45:召喚の真実
松本のために清乃が頼んだ事もあり、ここしばらく誠英は崙雀閣に通って異世界人の妊娠や出産について調べてくれていた。だがそれも、少し前までの話だ。隅々まで探したものの該当する資料は見つからなかったと、二週間ほど前に言われている。
ただ異世界人も体の作りは同じはずだと誠英は話し、万が一松本に何かあればその時は助けるとも約束してもらったから、清乃は次の宴で松本と会ったら安心するよう伝えようと思っていた。
それ以降、誠英は以前と同じ生活に戻り、清乃を崙雀閣まで送るとどこかへ出掛けていたというのに、どうしてここにいるのか。
そんな疑問が清乃の頭を過ったが、今言われた事の方がずっと重要だった。
「どういうことですか? キララたちは魔鬼を倒しに行ったはずなのに、何で神獣を?」
「さあ? どうしてだと思う?」
こんな風に微笑みと共に煙に巻くような言葉で返されるのは、これまでにも誠英がよくしてきた事だ。けれど見慣れたはずのその笑みが、なぜか今は得体の知れないものに見える。
古文書の多い八階は、保護のために吊り行燈も最小限に抑えられているから他の階より少々暗い。しかしだからといって、この世のものとは思えない美貌が薄暗がりに浮かんでいるから、というだけでは説明のつかない怖気がひたひたと迫ってくるようだった。
「どうしてかなんて、分かりません。このお話は誠英様も読まれてるんですよね? 私はまだここまでしか読んでませんけど、この先に何か書いてあるんですか?」
「もちろん読んでいる。それをここに置いたのは私だからな。だがそれ以上読んでも大して意味はないぞ」
「誠英様がこれをここに……?」
会話をしているはずなのに何も伝わっていないような感覚に陥りながらも、清乃は懸命に話の先を掴もうとする。
誠英はそれを褒めるかのように目を細めた。
「お前にはそろそろ話しておくべきだと思ったのだ。もっとも、もう少し先になるかと思っていたがな。ずいぶん早く見つけたものだ」
クスクスと愉快げに笑いながら、誠英は清乃のそばへ歩み寄る。
これまで清乃は誠英の正体が半妖だと知っても全く怖くなかったのに、どうしてか警鐘を鳴らすかのように胸が早くなるから、自然と後退ってしまった。
けれど清乃は椅子に座っていたから、ガタリと音を立てただけで結局ほとんど動けなくて。その間に誠英は清乃の隣に立ち、両腕で閉じ込めるかのように斜めになった椅子の背と卓に手をかけた。
「賢いお前なら、もう分かっているのだろう? この国を救うには聖女たちの魔鬼討伐など大して意味はない。重要なのは龍脈の流れを戻す事で、必要なのは聖女ではなく四神の力だ」
「でもそのために召喚されたんじゃ……」
「そういう事にしただけだ。計画のためにな」
「計画……? 皇帝が何かを企んでるんですか?」
震えそうになる声をどうにか保って問いかければ、誠英は切なげに微笑んだ。
「いいや、企んでるのは私だ。召喚も討伐も、全て私がそうなるように仕向けた」
思いもしない話に、清乃は息を呑んだ。この国では皇帝が全てを決めるというのに、誠英が仕向けたとはどういう意味なのか。清乃にはさっぱり分からない。
「じゃあ、魔鬼も誠英様が?」
「それはさすがに違うな。あくまで私は便乗しただけだ。皇帝自身が蒔いた種を利用させてもらっただけだよ。復讐のために」
復讐と言った誠英の漆黒の目に、ドロリと濁った金色が混じった気がした。怯えを滲ませた清乃を逃がさないとでもいうように、誠英は清乃の手を握り隣に腰を下ろした。
「始まりは皇家の裏切りだ。三十年前、当時の皇帝の弟である礼部尚書に私の母が捕らえられた事で、城の地下に眠る五体目の神獣黄龍の怒りを買った。授けた神通力を悪用したとしてな」
