66:復讐より愛を
今話はちょっと長めです。
扉を即座に閉めた綺羅蘭たちはグッタリとしていたけれど、先客に気付いた綺羅蘭が声を荒げた。
「ちょっと、清乃! なんであんたがここにいるの⁉︎」
「えっ、委員長? うわ、すげーカワイイじゃん!」
「あれが菅原なのか? そういえば、昔はキララに似ていたな。そうか、あんな顔になってたのか……」
置き去りにしてきたはずの相手が先にいた事に、日野と竹井は驚いた様子で目を見開いている。そんな中で綺羅蘭だけが怒鳴ってくるのを、清乃は意外にも冷静に見つめていた。
「別に私がどこにいてもキララには関係ないでしょ」
「はぁ⁉︎ 清乃のくせに生意気すぎ! 大体あのメガネはどうしたのよ! まさか伊達だったとかいうわけ? ハルくんたちに色目使うとか、調子に乗らないでよね!」
「いや、オレたちはキララちゃんが一番だよ! なぁ、竹井」
「ああ。いくら似ていても、菅原とキララじゃ比べ物にならない」
「似ているって思われるのも嫌なんだけど! 清乃なんて私の引き立て役なんだから、どうせなら魔鬼にグチャグチャにされれば良かったのに!」
以前は綺羅蘭の癇癪を出来る限り避けたいと思っていたけれど、怒りの余り何もかも吹っ切れてしまったのか。それとも、どこか清乃の感覚はおかしくなってしまったのだろうか。もはや綺羅蘭がどんな反応をしても何も感じられない。
けれど初めて冷たくあしらわれた綺羅蘭は、より気に障ったらしい。苛立った様子で罵ってきた。
「如月、いい加減にしろよ!」
我慢ならないと風間が声を上げた事で、綺羅蘭も周りが目に入ったらしい。驚いた様子で目を瞬かせた。
「リュウくん? 先生と皇子サマまでいるんだ。へぇ……もしかして、先に帰るつもりだったの? 私たちを置いて?」
「ふざけるなよ! 俺たちを置き去りにしたのはお前の方だろうが!」
「そんなに怒らないでよぉ。無事だったんだからいいじゃない」
「いいわけあるか!」
言い合いを始めた二人の間に割り入るように、松本がパンと手を叩いた。
「二人ともそこまでよ。とにかくまずは日本に帰りましょう。魔鬼が外にいるんだから」
「っ! ……分かりました」
「しょうがないなぁ。まだ先生気取りとか笑えるけど、戻った後が面倒くさいし。言うこと聞いてあげるよ」
「おい、如月!」
「やだぁ。話は後にするんでしょ? 怒らないで仲良くしようよリュウくん」
「ああもう、本当俺は、何でこんなやつを可愛いとか思ってたんだ……」
松本の言葉に従い、日野と竹井も綺羅蘭と共に立ち上がる。誠英が不快げに眉を顰めつつも、御堂の中心部を指し示した。
「帰還の陣はそこだ。中央に寄って待て。私が帰してやる」
「おっ、これか? 床に何か見える」
「本当だ、何かあるな」
「ふーん。じゃあ、この中にいればいいんだね」
「先生、大丈夫ですか」
「ええ、ありがとう」
帰還の陣のある場所はただの板張りの床だが、薄らと円形の紋様が表面に浮かび上がっている。その上に日野と綺羅蘭、竹井が率先して立ち、風間が松本の手を引いていく。
誠英は切なげに清乃を見下ろした。
「清乃、ここで別れだ」
「誠英様……」
「お前と過ごせた時は私にとってこれ以上ない喜びだった。生涯忘れる事はないだろう。だが、お前には危険な事もさせてしまった。辛い思いもたくさんしたと思う。巻き込んでしまって済まなかったな」
綺羅蘭を一目見た瞬間から、全てが膜を隔てた向こう側のように清乃は感じていたのだが、誠英の言葉で世界が一気に色を取り戻した。
清乃はちっぽけな存在だ。憎悪に飲まれてしまったら、一人では息すら出来なくなるのだと唐突に気付く。
「謝らないでください。私も誠英様と出会えて幸せだったから」
「今もそう言ってくれるとは、嬉しいことだな。……これから先、私はお前を守ってやれぬ。本当なら、父君の仇も共に取ってやりたかったが」
「そんなこと、そんなことないです。もちろん父のことは私も気になります。でも……」
寂しげな顔をしながらも今生の別れを告げる誠英に、清乃は必死に首を振った。誠英の手を離せない。離したくない。
