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18:優しい不良皇子

プロローグの時系列にようやく辿り着きました。




 清乃が下女になってから一ヶ月が経った。

 以前のように頻繁にではないけれど、再会したあの日から誠英は時折清乃の前にフラリと現れる。清乃が一人でいる時にどこからかやって来ては、気楽に話すよう求めてくるのだ。

 いつも清乃は断るけれど毎回何かしら食べ物を持ってこられるから、いつの間にかついつい砕けた口調になってしまって清乃としては複雑な気分だ。これではまるで餌付けされているようではないか。


 けれどどれだけ距離を置こうとしても誠英はやって来るし、親しく話せる相手がいるというのは嬉しい事だ。何せ清乃は未だに下女たちの中で孤立しているのだから。


「おや、まだ足りてないよ。もう一回汲んでおいで」

「……はい」

「まったく愚図だねぇ。使えないったらありゃしない」


 この日も清乃は、午前中の食材運びを終えた足で休憩する間も無く昼の水汲みに従事していた。

 重い天秤棒を担いで何往復かし、ようやく一仕事終えたかと思いきや、先ほど満杯にしたはずの水甕の一つがなぜかもう空になっている。嫌がらせなのは明白だけれど、それを訴えた所でどうにもならないのはこの一ヶ月で身に沁みて分かっていた。


 清乃が後宮にいた事は誰にも明かしていないけれど、下女となった当初のあまりの慣れなさから、元はそれなりに良い暮らしをしていたと悟られたらしい。

 下女たちは身元は確かながらも身分は低く、この程度の仕事は日常的にこなしてきた者ばかりだ。そんな中で清乃は異分子として捉えられてしまい、一ヶ月経った今も親しくなった者はいない。話しかければ答えてくれる燦景は珍しい存在だった。


 それでもまだ無視される程度ならいいのだが、こうして時折嫌がらせを受ける。

 ちょうど今の時間は後宮に住まう妃嬪らはもちろん、皇帝や公卿(※大臣のこと)も執務の手を休めて軽食を摂る頃だ。そこで出される品々は、時折下々の者にも配られる。大方その取り分を少しでも増やそうと、こんな事をしたのだろう。

 もはや日常茶飯事ともいえる行為を、清乃は黙って受け止めるしかなかった。


(またか……。キララがいてもいなくても、結局私はこうなるんだ)


 ため息を堪えて井戸へ戻ると、水を汲み直すついでに自分も水を飲み、グゥと鳴いて空腹を主張する胃袋を誤魔化す。

 今日は朝から仕事量が増やされていた。そろそろ慣れただろうと言われての事だったけれど、実際は他の下女の仕事を押しつけられただけで、ただでさえいつもより疲れていたのだ。

 それなのに少しは休憩出来ると思った矢先に仕事が増えてしまったから、さすがに少々堪えた。


 ふらつく身体を叱咤して重い天秤棒を担ぎ歩き出したが、少し離れた所で限界を迎えて倒れそうになる。このまま運ぶのは到底無理だと思い天秤棒を下ろすと、不意に声をかけられた。


「ずいぶん大変そうだな」


 いつからそこにいたのか。ハッとして顔を上げると、葉を茂らせた木の太い枝上に誠英がいた。

 妖艶さすら感じられる切れ長の目に見据えられて、清乃は慌てて頭を下げた。


「八の皇子」

「顔を上げろ。お前には誠英と名で呼ぶのを許したはずだ。もう忘れたのか?」

「でも今の私は……」

「何度も言わせるな。陽妃の元を離れても関係ない。お前だって国を救うために呼び出された異界人だろう? たとえ()()()()()()()()だとしても」


 誠英はそう言ってひらりと枝から舞い降りる。その手には珍しく、酒器がぶら下がっているのに清乃は気づいた。


 昼間から酒を飲むのは感心しないが、実はそんな誠英の姿を見るのは久しぶりだった。ここ最近誠英は全く酔っていなかったし、清乃とも二言三言話せばすぐに帰っていたからだ。

