52:出立
討伐への同行を命じられてから三日後。とうとう清乃は、綺羅蘭たちと城を発つ事になった。当初は出立の日が恐ろしくて堪らなかったはずが、いざとなればホッとしてしまう。
何せ露華宮で過ごしたこの数日は綺羅蘭たちの訓練に付き合わされて、何度も危険な目に遭ったのだから。
綺羅蘭に突き飛ばされて魔鬼役の竹井に真剣で切られそうになったり、日野の攻撃魔法に巻き込まれたりと、間一髪で風間が庇ってくれたから良かったものの、出かける前に死んでしまいそうな事が何度もあった。
まだ見ぬ魔鬼よりも、笑いながら攻撃してくる綺羅蘭たちの方がよほど怖い。
綺羅蘭が流した噂のせいで初対面の印象は最悪だったけれど、元々風間はそう悪い人物ではなかったのだろう。
与えられた部屋には着替えなど生活に必要なものが一通り揃ってはいたけれど、討伐の旅がどんなものなのか清乃には分からない。旅支度をしておくよう言われても動けなかった時も、風間は助けてれた。
様々な事を親切に教えてくれただけでなく、足りない物はすぐに手配してくれた。風間がいなければ、旅先でも困った事になっていただろう。もはや風間様と呼んで拝みたいくらいだ。風間と和解していて良かったと心から思った。
そうして全ての準備を整えて露華宮を出ると、大きめの馬車と荷馬車が一台ずつ。それから馬を引き連れた五十名ほどの兵が、将軍と共に待っていた。
道中の道案内と警護だけでなく魔鬼との戦いもサポートするという兵士たちは揃いの甲冑を着込んでいて、歴史の教科書で見た兵馬俑に色を付けたらこうなるだろうかというような様相だった。
武器を扱う風間や竹井も似たような甲冑を身につけているが、色合いや装飾は派手で、将軍よりも煌びやかに見える。
一方、魔法で戦うという綺羅蘭と日野は、動きやすそうな袍服のみで甲冑は着ていない。とはいえこちらもかなり凝った刺繍などが入っていて、綺羅蘭に至っては色とりどりの宝玉を散りばめた首飾りや腕輪なども身につけていた。
それらはただのアクセサリーではなく、古くから瑞雲国に伝わる防御の護符だという話だけれど、とても戦いに行くようには思えない装いだ。
対して清乃はといえば、いつもと変わらぬ地味な女官服だった。それも誠英が用意してくれた魄祓殿のものではなく、城内でよく見る下級女官の装いだ。
当然何の防御もしてくれない布切れだけれど、討伐に同行するとはいえ清乃は基本的には戦わない。休憩時や宿泊時に綺羅蘭たちの世話をする事が仕事だ。これまでは兵士がやっていたという調理や洗濯などを担う事になる。
そんな役回りだからか、清乃が乗るのは野営に使う物資を積んだ荷馬車だと言われた。
風間が止めようとしてくれたけれど、馬車はそもそも四人乗りだと言われてしまえばどうにもならない。座席にはまだまだ余裕があるが、長旅になるから時折横になって体力を温存する必要があるようだ。
木箱や櫃がぎっしり積まれた荷台には人が乗れるような隙間などないので、清乃は仕方なく御者台に向かう。しかしそこで、手綱を握る人物に唖然としてしまった。
「えっ、呂燦景⁉︎」
驚いた事に、御者は兵士の姿をした燦景だった。
「シーッ! いいから、早く乗って」
口に指を当てて静かにするように言われて、清乃は慌てて隣に乗り込む。
固い木の板が敷かれているだけだと思った御者台は、何らかの術でも仕込んであるのか不思議と柔らかくて座り心地が良い。これなら長旅でもお尻が痛くならないかもしれないと、清乃はホッと息を吐いた。
兵士たちも騎乗すると、将軍の合図で討伐隊は動き出す。国を救いに行くのだからてっきり盛大に見送られるのかと思いきや、意外にもそんな事はない。
何でも、お披露目をした後の二回目の討伐時は皇帝自ら盛大な出立式をしたらしいのだが、あまりに長かったために綺羅蘭が嫌がってやめさせたのだという。
出発前、風間からその話を聞いた時には、そういえば綺羅蘭は校長の長話を嫌って学校の朝会もよくサボっていたなと思い出した。
まだ人通りの少ない早朝の城内に、ガラガラと車輪の回る音と足並み揃った馬の足音、ガチャガチャと甲冑の金属が擦れ合う音だけが響く。
城門に近づくにつれ、なぜか燦景がいた事にホッとしつつも、一番会いたい人に会えないまま旅立つ事に清乃は少々落ち込んだ。
「菅原清乃、あそこを見て」
城門に差し掛かった所で、燦景が門の上を見るよう言ってきた。顔を上げれば、上階の端の方に誠英が腕を組み凭れているのが見えた。
(誠英様……)
城門はかなりの高さがあるため、見上げただけでは人がいるとすぐには気付けないだろう。それなのにさらに目立たぬようにと、綺麗な銀髪も布で覆って隠している誠英の姿はとても見え難い。
それでも大好きな人を一目見れて、清乃の胸は高鳴った。
「大哥にあんたのお守りを頼まれたんだ。だから私も一緒に行くよ。でも一応、私の事は知らない振りをしておいて。聖女にバレると面倒だから」
「誠英様が……。分かった。ありがとう、よろしくね」
燦景の話を聞きながらも、清乃は目に焼き付けるように誠英の姿だけを見つめ続ける。
何となくそうではないかと思っていたが、やはり誠英が燦景を付けてくれたのかと、温かな気持ちでいっぱいになった。
(必ず無事に帰って、ちゃんと返事を言いますから。待っててくださいね)
胸の内で呟くと、聞こえたわけでもないだろうに誠英は微笑んで頷いてくれた。頑張れと言われているようで、不安な気持ちが霧散していく。
少し元気を取り戻した所で、銅鑼の音と共に早朝の城門が開かれた。静かな城内と違って、都では朝市が開かれている事もあってすでに賑やかだ。
この数日は突然の事に振り回されてすっかり忘れていたけれど、この討伐を終えれば、神獣を失ったこの国がどうなるのか分からないのだと清乃は思い出した。たとえ清乃が無事に帰ってこれたとしても、活気溢れる都の様子はもう見れないだろう。
今さら止めようとは思わないが、罪悪感だけはどうしても感じてしまう。それでも一番大切にしたいのは誠英だから、少々の感傷を抱きつつ清乃は前を向いた。