確かに綺羅蘭や叔父夫婦は憎いけれど、今、綺羅蘭と再会して分かった。あの荒ぶるような憎悪は、誠英と共にいる喜びと比べるような価値もないのだ。
綺羅蘭に対して思う気持ちは、心が凍るような冷たさだ。父の死やその後の仕打ちを思えばどこまでも非情になれると思うけれど、その先に未来はない。仮に復讐を遂げたとして、立ち直れるかといったらきっと無理だろう。そう思うほど、心の内に潜む憎しみは深く昏い。
それなのに隣に誠英がいてくれる今は、温もりを感じられる。誠英は復讐よりも清乃を守る事を選んでくれた。そんな誠英の愛より大切なものなんてどこにもないし、そうまでして守ってくれた清乃の命を復讐のためだけに使いたくなかった。
元の世界には戻らない。清乃はようやく本当の意味でその覚悟を心に決めた。けれど、またそれも全てを言う前に遮られた。
「如月、何やってるんだ!」
見つめ合う二人の間に響いたのは、風間の叫び声だ。驚いて目を向けると、帰還の陣がある空間を光の壁がドーム状に覆っている。
それはどう見ても綺羅蘭が張った結界だった。
「何って、間違って魔鬼まで日本に来たら困るでしょ? だから結界を張ったんだよ」
「ふざけるな! こんなの、ただの結界じゃないだろ! まだ委員長が来ていないんだ。一度消せよ!」
「えー、嫌だよ。清乃なんていなくていいんだから」
どうやらこれまでに清乃が見た結界と違い、内からも出られないようになっているようだ。光の障壁を風間が焦った様子で叩いている。
だが綺羅蘭は本気で清乃を帰す気はないようで、クスクスと笑うだけだ。誠英が怒りを堪えるように低く唸った。
「愚かな。それで私が陣を起動させるとでも思っているのか?」
「やだ、皇子サマってそんなに清乃が大事なの? それとも、清乃だけ置いていかれたら邪魔って意味なのかな?」
「私が清乃を邪魔に思うことなど断じてない」
「それなら、大事な清乃の頼みなら断れないよね? ねぇ、清乃。清乃なら頼んでくれるでしょ? 先生とリュウくんのこと、ちゃんと帰してあげたいもんね?」
たとえ帰還の陣が動かなくとも、綺羅蘭は決して結界を解かないつもりらしい。
けれど引き合いに出された松本が黙ってるはずもなく、抗議の声を上げた。
「如月さん、何を言い出すの!」
「うるさいなー。先生は黙っててよ。ハルくん、シュンくん」
「はいはい。先生は少し寝てな」
「……っ!」
「先生! クソッ、竹井そこをどけ!」
「風間も動くな。先生に余計な怪我はさせたくないだろう」
日野が何らかの魔法を使ったのか、松本は気を失ったようでグラリと倒れた。助けようとした風間を竹井が止める。
綺羅蘭だけが余裕の表情を浮かべていた。
「ほら、早くしてよ。清乃」
一体綺羅蘭は、どこまで悪事を重ねるつもりなのだろうか。そこまでしなくても、清乃は元から帰るつもりなどないというのに。
何だかそう思うと、呆れを通り越して笑えてきてしまった。
「ちょっと、清乃! 何笑ってんのよ!」
「ううん、何でもない。誠英様、みんなを帰してあげてくれませんか」
「だが、清乃」
「いいんです。私、最初から帰らないつもりでしたから」
清乃の言葉に誠英が目を見開き、綺羅蘭が上手く行ったとほくそ笑む。風間が「はぁ⁉︎」と声を上げた。
「委員長、何言ってるんだよ! そんな簡単に諦めるなよ!」
「そうじゃないの、風間くん。もっと早く言えなくてごめんね。本当に私は、帰るつもりなんてなかったんだよ」
「委員長……」
風間は切なげに拳を握りしめるが、それを気にする余裕は清乃にない。
もう誰にも邪魔なんてさせない。今度こそ、気持ちを伝えるのだ。
清乃は頭を振り、誠英を見つめた。
「誠英様、私はあなたが好きです。だから、帰りません」
「清乃……。だが、それでは父君の仇が」
「それはもう本当にいいんです。ううん、もちろん良くはないんですけど、でも父ならきっと分かってくれると思うから」
最後の最後まで、こんな事をしでかした綺羅蘭の事は許せないし、父を死なせた叔父と叔母も殺してやりたいほど憎らしい。
でも日本に帰っても、清乃には復讐しかない。あの優しかった父が、そんな清乃の未来を望むだろうか。いや、きっとそうなれば悲しむはずだ。
(お父さん、ごめんね……)
