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16:下女の仕事

 不安を感じているからあまり食欲はなかったけれど、その日の夜、下女となって初めて食べた夕食は意外にも美味しく食べられた。

 使用人用の食事なので質より量という感じだったが、ここも城内だからか味は良かったのだ。後宮の食事が高級中華料理だとしたら、こちらは街中の中華食堂といった感じだろう。


 松本と同じ食事を食べていたから舌が肥えて受け付けなかったらとどうしようかとも思ったけれど、長年培ってきた庶民舌はそう簡単には変わらなかったらしい。清乃としてはむしろ懐かしく身近に感じられる味で、何だかホッとしてしまう。

 配膳はセルフ方式で大皿に盛られた料理をそれぞれが取り分けていく形だから、毒の心配をしなくていいというのも嬉しい。


 お腹が満たされればそれだけで幸せな気持ちになれる。これならここでの生活も何とか耐えられるかもしれない……と思ったけれど、翌日から始まった下女の仕事は清乃の思った以上に過酷なものだった。 


 まず水汲みは井戸を使うのだけれど、汲み上げはポンプ式ではなく滑車式だ。綱で引き上げるだけで手のひらが擦り剥けそうだというのに、その後は水の入った桶を天秤棒で担いで膳房へ運ばなければならない。

 何度も零してしまうため一度に運ぶのは少量にして、結果井戸まで何往復もする羽目になった。


 そして食材運びは手押し車を使うのだけれど、これも少量しか乗せられなかった。現代日本のカート類と違って木製だから、手押し車自体がまずそれなりに重いし、車輪だって軽い力で回るわけでもない。

 城の中とはいえ、下働きの者たちが使う道は土を慣らしてあるだけだ。コンクリートならまだしも、凹凸のある道で重量のある手押し車を押すのは相当苦労する。なのでこれもまた一度に運ぶ量を減らして、往復する回数を増やすしかない。


 その上食材を取りに行く場所が、品目ごとに分かれているのも問題だった。それも、広大な青藍城のあちこちに点在しているのだ。

 肉や魚、野菜に穀物、調味料など、必要な品をかき集めるのにかなりの距離を歩かなければならない。日本だったらスーパーに行けば一発で揃うのにと、ため息が漏れた。


 後宮にいる間は散歩以外にほとんど運動をしていなかったから、途中で力尽きてもおかしくはない重労働だ。それでも松本のおかげで食事をしっかり摂れていた分体力もついていたのか、幸い最後までやり遂げる事は出来た。

 その代わり筋肉痛だけはどうにもならない。まだ初日なのに薄い布靴で歩き回るから足にマメも出来て、清乃は歯を食いしばって耐えた。


 そうしてようやく終わらせても、時間が予想以上にかかったため仕事初日から夕食に遅れてしまった。満腹にはほど遠い量しか食べられなかったが、なくなっていないだけまだマシといえる。

 けれど本当に大変なのはここからだった。


「えっ! もうこんな時間⁉︎」


 翌朝、清乃はすっかり寝坊してしまった。日の出と共に起きるはずが、朝の鐘がなるまで起きられなかったのだ。慌てて支度をして部屋を出るが、すでに朝食の時間は過ぎていて食べそびれてしまった。

 空腹を抱えながら仕事へ向かうが、前日の疲れがまだ抜けておらず身体中が軋んで痛い。それを堪えて必死に一日働いたけれど、前日よりさらに仕事の進みは遅くなってしまって、二日目にして早速怒られてしまう始末だった。


 ただでさえ空腹な上に説教までされて、涙が出そうになるけれどそれもどうにか堪える。

 挫けそうになる気持ちを叱咤してふらつく足取りで食堂へ向かったけれど、完全に出遅れたためにもうほとんど人はおらず、大皿も空っぽだ。朝から何も食べていない清乃は、愕然としてしまう。


 こんな状態で、明日動けるのだろうか。今度こそ絶対に朝食だけは食べなくてはと思うけれど、あまりのショックにもはや一歩も動けなかった。


「ちょっとあんた、そこで何してるの? 邪魔なんだけど」

「あっ……ごめんなさい」


 気が付けば清乃の後ろに少女が立っていた。同じ下女ではあるけれど清乃より身長は低く、見た感じ中学生ぐらいの年齢に見える。

 数は少ないものの出仕は十三歳から可能なので、成人前でも働いている者もいると聞いてはいたけれど、実際に清乃より若い下女に会うのは初めてだ。


 そんな少女の手には下げるつもりなのか食べ終えた食器があった。どうやら彼女の進路を清乃が塞いでいたらしい。

 けれど清乃の視線はその手元に釘付けになる。皿には半分ほどの食べ残しがあったのだ。

 空腹の限界を感じていた清乃は、恥を忍んで頭を下げた。


「あの、もしよかったらそれ私にくれない?」

「は? これを?」

「朝から何も食べてないの。いらないなら、お願い!」


 少女はあからさまに嫌そうな顔をしたけれど、清乃の懇願ぶりから本気が伝わったのか呆れた様子で皿を差し出してきた。


「いいよ。残したやつだけど」

「ありがとう!」


 少女の気が変わらぬうちにと、さっさと皿を受け取った清乃はすぐ横のテーブルについた。

 そのままガツガツと食べ始めた清乃に、少女は「うげぇ」と声を漏らした。


「あんた、そんなにお腹空いてるならさっさと来れば良かったじゃない」

「わらしらっへほうしははっへろ」

「いや、食べてからでいいから。汚いなぁ」


 顔を引き攣らせながらも清乃の向かいに腰を下ろした少女は、清乃に水を差し出してきた。

 しっかりと食べ終えて飲み込んでから、今度こそ清乃は答えた。


「私、昨日から働き始めたんだけど、もう今日は体が動かなくて。もっと早くに来たかったけど、遅くなっちゃったの」

「ふーん。ずいぶんひ弱なんだね」


 年下の少女から言われると少々傷つくが、事実なのだから仕方ない。清乃は愛想笑いを浮かべた。


「……うん、まあ。慣れるまでは仕方ないかなって思ってる。でも今日は助かったよ。ありがとう」

「食べ残しでお礼を言われても……」


 少女は、はぁとため息を吐き立ち上がった。


「それよりあんた、今日風呂の日でしょ? さっさと行かないと風呂も閉まるよ?」

「え……どうして知ってるの?」

「隣の部屋だから」


 驚いた事に、少女は隣室の住人だった。一応清乃は宿舎に入った日に両隣へ挨拶に行ったけれど、どちらも留守だったから顔を見ていないのだ。

 けれど少女の方は清乃を知っていたらしい。


「ごめんなさい、気が付かなくて。私は菅原清乃といいます。よろしくね」

「……(リュ)燦景(ツァンジン)。別に馴れ合う気はないから」


 燦景はそれだけ言うとさっさと行ってしまった。素っ気ないけれど、名前を教えてくれたし優しい子だなと清乃は思う。


 そしてこの日以降、燦景は清乃がどうしようもなく困っている時には助けてくれるようになった。

 仕事に慣れるまで時間はかかったけれど、燦景がいてくれたから清乃はギリギリの所で命を繋ぎ、働き続ける事が出来た。

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