掴んだ手を離すことなく、誠英は薄らと笑みを浮かべたまま囁きを吹き込むように話し出す。
人からは恐れられ忌み嫌われる妖怪だけれど、同じく人ではない神獣からすれば身内のようなものだ。中でも九尾狐は格の高い妖怪だから、悪行を働いてもいないのに捕らえて服従させるなどあってはならない事だった。
黄龍の怒りは流行病となって都を襲い、礼部尚書と先帝の命を奪った。本来ならそこで誠英の母は解放されるはずだったが、後を継いだ今の皇帝が誠英の母を見初めてしまう。
皇帝は初代から続く盟約を破り、騙し討ちで黄龍を封じ込めて誠英の母を妃とした。けれどその母も、誠英が幼いうちに亡くなってしまった。
「失意のまま亡くなった母の恨みが魔鬼を呼んだ。もっとも、先の流行病がなければ大事にはならなかったし、黄龍がいれば防げた事だ。だから皇帝の業なのだ、これは」
多くの人が集まる都にはただでさえ醜い欲望が渦巻き、日々妬みや恨みを生み出している。そこに流行病がもたらした悲嘆や絶望、苦悩が重なり、力ある妖怪である誠英の母の嘆きと憎悪も加わった。
魔鬼はそういった負の気が凝って出来た澱みから生まれる存在だが、何百年という長い年月の中で魔鬼や龍脈と神獣たちの関係を皇家は忘れてしまっていた。だから皇帝は黄龍を邪魔だと封じてしまい、結果魔鬼が現れる事となった。
「だがこの国にはまだ四神がいた。黄龍が消えて龍脈に乱れが出ても、四神がいる限りそう簡単に国は倒れない。弱い魔鬼なら兵でも対応出来るからな。もっとゆっくり国は衰退していっただろう」
「……だからそれを加速させたっていうんですか。復讐のために」
「そうだ。やはりお前は賢いな。理解が早い」
冷たい声音にも関わらず、繋がれた誠英の手は温かい。話を聞くうちに落ち着きを取り戻した清乃が問いかけると、誠英は仄かに笑った。
誠英のいう復讐が何の事かなんて、聞かなくても簡単に想像出来た。
母親は捕らえられて無理やり子を産まされ、無念を抱いて亡くなった。心優しい誠英が、何も思わぬはずがない。そして残された誠英を皇帝はたった一人で放置した。しかも、かつて母親が捕らえられていた忌むべき屋敷にだ。
いつも明るく何も悩んでいないと苦境を享受しているように見えても、その裏では怒りや悲しみを抱えていて当然だろう。清乃だって、同じような気持ちを感じる事があるからよく分かる。
誠英はこの国も皇帝も、何もかもを嫌っていたのだ。そして彼らを貶めるために、酒浸りで遊び呆けている不良皇子を装っていたに違いない。
けれど心情が分かっても、腑に落ちない事はまだたくさんあった。
「でもそれと召喚にどういう関係が? たまたま神獣まで倒してしまったみたいですけど、魔鬼を増やしたいなら倒せるキララたちは邪魔になるじゃないですか」
「あれは偶然ではない。私が仕向けたと言っただろう? 召喚はそもそも、四神を倒すために行った事なのだから」
都にいた黄龍は皇帝の裏切りを知ったけれど、遠く離れた地にいる四神は違う。かといって盟約関係にない第三者が真実を伝えにいった所で、聞く耳はもたれないだろう。
だからこそ四神は倒すと決めたのだが、その力は絶大で妖怪が束になっても倒せない。そのため異世界人を召喚したのだと誠英は話す。綺羅蘭たちは四神が魔鬼のボスだと教えられ、倒すよう言われていたのだとも。
だが清乃は信じられないと誠英に向き合った。
「でもそんなのおかしいです。だってキララたちは、ステータスというものに聖女だと書いてあるって言ってたのに。聖女だなんて、国を滅ぼす手助けをさせられるなら真逆じゃないですか」
「あれは聖女たちの妄想だ」
「妄想……?」
