28:美味しいは正義
買い物を終えた清乃は、帰りに再び仕立て屋に立ち寄り女官服に着替えてから城へ戻った。
購入した襦裙は持ち帰ったけれど、仕立て屋の主人にはまた都へ遊びに来る時は更衣室代わりに気軽に立ち寄ってほしいと言われた。つくづく気のいい店主だと思う。
有難い申し出だし、その時はお願いしますと礼を言って帰ってきたけれど、おそらくもう二度と来る事はないはずだ。
何せ清乃は、綺羅蘭たちが魔鬼討伐を終えれば日本へ帰る身だ。誠英がいなければ城から出る事も許されていないようだし、今日一日で必要な事は全てやり終えた。
デートのように誠英と楽しく都を歩けただけで幸運で、良い思い出になったと思う。今後は特に用もないのに城を出る機会なんてないだろう。
……そんな風に、清乃は思っていたのだが。なぜかそれから度々、誠英に都歩きへ誘われるようになった。
「清乃、暇ならまた遊びに行かないか?」
「何言ってるんですか誠英様。この前行ったばかりじゃないですか」
「だが清乃は、出かけないと眼鏡を外さないだろう? 殿内なら私しかいないし大丈夫だと言ってるのに」
「これがないと落ち着かないからしょうがないんです!」
清乃が眼鏡を外すのは都へ出かけた時だけだ。だがそれも初回に素顔で会った都の店の人たちに、すぐ清乃だと気付いてもらうために致し方なく外しているだけで、好んでやってるわけではない。
なぜか視力が回復しているのには驚いたけれど、分厚い瓶底眼鏡は清乃にとって心の盾のようなものなのだ。不要と分かった今でも、常に身につけていないとどうにも落ち着かない。
けれどどうやら誠英は、清乃の素顔をずいぶん気に入ってしまったようだ。可愛い顔だと言われたのは誠英の本心だったのだ。
この世界では高価だという鏡にお目にかかる機会は残念ながらないので、清乃は自身の素顔がどうなっているのか確認のしようがない。それでも誠英だけでなく町の人々にも可愛いと言われるし、思い返せば亡くなった両親も顔は整っている方だった。成長した清乃の素顔も両親のようになっているなら、気に入られても仕方ないのかもしれない。
ただ、清乃の素顔を見たいがために都歩きに度々誘われるのには困ってしまった。初めて都へ行った日からまだ三週間しか経っていないのに、すでに三回も遊びに行っている。
誠英と一緒なら城から出る許可をされているとはいえ、さすがに頻回過ぎだと思う。これでは毎週末にデートをしているようなものだ。おかげで清乃は、もう二度と来る事はないと思っていた都の道もかなり覚えてしまった。
こうなったのは、荒れ放題だった魄祓殿の掃除が終わって清乃に時間が出来たからだった。
この世界には当たり前だけれどガスコンロも水道もないので、料理をするのも一苦労だ。けれど水汲みのコツは下女として働いていた時にすっかり身につけたし、厨房が綺麗になった時から食事を温め直しているから竈に火を入れるのにも慣れてしまった。
そうなれば、ほとんど料理の手際は変わらない。手間がかかるのは、少々火加減に気を使う必要があるのと、冷蔵庫がないから日持ちしない食材をうまく使い切れるよう献立を考えたり、注文したりする必要があるという事ぐらいだろう。
なので買い物に行った日の夜から早速清乃は手料理を振る舞っているが、魄祓殿での仕事だけでは時間が余っているのだ。
空いた時間には書斎にあった本を読むようにしているけれど、元々勉強が得意な清乃は速読も出来る。早々に全て読み終えて、今は二周目に入ったところだ。そのため誠英に暇だろうと言われ、度々連れ出される羽目になっていた。
けれどいつまでもこれではいけないと清乃は思うのだ。だって清乃が誠英の女官になってからそろそろ一ヶ月半が経とうとしているけれど、この間誠英が仕事に行ったと思われる日が一日もない。
