29:崙雀閣にて
青藍城にはいくつも楼閣があるけれど、その中でも祠部のある崙雀閣は最も大きなものだ。木造の塔の上へ行くほど小さくなりつつ重なる屋根は十枚にも及び、高さはちょっとしたビルほどもある。
内部は八階層に分かれているらしいが、エレベーターのない世界だから最上階まで行くのは大変そうだ。
なぜこんなに高く建てられたかというと、星を見るためだという。祠部は祭礼を担う部署だから、その日取りを決めたりするのに星の観測をするらしい。
城の端に建っているのも、周辺には建築物が少なく庭が広く取られているのも、夜に余計な明るさを持ち込まないためだそうだ。
他にも、崙雀閣には多くの書物が保管されているから、火災に巻き込まれないようにするという理由もあるようだ。
膳房もかなり離れた場所に建てられているし、庭には池まで作られている。水害も考えて、蔵書類は二階以上に納められているという徹底ぶりだそうだ。
崙雀閣へと歩きながらそんな説明を聞かされてしまうと、そこまで大事にする書物のある場所へ清乃が入っていいのかと心配になってしまう。
けれど誠英によれば問題ないという事で、恐る恐る清乃は崙雀閣へ足を踏み入れた。
重く分厚い外扉を潜った先は、事務所となっている一階だ。柱は何本も立っているけれどほとんど壁のない広間のような造りだった。
ただ、官吏たちの机がいくつも並んでいるし、その上には乱雑に大量の紙束が乗せられているから視界が開けているわけではない。空気取りの小窓が天井付近にあるだけで窓もなく、壁際に並ぶ書棚には巻物や本が詰め込まれて今にも溢れかえりそうだ。
そんな雑多な印象の室内は外光が入らないようになっているけれど、吊り行燈がしっかりと明るく照らしていた。
「えっ、郎中⁉︎」
「大変だ、雪でも降るんじゃないのか⁉︎」
誠英が足を進めると、そこかしこで戸惑いの声が上がる。官吏たちに驚かれてしまうほど、誠英は顔を出していないらしい。
思わず清乃は誠英に呆れた目を向けてしまったけれど、誠英は全く気にした様子もなく官吏の一人に声をかけた。
「員外郎はいるか?」
「は、はい! 今は二階にいらっしゃるかと! すぐお呼びします!」
「不要だ。行った方が早い」
員外郎というのは郎中の補佐官の事だ。つまり現状、仕事をしない誠英の代わりに祠部を動かしている責任者という事になる。
ガチガチに緊張した様子の官吏を置いて、誠英はさっさと歩き出してしまう。清乃は会釈だけして、慌てて誠英の後を追いかけた。
「員外郎」
「おや、郎中が来られるとは珍しい。薬酒が足りなくなりましたかな?」
「いや、違う。清乃が私の女官になったのは知っているだろう? 彼女がここでも仕事をしたいというので連れてきた」
傾斜の厳しい木の階段を上って向かった二階は、ぎっしりと書棚が並べられていた。ここも書物を守るためか窓はなく吊り行燈で照らされているけれど、書棚の間は人がギリギリすれ違える程度しか空いていないからか全体的に薄暗い印象だ。
人を探すのは大変そうな場所だったけれど、幸いにも員外郎は扉のそばにおり、すぐに見つけられたから助かった。
員外郎は官吏になるより兵士にでもなった方が良かったのではと思うような、大柄な壮年の男性だ。とはいえ顔立ちは柔和そのもので、優しくて力持ちといった雰囲気がある。
ただでさえ窮屈な書庫で立っている姿はより狭そうに見えるが、本人の表情は穏やかそのものだった。
「清乃、員外郎の睿諫莫だ。ここの仕事は此奴に聞くといい」
「菅原清乃です。お手伝い出来ることがあればさせてもらえればと思って来ました」
「ほう、そうでしたか」
二人の会話に少し気になった所はあったけれど、紹介されてしまってそれ所ではなくなってしまった。
女官として挨拶した清乃に、諫莫は朗らかな笑みを浮かべた。
「いつも郎中のお世話をありがとうございます。本来なら異界人とはいえ、巻き込まれて呼ばれただけのあなたを働かせるなどあってはならないことでしょうが、彼はこの通りですからな。あなたがそばにいてくれて安心しているのですよ」
「えっ……あの……」
清乃は異界人としてお披露目されていないのに、なぜ諫莫は知っているのだろうか。誠英が話したのかとも思ったけれど、戸惑う清乃に諫莫はそうではないと話した。
「召喚の儀には私もいたのですよ。あれは祠部が主体となって行いましたからね」
「員外郎」
「おや、まだ話されておられませんでしたか。申し訳ない」
祭礼を担うのが祠部だから、召喚の儀式も担当していたという事だろうか。もう少し詳しく聞きたかったけれど、誠英が止めてしまうから清乃は首を傾げるしかなかった。
「魄祓殿を綺麗にして頂いたとか。そちらだけでも大変なのではないですか。本当にこちらの仕事をお願いしても?」
「えっと、はい。ご迷惑でなければぜひ」
「それなら、書庫の整理をお願い出来ますか。ここはまだ良いのですが、上に行くほど放置してしまっていて中々整理が出来ていないのですよ」
「もちろんです」
色々と気になる事はあるが、今は手伝いに来たのだ。話を聞くのはいつでも出来るのだから、考え事は頭の片隅に追いやる事にする。
「では郎中。私は彼女に仕事を教えねばなりませんので、代わりに決裁をお願いしても?」
「仕方あるまいな。説明が終わるまでは進めておこう」
とりあえず誠英を仕事場へ連れてこれただけでホッとしていたのに、少しの時間でも仕事をさせる事が出来そうだ。清乃は内心で喜んだ。
「清乃、私は員外郎が戻り次第出かけてくる。夕刻までには魄祓殿へ帰るのだぞ。約束は忘れていないな?」
「きつねうどんですね。もちろん覚えています。楽しみにしていてください」
しっかり笑顔で請け負うと、誠英はフッと笑みを浮かべて一階へ降りていった。
機嫌良さげに仕事へ向かう誠英の姿が珍しかったのか、諫莫が不思議そうに問いかけてきた。
「失礼ですが、きつねうどんとは何なのですか?」
「私が誠英様にお出ししている料理ですよ。日本の料理なんですけど、ずいぶん気に入ってくださって……」
説明を聞くべく三階への階段を上りつつ答えると、諫莫は自分もぜひ食べてみたいと言い出した。
そうして結局その夜、諫莫も魄祓殿へ来ることになり、三人できつねうどんを食べる事になった。
さすがに誠英ほど感動されはしなかったけれど、一応は諫莫の口にも合ったらしい。熱心にレシピを聞かれたから、清乃は丁寧に教えた。
もしかしたら、そのうちこちらの世界でもうどんが一般的になるかもしれない。何の力も持たない期待外れのオマケでしかなかった清乃だけれど、食文化の発展に貢献出来るのなら嬉しいと思う。
召喚に巻き込まれてしまった事を当初は嘆いていたけれど、誠英と出会ってからはこちらの世界に来て良かったと思えるようになっている。ここには確かに清乃の居場所があると感じられるのだ。
けれどそれは同時に、元の世界での辛さを浮き彫りにしていて。嬉しいような寂しいような、複雑な気持ちになる清乃だった。




