38:聖女と不良皇子
皇帝が戻ってくると、清乃は入れ替わるように席を立った。今回の宴でも、女官として準備を手伝うためだ。
ここで女官の誰かと親しくなれたら、清乃が元の世界へ戻った後も誠英の事を頼めるかもしれない。
……なんて淡い期待を抱いて向かったのだけれど、残念ながらそんな目論みはあっという間に崩れ去る事となった。
というのも、他にない女官服を纏う清乃が不良皇子の女官なのだと分かると、関わりたくないとばかりに皆離れていってしまうのだ。
さらには、これ幸いと誠英の席の用意は清乃一人に任されてしまう。重い卓を運ぶのはさすがに無理なので、拝み倒して宦官に手を貸してもらったが、そこでもずいぶん文句を言われてしまった。
誠英の母が妖怪だったという話には箝口令が敷かれているため、当時からいる年配の者たちしかその事は知らないはずだ。つまり彼らは、不良皇子という誠英の噂を嫌悪しているだけなのだ。
一体、後宮ではどんな噂が流れているのだろうか。清乃が北陽宮にいた頃も不良皇子と呼ばれて避けられていたけれど、それでもその時は最低限皇子として扱われていたように思う。
もしかしたら今は、あの頃以上に酷い言われようになっているのかもしれない。
前回の宴にも誠英は出席していたけれど、その時の準備は皆で押し付けあっていたのだろうか。
理不尽な扱いに清乃は慣れているけれど、誠英が嫌われているのは辛い。これでは誠英のそばにいてくれる女官を見つけるのは絶望的だ。
落ち込みそうにもなるけれど、悠長に考えていられるほど余裕もない。
お披露目も兼ねていた前回と違い、今回の宴は規模が小さくなってはいるとは教えられたものの、それはあくまでも前と比べたらという話だ。妃嬪や皇子たちはもちろん、国の主要な重鎮たちや魔鬼討伐を補助している将軍たちなど、宴の参加者はかなりの数になる。
それによく見てみれば、広間の装飾は前より華美になっていて、料理に使われている食材なども豪勢になっている。
女官たちのお喋りにこっそり耳を傾けてみれば、どうやらこれまで滅多に見られなかった希少な獣などが町や村のそばで見つかるようになったらしい。これも魔鬼討伐が進んで国が豊かさを取り戻しているからだろうと、準備に携わる者たちは皆嬉しそうだ。
だが清乃にとっては嬉しくも何ともない。慎重に取り扱わなければならないものがいくつもあったため、誠英の席の準備が終わっても清乃は気を抜けなかった。
それでも忙しいのは宴が始まるまでだ。臨時の手伝い扱いの清乃は、宴の最中は基本的に誠英の世話しかしなくていい。料理を運んだり酒を注いだりはするだろうが、他は後ろに控えていればいいだけだ。
綺羅蘭たちと同じ空間にいなければならないのかと思うと緊張はするけれど、もう風間の事も怖いとは思わない。皆に避けられる原因となっている新しい女官服は、清乃に勇気を与えてくれるから。
今の清乃は誠英の女官なのだ。たとえ風間に何を言われたとしても、後で誠英の尻尾を触らせてもらえるならいくらでも頑張れる気がした。
そうして夕刻の鐘が鳴り宴は始まった。討伐の報告が簡単に行われ、食事が始まる。綺羅蘭たちは嬉しげに料理に舌鼓を打っていたが、ある程度腹が満ちたのか。またしても清乃に不躾な視線を送ってきた。
当然それには誠英も気付き、酒を継ぐ清乃に囁いてきた。
「清乃、気になるようなら少し外してもいいぞ」
「大丈夫です。給仕ぐらい、ちゃんとさせてください」
「そうか。無理はするなよ」
柔らかな笑みを向けられて、清乃の頬が赤くなる。
