30:下女仲間の意外な真実
仕事を教わった日から、清乃は毎日のように崙雀閣へ通うようになった。朝のうちに魄祓殿の仕事を終えて清乃が出かけようとすると、誠英も必ず着いてくる。
かといって誠英は真面目に仕事をするようになったわけではなく、ほとんどは清乃を送り届けるだけで、他はごく稀に諫莫と話をする程度だ。
それでも毎日一度は職場へ顔を出すのだから、ずっと健全になったと清乃は思う。
相変わらず毎日のように昼間から酒を飲んでいるのは気になるけれど、これについても清乃はあまり口を挟まないようになっていた。というのも、どうやら誠英が飲んでいるのはただの酒ではなく薬酒らしいと分かったからだ。
誠英自身はこれまでそんな事を一言も言わなかったから、知られたくない事なのだろう。初めて崙雀閣を訪れたあの日、諫莫が漏らさなければ清乃が知る事もなかったはずだ。
言いたくなさそうな本人に尋ねるわけにもいかないし、本当は諫莫に詳しく聞いてみたいと思う。けれどあの日以降、忙しい諫莫とは会う事すらままならなくて、薬酒について思い出した時にはすっかり尋ねる機会を失っていた。
もし誠英に何らかの病があるのならと思うと心配になるけれど、医者でも何でもない清乃にはどちらにしろ出来る事はない。ならば浴びるように飲んでいる薬酒とやらについては、触れないでおこうと決めたのだった。
祠部で清乃が任された仕事は、書庫の掃除と整理整頓だ。それなりに使われている二階はあまり手を入れる必要はないけれど、三階以上は滅多に人の出入りがないそうで埃が薄らと積もっている。その掃除と本や巻物の仕分け、状態によっては修繕も頼まれている。
どの階層も空気取りの小窓はあるけれど外光は入らない造りだ。普段使われていないため上階の吊り行燈には火が入っておらず、室内は非常に暗い。埃に引火しても困るから、必然、清乃は明かりを持ち込んで作業する事になる。
掃除も書棚の整理も散々魄祓殿でやったから慣れていたけれど、手元の灯りを頼りに少しずつ掃除していくのはさすがに骨が折れた。それでも様々な種類の本に触れられる環境は心が弾む。
一通り掃除を終えれば、分類ごとに分けて整理しつつ虫干しして痛んでいる本を探す事になる。膨大な量の本に目を通す事になるその時を楽しみにしながら、清乃はせっせと掃除に励んだ。
そんな清乃の事を、祠部の人々はおおむね好意的に迎えてくれている。不在ばかりだった誠英がほんの僅かであっても毎日顔を出すように変わった事から、出入りを認めてくれているらしい。
ただ誠英に対して全員が好感を持っているわけではないようで、時折不良皇子と揶揄する声も聞こえてくる。もしかすると彼らのような人々がいるから、誠英も仕事にやる気が持てないのかもしれない。
そんな中で諫莫が誠英の理解者である事は救いだと清乃は思った。清乃の事だって、異界からやって来た期待外れのオマケだと知りつつも丁寧に接してくれているから、良い人なのだろう。
優しさに報いるためにも、頼まれた仕事はきちんと終えたいと思う。
そうして全力で取り組んだ結果、どうにか掃除は一週間ほどで終える事が出来た。次は手始めに三階から書棚の整理を始める事にする。
本の数は膨大だし、重い本を抱えて急な階段を何度も上り下りするなんて到底一人では無理だから、虫干しは室内で行うつもりだ。
ずっと使われていなかった吊り行燈に火を入れて、出来る限り小窓を大きく開くと、虫干し出来る空間を少しでも作るべく清乃は手を動かし始める。
とにかく本の数が多いから本当に少しずつしか進まないけれど、それでも始めて数日もすれば部屋の隅の棚から徐々に片付き始めた。
そんなある日の事だ。昼を少し回った頃だろうか。これまで一度も開かなかった三階の扉がギィと開いた。
「うわ、何だこれ。めちゃくちゃ変わってる」
滅多にいない利用者が珍しく来てしまったらしい。どこかで聞いたような声だなと思いつつも、清乃は慌てて顔を出した。
「すみません、今ここの本を整理していて……呂燦景?」
「げっ、菅原清乃⁉︎ なんであんたがここに!」
「時間が空いたから、ここの手伝いも始めたの。それより、その恰好はどうしたの?」
