26:初めての外出
予想外の事もあったけれど、魄祓殿の清掃はどうにか無事に終える事が出来た。
素人の清乃が一人で整えただけだから本当に最低限といった感じだが、屋敷も庭も清潔感だけは取り戻せたと自信を持って言える。三週間前まではお化け屋敷のようだったなんて信じられない出来栄えに、清乃は大満足だった。
次の目標は料理も清乃がするという事だ。厨房の掃除が終わった日からは、お茶を淹れたり運んできた料理を温め直して提供したりしてきたけれど、心を込めて作った出来立ての美味しい食事を誠英に食べてもらいたい。
食材も調味料も現代日本にあった物とは違う部分もあるけれど、下女として食材運びを散々してきたから何がどういう物なのかは分かる。こちらの料理は作れなくても中華料理を作れば誠英の口に合うはずだ。
そして密かにもう一つ、清乃自身が久しぶりに和食を食べたいという気持ちもある。
北陽宮では結局料理をさせてもらえなかったから、いい加減味噌汁や煮物の味が恋しかった。料理をさせてもらえるなら、誠英の食事を作るついでに自分の食べたい物も作らせてほしい。
そんな気持ちで清乃は誠英に許可を求めた。
「お前は料理も出来るのか」
「こちらのものとは違いますけど、似たような料理は私の世界にもあったのでそれなら作れると思うんです。私に作らせてもらえませんか?」
「和食といったか? お前の国の料理も食べさせてくれるなら許可しよう」
清乃が話す異世界の暮らしに誠英は以前から興味を持ってくれていた。どうやら食事も試してみたいらしい。
和食を気に入ってくれたら清乃も嬉しい。一も二もなく頷いた。
「そんなことでよければいくらでもやります!」
「ならば明日は食材を調達しに行くか」
当然のように話す誠英に、清乃は面食らう。
以前女官服を用立ててもらった時とは違うのだから、誠英が動く必要はない。各食材の倉庫もそこからもらう手続きも清乃はちゃんと知っているのだ。
それに誠英が動いたら、また忙しい燦景が文句を言いつつ食材を運んで来そうだ。女官服と違って一度運べば終わりというわけではないし、それだけは避けたい。
「それぐらい私一人で出来ますよ」
「いや、無理だ。お前一人で城を出るのは許されていない」
「城を出る……? 全て城内で集められますよ?」
「普通はそうだろうな。だが魄祓殿は別だ。私のためになど、どこも出さぬだろう」
首を傾げた清乃に誠英は苦笑した。不良皇子のために食材は出せないと断られるというのだ。
「まさかそれって、誠英様がお酒ばかり取りに行ったからとかそういう話じゃないですよね?」
「さあ? どうだろうな?」
誠英の日頃の行いが理由かどうかは分からないけれど、料理人にあれほど嫌われているのだ。食材自体を出す事を渋られてもおかしくないかもしれない。
「お前が食事を作るなら、材料は全て都で揃える。これも守れないなら許可は出来ないぞ。どうする?」
「……分かりました。でもそれって、毎回買い出しに付き添って下さるという事ですか?」
「初回だけで大丈夫だ。二回目からは届けさせればいい」
何が必要なのか、どんな店があるのかを清乃は知らないから、最初だけは直接見に行った方がいいと言う。確かにその通りだと思うから、手間をかけさせてしまうけれどお願いする事にした。
そうして翌日、清乃は初めて都を目にする事になった。
「すごい人ですね……」
「ここは国の中枢だからな。各地から人も品も集まっているんだ」
これだけ活気に満ちていると、龍脈が乱れている影響で国が疲弊しているなんて話は本当なのかと疑いたくなってしまう。
けれどこれは都だけで、地方となれば物資が滞り民は貧困に喘いでいるという。どこの国でも一極集中はある事だとは思うけれど、そんな状況ならもう少しどうにか出来ないのかなとも清乃は思った。
「とりあえず店に入るぞ」
迷子にならないようにと手を引かれて連れて行かれたのは、なぜか仕立て屋だった。女官服だと目立つからと、都で流行りだという襦裙に着替えさせられる。
花模様の入った松本が着ていたようなふんわりとした風合いの衣に、清乃は腰が引けた。
「私が着ても似合わないんじゃ……」
「そんなことはない。だが、これは不要だな」
「あっ、何するんですか! それがないと私……!」
誠英の手が清乃の眼鏡をヒョイと外してしまう。何も見えなくなってしまうと慌てて取り返そうとした所で、違和感に気がついた。
「え……なんで? 見えてる……?」
「どうした? 何か問題があるのか?」
「あるというか、ないというか……」
清乃は重度の近眼のため、眼鏡がなければ全てが暈けて見えるはずだ。それなのに誠英の美麗な顔も店内の様子もハッキリと見える。
あまりの出来事に清乃が混乱していると、誠英は真面目な顔で頷いた。
「そうだな。これがないお前はなかなか可愛らしい顔をしている」
「……え?」
「その顔は私にだけ見せるようにしておけ。今日は特別だ」
「えっ、え……⁉︎」
おもむろに頬を撫でられた上に艶やかに微笑まれるから、清乃の顔は一気に赤くなった。狼狽える清乃を見て誠英は愉快げに笑う。
揶揄われただけなのかと思って、また違った意味で清乃は顔を赤くした。そうしていつの間にか、慣れない襦裙に尻込みする気持ちも消えていたのだった。




