雫に助けられた初デートの日から、澪は彼の力になりたいと思い続けた。そして、彼を護るために銃を握った。オッドアイの少年の隣で戦い続けてきた。

 だから、流雫が思っていることやその苦しみは、他の誰より判っている……ボブカットの少女はそう思いたかった。

 流雫は何も言わない。ただ呼吸は落ち着いている。

 ……美桜の死から始まった澪との出逢い、そして片手で数えるほどながらも世界最高と疑わない味方の存在。全ては美桜が、この世界に取り残された僕のために引き寄せたのか……とすら思える。

 「サンキュ、澪……」

とだけ小声で言った流雫の頭を、優しく撫でる澪。

 3日だけ年下、しかし今は年上に見える少女は、最愛の少年を悪魔と言った。流雫から聞いたことが有るドイツ文学の話が、澪の記憶に残っている。それに影響を受けていた。


 ……流雫は自分に使役される、自分だけの悪魔でいてほしかった。

 悪魔が持つ力が有れば何でも、それこそ世界平和すら実現できる。ただ、このシルバーヘアの悪魔に命じたいことは、その力全てを自分への愛に費やすこと。

 そうしてでも、彼が抱え続けてきた孤独や悲しみに触れ、溶かしたかった。それで彼が、二度と泣かなくて済むのならば。その結末が、死を迎えた後で地獄に連れ去られるとしても、自分を掴むのが彼の手なら本望だった。

 痛々しく思われようと構わない。それが、彼と普通じゃない出逢い方をした少女の、偽り無き想いだった。

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