37:恩師の憂い
二回目の討伐報告を兼ねた慰労の宴の日。清乃は前回同様、昼間から松本に呼び出された。ただ今回官吏の迎えはなく、誠英が嘉栄宮まで連れて行ってくれた。
とはいえ、やはり誠英への風当たりは強いらしい。皇子だというのに警備の兵士から向けられる眼差しは厳しいもので、宮内への立ち入りも制限されているようだ。
清乃は複雑な気持ちになったけれど、誠英は慣れている様子で「宴で会おう」と言って清乃を宦官に引き渡し帰ってしまった。こんな待遇が当たり前になってしまっている事がなんとも切ない。
けれどこれは松本も予想していなかったようで、一人で現れた清乃に首を傾げてきた。
「菅原さん、来てくれてありがとう。八の皇子は一緒じゃなかったの?」
「ええと……色々お忙しいようで」
「まあ、そうだったの。やっぱり誰か迎えに行かせれば良かったわね。時間を取らせてしまったわ」
誠英の事情を話せるわけもないので、清乃は苦笑を浮かべて話を濁した。今日も松本の隣には皇帝がいるけれど、その表情は全く変わらない。息子だというのに本当に何の情もないのかと悲しくなってしまう。
しかしだからといって顔には出せない。平静を装って誘われるまま、また以前と同じようにお茶を頂き、久しぶりに松本との会話を楽しんだ。
前の宴の時以来だから、松本と会うのは三ヶ月ぶりだ。その宴の席で、誠英から清乃を女官として招いてもいいかと許可を求められた時は心配だったそうだけれど、清乃の様子から待遇が良いと感じてもらえたようだ。
松本は清乃の新しい女官服を似合っていると褒め、健康的になってきたと安心したように微笑む。それは嬉しいのだけれど、清乃は松本の人の良さに触れる度に、このままで本当に大丈夫なのかと不安になってきた。
(皇帝は先生のこと、本当はどう思ってるんだろう)
時折松本は、皇帝と目を合わせて甘やかな表情を浮かべる。幸せいっぱいの様子は、二人が順調に仲を育んでいるように見えるが、清乃は素直に喜べない。
騙し討ちのように下女にされたこともあるけれど、誠英の話を聞いて皇帝はやはり油断ならない人物なのだと改めて思ったからだ。
形だけの妃という当初の話も、もうとっくに消えているに違いない。いずれ松本は元の世界に戻るというのに、どういうつもりで二人はいるのだろうか。
松本は完全に皇帝に惚れ込んでいるように見えるし、もしかしたら帰らずにここに残ると言い出すかもしれない。
そうなれば清乃に止める術はないけれど、問題は皇帝の方だ。今だけの軽い気持ちで松本を弄んでいたら、松本はどうなってしまうのか。それだけが心配で堪らない。
そんな中で、宦官が皇帝を呼びに来た。何か急ぎの仕事が入ったようで皇帝が席を外すと、松本がとんでもない事を打ち明けてきた。
「菅原さん、あなたにだけは先に伝えておきたいのだけれど……。もしかしたら私、妊娠したかもしれないの」
「えっ⁉︎」
「まだ確実ではないのだけれどね。少しその、月のものが遅れているのよ」
松本は照れながら話すけれど、清乃としては真っ青だ。もし本当に妊娠しているのだとしたら……。
「じゃあ先生は、日本に帰らないんですか?」
「そこを迷っているの。どちらにせよ産むつもりではいるのだけれど、ここだと私は異世界人でしょう? 菅原さんが倒れた時もここのお医者様はちゃんと対応出来なかったし、そもそもこちらの医療水準は日本よりずっと低いわ。安全に産めるのか心配で」
まだ確定していない段階で早めに教えてくれたのは、今後万が一にも何かあったらという不安からのようだった。毒に侵された清乃を助けたように、誠英が松本の事も助けてくれるか気になったらしい。
「菅原さんは祠部のお手伝いもしているでしょう? 八の皇子だってさすがに妊娠や出産についての知識はないんじゃないかと思うの。だからその辺りの資料とか、詳しい人がいないか探してみてもらえたらと思って」
「分かりました、調べてみます。この事は皇帝には?」
「まだ話していないわ。ちゃんと分かってから言うつもりよ。勘違いだったら恥ずかしいから」
「そうですか……」
子どものために、松本は日本に帰ってシングルマザーになる事も考えているようだ。それが正解なのか清乃には分からないけれど、松本の中では何が何でも皇帝が一番というわけではないのかもしれない。
「ちなみになんですけど、赤ちゃんがいなかった時は日本に帰るんですよね?」
「それは……。今はまだ決められないわ。両親も心配してるだろうし帰らなきゃいけないとは思ってるけれど、陛下とずっと一緒にいたいとも思うの。でも妃はたくさんいるんだもの。いつまで私を見て下さるか分からないし、本当は諦めて帰るべきなんでしょうね」
ハッキリした気持ちが知りたくて問いかけてみると、松本は切なげに苦笑を浮かべた。
先ほどまでは楽しい話しかしてくれなかったけれど、後宮での争いは今も厳しいのかもしれない。松本も色々と不安があるのだろう。
「私だけにしてって、言えたらいいのにね……」
ため息混じりに呟く松本は儚げに見える。優しい松本にそんな顔をさせる皇帝の事を、清乃はやはり好きになれないと思った。




