3:期待はずれのオマケ
「成功か」
歓声を割くように響いた威厳のある声に恐る恐る目を開けると、目の前には信じられない光景が広がっていた。
先ほどまで中庭に面した外廊下にいたはずなのに、いつの間にか木造の御堂のような場所に清乃たちは立っている。
大人が数人がかりで手を回すほどの太い柱が何本も並び、高い天井からは鮮やかな布と釣り行燈が降りていて、仏像でもあればどこかの寺かと思うような板張りの広間だ。
そして映画かドラマの撮影かと思うような甲冑を着た武将や兵隊のような人々が清乃たち六人を囲んで槍を突きつけており、その奥には昔の中国の宮廷衣装のような煌びやかな服を纏う男たちがいた。
「何なの、これ……」
呆然とした綺羅蘭の呟きに、一段高い位置に座る中年の男がスッと手を上げる。すると兵士たちが向けていた槍はそのままに、清乃たちを男に見せるように間を空けた。
「良くぞ来た、力持つ異界人たちよ。朕は瑞雲国皇帝である。召喚に応えてくれた其の方らに頼みがある。褒美は与えるゆえ、我が国を苦しめる魔鬼を倒してくれぬか」
皇帝と名乗った男の話を、清乃は不思議な気持ちで聞いた。日本語で話しているように聞こえるのに、なぜか口の動きが合わないのだ。
顔立ちも肌色も見慣れたアジア系だが、どうやら全く違う言語で皇帝は話しているらしい。時折聞こえる耳慣れない単語もどうしてか意味は分かるが。
ここ瑞雲国は地球とは全く違う世界にある、数百年の歴史を持つ大国だという。特別な力を持つ者にしか見えないが、国中を流れている龍脈がもたらす気の恩恵に預かり、長らく人々は穏やかに暮らしていた。けれど十五年ほど前から龍脈が乱れ始め、天候が荒れたり農作物の育ちが悪くなったりしているそうだ。
その乱れの原因となっているのが、国の四方にある神山に巣食ってしまった魔鬼という化け物だという。皇帝は討伐隊を何度も送ったけれど、龍脈の力を奪っているからか魔鬼は予想以上に強く倒せなかったらしい。
そこでこの世の理とは別の力を持つ者に魔鬼を倒してもらおうと、古の召喚術を行ったそうだ。
内容はもちろんだが、それ以上に吹き替え映画でも見ているような奇怪な現象に清乃が驚いていると、風間たちが興奮し出した。
「じゃあここって異世界なのか!」
「うわ、すっげえ! 召喚とかアニメみてえ!」
「やだぁ。こういうのってヨーロッパっぽいのが普通なんじゃないの? ママの見てた中国ドラマみたいな世界とか笑える」
今の話で皆は何かを知ったようだけれど、清乃には何が何だかさっぱり分からない。同じく事態を理解出来ていないらしい松本のそばに、清乃はさり気なく近寄る。
不意に竹井が「あっ」と声を上げた。
「これ、すごいぞ。ゲームみたいにステータスが見える」
「嘘だろ、マジで⁉︎」
「わぁ、本当だ! 私も出たよ、ステータス! あれ、何だろうこれ。聖女って称号がある」
「俺も英雄って称号が付いてるよ。本当に俺たちには、その魔鬼とかっていうのを倒す力があるんだろうな」
ゲームの話なんてされても、清乃は触れた事もないから何の事なのか全く分からない。ただ風間の話から、どうやら清乃は召喚とやらに巻き込まれてしまったのだろう事は理解出来た。
これまでも不運といえる事はたくさんあったけれど、巻き込まれて違う世界に来てしまうなんてどれだけツイていないのだろうか。
にわかに盛り上がる四人に困惑しながら、清乃はそっと松本に問いかけた。
「先生。先生はみんなが何を言ってるか分かりますか」
「ううん、それが全然分からなくて。ただ、異世界って言ってたわよね?」
「そうですね」
「私たち、ちゃんと帰れるのかしら」
松本の落とした一言に、急に背筋が寒くなる。
綺羅蘭たちは自分たちだけで盛り上がっているというのに、この国の皇帝は咎めもせず黙って成り行きを見守っている。気が付けば清乃たちを囲む兵士も槍を下ろして、期待に満ちた目で綺羅蘭たちを見ていた。
彼らにとって召喚された綺羅蘭たちは大切な存在なのだろう。何の力も持たない人間が紛れ込んでいると知ったら、果たしてどんな処遇を受けるのか。初対面でいきなり槍を突きつけてくるような者たちだから、あまり良い想像は出来ない。
かといって、逃げ道なんてあるのだろうか。そんな不安に襲われていると、風間が振り返った。
「松本先生もステータスは見えますか?」
