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47:可愛さ余って

 誠英と一緒にいる時も決して騒いでいるわけではないのだけれど、一人きりで過ごす魄祓殿の夜は思っていた以上に静かなものだった。

 燦景からは明日のために考え過ぎるなと言われたけれど、寝台に横になってもなかなか寝付けない。


 清乃の胸を占めるのは、恐怖でも不安でもなく寂しさだ。

 思いがけない話をたくさん聞いて驚いたし、松本の事など気にかかる事もあるというのに、それよりも同じ屋根の下に誠英がいないという方が気になってしまう。


 今宵、誠英はどこで夜を明かすのだろうか。きちんと食事はしているだろうか。安全な場所で眠れているだろうか。そんな事ばかりが頭に浮かぶ。

 仲間はいるというから一人ぼっちでいるわけではないだろうけれど、清乃が即答出来なかった事で気を遣わせてしまったと項垂れる。


 一人で食べた夕食は味気なく、食後の触れ合いも当然なかった。元の世界ではこれが当たり前だったはずなのに、胸にポッカリと穴が空いてしまったようだ。

 結局清乃は、どこまでいっても誠英が好きなのだ。たった一晩離れているだけでもこんなに誠英の事を思ってしまうのに、どうして元の世界に帰れると思ったのか。抱いてしまった恋心の深さを、清乃は痛いほど感じていた。


(明日の宴が終わったら、ちゃんと誠英様に言おう。ここに残りたいって)


 国が滅びた後、誠英がどうするのかまでは教えてもらっていない。燦景の話では、結界が消えた後は他国がこの地を平定するようだけれど、皇帝を倒した元皇子としてそれに協力するつもりなのか、どこか別の場所で暮らすつもりなのかも分からない。

 ただ誠英の性格的に、政治には関わらないだろうなと清乃は思っている。誠英の目的はあくまでも皇帝への復讐で、国を滅ぼすのは諫莫の願いだと燦景は話していたし、きっとこの予想は当たっているだろう。


 清乃が誠英を好きになったのは、皇子だからだとか楽に暮らしたいからという理由ではない。誠英が何者になったとしてもそばにいたいと思うし、そのためなら家事でも仕事でも清乃に出来る事は何でもするつもりだ。

 誠英は共に生きてほしいと言ってくれた。愛していると言ってくれたのだ。清乃に何も知らせず適当に誤魔化して引き止める事だって出来ただろうに、これほど重大な計画を明かしてまで真摯に想いを伝えてくれた。


 同じだけの想いを返したいと思ったし、仮にいつか心変わりされたとしても誠英の手を取る事に後悔はない。二度と元の世界に帰れなくてもこの世界に一人取り残されても、誠英と同じ空の下にいれるならそれでいいと思える。

 何が正義だとか、人としてどうなのかとか、常識や良識に囚われて誠英と離れてしまう方がずっと嫌だと清乃は気がついた。


(松本先生には何も言わないでおこう。ただ、私は帰らないと伝えておくだけで)


