43:葛藤
翌日、昼近くになってからようやく目を覚ました清乃は、誠英の端正な寝顔が間近にある事に気が付き飛び上がりそうなほど驚いた。いつの間にやら抱き込まれるようにして眠っていたようだ。
(なんで誠英様が⁉︎ どういうこと⁉︎)
混乱しながら身を起こし、慌てて周囲を見回してみたけれど、場所は清乃の部屋の寝台で間違いない。
なぜこうなっているのかと思った所で頬に貼っていた布がハラリと落ちて、昨日男に殴られて攫われたのだと思い出した。けれど幸いな事に、痛みは脇腹も含めてすっかり消えていたからホッとする。
「ははっ、元気になったようだな」
「誠英様……おはようございます」
「おはよう、清乃」
清乃のあまりの慌てぶりに笑いながら起き出した誠英の話によると、昨夜遅くに夕食を食べるかと声をかけに来た所、清乃があまりに魘されていたから添い寝してくれたらしい。
それでもよほど攫われた事が恐怖だったのか、夜中に何度も魘されていたからその都度誠英が寝かしつけてくれたそうだ。何も覚えていないけれど、迷惑をかけてしまったと清乃は申し訳なく思った。
「すみませんでした。お手数おかけして」
「お前を抱いて寝るのは存外心地良かったから気にするな」
「でも……」
「どうしても気になるなら礼を寄越せばいい」
昨夜はたくさん泣いてしまったし、痛みは消えたとはいえまだ一晩しか経っていない。殴られた痕も残っているはずで酷い顔に違いないのに、誠英はそんな事を言いながら顔を寄せ清乃の唇を啄んだ。
そういえば昨日、好きだと気持ちを伝えあったのだと思い出し、清乃は赤面したりまた切なさに胸が痛んだりと忙しくなる。
そんな清乃を、誠英は苦笑しつつも宥めるように抱きしめてきた。
「昨日も話したが、ここにいる間だけでいい。こうして愛させてくれ、清乃」
「誠英様……ごめんなさい」
「謝る必要はないと言っている。共にいられる時が限られているのなら、少しでも多く笑った顔を見たい」
「……はい、分かりました」
以前から誠英は優しかったけれど、想いが通じたからかより一層甘くなったような気がする。それでも誠英は清乃に残るよう無理強いしたりはしない。
それが清乃の気持ちを慮っての事だとは分かっているけれど、期間限定の恋人でも構わないと言われるのは寂しくも感じられた。
(贅沢だな、私。残るって決められないくせに)
自己嫌悪に陥りそうになるけれど、誠英の願いを叶えるためには笑わなくてはならない。余計な考えは追い出して、清乃は微笑んで頷いた。
そうしてこの日一日は念のため仕事を休んで。翌日からはまたいつもの日常が始まった。
お付き合いなんて初めての事で清乃はどうしたらいいのか分からなかったけれど、誠英と過ごす日々はこれまでとそう変わりない。
時折キスは交わしているけれど、あの日以降好きだと気持ちを口にする事もない。魄祓殿を一歩出れば、女官と皇子の距離感に戻るのもこれまでと同様だ。
これでいいのだろうかと清乃は疑問に思ったけれど、思い返してみれば今までの距離感がすでに近過ぎた。大して変化がないと思ってしまうのも、当たり前なのかもしれない。
それでも誠英から向けられる好意はしっかりと感じられるから、清乃も好きだという気持ちが高まっていく。かといって今だけの関係だと割り切る事も出来なくて、苦しい想いも徐々に増していった。
(松本先生もこんな風に悩んでるのかな)
自分らしくないなと清乃は思う。どうしようもない事を諦めるのは得意だったはずなのに、誠英のそばにいたいという気持ちだけは諦められない。
けれどこの世界に残ったとしても、いつか別れなければならない時が来るのではという不安から、思い切る事も出来ない。この国では皇帝が全てを決める。誠英のそばにいるのをいつまで許されるのか、保証なんてどこにもないのだ。
不安を乗り越えて一歩を踏み出すためには、帰還方法について尋ねるべきだろう。何度だって帰還の陣を開けるなら、そばにいる事が許される間だけ残ればいい。でも今さらそれを誠英に聞く勇気もない。
もし帰還の陣が開くのが一度だけだとしたら。誠英はそれをすでに知っているから、元の世界に帰るという清乃を引き止めないのだとしたら?
問いを口にしてしまえば、本当は誠英のそばに残りたいのだと白状してしまうようなものだ。ただでさえ清乃の気持ちを優先して今だけでいいと言ってくれる優しい人に、残酷な答えを告げる負担をかけたくはなかった。
(呂燦景に聞いたら分かるかな)
誠英の不在時に清乃に付けられたのは燦景だった。礼部に移ったはずなのに、清乃も顔見知りの方がいいだろうと誠英に無理を言われたらしい。
洗濯の手配などこれまで清乃が一人でやっていた事にまで付き添ってくれるから、申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだけれど、本人は気にするなと笑うだけだ。むしろ礼部侍郎に色々言われた時の事を謝られたほどで、燦景との友情はより強固なものになったと思う。
燦景も元は祠部の官吏だったのだから、召喚について色々と知っている可能性は高い。
問題は、そんな事を尋ねたら理由を聞かれるだろうという事だ。誠英と恋仲になった事はまだ誰にも伝えていないが、燦景なら秘密を明かしても黙っててくれるのではないか。
そんな期待を込めて、清乃はある日勇気を出して問いかけてみた。
「後からでも帰れないのかって、あんたは元の世界に帰りたくないの?」
「うん……実は……」
思った通り、燦景は清乃と誠英の仲を知っても特に何も言わずにいてくれた。しかし残念ながら、期待していた答えはもらえなかった。
「なるほどね、そういうことか。気持ちは分かるけど、帰らせてあげられるのはたぶん一度きりだと思うよ」
覚悟はしていたものの、聞いてしまうとショックは大きい。清乃が思わず唇を噛むと、燦景は苦笑した。
「まあ、私は下っ端だから全部知ってるわけじゃないけどね。諦めきれないなら自分で調べてみたら? 資料は崙雀閣の書庫にあるはずだから、何か出てくるかもしれないよ」
「うん……ありがとう」
慰めてくれたのだと分かってはいるけれど、希望を残してくれた事は有り難い。せっかく教えてもらったのに、まだ諦めたくないと心が騒ぐから。
今までも書庫整理の傍ら、召喚に関する資料は探していたけれど、より一層力を入れようと清乃は気合いを入れる。その結果、思いがけない真実に辿り着く事になるとは、この時予想も出来なかった。




