51:何よりも大切な(誠英視点)
「清乃を討伐に同行させるだと? あの時話していたのはこれだったのか。性悪なのは分かっていたが、よもやここまでするとは……!」
宴の翌日。誠英は魄祓殿の書斎にて、皇帝からの書状を握り潰し怒りに震えていた。
昨夜清乃が皇帝の元へ連れて行かれた後、誠英はすぐに諫莫と燦景を呼び出し、何をするつもりなのかを探らせたのだが。どうやら皇帝は周囲に相談もなく独断で清乃を呼び出したようで、協力者を通じても何も分からなかった。
ただ、清乃の身柄がその後露華宮に移された事は掴んでおり、宴の席で何かしらの要請を聖女がしたのだろうと見当は付いていた。
露華宮にも協力者は潜ませている。清乃の身を案じつつもそこからの報告を待っていた所、祠部に勅書が届いたと諫莫が魄祓殿へやって来たのだ。
そこには清乃を誠英の女官から外し、魔鬼討伐に同行させる事が書かれていた。玉璽の押された勅書は正式なもので、表向きには祠部郎中付きから聖女付きの女官に変わるというものだ。
皇子とはいえ、半妖ゆえに日頃から蔑ろにされてきた誠英にとって、決定事項を一方的に送り付けられるのは慣れたものだったが、今回ばかりは黙っていられない。
誠英の血を飲んだ清乃は常人より少々頑丈にはなっただろうが、聖女たちが得たような異能はないのだ。魔鬼に勝てるわけがないし、最悪の場合は死んでしまう。
聖女には癒しの力があるらしいが、性悪な聖女が清乃のためにその力を使うとも思えない。それなのに討伐に同行させるなど、死を言い渡すのと同義だった。
「嘉栄宮へ向かう」
「少爺、落ち着かれませ」
「これが落ち着いていられるか! 清乃には何の力もないのだぞ!」
「では計画を無駄にすると?」
「……っ!」
皇帝に直談判しても覆せるとは思えないが、清乃を攫ってでも誠英は止めるつもりだった。
けれどそんな誠英に、諫莫が立ち塞がる。咎められた言葉に、誠英は拳を握りしめた。
「尽力してくれた皆には済まないと思うが、清乃を失うわけにはいかぬのだ。分かってくれ」
復讐だけを支えに、これまで誠英は生き延びてきた。幾度命を狙われようが、研究と称して身を刻むような苦痛を味合わされようが、ひたすらに耐え忍んできたのだ。
だから誠英にとって、この一連の計画はそう簡単に捨てられるものではない。
だが誠英は、清乃と出会ってしまった。誠英にとって、清乃は唯一といえる理解者だった。
というのも妖怪でも人でもない誠英は、誰に優しくされても心のどこかで疎外感を感じ続けていたからだ。
誠英を地獄から解放してくれた諫莫は命の恩人であり、時に父や兄のように誠英を見守りつつ支えてくれているが、向けられる優しさの根底には亡くなった誠英の母への思慕があるのを常に感じていた。
良くも悪くも誠英は亡くなった母に似ている。諫莫がどれだけ心を砕いてくれても、そこに母を投影していないとは思えない。母がいなければ、あるいは誠英が母に似ていなければ、半妖の自分に諫莫はこうまで親しくしてくれなかったのではと思う。
気の置けない友人である燦景に対しても、誠英は同じように心のどこかで線を引いている。
燦景は誠英の伯父である九尾狐族の長と親しく、その縁で誠英に手を貸してくれる事になった。今では大哥と呼んで誠英を認めてくれているが、出会った当初は妖気の扱いが下手だと揶揄われたりもしたものだ。
すでに蟠りは消えているが、半妖であるという引け目は誠英の心から消えて無くなる事はないだろう。
最も信頼している二人に対してもこうなのだ。協力してくれている他の妖怪たちにも、心のどこかで自分とは違うと誠英は思っている。
人間は言わずもがな、誠英にとっては生まれた時から自身を否定してきた憎むべき相手であり、妖怪以上に遠い存在だ。中には少数ながらも優しくしてくれた人もいるが、それも憐れみからだと分かるから、ある程度の親しさまでしか感じられない。
そんな中で、清乃だけは違った。
誠英の事を純粋に慕ってくれ、半妖だと明かしてもその真っ直ぐな想いを変える事なく向けてくれた。人か妖怪かという枠に囚われず誠英自身を見てくれる清乃に対しては、疎外感は微塵も感じられない。
彼女が異界人で、この世界の人間とは違う存在だというのも関係しているのかもしれない。半妖も異界人もこの世に同族はいないのだから。