 皇帝を倒すなんて、本当の夫婦になってしまった松本には到底受け入れられない話だろう。それを秘めておくのは辛いけれど、清乃はもう誠英と共に生きると決めた。

 だから清乃に出来るのは、自分は帰らないと告げる事ぐらいだ。可能であれば松本には元の世界に帰るよう促したいと思うけれど、誠英の計画が露見するような危険は冒せない。


 もし松本もこちらに残るというなら、きっと清乃は恨まれる事になる。けれど、それでももう構わないと思えた。




 寝不足にはなったけれど、一晩じっくり考えて心を決めたから翌朝の気持ちは晴れ晴れとしていた。

 魄祓殿の女官としてしっかりと支度も整えて、官吏姿の燦景と共に嘉栄宮へ向かう。


 しかしいつもと同じように入り口で燦景と別れたものの、嘉栄宮では松本と会えなかった。


「体調が悪いんですか?」

「そうだ。だが陽妃娘娘はお前に会いたいと仰せだから、北陽宮へ出向いてもらう」


 宦官の案内で、清乃は約七ヶ月ぶりに北陽宮へやって来た。松本は体調を崩しており、今夜の宴にも参加しないというのだ。

 それでも清乃に会いたがっているらしく、特別に後宮への立ち入りを許可されたのだった。


 前回の宴で会った時、妊娠しているかもしれないと話していたから、つわりなどで調子を崩しているのかなと清乃は思っていた。

 ところが寝台で臥せっていた松本は人払いを済ませると起き上がり、清乃に縋り付くようにして涙を流し始めた。


「菅原さん、ごめんなさい。ごめんなさい……!」

「先生? どうしたんですか?」


 どうやら松本はかなり憔悴しているようだった。すっかり痩せ細ってしまい、髪に艶はなく肌も荒れている。真っ赤に充血した目の下には隈もあって、妊娠ではなく何か病気になってしまったのかと清乃は焦ったのだが。


「菅原さんが倒れたのは私のせいなの。あの人が、皇帝が毒を使うよう指示していて……」

「えっ……⁉︎」


 松本を宥めつつじっくり話を聞いて、清乃は驚いた。


 三ヶ月前、松本は宴の後に医官を呼び出し、妊娠していないか診てもらおうとしたそうだ。

 ところがその時、医官はまともに診察もしないまま堕胎薬を渡して来たという。それも、皇帝の指示だと言って。これ以上子どもはいらないというのが皇帝の意思だと言われてしまったそうだ。


 それでも到底信じられないと、松本は皇帝の元へ直接聞きに行く事にした。

 滅多に北陽宮から出ない松本の急な外出に周りは驚いたようで、先触れもうまく通らなかったのだろう。松本は訪れた皇帝の執務室で、信じられない話を耳にしてしまう。


「菅原さんだけじゃないの。あの人は恐ろしい人よ。邪魔者は平気で消そうとする……」


 皇帝が話していたのは、清乃が倒れた毒の原因とされた皇后の処遇についてだった。


 あの時以降、皇后はずっと謹慎したままだったが、これに皇后の父である公卿の一人が不満を漏らし始めたという。龍脈の乱れや魔鬼の被害で国が疲弊している間は皇帝の求心力も落ちていたため、公卿たちの顔色も窺わなければならなかったけれど、魔鬼の討伐も進んだからそろそろ力を削いでもいいと皇帝は考えたらしい。

 そこで皇后に毒を盛る話をしていたのだそうだ。異世界人にも効いたのだから、効果は確実だと笑いながら。


「すべて私を手に入れるためだと言われたわ。でも子どもはいらないって……。皇帝は、私の体だけが目当てだったのよ!」


 松本が聞いてしまった事に気付いた皇帝は、松本に愛を囁きながら真相を暴露した。


 皇帝は皇后の仕業に見せかけて、清乃を殺すつもりだった。皇后は松本が寵妃となる事を警戒していたし、清乃は単純に邪魔だったからだ。

 松本を手に入れるために邪魔な二人をまとめて消すつもりだったとあっさり認めた上で、松本を次の皇后にしてやるからこの世界に残らないかとまで誘いをかけてきた。

 けれどやはり子はもう必要ないという。皇帝をただ慰めていればいいのだとも言われたそうだ。


 ショックを受けた松本は拒絶して北陽宮に引き篭もっているが、皇帝は毎日贈り物を送ってくるという。

 だがそれも何が混入されているかと恐ろしすぎて、松本はすべて捨てさせているそうだ。


「どうしてあんな人を信じてしまったのかしら。私は馬鹿だわ……」


 堕胎薬は飲まなかったけれど、その話を聞いた直後に月のものが来たから妊娠していなかった事が分かった。

 子どもが出来ていなかった事は不幸中の幸いだったけれど、信じた夫に裏切られたという事実に深く傷付けられたのだと松本は話した。


「辛かったですね、先生」

「辛いのは菅原さんの方でしょう? 本当にごめんなさい。私のせいで死にかけたなんて」

「もういいんです。あのおかげで私は後宮を出て、誠英様の所に行けましたから」

「強いのね、菅原さんは」


 松本はそう言ってようやく少し微笑んでくれたけれど、清乃が落ち着いていられるのは誠英の計画を聞いていたからだ。毒で殺されかけた怒りはもちろん感じているけれど、その分も誠英がやり返してくれるのだと思えば充分だった。


