1:独りぼっちの過去
少し過去に戻ります。
第一章の終わりでプロローグの時系列に追いつく予定です。
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清乃は生まれた時に母を亡くしている。清乃に兄弟はおらず、大企業に勤める父親は仕事が忙しかった。祖父母も早くに亡くなったため、清乃は保育園とシッターに育ててもらったようなものだ。
それでもまだその頃は、寂しくはあったけれど不幸だと感じる事はなかった。たまに会う父親は、清乃をきちんと愛してくれたから。
滅多に会えないけれど、大好きな父親の役に少しでも立ちたい。そんな思いで清乃は積極的に家の手伝いを覚えようとしたし、小学校に上がる頃には簡単な料理だって出来るようになっていた。
父親との記憶は決して多くはないけれど、清乃が作った料理を美味しいと食べてくれたのは良い思い出だ。もっと喜んでもらいたいと、清乃はより一層頑張った。
けれど父と娘二人きりの穏やかな生活は、清乃が小学三年になった頃に唐突に終わりを迎えた。祖父母の七回忌。風邪をひいた清乃を留守番させて法事へ出かけた父親は、その帰りに交通事故を起こして死んでしまったのだ。
母は孤児だったため家族はなく、唯一の頼れる親族は他県で婿入りした父親の弟だけだった。赤ん坊の頃に会ったきりのその叔父に清乃は引き取られる事になった。
「借金、ですか?」
「う、うん。そうなんだ。だからこの家も手放さないといけないし、君の手元には何も残らない。でも安心して。ちゃんと清乃が大人になるまではうちに置いてあげるから」
清乃を迎えに来た叔父は、父と同じく背が高く顔も整っていたけれど、父よりずっと細身でどこかオドオドとしていて気弱そうに見えた。そんな叔父は固い笑みを浮かべて、亡くなった父は多額の借金を抱えていたのだと話した。叔父自身、父親の運転していた車に同乗していたそうで怪我をしていたが、その治療費の請求もしたりはしないと約束してくれた。
当時八歳の清乃は全てを理解出来たわけではなかったが、父が起こした事故のせいで叔父が怪我をした事は分かる。それでも自身を引き取ってくれるという叔父の優しさに感謝して、清乃は父との思い出の残る家を出た。
「ママ、何この子」
「あなたの従姉よ、キララちゃん」
「えー、こんな地味な子がぁ?」
「あの……菅原清乃です。よろしくお願いします」
「うわ、やだぁ。キヨノとか、名前まで地味ぃ!」
「仕方がないから置いてあげるけどね。キララの邪魔だけはしないでちょうだい」
「……はい、分かりました」
叔父夫婦の元には清乃と同い年の娘、綺羅蘭がいた。
一人娘の従妹は大切に育てられたようでとても可愛らしかったけれど、残念ながら親しくはなれなかった。致し方ない事情があるとはいえ突然転がり込んできた清乃を叔母と従妹は疎んだからだ。
それでも置いてもらえるだけまだマシだと清乃は考え、とにかく叔父に迷惑をかけないように頑張ろうと心に決めた。けれどそこから先は不遇としか言えなかった。
叔父が婿入りした如月家は元々、呉服屋を代々営む名家だったらしい。しかし時代の流れと共に家業は立ち行かなくなり、婿となった叔父は店を継ぐ事なく普通にサラリーマンをしている。
けれどお嬢様育ちの叔母は結婚後も派手好きで、家事が不得手な人だった。料理のほとんどは出来合いの惣菜で、洗濯はクリーニング任せ、掃除は定期的に業者に頼む。だから清乃が家事を出来ると分かると、叔母は清乃を家政婦のように扱い始めた。
そして従妹の綺羅蘭は見かけこそ可愛らしいが、影では陰湿な虐めをする娘だった。清乃が持ち込んだ僅かな思い出の品を次々と奪い、泣いてやめてと縋る清乃を嘲笑う。
その上、転入先の小学校では清乃について綺羅蘭が有る事無い事を話すから友人も出来ない。皆、外面の良い綺羅蘭の言い分だけを聞いて清乃の声には耳を傾けてくれないから、清乃は家でも学校でも孤立してしまう。