 清乃が避けるように仕事へ戻ってしまうから、誠英も長居するつもりがなく素面でいるのかと思っていたけれど、心境の変化でもあったのかもしれない。


 たった一ヶ月前まではよく見た光景だというのに、ずいぶん懐かしい。後宮で会っていた頃が思い出されて、清乃は自然と以前のように苦言を口にした。


「あなたにはそんな風に言われたくないです。()()()()の誠英様。こんな所でサボってないで、お仕事に行かれた方がいいんじゃないですか」


 下女となってから、ここまでハッキリと言い返したのは初めての事だ。誠英も清乃の変化を感じ取ったのだろう、愉快げに眉を上げた。


「へえ? そんなことを言うのか。一人で食べるのも何だし、一緒に饅頭でもどうかと思ったんだが」

「食べます! 頂きます! 不良皇子だなんて言ってすみませんでした!」


 どこに隠し持っていたのか、いつの間にやら誠英の手には布の包みがある。また清乃のために持ってきてくれたらしい。

 いつもなら頑なに距離を取ろうとする清乃の口に無理やり突っ込まれてしまうけれど、もういいかと清乃は思う。だって何度避けても誠英は変わらずやって来てくれるのだ。いい加減肩肘を張るのはやめようと、清乃は元気よく返事をして歩み寄った。


「今日は逃げないんだな」

「せっかくですから、ゆっくり食べようかと思いまして。座りませんか」


 仕事中だと逃げてばかりいた清乃が木の根元に腰を下ろしたから、よほど珍しいと感じたのだろう。誠英は揶揄うように笑った。


「お前は本当に面白いな。故郷では書生のまとめ役で真面目だったのではないのか」

「ここにはまとめる相手なんていませんから。これでいいんです」


 そう、もう今更だ。そもそもクラス委員長になったのだって、清乃が望んだ事ではなかった。それでも与えられた役割をこなしていたのは、そうしないと担任に迷惑がかかるからだ。

 それにクラスメイトには悪口を言われてばかりだったけれど、担任は清乃の頑張りはきちんと見てくれていたから、それなりにやり甲斐はあった。


 けれどここでは、清乃が頑張っても誰も認めてくれない。それどころか仕事を台無しにするような嫌がらせまでされてしまう。

 怒られない程度にやればもうそれでいいではないかと、半ば投げやりになりつつ清乃は苦笑を浮かべた。


「そうか。ならばゆっくり食べるとするか」


 清乃の隣に腰を下ろすと、誠英はどこかの膳房から酒と共に調達してきたらしい肉饅頭を分けてくれた。解れたお団子頭から落ちてきた髪を耳にかけ、清乃は肉汁が落ちないように気をつけてかぶりつく。


 清乃がいつも以上に疲弊しているのに気付いたのか、誠英はただ黙って一緒に食べてくれた。

 その静かな時間が、清乃にはとても有り難かった。


「誠英様、いつもありがとうございます」

「美味かったか?」

「はい、とても」


 お腹と心を満たされて清乃が微笑むと、誠英は満足げに目を細めた。


「そういえば、聖女たちは明日にでも都入りするそうだ。報告と慰労会は三日後だったか。清乃も出るのだろう?」


 言われてみれば、綺羅蘭たちが旅立ってからもうそろそろ三ヶ月が経つ。そんな事を考える暇もなかったから清乃はすっかり忘れていたけれど、帰ってくるという事は無事に倒せたという事なのだろう。

 そんな事を考えながら話を聞いていたら、当たり前のように問われて清乃は目を瞬いた。


「私もですか?」

「ああ、今回は異界人の披露目でもあるからな。お前も呼ばれるはずだ。馳走が並ぶだろうが、食べ過ぎないように気をつけろよ」


 誠英は揶揄うように言ってきたけれど、果たして清乃は呼ばれるのだろうか。不安を感じて清乃は呟いた。


「本当にそうならいいんですけど」

「陽妃は必ずお前を呼ぶだろうよ。ずいぶん元気になったようだからな」


 最近の松本は皇帝と仲睦まじく庭を歩く姿が目撃されているのだと、誠英は教えてくれた。だからといって会えるかは正直分からないと清乃は思うけれど、松本がまた外に出られるようになったのは安心出来た。

 ホッとする清乃を、誠英はじっと見つめてきた。


「陽妃に助けを求めないのか?」

「その気はありません。戻っても私に出来ることはないので」


 慰労会で会えるなら、松本に現状を伝える事は確かに出来るだろう。けれどそれをした所で皇帝に睨まれるだけだとも思う。

 だから清乃は松本の元に戻る気はない。どんなに下女の生活が辛かったとしても。


「そうか。やはりお前は真面目だな。せめて慰労会ぐらいは楽しめよ」

「そうですね。呼んでもらえたらそうします」


 本当の理由については語らなかったけれど、清乃の覚悟だけは伝わったのだろう。誠英は苦笑していた。


 そんな誠英に返事はしたけれど、正直清乃は本当に呼んでもらえるとは思っていなかった。

 けれど誠英の言った通りそれから三日後、清乃は官吏に呼び出された。

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