そんな珍しい表情を見せてしまったからだろうか。これまで料理や妃嬪たちの出し物ぐらいにしか興味を向けず、他は仲間たちと話すか清乃を嘲るように見る程度だった綺羅蘭が、誠英に気づいてしまったようだった。
驚いたように目を見開き、愉快げな笑みを浮かべた綺羅蘭に清乃の肌はゾワリと粟立つ。
(まさか、キララ……)
綺羅蘭にはこれまでに何度となく、清乃の大切な物を奪われてきた。その時と同じ表情だと気が付き、清乃は不安でいっぱいになる。
誠英には綺羅蘭との関係性をある程度話してあるから、悪口を吹き込まれたとしても誠英が離れていくなんて思わないけれど、綺羅蘭は何をしでかすのか分からない。清乃が傷付くだけならいいけれど、誠英を傷付けるような真似はしないでほしかった。
勘違いであってほしいと清乃は願ったけれど、宴も半ばとなり席の移動が始まると、綺羅蘭は真っ直ぐに誠英の元へ歩いて来た。
「初めまして! 聖女の如月綺羅蘭です。あなたは皇子様ですよね。少しお話しませんか?」
「ああ……私は第八皇子の誠英だ。聖女に声をかけられるとは光栄だよ」
「わあ、良かった! ねえ、そこの人。椅子を持ってきてくれる?」
突然やって来た綺羅蘭は、可愛らしい声に上目遣いも追加して誠英に語りかけていた。初対面ではあり得ないほど近くに寄られて、さすがに誠英も面食らったのか苦笑を浮かべて答えている。
誠英はあまり話したくなさそうだが、他にも皇子たちがいるというのに綺羅蘭は真っ先に誠英に声をかけたのだ。兄弟たちから冷たい視線を浴びせられ、誠英は逃げられないようだった。
清乃としては助けに入りたかったけれど、女官の立場でそれが出来るはずもなく。むしろ、これも意地悪の一つなのだろう。綺羅蘭に椅子を運ぶよう言いつけられてしまって、仕方なしに誠英の卓へと運んだ。
「誠英様って、すっごくカッコイイですね! なんで気付かなかったんだろう。前も来てました?」
「ああ。これでも一応皇子だからな」
並んで座って会話を始めた綺羅蘭は、とにかく誠英にベッタリとくっ付いている。自席に残っている竹井と日野が苦々しげに見ているけれど、綺羅蘭はお構いなしだ。
もしかしたら風間も清乃に文句を言いにくるかもしれないと思ったけれど、幸か不幸か風間も自席から動かない。松本を切なげに見つめたり、清乃を遠目に睨んでくるだけだ。
後ろに控える清乃は、嫌でも密着する誠英と綺羅蘭を見るしか出来なかった。
(誠英様、ごめんなさい。私のせいで)
いつも柔和な笑みを浮かべている誠英だけれど、今はその笑みは固いものになっている。距離を取りたがっているのは明白だろうに、綺羅蘭は気付いていないのか、それともあえて無視しているのか。ずいぶんと前のめりだ。
最初は清乃への嫌がらせでやって来たのだろうが、近くで見て誠英の美貌に魅入られてしまったのだろう。いつの間にか熱っぽい眼差しになっていて、それに比例するように遠くにいる竹井と日野の表情が険しくなっていく。
誠英は何もしていないのに、あんなに睨まれたら居た堪れないだろう。清乃は申し訳なさでいっぱいだ。
とはいえこれも今だけだろう。綺羅蘭たちは一週間ほど休んだらまた次の討伐に向かうのだ。その間、誠英と会う事はないのだし、いくら綺羅蘭でもこれ以上どうしようもないはずだ。
清乃への嫌がらせ目的なら誠英の心配もした方がいいだろうけれど、綺羅蘭も気に入ったのなら少なくとも危害は加えられない。複雑な気持ちにはなるけれど、ある意味では安心になった。
(明日は誠英様の好きなもの、たくさん作ろう)
謝ってもどうする事も出来ないし、誠英だってそんな事は望まないと思う。清乃に出来る事で、せめて想定外の疲労を癒やしてもらえたらと清乃は思った。