「召喚陣には、こちらの世界に馴染む仕掛けがなされていた。だから我々の言葉もすぐに分かっただろう? それと同じく、聖女たちも自分たちに都合のいいように称号を身につけたのだろうよ」
「ですがそれなら、あの不思議な力は?」
「一部は召喚時にこちらが与えたものだが、他はあの者らの妄想の賜物だな。欲望をあのように珍妙な力として発現させるとは、さすがに思いもよらなかったが」
つまり清乃は本を読みたいと思ったから文字を読む力が出て、松本は楽器を弾きたいと思ったから演奏出来るようになったという事だ。そして綺羅蘭たちは、聖女や勇者になりたかったという事なのだろう。
けれどこれも万能ではないようで、人の身に耐えられる範囲で現実化しているそうだ。
話を聞いてそこは清乃も理解は出来たが、しかし。
「それでも、誠英様が仕向けたなんて信じられません。皇帝は誠英様を蔑ろにしてるのに」
召喚は皇帝主導で行われたはずだ。誠英の話を聞くとは思えないし、一体どんな手を使ったというのだ。
「そうだな。私一人では到底出来なかった。仲間がいたからこそ出来たことだ」
「仲間……?」
「ああ。お前は気付かなかったようだが、この城にはかなりの数の妖怪がいるからな」
「え……⁉︎」
予想もつかない話に清乃は絶句した。誠英は苦笑して話を続ける。
「たとえば員外郎もそうだ。彼奴の正体は獬豸という牛に似た姿の妖怪だ。母と恋仲だった睿諫莫が私の前に現れた時から、この計画は始まったのだ」
諫莫が妖怪だったというだけでも驚きなのに、誠英の母親と恋人だったと聞いて清乃は唖然とした。
獬豸は大きな角を持つ牛のような大柄の妖怪で、正義感の塊のような性質を持つという。ただでさえ善悪に敏感だというのに、愛する恋人を奪われたのだから怒りは相当なものだったろう。
三十年前に消息を絶った恋人を死に物狂いで探し続けた諫莫だったが、神獣が守護する瑞雲国に捕われているとは思いもしなかったらしい。世界中を探して周り、ついにこの国しか残っていないとなった七年前、ようやく都へたどり着いた。
そこで恋人の死を知り、忘れ形見の誠英と出会う。そうして二人は復讐を誓ったそうだ。
諫莫の手引きで多くの妖怪がこの国へ入り込み、この祠部はもちろん城の中枢にもかなりの数が紛れ込んでいるのだと誠英は明かした。
「皇帝の側近や丞相もそうだ。少数だが、皇帝のやり方に疑問を持ち、人の身でありながら協力してくれている者もいる。今となっては皇帝を操るのもそう難しくない」
もちろん細心の注意は必要だが、と誠英は話す。皇帝には神通力があるから、並大抵の妖怪では太刀打ち出来ない。正体が分かれば斬り捨てられてしまうのだから当然だろう。
そんな危険を冒してでも、多くの妖怪が復讐に協力しているのだ。誠英の母の死が与えた影響は、よほど大きかったらしいと清乃は理解した。
「それで皇帝は、言われるがままに私たちを召喚したんですね」
「そうだ。そのために私はわざわざ祠部の郎中にまでなったのだからな」
そもそも召喚は、人の世に伝わっている方法ではなかった。全く別の用途――遠方にある物を取り寄せるなど――で妖怪たちが使っていたもので、その術式に誠英たちが手を入れていたらしい。
条件に合う人物を呼び出し同じ場所へ帰すためには膨大な力が必要だったが、皇帝一族は神通力を持っているし不安定とはいえ龍脈も未だある。それらの力を合わせればどうにか動かせるだろうという召喚陣を、五年がかりで作り上げたそうだ。
祠部は儀式を担う部署だから、その郎中ともなれば召喚方法を見つけたと言い出しても怪しまれないだろうという考えだったようだ。