父の仇を討てない代わりに、この世界で思いきり幸せになってやろう。それが清乃なりの復讐であり、父の弔いだ。
「清乃、本当にいいのだな」
「はい。誠英様には、色々ご迷惑をおかけしてしまうかもしれませんけど」
「迷惑などない。私を選んでくれたことも、決して後悔させないと誓う。命を懸けて、そなたを守り愛し尽くすと約束しよう。愛してる清乃。必ず幸せにする」
「誠英様……」
涙を滲ませた清乃の頬を、誠英がするりと撫でた。見つめ合う二人の間には甘い空気が流れていて、今にも口付けを交わしそうなほど完全に二人だけの世界に入りかける。――だが。
「おっ、キスするのか?」
「あーもう! そういうイチャつきとかマジいらないんだけど!」
日野がニヤニヤと笑い、綺羅蘭が叫んだ。
「えー、そう? 別に良いじゃん、委員長がキスしようが何しようがさ。むしろ見たかったな、オレ」
「そうだぞ。キララが妬く必要なんてない。キララには俺たちが付いてる」
「それはそうだけど、本当にどうして清乃なの! 私のどこが負けてたっていうの⁉︎」
綺羅蘭は眉を吊り上げて怒っているけれど、一時、綺羅蘭が誠英に粉をかけていた事が気に食わなかったのか、日野と竹井はむしろホッとしているようだ。二人がかりで綺羅蘭を宥め始める。
そんな中で風間は嘆息すると、真っ直ぐに清乃を見つめた。
「委員長……本気で皇子を選ぶんだな」
「うん。ごめんね、急に」
「いや、いいんだ。何となくこうなるって、本当は分かってた」
「風間くん……」
「こっちのことは気にするな。親父さんのことも、俺が何とかしてみる。如月にいい思いなんて絶対にさせない」
風間に睨まれた事で、騒いでいた綺羅蘭がスッと目を細めた。
「ちょっとリュウくん。それどういう意味?」
「そのままの意味だよ。俺が代わりに委員長の親父さんの仇を取る」
「そんなの無理に決まってるのに。証拠なんてないんだから」
異世界で綺羅蘭が言ったことなど、証言にもなりはしない。綺羅蘭は勝ち誇ったように鼻で笑う。
それでも風間は、鋭い目つきを変えなかった。
「いずれ見つけてみせるさ」
「へぇ? まあ無理だと思うけど、好きにしたら?」
余裕の笑みを崩さない綺羅蘭を無視し、風間は倒れている松本の体を抱き上げる。
そうして、風間は誠英に向き直った。
「皇子、俺たちを帰してくれ。……委員長のこと頼んだぞ」
「お前に言われるまでもない。安心しろ」
「ありがとう、風間くん。でも無理しないでね。松本先生によろしく伝えてくれる?」
「ああ、伝えておく。委員長、幸せになれよ」
こうして話をしている間にも、外からは騒がしい音が響いてくる。どうやら魔鬼だけでなく、他の皇子や兵士たちも集まってきているらしい。
皇帝が死んだ事で誠英を捕らえにきたのか、それとも特別な力を持つ綺羅蘭たちが帰るのを阻止しようとしているのかは分からないが、どちらにせよもう時間はない。
清乃が一歩後ろに引いたのを確認して、誠英は手印を組み呪文を唱え出す。まるでお経のように朗々と声が響き渡り、帰還の陣が眩い光を放ち始めた。
「あっ、皇帝からご褒美もらうの忘れてた!」
「もういいんじゃないか。今更無理だろう」
「そうそう。帰れる方が大事だって。帰ったら夏休みになんのかな。とりあえずアイス食って寝てーな」
「うーん、そっか。それもそうだね。インベントリにはいっぱい入ってるし、それで我慢しよ。ママに見せたらビックリするかな。楽しみー!」
「俺はとりあえず部活だな。かなり強くなったから、大会は余裕で勝てそうだが」
気絶した松本を抱く風間は神妙にしているというのに、綺羅蘭たちは呑気に会話している。どこまでもゲーム感覚なのだろう。
そうしているうちに陣の輝きはどんどん増していき、誠英が最後の呪文を唱え終わると同時にパッと光が弾け飛んだ。帰還の陣がついに発動したのだ。
――けれど。
「え……どういうこと? もしかして失敗したんですか、誠英様?」
「いや、成功している。だが、彼らは帰れなかったようだな」
帰還の陣は消え去り、風間と松本の姿はない。けれどなぜか御堂の中央には、綺羅蘭と日野、風間だけが取り残されていた。




