25:魄祓殿の謎
長年放置されてきた屋敷の清掃は大変だったけれど、どうにか二週間足らずで終える事が出来た。全ての部屋と廊下、天井まで綺麗に磨き上げ、所々腐りかけていた部分は慣れないながらも自力で修繕を行った。
埃を被っていた品々も使える物とそうでない物を仕分けて整理した上で、一つ一つ丁寧に手入れをしたりしかるべき場所へ返却したりと、目まぐるしく動いた二週間だった。
全てが手作業で思いの外時間はかかったけれど、その分達成感はひとしおだ。綺麗になった屋敷に誠英が喜んでくれたのも大きい。如月家だったらこうはいかない。叔母も綺羅蘭も清乃がやって当たり前という顔をしているから、お礼なんて言われた事もなかった。
けれど清乃がここまで動けたのも如月家でこき使われた経験があったからだろう。そう思えば、これまでの苦労まで報われた気がする。
とはいえ、これで終わりというわけでもない。屋敷は綺麗になったが、庭は荒れ果てたままなのだ。道具をいくつも借りてきて、今度は張り切って庭の手入れを始めた。
「……うわ、何これ」
それに気がついたのは、作業を始めて三日目の夕方だった。とりあえず門扉から玄関までを整え前庭部分の雑草を地道に引き抜いていたのだけれど、外塀の角にぶつかる辺りに崩れた石像のような物が落ちていたのだ。
それだけなら庭の飾りが壊れたのかなと思うだけだったが、問題はその石像にお札のような物がベタベタと貼られていた事だった。
「変なものじゃないよね……」
あまりの不気味さに触れるのは躊躇われて、清乃は途方にくれた。誰がいるわけでもないのに、こっそりと屋敷を振り返る。
清乃の手でお化け屋敷から脱却したはずだけれど、夕陽に照らされた家屋が何だか怖く見えた。
実は、殿内で清乃が妙なものを見つけたのは今日が初めてではなかった。魄祓殿の家屋はそれほど広くはないけれど、それなりに部屋数はある。その中の一つに、牢格子のような物で区切られた窓のない部屋があったのだ。
入り口の鍵は壊れて落ちており、全体的に埃っぽく饐えた臭いも漂っている。十年以上は放置されているだろうその部屋を見て、清乃は当初動物でも飼っていたのかなと思った。何せ中には、壁を引っ掻いたような跡や錆びた首枷、鎖のようなものまであったから。
けれど次に書斎の整理を始めた時、この屋敷の蔵書が著しく偏っている事に気がついた。
埃を被っていた本のほとんどが魔鬼や妖怪といった類について書かれていたもので、何らかの研究をしていた事を匂わせる手記のような物まで清乃は見つけてしまったのだ。
それ以来、もしかしてあの格子の部屋には何か良からぬ物が閉じ込められていたのではないかと清乃は思うようになっていた。
そこに来て、庭に置かれているお札塗れの石像だ。不気味に思わずにはいられない。
(誠英様の前に住んでた人が何かしていたのかな……? たとえば、前の祠部郎中とか)
祠部は祭礼を担う部署だと聞いている。魔鬼を倒す方法を探して、呪術的な何かを行っていた可能性はないだろうか。現代日本では眉唾物な事も、実際に召喚などという事をやってのけたこの世界なら現実的にあり得る話になる。
その練習を庭でしていた名残がこの石像で、牢のような部屋には生贄的な何かを捕らえていたとか……。
(いやいや、それはない。考えすぎ)
誠英がいつからここに住んでいるのかは分からないけれど、いくら変わり者の皇子とはいえ、怪しげな事に使われていた屋敷に平気で住んでいるようには思えない。
それに掃除をしていた時に、子ども用の玩具のような物や手習で使ったのだろうたどたどしい文字が書かれた帳面なども埋もれた荷箱の中から発見している。いつの物なのかは分からないけれど、確実に魄祓殿には子どもが住んでいたはずだ。