「どうやったら見えるの?」
「ステータス画面を開こうって思えば見えますよ」
「それってゲームに出てくるものなのよね? 私、そういうのはやったことがないから分からないのよ」
「そうですか……」
風間はちらりと清乃にも目を向けたが、問いかけはしなかった。清乃には真面目すぎて融通が効かないという噂があるから、聞かなくても同じく分からないだろうと考えたに違いない。
実際清乃も分からないのだけれど、自分だけ仲間外れにされたようでチクリと胸が痛む。いつもの事だと気にしないよう自分に言い聞かせ、清乃は気を紛らわすために辺りを見回した。
すると清乃たちの背後。並ぶ兵士たちの隙間から見える炎の燃え盛る護摩壇のような場所に、人が倒れているのに気が付いた。
祈祷師のように見えるけれど、どうして誰もあの人を助けないのか。ずれた頭巾から覗く長い髪は白っぽく見えるから、年配の人だろうにと清乃は思う。兵士もたくさんいるけれど、倒れているのに誰も気付いていないのだろうか。
けれどそれを、すぐには言い出せなかった。
「どうだ、国を救ってくれるか」
「私はいいよ、面白そうだし」
「キララがやるなら俺もやろう」
「助けたら褒美ももらえるんだよね? オレももちろんやるよ」
話がまとまったと見たのだろう皇帝が問いかけると、綺羅蘭と竹井、日野はすぐに頷いた。風間だけは、真っ直ぐに皇帝に向き直る。
「救うのはいいけど、先生と委員長は帰してくれないか」
「えっ、どうして風間くん」
驚く綺羅蘭に風間は苦笑した。
「先生たちは、ステータスが見れないんだ。だから魔鬼と戦う力はないと思う」
「じゃあ私たちのオマケってこと?」
「オマケって言い方は良くないと思うけど、そうなるね」
風間の言葉に静かだった堂内が騒めきだす。聞こえるのは「どういうことだ」「余計なものまで」「とんだ期待外れだな」と不快げな言葉ばかりだ。
勝手に呼び出したのは向こうなのにと清乃が俯いていると、松本が一歩踏み出した。
「風間君の言う通り、私と菅原さんに特別な力はありません。ただ私は、生徒を置いて帰るわけにはいきません。帰る方法があるなら、先に菅原さんだけ帰してあげてもらえませんか」
元々松本は美人だけれど、教師として凛として話す姿はより美しく見える。皇帝もそう思ったのか、固かった表情を和らげた。
「ふむ。そなた、名は何という」
「松本涼子です」
「涼子、そなたの願いは分かった。だが残念ながら、帰還の陣は今は開けぬ。魔鬼を全て倒せば自ずと開けよう。それまではここで待つが良い。朕がそなたを守ろう」
「分かりました。ありがとうございます」
皇帝はただ松本だけを見て言った。
本当に帰る方法はあるのか、ちゃんと帰してもらえるのか。現状は曖昧にしか理解出来ていないし皇帝の人となりも分からないから信じる事も出来なくて、清乃は本当に大丈夫だろうかと心配になるが、だからといってどうにも出来ない。
不安でいっぱいだけれど喚くわけにはいかないし、我慢するのは慣れているから清乃はただ口を閉じる。
そうしている間に、綺羅蘭たちは魔鬼について詳しい説明を聞くために皇帝と一緒に別室へ移っていった。兵士や他の者たちもほとんどが去ってしまい、残されたのはいくらかの兵士と中世的な雰囲気を持つ細身の男たち――後々、彼らは宦官だと分かった――だった。
「では、お部屋にご案内させていただきます」
腰の低い宦官に促され、松本は歩き出す。清乃は慌てて宦官の一人を呼び止めた。
「あの、あそこで人が倒れてるんですけど」
「あの方なら問題ありません」
「えっ、でも……」
「問題ないと言っている。期待外れのオマケごときが、手間をかけさせるな」
清乃にだけ聞こえるように、宦官はピシャリと告げてきた。
「陛下の温情は松本様お一人に向けられたもの。お前はそのお零れに預かっているに過ぎない。無事に帰りたければ、肝に銘じることだな」
遅れている清乃に松本が声をかけてくれたから、それ以上宦官は何も言わなかった。けれど、これだけで清乃は自身の立場を充分に理解した。異世界にも清乃の居場所なんてないのだ。
祈祷師の事は気にかかるけれど清乃に出来る事はない。清乃は口を噤み宦官について歩き出す。
だから清乃は気づかなかった。倒れていた祈祷師が息も絶え絶えになりながらも、唯一自身を心配してくれた清乃の背を盗み見ていた事に。




