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2-1 Not Accident

 土曜日。列車でも高速バスでも、東京で降りるのは新宿。何時ものようにプラットホームで、1週間ぶりに再会したカップルは早速臨海署へ向かう。受付で出迎えたのは先に着いていた澪の父と

「日曜ぶりね」

と言った女記者だった。意外な人物の出頭に、今から取調を担当する刑事も軽く驚いていた。

 取調は、亜沙から始まった。昨日書き起こした文書を印刷した資料を刑事に渡す。数分間の沈黙の後で、先に口を開いたのはベテラン刑事の方だった。

「……犯人が直前にプレイしていたデバイスは、問題が見られなかった」

事象を再現できなかったことが、その大きな理由だ。

「試遊台はBTBだったと……」

と亜沙は返す。特別なコンテンツではないが、しかし検証できない。

 「Rセンサーを動かすための何か、例えば専用のAIが有るのだとすれば……」

と流雫が話を割った。

「デバイス側でなく、対応コンテンツのサーバ側からRセンサーを起動させることができるなら、特定のプレイヤーにだけ発症させることができる」

 「この個体で遊んだ別の連中を当たってみたが、2人の犯人以外、特に刺激を感じなかったと言ってる。ランダムに起動しただけじゃないのか?」

と常願は言ったが、その娘は

「……ランダムに見せ掛けて、最初からプレイヤーを選んでいた……なんてことは……」

と言葉を返す。それに流雫は

「もし、何らかの方法でそれができるなら……」

と言った。すかさず、亜沙は言葉を被せる。

「何らかの方法?何だと思うの?」

 ……口振りからして、僕を試そうとしているのか。そう思った流雫は、しかし女記者を唸らせるだけの答えを持っていない。それでも、想像の域を出ない推測をを言うだけだ。

 10秒ほど経って、流雫は口を開いた。

「……プログレッシブのサーバに残っている、プレイヤーのデータ。残っていれば、だけど」


 プレイバースで遊ぶには、先ずプレイバースのIDを取得する必要が有る。その上で、ファンタジスタクラウドの場合は専用のIDを作成する必要が有った。一見無関係そうに見える2つのIDは、メールアドレスや個人情報でリンクされる。

 ファンタジスタクラウドでのアバターやゲームの履歴そのものは、あの一件で消去されて残っていない。ただ、ゲーム内での発言内容などはプレイバースのサーバに蓄積される。

 本来、こう云う形のデータはユーザーごとに広告やゲームの紹介を最適化するため。だが、この情報によってRセンサーを作動させる相手を、AI自身が選んでいた。

 試遊台でもログインさせることで、システムがユーザーを識別し、作動条件を満たした者だけが得られるようにした、特別なゲームエクスペリエンス。それがRセンサーによる、感覚のダウンロードだった。


 「……夏樹くんも不思議がっていたけど、本当に得意なの、フランス語だけ?」

と亜沙は問う。フランス語だけが得意と言っている少年に圧倒された夏樹は、その時のことを年上の女記者に洩らしていた。流雫は

「……英語も」

とだけ答える。

 その隣の澪だけは知っている。彼のノートに何もかも書かれていることを。そうやって、彼は知識の引き出しを増やしつつ、事件への核心に近付こうとしている。逆に言えば、そこまでしないといけない。

 ただ、皮肉にもそれが流雫に人間臭さをもたらしていた。そして、そのことを誰よりも知っているのが、澪だ。

「……それが本当なら、サーバからデータが消されていなければいいけど……」

と亜沙は言った。今回の騒動を機に、アカウントを削除されていても不思議ではない。

「……遅かったよ」

と弥陀ヶ原は返した。

「犯人2人のアカウントは、事件当日に凍結、完全に削除された」

 表向きは、プレイバースやプログレッシブのイメージに著しい損害を与えたと云う規約違反だった。

「Rセンサーの作動履歴から犯人を特定し、削除した……」

「関連性がバレると、大変なことになるから……」

と2人のカップルが続くと、常願は言った。

「ただ、想定外だったのは……澪、お前と流雫くんだ」

「あたしと流雫?」

と澪が返す。

「犯人が使っていたデバイスを、持って来るよう頼んだらしいじゃないか。だから事が大きくなった。……我が娘ながら、よく気付いた」

「……褒めてるの?でも、そのきっかけは流雫よ?副作用、脳内麻薬と言うから、つい……」

と澪は言う。その言葉に

「脳内麻薬?」

と弥陀ヶ原が反応し、流雫に目を向ける。亜沙の表情も少し動いた。オッドアイの目付きを険しくした少年は

「……痛覚が麻痺したかのように……足を撃たれても平気だった。感覚が改変しただけなのかも、だけど……脳内麻薬かも……そう思ったから……」

と言い、数秒置いて続けた。

「……電気を脳に流した副作用で、そのテの脳内麻薬が分泌されたとしても不思議じゃない……。逆にその程度で済んだ、と思うべきなのかも……」

 言葉が尻窄みになるのは、こう云う時のクセだ。自分の推理に何処か自信が無いからではなく、外れてほしいと願っているからだった。

 だが、亜沙はその言葉に飲まれていた。

 ……可能性の域を出ないが矛盾しない、プログレッシブにとって最適な犯行の引き金。それは、電気信号とそれが分泌させた脳内麻薬を原因とする発狂。先日、鳥栖は確かにそう言った。