誠英にとって、清乃は唯一無二の存在だ。
復讐も亡き母への想いも協力してくれる仲間たちも、全てを捨てたとしても清乃を失う事だけは誠英には考えられない。これだけは、どうしても譲れない。
苦渋を滲ませながらも決意を込めて誠英は言った。ここまできて、愛する女のために計画をふいにするというのだ。どんな罵りも怒りも甘んじて受け入れようと思った。
けれど意外にも、諫莫は穏やかに頷くだけだった。
「分かっております。私とてこのままでいいとは思っておりません」
「何か考えがあるというのか」
諫莫は正義感の強い種族だ。清乃を見捨てるはずがないと、誠英は昂っていた気を落ち着ける。
冷静さを取り戻した誠英に、諫莫はホッとした様子で話した。
「露華宮の女官と連絡が付きました。菅原小姐を勇者が気にかけていたそうです。聖女の当たりは厳しいようですが勇者の助けもあるようですし、ギリギリまで待ってもよろしいかと」
「勇者か……」
露華宮から届いたという報告を聞いて、誠英は複雑な思いを抱いた。
下手すれば下女にされた頃のように狭い部屋に押し込められているかもしれないと心配していたが、きちんとした客室や着替えを与えられたと聞いてそこだけは安心出来た。
だがわざわざ呼び寄せた清乃を聖女は遊ばせておくつもりはないようで、清乃は朝から食事や菓子作りで忙しく動き回っているらしい。
他にも清乃は聖女の我が儘に付き合わされ、討伐に同行するための訓練と称して聖女たちの模擬戦闘にも巻き込まれているようだ。肉体的にかなりキツい目に合っているだろう。
ただ、勇者が手助けをしているため、大きな怪我などには繋がっていないらしい。
昨夜のうちに清乃が勇者と和解していて良かったと思う反面、勇者に頼る事になってしまった事が誠英は悔しくて堪らなかった。
(もっと早くに手を打っていれば、勇者などの手を借りずとも良かったものの)
今さら悔いても仕方ないが、宴の席で聖女に冷たく接したのも失敗だったかもしれないと誠英は思った。もう少し上手く躱せていれば、聖女はここまでの事をしなかったのではないのか。
しかし以前、清乃を攫わせようとした事もあったし誠英が何をしてもしなくても、結局は同じ結果になったのかもしれないとも思う。
どちらにせよ後悔ばかりしていても何のためにもならない。誠英は気持ちを切り替え、諫莫に向き直った。
「分かった。だが、勇者がどこまで頼りになるかは分からぬ。誰か一人護衛を付けろ。気づかれぬようにな」
「御意に」
「それから計画も一部変更する。結界が解け次第、清乃を迎えに行く。そのつもりで準備を進めておけ」
「御自ら赴くおつもりですか?」
「当然だ。最も危険になる場所に清乃を置いておけぬ」
誠英の決意が固いと分かったのだろう。諫莫は諦めたように苦笑を浮かべた。
「であれば、護衛には呂燦景を紛れ込ませましょう。行きは私がお送りしますが、帰りはどうにもなりません。彼ならば、帰路も短縮出来るはずです」
「私はどれだけ余力が残るか分からぬからな。頼りにしているぞ」
「必ずや、ご期待にお応えしてみせましょう」
燦景に伝えに行ってくると、早速部屋を出て行く諫莫を見送り、誠英は深く息を吐いた。
清乃を心配していた誠英は、昨夜から一睡も出来ていない。さすがに疲れを感じて長椅子に横たわるが、なかなか眠れそうもなかった。
今出来る限りの事はした。本当なら誠英がずっとそばについていてやりたかったが、今は燦景に任せるしかない。聖女が何を企もうとも、燦景なら上手くやってくれるはずだ。
残る気掛かりは、清乃から未だ聞けていない返事についてだけ。
(手応えはあったと思うが、討伐に加わる事でもし考えが変わったら……)
清乃は元の世界に未練はほとんどなさそうだった。けれどもし、この討伐の間に勇者と縁を結んでしまったらと思うと誠英は気が気ではない。
自分以外の男が最愛のそばにいて、優しく手を貸している。一度は清乃を傷付けた相手だが、勇者がいなければ清乃はさらに苦境に立たされていたのかもしれない。
だから本当なら僥倖だと思うべきなのだろうが、万が一にも絆された清乃の心が勇者に向いてしまったらと思うと、誠英の心は千々に乱れた。




