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22:不良皇子の暮らし

 新しい職場での最初の仕事は朝食運びだ。燦景を見送った清乃は膳房に「祠部郎中の食事をお願いします」と声をかける。

 するとなぜか料理人は不快げに眉根を寄せてお膳を出し、盛り付けを始めた。


 明らかに歓迎されていない様子に、何かおかしな事をしてしまったかと不安になる。とはいえ身形が変だったら燦景が指摘してくれると思うし、頼み方も教えられた通りにしたはずだ。

 何がいけなかったのか全く分からないまま膳を渡され、清乃は釈然としない思いを抱きつつ魄祓殿へ運んだ。


 魄祓殿は皇子が住むにしてはあまりに小さいとはいえ、基本的な造り自体は北陽宮とそう変わらない。

 さすがに食事室は一つだし、女官用の部屋も別棟ではなく同じ棟にあるけれど、寝室や書斎など数は少ないがきちんと用途別に複数の部屋がある。


 なので清乃はまず食事室に膳を置き、荒れた庭にある井戸から洗顔用の水を汲んで誠英の寝室へ向かった。


「おはようございます、誠英様。清乃です。食事の用意が出来ました」


 どうしようか迷ったけれど、普段から名前で呼べと散々言ってきた誠英が相手だ。どうせここには清乃しかいないし、燦景から寝起きの誠英は機嫌が悪いとも聞いている。

 朝から言い合いになるのも嫌だしと開き直って、いつもの口調で扉の前から声をかけた。


 これで起きなければ中まで入って起こさなくてはいけないと、ほんの少し緊張していたけれど、幸いにもそう間を置かずに中から物音が響いた。


「ふぁ……、もう来たのか」


 欠伸をしながら扉を開けた誠英の姿に、清乃は完全に硬直してしまった。下衣はきちんと履いているけれど、上衣は軽く羽織っているだけで厚い胸板がガッチリ見えていたのだ。

 顔があまりに綺麗だからもっとヒョロリとしているのかと思っていたのに、細身ながらもきちんと鍛えられた体は紛れもなく男性のものでドキドキしてしまう。


 その上、寝ぼけているのか目は潤んでいるし、まだ結んでいない銀髪が邪魔だったのか片手でかき上げる仕草がどうにも艶やかだ。

 どこかの雑誌の表紙にしてもおかしくないぐらいで、これまで全く異性に興味のなかった清乃も、何だかイケナイモノを見てしまったような気がしてしまった。


「清乃? どうした?」

「あ! あの、あの、これお水です! 顔を洗うのに使ってください!」

「うわっ、おい」

「私は色々仕事があるので! 失礼します!」


 うっかり見惚れてしまった清乃は、パシャリと軽く水音を立てつつ平桶を誠英に押し付ける。辛うじて溢さずに誠英が受け取ってくれたから、そのまま踵を返して走り出した。

 仮にも皇子相手に不敬を重ね過ぎなのだけれど、気が動転していた清乃がそれに気付いたのは、勢いそのままに風呂と厠所を掃除し終えてからだった。


(どうしよう、初日からやっちゃった……!)


 本来なら女官として着替えを手伝わなければならないというのに、何もしなかったばかりか桶を押しつけてしまった。

 いくら誠英が親しくしてくれるからといって、さすがにこれはダメだろう。たった一度の失敗で追い返すような人ではないと思うけれど、不当な扱いを受けていた清乃を善意で呼び寄せてくれたのだ。少しでも恩返しをしたいと思う。


 そのためにも早く謝らなくてはならないし、洗濯物だって回収して出さなければならない。けれど誠英の顔を見たら色気溢れる姿を思い出してしまいそうで、二の足を踏んでしまう。

 しかし誠英がそんな事を気にかけてくれるはずもなかった。


「ずいぶん仕事熱心だな」

「ひっ!」


 もう少し気持ちが落ち着くまで掃除を続けようと井戸で水を汲んでいたら、背後から声をかけられてバシャリと釣瓶桶を落としてしまった。誠英が苦笑して倒れた桶を立てかける。


「そんなに驚いたのか」

「すみません。あの、色々とさっきのことも……」

「気にするな。いつも一人でしていることだから」


 恐る恐る見てみれば、当たり前だけれど誠英はきちんと着替えを終えていた。気まずく思いながらも謝れば、気にしないでいいという。

 どうやら誠英は朝食も食べたそうで、忙しいなら膳を返してくると言い出すから清乃は慌てて止めた。


「洗濯物も出すので、一緒に返してきます」

「お前も濡れただろう。着替えてきたらどうだ」

「……そうします」


 釣瓶に残っていた水はそれほど多くはなかったけれど、確かに清乃の服も足元がびしょ濡れになっている。今日はまだまだ掃除をするつもりでいたからまだ着替えたくはなかったけれど、このままではいけないだろう。

 部屋へ戻ろうとすると、なぜか誠英がついてきた。


「早速掃除をしてくれたんだな」

「放っておくわけにもいかないので。ビックリしましたよ。いつからこんな状態なんですか?」

「さあ? 何年だろうな。数えていない」


 誠英は今二十二歳で、祠部郎中になったのは成人した二年前だ。てっきりこの屋敷は祠部郎中が住む場所なのかと思っていたけれど、どうやら誠英はそうなる前から住んでいたらしい。こんな家でよく平気に暮らしていたものだと呆れてしまう。


「まずは掃除を頑張ろうと思います。どこか触らない方がいい場所とかありますか?」

「いや、特にない。だが無理はしなくていいぞ。そういうつもりで誘ったわけではないからな」

「無理じゃないです。掃除は慣れてますし、汚いと落ち着かないので」


 掃除機も強力な洗剤もこの世界にはないけれど、掃除の基本は掃く事と拭く事だ。水と雑巾、箒とハタキがあれば最低限どうにかなる。

 如月家では家事全てを清乃がやっていたから、それほど苦にも思わない。大体、そういうつもりでなければどういうつもりで自分の所で働かないかと誘ったのか。


 そんな非難めいた目線に気づいたのか、誠英は肩をすくめた。


「どうせ出歩くからな。寝る場所を整えてくれて、あとは着替えさえ用意してくれればそれで充分だったんだ」

「食事も自分で取りに行くんですか?」

「そうする時もあるが、なければないで構わない。町に食べに行ってもいいから」


 こんな家だから誠英は出歩くようになったのか、それとも出歩いていたから使用人がいなくなってしまったのか。よく分からないけれど、これまで清乃に差し入れてくれた食べ物も、誠英は自分で取りに行っていたのかもしれない。

 誠英はただでさえ目立つし、不良皇子とも呼ばれている。そんな彼が膳房に現れたら食堂は騒ぎになりそうだし、料理人も困るだろう。嫌そうな顔をしていたのも納得出来る。


 昼間からお酒を飲んでばかりだし、仕事だってしているようには見えない。けれど誠英が優しい人だというのを清乃は知っているから、誰にも顧みられないような暮らしをしているのは悲しかった。

 清乃がここで働くのは日本に帰れるようになるまでの間だけだけれど、いる間だけでも誠英にとって居心地の良い家にしていきたいと思った。

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