24:新しい女官服
一人になった清乃は用事を済ませると、時間も忘れて屋敷の掃除に励んだ。まだまだ手をつけていない所はあるが、とりあえず誠英の寝室と食事室は綺麗になったので良しとする。
帰宅は遅くなると言われていたけれど、いつまでも膳房が開いてるわけではないし、予定より早く帰ってくる可能性もある。
日暮れ前に、清乃は自分の夕食を食べるついでに誠英のお膳も受け取ってきた。誠英が食べる頃にはすっかり冷えているだろうが致し方ない。いつでも温め直しが出来るように、明日は厨房の掃除をしようと決めた。
そうしてすっかり夜も更けてから帰ってきた誠英に「おかえりなさい」と言うと、「まだ起きていたのか」と驚きつつも物凄く嬉しそうに「ただいま」と返されたから、やっぱり誠英は寂しかったのかなと清乃は思った。
風呂には入ったのか、夕食はきちんと食べたのかと色々心配されてしまったけれど、帰りを待っていて良かったと思う。
胸に広がるのはじんわりとした温もりだ。亡くなった父親も、清乃が帰宅を待っていると同じように気にかけてくれた。
当たり前にあったのに、ある日突然失われてしまった穏やかで幸せな日々。もうずっと忘れていた記憶を思い出すなんて、清乃自身も寂しかったのかもしれない。
「もう遅いから、膳を返すのは明日にしておけ。風呂もここで入るといい」
「えっ、さすがにそれは」
「湯はいくらでも沸いて出るんだ。問題ないだろう? 夜は危ないから、これから先もそうすればいい。遠慮はいらない」
これまでいた下女の宿舎近辺と違い、魄祓殿周辺は人通りが少ない。端とはいえ一応城の中ではあるから身元の確かな者しかいないけれど、逆に権力を笠に着て不埒な行いをする者もいるから女性の夜の一人歩きは危険だそうだ。
夜間は殿内から出てはいけないと、きつく約束させられた。
その代わり、ここの風呂を使ってもいいと言う。朝方掃除をした時も驚いたけれど、なんと魄祓殿の風呂は温泉の掛け流しなのだ。
無色透明で匂いもほとんどないから、掃除や洗濯に使ってもいいと言われている。少量であれば飲んでもいいらしい。
使用人がいなくてこれまで風呂はどうしていたのかと疑問だったけれど、これなら誠英の一人暮らしでも問題ないはずだと腑に落ちた。
湧出量が少ないから魄祓殿だけの特権らしいが、大量の水を運んで湯を沸かす手間が省けるからとても助かる。同じ風呂を使わせてもらうなんてと恐縮してしまうけれど、温泉が気になっていたのも事実だ。湯を入れ替える手間もないし、誠英の後に有り難く使わせてもらう事にした。
温泉なんて、幼い頃に父に連れて行ってもらって以来だ。それどころか、広くて温かな湯にのんびり浸かっていられる事自体が久しぶりだった。
如月家ではいつ綺羅蘭や叔母に用事を言いつけられるか分からないから、入浴中も気は抜けなかった。こちらの世界に来てからも、北陽宮では居心地の悪い思いで女官用の風呂を使わせてもらっていたし、下女となってからは狭い浴室で芋洗い状態だから手足を伸ばす余裕もなかった。
一人で好きなだけ湯に浸かれるなんて、なんと贅沢な事だろう。
温泉だから湯温が高めな上、長湯に慣れていないのもあって結局それほど長くは入れなかったけれど、心の底から満足出来た。
よほど泉質が良かったのか、翌朝清乃は手荒れが少し良くなっているのに気がついた。
いくら自由に使っていいと言われても、誠英が使う温泉水を掃除に使うなんてと昨日は遠慮してしまったけれど、これからは清乃も入るのだ。今日からは気兼ねせず掃除にも使った方が良いのかもしれない。手が荒れていると、誠英の上等な衣に引っ掛けてしまうから。
そんな事を考えながら身支度を整え朝食を摂りに行こうと外へ向かうと、もう会えないかもしれないと思っていた燦景が大荷物を抱えて歩いて来ていた。
「おはよう、呂燦景。その荷物どうしたの?」
「あんたの服だよ。昨日の今日でまた来る事になるなんて……。忙しいんだからさっさと受け取って」
燦景は「横暴皇子め」と文句を呟きながら、両手に抱えていた大きな布包みと背負子に括り付けてきた葛籠を下ろした。
どうやら昨日誠英が頼んだ新しい女官服を、早速運んできてくれたらしい。まさか誠英から直接頼まれたわけではないだろうが、文句を言いたくなるほど忙しいのに届けに来てくれたのだろう。
「ごめんね。私がもらいに行ければ良かったんだけど」
申し訳なく思って清乃が謝ると、燦景はますます不機嫌そうに顔を顰めた。
「はあ? なんであんたが謝るわけ? 事前に用意してなかったこっちが悪いんだよ。簡単に頭なんか下げないで」
「えっ、でも」
「あんたはもう下女じゃなくて祠部郎中付きの女官になったんだから、もっと偉そうにしてな。……まあ、こんなボロ屋敷じゃ仕事なんて大して変わらないかもしれないけど」
強い口調で清乃を諭してきた燦景だったけれど、未だに荒れ放題の庭とまだ片付いていない玄関口をチラリと見て気まずげに視線を逸らした。
これはもしかして慰められているのだろうか。
「ありがとう。でもここは最高の職場だよ?」
「それ、本気で言ってるの?」
「本気だよ。祠部郎中はこうやってすぐに足りない物を手配してくれるぐらい優しい人だから」
「……そっか。それならいいよ」
何かに納得した様子で燦景は頷き、「またね」と言って去っていった。
よく分からないけれど、女官になったのだからしっかりやれと気合を入れられたのかもしれないと清乃は思う。これまで素っ気なかった燦景が励ましてくれた事がとても嬉しく感じられた。
ホカホカした気持ちで、早速受け取った荷物を自室へ運んで清乃は新しい女官服に着替える。
後宮の女官服は暖色系の色合いだったけれど、こちらは寒色系の色味だ。生地の質も後宮の物より少し落ちていると思う。それでも下女服よりずっと手触りが良いし、新しい靴と簪まで付いてきた。
替えの服や前掛けも何枚も用意されているから、気兼ねなく使えるだろう。これが誠英付きの女官の証なのだと思うと気分が上がった。
(誠英様は気に入ってくれるかな)
この世界の鏡は高級品だ。清乃の部屋にはないから自分の姿を確認出来ないのが少々辛いけれど、きちんと整える事は出来たと思う。
誠英を起こしに行く時を楽しみにしつつ、清乃は朝食を摂りに向かう。
これなら膳房でも嫌な顔はされないかもしれないと思ったけれど、残念ながら料理人には昨日と同じく不快げな顔をされてしまった。やはり清乃の服が問題なのではなく、不良皇子を嫌っているのかもしれない。
(庭もお屋敷も一通り綺麗になったら、私に食事も作らせてもらえないかな)
誠英を起こしに行くと昨日と同じように寝ぼけた様子で扉を開けられたけれど、清乃の姿を見た誠英はハッとした様子で「似合っている」と笑ってくれた。
こんなに優しい人に、あんな嫌そうな顔で用意された料理を食べさせたくないなと思う。こちらの料理を作れるわけではないけれど、地球の中華料理に近しい物なら清乃も作れるはずだ。ドキドキする胸を落ち着けながら、いずれ厨房も任せてもらえるようになれたらと清乃は思った。




