34:不良皇子の過去(誠英視点)
思いがけない清乃の反応に笑ってしまった誠英は、目尻に滲んだ涙を拭うと清乃を庭の見える長椅子へ誘った。
いつだって清乃は誠英の想像を超えていく。誠英は嫌われ者の不良皇子だというのに、清乃が向けてくるのは純粋な優しさや温かさばかり。最初は戸惑ったものの、共に過ごす時間が増えるうちに居心地の良さに慣れてしまって、離れ難く思うようになってきていた。
それでもまさか異形の姿すら受け入れてもらえるなんて、全く考えもしなかった。今の状況は奇跡としか言いようがない。
帰宅前、誠英は燦景と諫莫から、清乃が礼部侍郎と接触してしまい誠英の母の噂を知ってしまったと連絡を受けていた。いつかは知られるだろうと思ってはいたけれど、よりによって二人で暮らし始めたばかりの今なのかと愕然とした。
もしかすると清乃は、もう屋敷から逃げ出しているのではないか。いたとしても、部屋に閉じこもっているのではないか。そんな風に緊張しながらの帰宅となった。
けれど意外にも、清乃はいつも通りに夕食を作ってくれていた。それもきちんと誠英の好みに合う形で。だから母が妖怪という話は信じなかったのかもしれないと、一度は安心したのだ。
だが食卓に着いた清乃はほとんど料理に箸を付けなかった。まさかとは思うが、毒でも盛られているのではないのだろうか。どんな毒にも耐性はあるけれどそこまで恐れられているならあまりにも悲しい、と思いつつ食べてみたがそんな様子はない。
ならばどういう考えに至っているのか、なぜ不安そうなのか。誠英は気になって仕方なかった。
だから母親について聞かれた際、誠英は身を固くしてしまった。否定してほしいという願いが感じられる目で問いかけられたから、やはり清乃も誠英を受け入れてはくれないのだと思ったのだ。
しかし蓋を開けてみれば、怖くないどころか尻尾を触りたいという。拍子抜けするあまり笑ってしまっても仕方ないだろう。
「そんなに触りたいなら好きにするがいい」
「いいんですか⁉︎ やった!」
長椅子に腰を下ろした所で尻尾を差し出してやれば、先ほどまでの不安げな表情はどこへやら。隣に座った清乃は、満面の笑みで触れてくる。
尻尾など良いものだと感じた事は一度だってないが、何度も撫でて触り心地を確かめたり顔を埋めたりする清乃はずいぶんと幸せそうだ。
どこまでも変わった娘だと呆れつつも自由にさせてやりながら、誠英は酒を傾けて庭を眺めた。
いつもと変わらぬ大小二つの月が照らす景色は、少し前まで荒れ果てていたのが嘘のように整っている。
女官にならないかと清乃を誘ったのは、こんな風に屋敷を整えさせるためではなかった。元々あのまま後宮にいても危険なままだと思い匿ってやろうと思ってはいたが、まだ準備だって整っていなかった。
それでも急遽呼び寄せたのは、下女に貶められた清乃があまりに不憫だったのと、あの異界人共が何らかの危害を加えてきそうだと思ったからだ。
誠英の元へ来たのなら、腹一杯になるまで食べさせてやろうと思っていたし、陽妃と同じように綺麗な衣を着せて好きな事を好きなだけさせてやりたいと誠英は思っていた。
清乃は知らないだろうが、聖女と名乗って魔鬼討伐に出かけている異界人共もかなり豪遊している。神山に行って帰ってくるだけなら、本来そう日数はかからない。
聖女たちの希望で予定にない森や山に寄り道をして、兵でも倒せる程度の弱い魔鬼や無害な獣たちを惨殺するレベル上げとやらを行い、イベントはないのかと意味の分からぬ事を言いながら立寄る街々で観光をし、異世界の土産が欲しいと買い物三昧をしているという。
ならば清乃だって楽しんでいいはずだ。皇帝は陽妃しか保護する気がないのだから、清乃の事は誠英が見てやろうと思ったのだ。
ところが清乃は誠英が思っていた以上に真面目だった。女官になったのだからと真剣に掃除を始めてしまうし、今では料理もしてくれる。これらは誠英が思ってもみなかったことで、当初はやめさせようかとも思った。
