6:向けられる悪意
「先生! 皇帝のお妃様になったって本当ですか⁉︎」
その日の夕方、綺羅蘭たちが松本に会いにやってきた。電気がないからか、この世界では日の出と共に起きて日没と共に眠る者が多いらしいが、国の中枢である青藍城も含めて都に住む者たちは違う。
夕方に仕事を終えて帰宅し、日没後に食事や入浴を終えて眠るというのが一日の生活パターンだそうだ。食事は基本朝晩の二回だけだが、後宮では昼に軽食を食べる事もままあるらしい。
そんなわけで夕食前という時間ではあるから、来客用の部屋でお茶と少しの菓子だけ用意されたテーブルを皆で囲む事になった。
来て早々に綺羅蘭は興味津々といった様子で問いかけ、竹井と日野はソワソワしている。その後ろで風間だけが、苦い顔をしていた。
「本当よ。でも形だけなの。偽装結婚みたいなものね」
「えー、そうなんですかぁ? 先生なら皇帝のお妃様ってピッタリだと思ったのに」
「城に置いてもらうのに必要だから受け入れただけなのよ。ここが後宮だって、如月さんたちも聞いたでしょう? 帰るまでの間だけだし、本当に妃になるつもりなんてないわ」
本来、後宮は皇帝一族と女官、宦官しか入れない場所だ。警備に当たる兵士ですら、緊急時でもない限り宮内への立ち入りは許可されない。
今回、竹井や日野、風間が入れたのは、国を救う異界人だから特別に許可されただけだ。それも松本のいる北陽宮だけに限られていた。
「もったいないなぁ。私が皇子様に妃になってくれって言われたら、日本に帰りたくなくなっちゃうかも」
「キララちゃんにはオレたちがいるじゃんか」
「そうだぞ、キララ。今は珍しいからいいが、日本の方がずっと便利だ。俺たちとちゃんと帰ろう」
「えへへ、分かってるよ。でも皇子様って憧れるじゃない? だから言ってみただけだよ」
無邪気に綺羅蘭は話したけれど、さり気なく皇帝から皇子にすり替えられている。
そこには自分は若い皇子じゃないと嫌だけれど、オジサン皇帝の妃に松本はお似合いだという侮蔑が込められていると気がついたのは、清乃だけだろう。
綺羅蘭は自分に注目を集めたいタイプだから、取り巻きの二人や風間を惹きつける松本を元々良く思っていない。嬉々として妃となった話を聞き出そうとしているのも、三人に見せつけるためのようなものだ。
そして日野と竹井はまんまとそれに引っかかり、二人にチヤホヤされて綺羅蘭は満足げに笑っていた。
「清乃も嬉しいんじゃない? 先生がお妃様になってくれるおかげで、こんなすごい家に住めるんだもん。贅沢もし放題なんだろうね」
「……え? 私は」
清乃も皆と一緒にテーブルを囲んでいたけれど、綺羅蘭たち四人にいないものとして扱われていたからひたすら静かにお茶を飲んでいた。だというのに唐突に話を向けられてすぐに反応出来なかった。
感謝はしているが、申し訳ないと思いこそすれ喜んでなどいないと、そう言いたかったけれど、不意に風間がガチャリと音を立てて茶器を置いた。
「それより如月。今日はこれからのことを話に来たんじゃないのか」
どこか苛立たしげに言った風間に、松本は苦笑して頷いた。
「そうよ。如月さんたちはどうだったの? 魔鬼退治に本当に行くの?」
「もちろんですよぉ。しばらくは力の使い方を練習するんですけどね」
綺羅蘭は残念そうにしていたけれど、風間と松本に話を変えられてはどうしようもないからだろう。大人しく引き下がり、本題を話し出した。
どうやら綺羅蘭たちは十日ほどかけて訓練した後、魔鬼退治へ向かう事になったらしい。討伐補助のために兵士も同行する事になったから、その連携の確認もあるそうだ。
国の四方にある神山まではそれぞれ馬車で一ヶ月ほどかかるらしく、神山内では徒歩での移動になる。毎回城へ報告に戻る必要があるため、一箇所の討伐には行き来で三ヶ月近くかかる計算になり、順調にいっても全て終わるのはちょうど一年後になるだろうという話だった。
「くれぐれも無理はしないようにね。あなたたち誰一人欠けてもいけないんだから」
「そんなに心配しなくても大丈夫ですって。もし怪我をしても、聖女の力で簡単に治せちゃいますから」
「そうだよ、先生。オレたちがいるし全然心配いらないから! 俊なんてすごくてさ、パンチで岩だって砕いたんだよ」
「それを言うなら春馬もだろう。魔法で何人もまとめて倒していたからな」
綺羅蘭たちは午前中、腕試しを簡単にしてきたそうだ。ワイワイと盛り上がる中、風間だけは無言で顔を顰めており、松本は気遣うように語りかけた。
「風間くんも気をつけてね。何も手伝えなくて申し訳ないけれど」
「いえ……先生は俺たちを待っててくれればそれでいいですから」
風間は切なげな微笑みを返す。どうにも様子のおかしい風間の様子に、松本だけでなく清乃も気にはなったがどうしようも出来ない。仲間はずれの清乃は、ただ黙って耳を傾けるだけだ。
そうして話を終えた綺羅蘭たちが帰ろうという時だった。女官を連れた松本が先導して、綺羅蘭と竹井、日野の三人も部屋を出た時、最後に席を立った清乃に風間は鋭い眼差しを向けてきた。
「委員長、あんたのせいだからな」
「……え?」
「とぼけるなよ。恋人だってしばらく作る気はないって、先生は言ってたんだ。それなのに皇帝の妃になんてなったのは、あんたがいたからだろ?」
二人だけ残った部屋は日没間近で、早めに灯されたいくつかの布灯籠の明かりが仄かに照らすだけで薄暗い。いつもの爽やかさなど微塵も感じられない怒りの籠った風間の様子に、清乃は息を呑んだ。
風間がずっと苦しげにしていたのは、そのせいだったのかとようやく清乃は気が付く。風間はどうやら教師としてではなく一人の女性として、松本を慕っていたらしい。
「本当、役立たずだよな。あんたがいなければ、先生一人ぐらい俺たちと一緒に連れてくことだって出来たのに」
「……ごめんなさい」
「謝って済むことかよ! 如月にしたみたいに先生のことまで都合よく使おうなんて、俺は絶対に許さないからな! 俺たちがいない間、死んでも先生を守るって約束しろ! もし先生が泣くようなことになったら、俺があんたにそれ以上の苦しみを味合わせてやる」
風間はそう吐き捨てて部屋を出て行った。一人残された清乃は、呆然とその背を見送る。
綺羅蘭は一体、何を風間に吹き込んだのか。思い返せば、松本の妃話の時にわざわざ清乃に話しかけてきた事も不自然だったけれど、これを狙っていたとでもいうのだろうか。
これまで綺羅蘭や叔母に虐げられてはきたけれど、そこに込められていたのは嘲りや蔑みなど下に見るようなものでしかなかった。あんなにも憎しみや恨みのこもった目を向けられたのは初めての事だ。
もとより松本のことは守るつもりだったけれど、風間の目は本気だった。今の風間には、言った通りの事を実行するだけの不思議な力があるというのに。
もし万が一、危惧している事が起きたらどうしたらいいのか。冗談ではなく本気で身の危険を感じてしまう。
安心出来たはずの松本のそばでの暮らしは、この時から一気に緊張を孕むものに変わってしまった。