仮に前の祠部郎中が妻子と一緒に暮らしていたとして、妙なものを牢に入れておくとは思えない。だからきっとあの部屋は、ペットか何かを室内飼いしていたのだろう。
むしろそう思わないと、清野としては恐ろしくてやっていけない。
(とりあえずこれには触らないでおこう)
誠英に聞けば何か分かるのかもしれないが、もしそれで本当は怪しい過去がこの屋敷にはあるなんて言われたら怖すぎる。
見ないものには蓋をするというのは正直あまりやりたくないけれど、残念ながら綺羅蘭とのあれこれで慣れているのも確かだ。壊れた石像近辺の雑草は放置して、庭の手入れを進める。
けれど数日かけて庭を整え終わる頃、その謎の石像は魄祓殿を囲むように四方に置かれているという事に気付いてしまった。
(もう本当に、何なのこれ……! ここで何があったの⁉︎)
忘れてしまいたいのに、ここまで来るとどうにも気になって仕方がない。清乃は青ざめて立ち尽くした。
「そんな所でどうした?」
「ひっ⁉︎ 誠英様……」
いつも日中はどこかへ出かけているというのに、こんな時に限って声をかけないでほしいと切実に思う。
唐突にかけられた声に振り向けば、案の定誠英が立っていた。
「具合でも悪いのか? 顔色が悪いが」
「あの……これって何なんですか?」
もうさすがに尋ねずにいられない。涙目になりつつも目の前にある四体目のお札だらけの石像を指差すと、誠英は覗き込んで「ああ」と頷いた。
「結界の名残だな」
「何ですかそれ。結界って、何か閉じ込めてたんですか⁉︎」
「それは……あれだ」
「あれって、お風呂?」
意外にも誠英が指し示したのは、風呂のある一角だった。
「ここだけ温泉が湧いてるのは、この真下を龍脈が通っているからだ」
龍脈は瑞雲国に富をもたらす不思議な力の通り道だ。綺羅蘭たちが順番に魔鬼討伐に向かっている四つの神山を起点として国中を走っているそうだが、最終的にはここ青藍城に集まってくるという。
本来、その龍脈の流れは皇帝一族が住まう後宮に真っ直ぐ流れ入るはずだった。皇帝一族に最も大きな力を与えた後に、龍脈の流れは再び神山に戻るのが正しい流れらしい。
それなのにある時から一部がこの場所で漏れ出てしまうようになったため、結界で封じ込めて流れを正していたというわけだ。
どうやら怖いものではないらしいと分かり、清乃は徐々に冷静さを取り戻した。
「それならどうして結界を解いたんです?」
「知っての通り、近年は龍脈に乱れが生じて力が得られなくなっていた。だから出やすい箇所から放出させる事にしたんだよ」
そうして表に出てきた龍脈の副産物が温泉だという。効能が高いのは、龍脈が関係していたからだったらしい。
「そんなすごい温泉なのに私たちだけで使っていいんですか?」
「龍脈の影響を受けてはいるが、湯に溶け込んでいる気は微々たるものだ。普通の温泉以上の価値はないし、そもそも湯量も少ない。たかが温泉目当てに皇帝が居を移すわけにもいかないからな。住人が有効活用すべきだろう?」
誠英はニヤリと意味深に笑う。まさかこれは……。
「温泉が湧いたこと、言ってないんですか?」
「どうせ誰も来ないのだから、問題ない」
それでいいのだろうかと疑問に思うけれど、どうせ清乃はあと十ヶ月ほどしかここにいない。余計な事を言って、誠英が温泉を取り上げられても可哀想だ。
バレたら怒られるだろうけれどその覚悟は誠英にもあるのだろうし、気にしない方がいいだろう。
そんな風に考えて気を取り直した清乃は、謎の牢部屋について誠英に尋ねる事をすっかり忘れてしまった。
屋敷へ戻る清乃の背を、誠英がどこかホッとしたように見ていた事にも気付かなかった。