あの綺羅蘭たちだって、今頃は二ヶ所目の神山で魔鬼討伐に励んでいるはずだ。誠英にももう少しまともになってもらいたかった。
「誠英様、お暇なら祠部へ行きませんか」
「必要ない。私がいなくてもあそこは回る」
「でも誠英様、言ってましたよね。私なら祠部の雑用も出来るって。私はどうせならそちらのお手伝いに時間を使いたいです」
日本にいた頃、クラス委員長だった清乃は担任に頼まれて、クラスメイトに課題の提出を促したり授業をサボらないよう説得したりしていた。
その時もなかなか話を聞いてもらえなくて苦労したけれど、誠英はそれのさらに上を行く頑固さで、いつだって清乃の小言を受け流してしまう。
だから誠英に仕事をしろと言っても無理なのは重々承知しているので、ここは女官に誘われた時に言われた話を振ってみた。
「まったく、お前は本当に真面目だな。だがそれでは、私に楽しみがないではないか」
「それじゃあこうしましょう。祠部で雑用をさせてもらえるなら、今夜はきつねうどんにします。どうですか?」
清乃の手料理は誠英の口に合うようで、和食も中華もいつも何でも美味しいと食べてくれている。
そんな中で誠英が一番気に入ってくれたのは、意外にもきつねうどんだった。
油揚げとうどんはもちろん清乃のお手製だ。食材が違うから出汁の取り方には最初苦労したけれど、今では黄金比を見つけたので簡単に作れる。
初めてきつねうどんを食べた時の誠英の感激ぶりは、それはもう凄かった。「これは何という料理なんだ」と聞かれたから「きつねうどんですよ」と答えたら微妙な顔をされたけれど、狐の神様の好物が油揚げだからその名前になったと話すとなぜか機嫌が治ったのを思い出す。
きつねうどんを対価にすれば、きっと頷いてくれる。そんな目論みで清乃は話したけれど、誠英はさらに上手だった。
「それだけでは足りないな。明日の朝は稲荷寿司も作ってくれるか」
「……本当に油揚げがお好きですね?」
「ああ。良い物に出会えた。これも清乃のおかげだな」
清乃はため息混じりに睨んだけれど、誠英はキラキラした笑顔を浮かべる。まさか追加で要求が来るとは思わなかったけれど、こればかりは仕方ないのかもしれない。
何せきつねうどんが口に合ったならと、その後稲荷寿司も作ってみたら案の定気に入られたのだ。
今のところ誠英の一番の好物はきつねうどん、二番目が稲荷寿司となっている。清乃は近いうちに餅巾着も作って食べさせてみたいなと考えている所だったりする。
「分かりました。今夜はきつねうどん、明日朝は稲荷寿司にします」
「よし、それなら早速行くか!」
清乃が頷いた途端、誠英は満面の笑みを浮かべて歩き出した。
いつも清乃を食いしん坊扱いしてくるけれど、誠英だって食い意地が張っていると清乃は思う。美味しい物は正義だと思うから、気持ちは分かるけれども。
それに正直な所、全く悪い気はしないのだ。むしろ膳房の食事を食べていた頃は無表情でただ胃に納めている感じだった誠英が、食事の度に幸せそうな笑みを浮かべてくれるから嬉しくて仕方ない。
清乃が食事を作るようになってからは誠英と食卓を共にさせてもらっているけれど、その都度「おいしい」と感想を伝えてくれるのも嬉しかった。綺羅蘭や叔母は、どんなに好みの料理を出しても褒めてくれた事なんてなかったから余計にだ。
清乃の料理で釣られてくれるなら、いくらでも作ろう。それを励みに、誠英もちゃんと仕事をするようになってくれたらいいけれど、まずは職場に行く事からだ。
誠英の後について祠部のある崙雀閣へ向かいながら、油揚げを使った料理は他にどんなものがあったかと清乃は記憶を探った。