 ただ、鳥栖はあくまでもプレイバースのトップ。このデバイスを誰より知り尽くしている。一方、このシルバーヘアの少年は単なるユーザーですらない。しかし、あの事件の犯人と戦う中で、独自でその答えに辿り着いていた。

 澪に協力を求めたことは、その恋人もセットと云う意味では間違っていなかったが、その鋭さに軽い畏怖さえ覚える。味方にいると強いが、その分敵に回すと誰より厄介なのは、この日本人らしくない見た目の少年か……、女記者はそう思い知らされた。

 

 取調の後、高校生カップルと女記者はアフロディーテキャッスルへ向かった。

 アフロディーテキャッスル。アウトレットが入る臨海副都心の商業施設の一つで、大観覧車トーキョーホイールが目印になっている。流雫と澪が初めて顔を合わせ、そして急接近した場所でもある。ブレスレットを入手した店も、この建物に入っている。

 安めのレストランに入ると、流雫は亜沙からノーサブのクレデンシャルパスを渡された。名目はウェイクこと澪の密着取材企画の補助。その隣で澪は、亜沙の監督下に置かれるものの、これで福岡でも2人でいられることに、嬉しさを滲ませる。

 ……亜沙は、この2人が少し羨ましくなる。義妹にそう云う人間臭い気配が無いからだ。夏樹とは仲はよいが、単にプレイヤー同士が少しだけ発展した程度に過ぎない。

 今の明澄にとっては、BTBこそ半ば恋人のようなもの。無論、恋愛が全てではないことは亜沙だって知っている。だが、何よりも引っ掛かるのは流雫への態度が示すように、自分と相容れない者は敵と同列であることだ。

 だから澪はあの時

「……あたしは、流雫の味方です」

と言った。亜沙を通じた明澄への牽制だったからだ。それは、亜沙自身も感じていた。

 食後のレモンティーを啜りながら、高校生2人は福岡の観光サイトを漁る。観光する時間は短いが、夕方から夜ならどうにかなる。とは云え、恐らく澪が修学旅行で行った場所が限界か。それでも、1人で見ると物足りなくても、流雫となら断然楽しめる。

 「……少しでも遠出を楽しめるものが有るなら、楽しみたいじゃないですか」

と澪は言い、年頃の少女らしい表情を露わにする。しかし、その微かな微笑に悲壮感が滲んでいたことは、流雫だけが知っていた。


 夕方、3人は夏樹と明澄の2人と合流することになった。秋葉原駅の近くに、 VRのeスポーツセンターが有り、其処にいるらしい。

 雑居ビルの1フロアが、目的の場所。2人が練習を中断して3人を出迎えた。

「プレイしていく?」

と問うた夏樹に

「いや」

とだけ答えた流雫は周囲を見回す。

 20台ほどのデバイスが、パーティションで区切られたブースに置かれているが、2人のように自前の個体を持ち込むことは可能。そして全国大会に進む他のメンバー3人もいる。

 その誰もが、やはり澪ことウェイクを警戒している。あの日以降、ディードールが彼女に注目している……連中の目にはそう見えた。尤も、ゲーム以外の部分では間違っていないのだが。

 5人は、亜沙の名義で借りたミーティングルームに入った。先刻の臨海署での話を亜沙から聞いたゲーマー2人は、言葉を失っていた。あの時の事件が、まさかそう云う方向に至っているとは想像できるワケがない。