「早く日本に帰りたいわ。あんな男が皇帝でいて、この国は大丈夫なのかって心配になるけれど」

「先生は皇帝を許せない感じなんですか?」

「許せるはずがないでしょう? 菅原さんを殺そうとしたんだもの。同じ苦しみを味合わせてやりたいぐらいよ」


 憎しみや恨みを相当募らせているようで、血走った松本の目はギラギラとしていた。まるで般若かと思うような迫力があって、清乃はゾッとしてしまう。

 愛していた分だけ、裏切られた怒りが大きいのだろう。今の松本には、ある程度は話しても大丈夫な気がした。


「先生。私はこの世界に残ろうと思うんです」

「何を言ってるの? こんな国に残ったら危ないわよ!」

「それが大丈夫なんです。誠英様と一緒にいるだけですから」

「八の皇子と? まさか菅原さん……」

「はい。私は誠英様とお付き合いさせてもらっています。これから先もずっと一緒に生きていこうって言ってもらったんです」


 誠英が半妖である事はもちろん言えないし、計画の詳細も伝えるわけにはいかない。けれど松本には心配をかけたくなかった。


「皇帝のことは心配しなくて大丈夫です。詳しくは言えないんですけど、私たちはこの国で暮らすつもりはないので」

「他の国にいくつもりなの? そんなこと、本当に出来るの?」

「先生もご存知のように、誠英様は不良皇子ですから。皇帝のこともこの国のことも好きじゃないみたいなんです。それに、ちょっと変わったお友達もたくさんいるみたいなので、その人たちに助けてもらえますから」

「そう……そういうことなら、大丈夫なのかしら」


 かなり曖昧な言い回しではあるけれど、嘘は一切言っていない。自信を持って言う清乃の姿に、松本も何かしらの根拠があると感じてくれたようだった。


「菅原さんはそれで後悔しない? もう帰れないかもしれないのよ」

「構いません。両親はもういませんし、未練はないんです。それに、こんなに愛してくれるのは誠英様しかいないと思いますから」

「菅原さん……分かったわ。寂しいけれど、八の皇子なら信用出来るもの。幸せになってね」

「はい。ありがとうございます」


 松本が納得してくれた事に、清乃はホッと息を吐いた。皇帝がした事は許せないけれど、清乃としては松本を裏切らずに済んで良かったと思う。

 松本も、今は辛いだろうが日本に帰ってしまえば安心出来るだろう。何せ皇帝とは二度と会う事がなくなるのだから。


「この事はもう如月さんたちには伝えたの?」

「いえ、まだです。会う機会もないので」

「そうよね……。でもきっと今日、風間君とは話せると思うわ」

「風間くんと……?」


 風間と聞いて、清乃はドキリとした。

 松本のこんな状態を知ったら風間は怒るだろうか。それとも、松本が皇帝を嫌いになった事を喜ぶだろうか。

 けれどそんな不安は、次の松本の言葉で霧散した。


「私が寝込んでいるって聞いたみたいで、風間君が心配して来てくれたの。菅原さんに話したみたいに私の事情を全部は言えなかったけれど、菅原さんが毒で死にかけた事は教えたのよ。そうしたら、謝りたいって言ってたわ」

「え……」

「何かキツイことを言われたんでしょう? そんな目にあっていたのに怒ってしまったって、風間君が反省していたの。きっと今夜の宴で声をかけられると思うから、話を聞いてあげてね」


 綺羅蘭たちは数日前に城へ帰ってきている。きっと風間は帰還後すぐに、松本の元を訪れたのだろう。

 謝るというのは本当なのだろうか? 心配にはなるけれど、こればかりは会ってみないと分からないだろう。

 清乃はほんの少し緊張しながら、三回目の宴に挑む事になった。

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