書棚から顔を覗かせると、パチリと燦景と目が合った。けれどなぜか燦景は見慣れた下女姿ではなく、どうしてか下級官吏の服を着ている。
相変わらず線は細いし可愛らしい顔をしているけれど、靴も上げ底にしてあるのか身長まで清乃と同じぐらいになっており、まるで同年代の男の子のようだ。
驚いて問いかけた清乃に、燦景は気まずげにため息を漏らした。
「ここじゃちょっとマズイから……少し下まで付き合ってくれる? 説明するから」
「いいけど……」
戸惑いつつも燦景と共に清乃は一階へ降り、崙雀閣の庭へ出た。楼閣の陰になっている人気のない場所へ連れて行かれて、よほど他人には聞かせられない話なのだと気がつく。
考えてみれば、下女だった燦景が下級とはいえ官吏の服を着るなんてあまりにおかしい。到底まともな理由があるとは思えないのに、なぜ尋ねてしまったのだろう。言われるがままについて来てしまったのは早計だったかもしれないと、今更ながらに焦りを感じる。
だがここまで来て逃げるわけにもいかないだろう。燦景が立ち止まると、清乃はどんな危ない話を聞かせられるのかと身構えた。
「怖がらなくていいよ。別にあんたに害のある話じゃないんだ。どうせいつかは話すことになっただろうしね。まあ、こんなに早いとは思わなかったけど」
緊張で固くなっている清乃と違い、燦景は苦笑して肩をすくめるだけだった。
それでも清乃は毒で倒れた事もあるし、警戒を解くわけにはいかない。じっと見つめている清乃に、燦景は軽い調子で話した。
「見れば分かると思うけどさ。本当は男なんだよね、僕」
「……えぇ?」
確かに男のように見えるとは思ったけれど、そんな話になるとは思わずに清乃は混乱した。
「嘘だよね?」
「本当だよ。何なら脱いでもいいよ?」
「それはやめて、絶対に!」
「そんなに怒らないでよ、冗談だから。あ、男だっていうのは本当だけどね」
何てことを言い出すのかと清乃は唖然としてしまう。今まで口数が少なく無愛想だったのは何だったのだろうか。燦景はこんな冗談をいう子じゃなかったはずなのに。
とはいえ、どんなに信じられなくとも本人がそう言うのならそうなのだろう。そもそも下女の宿舎では燦景と部屋が隣だったけれど、風呂で一緒になった事は一度もないのだ。女であるという証拠を見たわけでもないのだから。
「じゃあ何で下女になってたの?」
「それは祠部郎中に頼まれたから」
「誠英様に?」
「あんた、毒で倒れたんでしょ? それなのに後宮を出されて下女なんかになるから、死なないように守れって言われてたんだよ」
燦景は元々、祠部の下級官吏だったそうだ。魄祓殿に一人で暮らす誠英の世話係もしていたそうで、上司と部下とはいえ誠英とはそれなりに気楽に話せる関係らしい。そこで下女にされた清乃を守るよう命じられ、女装してまで下女の宿舎に潜り込んでいたという。
「大変だったんだよ。来て早々、あんたは食べれなくて死にそうになってるしさ。怪しまれないように食事を渡すのに、どれだけ気を使ったか」
「それは……ごめん。あの時はありがとう。本当に助かったよ」
「いいよ、それはもう。あんたのおかげで、最近の郎中は楽しそうだしさ」
燦景は心から安心したように微笑んだ。誠英の事を大切に思っているのだと分かり、清乃は自然と警戒を解く。
知らないうちに助けてくれていた事はもちろん有難いし、恩人を疑う理由はないというのもあるけれど。何よりも誠英に優しい人に悪い人はいないというのが、ここ最近清乃が感じている事だった。
「ずっと隠してたのに、教えてくれてありがとう。何か資料を探しに来てたんだよね? ごめんね、邪魔しちゃって」
「まあね。だいぶ変わっちゃってたから、今日中に見つけられるかどうか」
「見つけやすいように整理していたから大丈夫だよ。何が必要なの?」
「今は僕、礼部にいるんだけどさ。頼まれてるのが……」
出てきた時とは打って変わって、朗らかに言葉を交わしながら三階へ戻る。
これまでも燦景とはそれなりに親しくしていたと思っていたけれど、秘密を教えてもらった事でより仲良くなれた気がした。