ただ清乃自身はそれを楽しんでいるようだし、正直助かるのも事実だ。礼を伝えれば嬉しそうに笑うから、黙って見守る事にした。
それがこんな結果を招くとは。屋敷を掃除するのは黙認していたが、まさか座敷牢にも入り込んでいたとは気付かなかったと誠英は苦笑を浮かべる。
座敷牢には誠英が不可視の結界を張っていたため、人間には気付かれないはずなのだが。清乃には誠英の血を馴染ませていたから効かなかったのだろう。侵入者がいれば感知出来るようにもしてあったが、それも誠英の血だからと反応しなかったらしい。完全にうっかりしていた誠英の失態だ。
とはいえそこに誠英が入っていたのではと心配してくれたというのだから、何が功を奏すか分からないものだと誠英は思う。
「はぁ、気持ち良い……。誠英様、ありがとうございました」
酒を飲みながら思い返していたら、うっとりとして尻尾を撫で回していた清乃がようやく顔を上げた。
清乃に尻尾を撫でられるのは存外心地良かったから、手放された事に僅かに寂しさを感じたものの、そんな思いは微塵も出さずに誠英は微笑んだ。
「もう良いのか?」
「はい! ずっと夢だったんです。犬とか猫とか好きだったんですけど、なかなか触れ合う機会がなくて……」
「私は犬猫と同じか」
「あっ、ごめんなさい。失礼なことを」
「良い。化け物と嫌われるより好ましいと言われた方が私も嬉しい」
「はい、癒されました! ありがとうございました! それで……」
尻尾を撫で回すのに夢中で忘れてしまったかと思ったが、清乃はどうしても知りたいようだ。窺うように見上げてくる。
清乃は賢く察しもいい。誠英が妖怪との間の子だと知ってもこうして受け入れてくれているのだから、ここは下手に誤魔化さずある程度教えてやった方がいいだろう。
「安心しろ。あそこに入れられていたのは私ではない。母だ」
「えっ……」
九尾狐は大妖怪だ。そう簡単に人間の妻になどならない。ではなぜそうなったのかといえば、力を封じられていたからだった。
「今から三十年ほど前、まだ先帝の時代の事だ。私の母は罠にかけられてここに捕らわれた。清乃も見ただろうが爪痕が残っていた通り、母はかなり抵抗していたようだ。それでも結局は力を封じられて、今の皇帝に見初められて妃となった。人型でしかいられなくなった母は、かなりの美貌だったからな」
当時の礼部尚書(※礼部の長官のこと)だった先帝の弟は、妖怪を手駒に出来ないかと研究を重ねていた。
というのも、神通力に長けていたという初代皇帝が瑞雲国を作った際、大妖怪と契約を結んで龍脈の流れを整えたと言われているからだ。妖怪を思うままに動かし、その力を持って自らが皇帝になろうと先帝の弟は画策していた。
そこで不運にも捕まってしまったのが九尾狐族の族長の妹だった誠英の母だ。神通力によって捕らえられ、数々の実験を施されるうちに妖気を封じられてしまった。
ただその頃流行病があり、先帝もその弟も亡くなったために野望が果たされる事はなかった。
そうして今の皇帝が即位した際、座敷牢に捕われたままの誠英の母が発見された。妖気を封じられた誠英の母は、当時人型を成していた。その美貌に一瞬で虜になった皇帝は、周囲の止める声も聞かずに妃に迎えたのだ。
とはいえ、これら全てを清乃には語らない。最低限の情報で十分なはずだ。
「じゃあ今も誠英様のお母様は後宮に?」
「いや。母は二十年前、私が二歳の頃に亡くなっている」
清乃が暮らしていた北陽宮は、代々曰く付きの寵妃が与えられる宮だ。誠英の母もそこへ入れられ、皇帝の寵を受けさせられた。
そうして生まれたのが誠英だ。望まぬ子だったのだから憎まれてもおかしくなかったが、幸いにも母は誠英を愛してくれた。人間にも妖怪にもなれない中途半端なこれからの人生を哀れまれただけなのかもしれないが、半妖ゆえに生まれた時からの記憶がある誠英にとっては大切な思い出だった。