「私を恨むか? 清乃。お前は本来、こちらへ来るはずではなかった。お前のような聡い人間は召喚の条件にそもそも含まれていなかったのだ。だが結局はこうして引き込んでしまった」
「恨んでなんかないですよ。召喚のミスは誠英様のせいではないですし」
「いや、私の責任だ。私が儀式を執り行ったのだから」
苦しげに打ち明けた誠英に、清乃はハッとした。
「もしかして、あの時倒れていた祈祷師の人って……」
「そう、あれが私だ。あの場でお前だけが私を気にしてくれたな」
召喚された直後、護摩壇のような場所で倒れていた人物は白髪の老人だとばかり思っていたが、実はあれは銀髪の誠英だったのだという。
清乃たちが巻き込まれたからか想定していたより召喚に使う力が多くなり、誠英は神通力だけでなく妖気までほとんど全ての力を使い切り倒れてしまったそうだ。
誠英は切なげに目を細め、清乃の手をそっと撫でた。
「許してくれとは言えない。間違いでお前を引き込んでしまったが、こうして出会えた事は私の喜びゆえにな。だからお前には、きちんと伝えたかった。なぜこの世界へ来る事になったのか。そして、これからどうなるのかも」
あまりに色々な話を聞いたから理解するだけで精一杯だったが、改めて言われてみて清乃は何と返していいのか分からなくなった。
綺羅蘭たちの討伐が終わる時は、つまりこの国が駄目になる時だ。皇帝は国と共に倒れて、逆に誠英は解放される。そして帰還の陣が開くのだ。たった一度だけ。
何せその頃には、皇帝一族はおらず龍脈の力もないのだから、帰還の陣を何度も開く事など出来るはずもない。
それを嘆くべきなのか喜ぶべきなのか、清乃は分からなかった。
「お前はずっと何か悩んでいただろう? 私の元に残るかどうか考えていたのではないのか」
「それは……」
「そばにいてほしいと、私は思っている。だが私は復讐のためにこの国を滅ぼす。恐ろしいと逃げられても仕方ないと思っているよ。だからよく考えてみてほしい。私と共に生きる気はあるのか」
「誠英様……」
恐ろしい話をされたはずなのに、いつの間にか恐怖なんてどこにもなくなっていた。
真摯な眼差しを向けられて清乃は思わず目を逸らす。醜い心を見透かされてしまいそうで怖かった。
国が滅びれば、この国に住む人々も無事ではいられない。善良な人々だけは妖怪たちの手で近隣諸国へ避難を終えているそうで、城での協力者など残りの信頼出来る人々も妖怪の国で匿う用意があるらしいが、荒れた国に取り残される多くの命が失われる事になるだろう。
命の取捨選択を勝手に行うなんてとんでもないと、この計画を大々的に明かして止める事だってやろうと思えば出来る。むしろ清乃は責任感が強いから、そう思うべきなのだろう。
けれど復讐を誓った誠英の気持ちも分かるから、止めようとは思えない。それに討伐――魔鬼ではなく隠されていた本来の目的、四神の討伐のことだ――が終わらなければ帰還の陣は開かないのだから、止めた所で綺羅蘭たちがやめるとも思えない。
そして何より、国が無くなって誠英が自由になるなら清乃がここに残っても誰にも引き裂かれる心配をしなくていい。
そんな仄暗い喜びが湧き上がってきた事に、清乃は混乱していた。
「清乃、愛しているよ」
ギュッと目を瞑って考え込んでいると、顎をそっと持ち上げられる。唇に優しく温もりが触れて、誠英に口付けられたのだと分かる。けれど目を開ける勇気は持てなくて、俯いているうちに誠英は去っていった。
一人書庫に残った清乃は、ゆっくりと目を開ける。どんなに不遇な環境でも常に最善を目指して動き続けてきたけれど、今は何が正しいのか分からない。
清乃の心境を表すかのような吊り行燈の揺れる小さな光を、夕刻の鐘が鳴るまでただぼんやりと眺め続けた。