 沸騰する怒りを抑えようと苦戦する明澄と、次は自分の番ではないかと怯える夏樹の反応は、亜沙にとっては寧ろ自然のように思えた。そう、流雫と澪が特殊なのだ。

 「福岡にRセンサーが持ち込まれると厄介ね……」

と言った澪の隣で、流雫はふと疑問を口にした。

「……一つ気になったことが有って」

「何?」

と澪が言ったと同時に、3人の目がシルバーヘアの少年に向く。

「……どうして、プログレッシブはヘラクレスのAIを採用したんだろう……?」

世界的なIT大手だから、AI開発にしろ予算は多いハズだ。VRメタバースの覇権を握るためなら、そうしたって不思議ではない。

 「その方が手っ取り早いからじゃない?」

と夏樹は答える。確かに既に開発が進んでいるものを手に入れる方が、ゼロから開発するよりサービス展開も早く実現できる。ただ……。

「それならそれで、どうしてプログレッシブは……ヘラクレスを買収しないのか……」

と流雫は言った。

 ヘラクレスを買収すれば、メタバースに限らず高性能なAIの知見を手に入れることができる。そうすれば、これからのデジタル社会を牛耳る事さえ可能になるのだ。

「ヘラクレスの買収は、何度か話が有ったらしいわ」

と言ったのは亜沙だった。

「ただ、日本の当局が認めないらしいの。表向きは、独占禁止法違反の恐れが有るから」

「表向き……」

と澪は小さな声で言う。その言い方は、何が裏が有ると云うことだ。

 「……あくまでも噂だけど」

と亜沙は前置きして身を乗り出した。密室の狭いミーティングルームだが、念の為。それほどのオフレコなのか。

「AIに特化した別の企業が、この買収に圧力を掛けているらしいの」

「……その表向きは独禁法……」

「……本音は、ヘラクレスから自分のところのAIに乗り換えさせたい。メタバースの覇権のために」

と澪に続いた夏樹の隣で明澄が、重い口を開いた。

「……アーク・トゥ・アルカディア。略してATA」


 ATA。5年前に設立された福岡のベンチャー企業で、ヘラクレス同様AIの開発を専門とする。

 これまでにフィンテックでの複数の実績が有り、最近はメタバース上での決済に絡めたAIを展開している。

「プログレッシブも、決済関連に関してはATAのフィナンシャル特化型AIを採用してるわ。ただ、それが大きなネックになってる」

その言葉に、澪は思わず口を挟む。

「どう云う……」

「ATAが今、急ピッチで開発を進めているのは、メタバースの基幹AI。そして……」

と言った女記者は、数秒間を開けて続けた。

「出資元は日本政府なの」

 アルカディアのメタバース、と云う意味で名付けられたアルカバースと云う高性能AI。ヘラクレスのオープンソースを使って開発が続けられている。

 プログレッシブに独占供給契約を結ばせ、最終的には企業そのものを吸収させる。ワンワールドが消滅しない限り、ATAは安泰を手に入れることができる。

 そのためにも、競合するヘラクレスをプログレッシブから引き剥がす必要が有る。だから、政府……正確には出資元の政府系投資機関が当局に口出しし、ヘラクレスの買収を認めないように仕組んでいる。逆にATAの買収なら無条件で認める算段だ。

 「……もし」

と流雫は口を開く。

「ファンタジスタクラウドのデータ消失が、ATAの仕業なら……」

その言葉に、澪は目を見開く。……事故じゃない……!?

「どう云うこと……?」

 「社会インフラとして要求される、安全で安定したメタバース運用のための最善策。それがアルカバース

の採用。暴走してデータを消すようなAIなんか排除し、ヘラクレスと組んだ過ちを繰り返さないために、ATAと排他的に手を組ませる」

「そう仕向けるために、何者かがデータ消失のトリガーを仕組んだ……?」

「それが何かは判らない。ただ、カスタマイズこそされていても、元々はオープンソース。専用のプログラミング言語をマスターしていれば、セキュリティの穴を突くのもクラッキングも比較的容易だと思う……」

「とにかくトリガーは引かれ、データが吹き飛んだ……犯人の思惑通りに」

流雫と澪の言葉に、もう1組の男女と女記者は言葉を失う。

 ……この前アルスが言っていた

「Mais si c'était vraiment un accident, c'est quand même mieux.(……本当に事故なら、未だマシだけどな)」

の言葉が、流雫には引っ掛かっていた。

 悪い方向に転がる可能性が有るものは、悪い方向に転がる。だから今回も、マシじゃない方に転がる。つまりデータ消失が事件だとするなら、犯人の狙いは何なのか。

 神が創造しない新たな世界への抵抗……そう云う高尚な理由とは思えない。もっと簡単で低俗な犯行の動機が有るハズだ。そして、今の話と結び付いた。あくまで、妄想であってほしいが。

 「ただ、ネクステージオンラインのケースは?」

と夏樹は問う。プログレッシブへの独占供給を目論む一方、ゲームチェンジャーは本来無関係。何故狙われたのか。

「……ゲームチェンジャーはデータ消失で財務的に窮地に陥る。そこにATAが救済として買収に乗り出し、AIを乗り換えさせる」

「2つのVRMMOのユーザー数は、重複するだろうけど合計で2300万人。国内のVRメタバース市場を一気に牛耳ることができて、ワンワールドの世界制覇を加速させる材料にもなる……」

 「データは消失したものの、VRMMOの知見は残ってる。アルカバースにアジャストさせれば、新規で運用を始めるより容易い……それなら合点がいくわ」

と向かい側の高校生2人に続いた亜沙は、突然

「馬鹿馬鹿しい」

と一言叩き付けられる。声の主は明澄だった。

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