けれど、やはり母には辛かったのだろう。出産後どんどん弱っていき、最後は食事に混ぜられていた毒に倒れてそのまま息を引き取った。妖怪の母を嫌悪していた宦官に盛られた毒だったが、母の死顔はどこか安堵しているようにも見えた。残された誠英としては、かえって苦痛から解放されて良かったと思っている。
ちなみにその宦官は処罰されたが、同じ思いの者は他にもたくさんいる。母亡き後、息子の誠英も度々毒を盛られた。そんな詳細も、もちろん清乃には隠しておくが。
「二歳の時? では、その後誠英様は……」
「その時からここに住んでいるよ。元々神通力が強いというのもあったが、それ以上に幼いとはいえ妖怪の血を引く私の力を恐れたみたいでな。座敷牢には入れられなかったが、ここならば封じられると思ったようだ。だが最初は女官や宦官、見張りの兵もいたが、七歳になっても妖気は現れなかった。神通力の制御の仕方も身につけ、危険がないとされてからはこうして放置されている」
「酷い……誠英様も皇子なのに」
清乃は同情してくれているが、誠英としては監視や実験がなくなって楽になったものだ。そもそも誠英が生きるのを許されたのは、今後国のために利用出来るかもしれないと思われたからだった。閉じ込められはしなかったが、半妖だからと礼部の官吏に散々調べられたのはあまり思い出したくない記憶だ。
自由になってからは屋敷に残されていた様々な資料を好きに読めたし、その過程で結界石の事も知れたからかえって良かったのだ。
あの結界石は、清乃に言った通り龍脈の気を封じるものだったけれど、龍脈の気は人や土地に限らず妖怪や魔鬼の力にもなる。だから誠英は、十五歳の時にそれを壊して妖気を発現させた。
おかげで諫莫と出会う事が出来たが、これらも清乃に語るつもりはない。
「誠英様は辛くないですか。お母様が閉じ込められていた場所で暮らして」
「はは。住み始めて二十年だぞ。もうすっかり慣れたから問題ない。それにここには温泉があるだろう? あれを手放す方がよほど辛い」
「誠英様……」
あの場所に術を施してまで保存していたのは、母の苦しみを忘れないためだ。計画が終わるまで、そのままにしておくつもりだった。
だがそんな事を清乃に言えるはずもない。
だから笑って否定したというのに、清乃は泣きそうに顔を歪めた。誠英は胸の痛みなどとうに感じなくなっているのに、代わりに泣いてくれるのか。
呆れつつも、誠英は胸に温かなものが広がるのを感じた。
「お前が泣いてどうする」
「すみません、でも慣れるなんて……」
「私なら大丈夫だ。清乃が綺麗にしてくれたおかげで、見違えたからな。今ここにあるのはお前との楽しい日々ばかりだ」
誠英は苦笑しつつも清乃の分厚い眼鏡を外してやり、その涙をそっと拭ってやった。それでもポロポロと泣き続けるから、清乃を胸に抱きしめてやる。
少しは肉が付いたように思うが、まだまだ細い。もっと自分を大切にしたらいいのに、誠英のために涙を流すとはつくづくお人好しだ。だがそれも悪くない。むしろ好ましい。
そんな事を思っていると、清乃がおずおずと誠英の背に手を回した。
「辛い時は言ってくださいね。私に出来る事なら何でもしますから」
「清乃……」
初めて清乃を見た時は、地味な娘だと思った。召喚に巻き込んでしまった事を申し訳なく思ったが、それだけといえばそれだけだった。
けれどその優しい人柄に触れるうちにどんどん興味を惹かれていった。眼鏡さえ外してしまえば、地味などとんでもない。充分可愛らしい顔で、より一層気になるようになった。その上、異形を見ても離れていかず、まだ寄り添おうとしてくれる。
何でもするなどと言われたら、手放したくなくなってしまいそうだ。
好ましいと思う気持ちがより熱いものに変わっていくのを感じて、誠英は清乃を抱きしめる手に力を込めた。




