61:激情(誠英視点)
疲れが限界を迎えたのか、泣きながら謝罪の言葉を繰り返していた清乃はフツリと糸が切れたように気を失ってしまった。
それでも誠英は、清乃を抱きしめる手を緩める事ができなかった。
(聖女め……! 性根が腐っているのは分かっていたが、清乃を殺そうとするとは。その上、清乃の父まで殺されていただと? 親が親なら子も子か)
誠英は清乃の話をひたすら聞くに留めていたけれど、心は怒りに溢れていた。それは聖女に対してはもちろんだが、不測の事態を招いてしまった自分自身への怒りでもあった。
だが誠英には、妖力と神通力という特殊な力がある。怒りを表に出してしまえば、清乃の憎悪で生まれた魔鬼の比ではなく夥しい数、しかも強い魔鬼が生まれてしまうだろう。だから清乃を抱きしめて温もりを感じる事で、憤りをどうにか押し込めていた。
そんな誠英の気持ちも分かっているだろうに、清乃が泣いている間は気配を消していた燦景が呆れたように口を開いた。
「大哥。気持ちは分かるけど、手当てぐらいしてやったら?」
「……手当てだと? どこをだ」
「靴脱がしてみなよ。たぶん足を痛めてるはずだから」
特に怪我はないように見えたが、言われた通りに脱がせてみれば清乃の足は痛々しいものだった。慣れない山歩きで出来たのだろうマメが潰れているし、噴火後の山頂付近から降りてきたからか軽い火傷のような痕もある。
今は誠英の力も満たされていて余裕がある。治癒術をかけてやりながら、すぐに気付いてやれなかった事を誠英は悔いた。
「これほど傷付いていたとは……」
「本人はそれどころじゃなかったから、痛みなんて感じなかったのかもしれないね」
飄々とした物言いだが、話を聞いていた燦景も聖女たちへの怒りを押し殺しているはずだ。
いや、この旅で清乃を守り続けていた燦景の方が、より憤っているかもしれない。囮になってまで一行を逃がそうとしたのは清乃がいたからなのに、その清乃を囮にして聖女は逃げたというのだから、そこだけでも許せないだろう。
(清乃の父のことはどうにもしてやれぬが、せめてもっと早く来てやりたかった)
龍脈が完全に途絶えた事で、誠英は都にいながらも朱雀が倒れ国を守る結界が消えた事を知った。
出来るならすぐにでも誠英は清乃の元へ向かいたかったが、そうもいかなかった。皇帝が青藍城の地下深くに封じた黄龍を解放する必要があったのだ。
黄龍が囚われたままだと、皇帝にその力を悪用されかねない。結界や龍脈が消えてしまった事に気付かれれば、黄龍を礎にして城や都だけでも新たな結界で守ろうとするだろうから。
だから元の計画では黄龍を解放後に皇帝を倒す算段だった。清乃が討伐に同行させられてしまったから、皇帝を倒すのは後ろ倒しに変更したが、黄龍の解放だけは先にやらねばならなかった。
それがなければ、もっと早く清乃の元に駆けつける事が出来ただろうし、聖女が清乃を囮にする事も父親の死の真実を語る事もなかっただろう。
何も知らずにいた方が良かったのかどうかは別として、気を失うほどの怒りと悲しみに心を埋め尽くされる事はなかったはずだ。
ただ、結果的には役目を放棄しなくて良かったと誠英は思っている。だからこれは、負け惜しみのようなものなのだ。もし黄龍を助けずに清乃の元へ駆けつけていたとしたら、誠英の力では清乃を救えなかったかもしれないから。
(良きにしろ悪しきにしろ、ここまで想定外が重なるとはな)
誠英は一年前の召喚の儀式で、神通力をほぼ使い切っていた。神通力は、初代皇帝が黄龍から授かった力だ。黄龍が封じられている状態では自然回復を望めないため、龍脈の気が豊富な後宮の梅園に入り浸ったりもしてきた。
酒を浴びるように飲んでいたのもそのためだ。誠英が飲んでいたのは、気を溜め込む性質を持つ鳳梅を使った酒だった。
けれど一年かけて回復させた神通力も、黄龍の封印を解除した事で再び空になりかけた。
だが解放された黄龍は、亡き母に起きた悲劇を止められなかったという贖罪も兼ねて誠英に加護をくれたのだ。以前より遥かに強い神通力を得て、誠英は神山へ来る事になった。
自力で転移する事もやろうと思えば出来たが、念の為にと諫莫が飛ばしてくれたのも僥倖だった。おかげで誠英は、あまりに大量の魔鬼に囲まれ苦戦していた燦景とも無事に合流する事が出来たのだ。