唯一清乃に優しくしてくれた叔父は、単身赴任で滅多に家へ帰ってこない。
引き取ってもらえた事は有り難かったけれど、父を亡くした悲しみが癒える間もなくそんな環境に追いやられて辛かった。けれど逃げる場所なんてないし、恩のある叔父に迷惑もかけたくない。だから清乃はとにかく黙ってやり過ごす事を覚えた。
元々清乃は大人しく聞き分けの良い子だったけれど、さらに地味で目立たぬようにして綺羅蘭の視界に出来る限り入らないようにした。
その一方で、清乃はいつかこの苦しみから解き放たれたいとも思っていたから、とにかく必死に勉学に励んだ。
高校は綺羅蘭のいない所へ行こう。お洒落にばかり気を使う綺羅蘭は年々可愛さを増しているけれど、成績はイマイチだ。偏差値の高い高校に入れれば、学校にいる間は綺羅蘭から解放される。彼女さえいなければ、きっと友達も出来るはずだ。
塾になんて通わせてもらえないし、料理洗濯掃除と家事は全て清乃の仕事だ。それでも空いた時間は全て勉強に回して、分からない所はとにかく学校の先生に聞いて回った。
おかげで清乃の視力は一気に下がり、叔母が渋々ながらも与えてくれた分厚い瓶底メガネをかけることになったけれど、成績は県内トップレベルの進学校にも行けるほどになった。
けれどそんな清乃の努力は、綺羅蘭の手であっさりと無に帰された。嫌がらせの一環だろう、綺羅蘭はわざわざ「清乃と同じ高校に行きたい」と言い出したのだ。叔母は当然、綺羅蘭の希望を叶えようとした。
成績不良な綺羅蘭でも合格出来そうなのは、家の近所にある高校だった。そこはいわゆるスポーツ系の高校で、部活動では優秀な成績を残しているけれど学力では誰でも入れると言われている。
清乃の成績を知る中学の担任はもったいないと叔母を説得しようとしてくれたけれど、他の高校では通学費がかかると言って叔母は首を縦には振らなかった。その上、叔母も綺羅蘭と同じく口が上手いから、最終的に担任からは「叔母さんにあまり迷惑をかけないようにな」と言われてしまう始末だった。
そのため清乃は志望校の受験すらさせてもらえず、綺羅蘭と同じ高校に通う事になった。
「良かったね、清乃。私たちまた同じクラスだよ」
(何も良くない。またキララと一緒なんて、最悪だよ……)
高校に入っても、何の因果か清乃と綺羅蘭は同じクラスだった。雑用を押しつけられるからと誰もなりたがらないクラス委員長に、清乃は綺羅蘭の推薦でなってしまった。
なったからにはと、委員長である事を活用してクラスメイトと良好な関係を築けたらと思い頑張ったけれど、残念ながら上手くはいかなかった。クラスメイトは不真面目な者が大半で、張り切る清乃を煩がる者ばかりだったから。
結局、綺羅蘭がこれまで同様に清乃の悪い噂を流布した事もあり、清乃は高校でも孤立する事になった。
委員長として努力しても教師からの評価を上げるためだと思われ、真面目さは融通がきかず性格が捻くれていると受け取られる。そして従妹の綺羅蘭の可愛らしさに嫉妬して虐めていると勘違いされるのだ。
そんな噂があるものだから、勝手に綺羅蘭が委員長に推薦したのになぜか清乃が無理矢理推薦させた事になっているし、クラスの事で綺羅蘭に声をかけると清乃が無理強いしているという話になる。
如月家に引き取られて以降すっかり慣れてしまった理不尽な状況に、清乃はもはや争う気持ちも湧かない。
打ちのめされそうにもなる時もあるけれど、我慢するのもあと三年だけだと言い聞かせ、清乃は日々を淡々と過ごす。
どちらにせよ高校を卒業したらすぐに就職する事になる。今度こそ綺羅蘭のいない場所へ行けば、きっと誰かが清乃を見てくれる。全てが好転するはずだと、清乃はそれだけを励みにしていた。
けれど夏休みが近づいたある日、清乃は望んでもいないのに世界を渡る羽目になった。