そもそも、最後の討伐が危険なものになるのは予想していた事だった。神獣たちとて感情がある。彼らを倒すという事は彼らの怒りも生まれるという事で、その影響を受けて新たな魔鬼が現れるのは確実だ。
過去三体の神獣を倒した際にそうならなかったのは、残りの神獣たちが魔鬼の発生を抑えた上に、あえて呼び寄せて一手に引き受けてくれていたからだ。けれど今回倒した朱雀は最後の一体で、朱雀の怒りで生まれる魔鬼を止める者はいない。
神獣の怒りから生まれる魔鬼の力は相当なものとなるだろう。そんな場所から無事に帰れる保証はないから、神獣を倒すために呼び寄せる異界人は、万が一帰れなくなっても問題のない人物――つまりどうしようもない悪人を選ぶようにしたのだ。
だがさすがに神山が噴火するとは思わなかった。燦景から噴火があったと聞かされた時には、誠英も顔を青くした。噴火の最中に飛び込んでは無事でいられないのだから。
とはいえ、噴火はある意味では良かったのだろう。想定していた強い魔鬼のほとんどは、噴火のおかげで消え去っていた。ただ予想外だったのは、その後も夥しい数の魔鬼が増え続けていた事だ。なぜこんなにも増え続けていたのかは、燦景から定期的に報告をもらっていたからよく分かった。
(清乃には皺寄せばかり行くな。聖女らが恨みを買わねば、ここまでにはならなかったろうに)
旅の途中、聖女たちは各地で蛮行を繰り返してきた。その恨みは呪いのように一行に纏わりついており、朱雀の死で一気に魔鬼化したのだ。清乃はそれに巻き込まれた形になる。
だがそれを考えれば、そもそも召喚に巻き込まれた事が始まりだ。
(清乃……。お前はもう、こんな目に遭わせた私を許しはしないだろうか)
皇帝への復讐は誠英の個人的な恨みだ。瑞雲国を倒すのも清乃には関係ない。
それなのに召喚に巻き込まれたばかりに、恐ろしい目や痛い目に遭わせてしまった。誠英としては清乃と会えた事は幸せだが、答えをもらえていない今、不安で堪らない。
なぜ馬鹿正直に全てを伝えてしまったのだろうかと悔やむ気持ちすら出てくる。やろうと思えば、甘い言葉で騙して逃がさないようにする事も出来たはずだ。
隠したままここまで巻き込んでいたら、もっと後悔していたとも思うのに。
(考えたくはないが、まさか勇者と帰るつもりなのか?)
清乃の世界では当たり前なのかもしれないが、勇者を親しげに名前で呼ぶのも気にかかっていた。死んだと知って号泣したほどだ。この旅で清乃の心は勇者に傾いてしまったのだろうか。
燦景の話では、勇者の方も清乃をずいぶん気にかけていたという。絶望的な状況で、ただの友人を命をかけてまで守ろうとするだろうか? 勇者も清乃を好いているのではないか。いつからかは分からないが清乃は眼鏡をしていなかったし、この愛らしい顔を見たら惹かれてもおかしくない。
同じ世界の者同士、年齢も合うし、何より勇者は人間だ。いや、人間だったというべきだろうか。朱雀の神力で蘇った影響がどこまで出るかは分からないが、それも清乃だって誠英の血の影響を受けているのだから結局は同じだ。
半妖という中途半端な存在の誠英とは違う。認めたくはないが、釣り合いは取れている。
それに……。
(清乃も父の仇は討ちたいだろうな)
清乃の父を殺したのは聖女の親だという。ならば、元の世界に戻らない限り復讐は果たせない。
同じく親を殺された恨みを晴らそうとしている誠英だからこそ、憎悪の深さは簡単に想像出来た。
(帰したくない。そばにいてほしい。だが、引き止めるわけにもいかぬ……)
無理矢理にでも引き止めてしまいたいほど、熱い激情が胸を荒れ狂う。けれどそれをしてしまえば、清乃の苦しみはどこへ行くというのだろう。
「大哥。私は少し外を見てくるよ」
「ああ、頼む」
清乃の治療は終えたが、誠英は清乃を抱き込んだままだ。気を利かせたのか、燦景が洞穴を出て行く。
清乃たちが目を覚ませば、あとは城へ戻る事になる。帰還の陣はすでに開いているはずで、陽妃を回収次第、元の世界へ送り返す事になるだろう。その時、清乃がどう答えを出すのか、誠英には分からない。
残り僅かになるかもしれない温もりを、今ここで離す事など出来そうになかった。




