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14:身を守るために

 松本には散々心配されたが、五日も昏睡していたとは思えないほど清乃は元気だった。

 毒への恐怖心から食事量だけは戻るのに時間がかかったけれど、むしろ眼精疲労や肩凝りなどいつも感じていた不調も綺麗に消え去って、体はこれまでにない絶好調だ。


 だから念のための療養も一週間も経たずに終わってしまい、清乃は早々に外出許可を得ることが出来た。

 倒れた時こそ苦しかったけれど眠っていた間の記憶はないし、その後を考えると清乃はほとんど影響を受けていないといえる。むしろ毒の一件は清乃より松本の方が堪えており、松本はほとんど宮を出なくなってしまった。


 そんな松本に申し訳ないと思いつつも、清乃は誠英と会いたい気持ちもあり一人ででも出かけようとするのだが。これまでずっと空気のように扱われていたというのに、新しい女官に代わってからは清乃にも誰かしらが必ず付いて歩くようになった。

 まだ主犯は確定していないため、一人で歩いて何かあってはという事らしい。清乃たちが歩く姿は、北陽宮の女官が固まって歩いているように見えるだろう。

 ――ちなみに待遇が劇的に変わった際、風呂や服も松本と同じものに変えられそうになったけれど、さすがにそれはと辞退している。


 そんな状況だから避けられているのか、それとも不良皇子らしく都を遊び歩いていて後宮にはいないのか。

 誠英がよく昼寝をしていた鳳梅の庭園や、宦官たちに悲鳴を上げられつつも勝手に鯉釣りを楽しんでいた蓮池、酒盛りをしていた東屋にもその姿は見えない。


 仕方がないので、それほど綺麗に書けるわけではないけれど覚えたばかりのこの世界の文字でお礼の手紙を認め、会いたいという気持ちも書いた。それを誠英の宮へ届けてもらったが、いくら待っても返事もないから読まれているのかも分からない。

 直接会えないままに日にちばかりが過ぎていき、清乃の胸には寂しさと孤独感が積もっていく。


 そうして清乃が倒れた日から半月ほどが経った頃の事だ。この夜も皇帝が松本の元を訪れ、夜食を食べつつ会話を楽しんでいたから、清乃は同じ室内にいながらも邪魔しない程度に離れた場所で静かに本を読んでいた。

 だというのに、松本が珍しく清乃を呼んだ。


「菅原さん、後宮を出たくはない?」

「え……後宮を?」


 並んで座る二人の向かいに清乃が恐縮しつつも腰を下ろすと、松本は真剣な様子で話を切り出した。

 突然の話に清乃は驚いたが、松本は毒の一件以来ずっと悩んでいたのだという。


「きっと今回みたいな事はこれから先も起きると思うの。もしまた私のことで、菅原さんを巻き込んでしまったらと思うと怖くて……」


 毒を混入させた者たちは捕まって沙汰も下っているけれど、それを指示した者が誰なのかは未だに分からないままだ。

 そんな中で松本は皇帝と急速に仲を深めている。主犯はそれを良くは思わないはずで、松本はまた同じような事が起きるのではと危惧していたらしい。

 そしてそれを、松本は皇帝に相談していたようだ。


「陛下がね、菅原さんを安全に匿える場所を用意してくださるそうなの。私もその方が安心出来ると思って……。どうかしら」


 後宮での暮らしは恵まれているけれど自由はない。ここ最近清乃が特に感じていた事でもあるから、安全を確保した上で出られるのなら清乃としては全く構わないのだが……。


「先生はどうするんですか? 一番危ないのは先生なんじゃ」

「私のことは陛下が守って下さるから大丈夫よ。それに私は出来ればここにいたいの」


 皇帝と見つめ合いながらそう話す松本は、完全に恋する女の顔をしていた。そんな松本の肩を抱き寄せながら、皇帝がチラリと視線を清乃に寄越す。

 そこに拒否を許さないような圧を感じて、清乃は自分が邪魔なのだと察した。


「……先生はそれで幸せになれますか?」

「今も幸せではあるの。ただ、菅原さんのことだけが心配なのよ。最近は一人で出歩けなくなって、菅原さんも窮屈な思いをしてるでしょう?」

「それは……はい。すみません。必要だと分かってはいるんですけど」

「いいのよ。私だって、まだ慣れたとはいえないもの」


 この所の気詰まりを清乃は一切話していなかったのに、松本は気付いていたらしい。皇帝はともかく、松本は純粋に心配して提案してくれているのだと分かる。


 命はもちろん惜しいけれど、清乃にとって気がかりなのは松本が泣くような事にならないかという事だ。何せ毒殺の危険から逃れられても、松本が幸せになれないなら帰ってきた風間に何をされるか分からないのだから。

 そこさえクリア出来るなら、皇帝に睨まれてまで清乃がここにいる理由はない。身の安全さえ確保してもらえるならそれでいいと思える。


 唯一の心残りは誠英と会えなくなる事ぐらいだろうか。どんな形で匿われるのかは分からないけれど、どちらにせよ後宮を出てしまえば会う事は叶わないだろう。

 けれどそれでも、松本の恋路を邪魔してまでここにいようとは思えなかった。


「あの、日本に帰る時はちゃんと呼んでもらえますよね?」

「もちろんよ。如月さんたちが帰って来た時も毎回呼ぶわ。これきり会えなくなるわけじゃないの。ただ普段過ごす場所を、安全で安心出来る場所にしてあげたいだけなのよ」

「分かりました。そういうことなら、お願いします」


 松本は完全に皇帝に信頼を寄せており、皇帝も松本の事を大切にしている。だから松本の願いを受けて皇帝が用意してくれる場所は、そう悪い所ではないだろう。


 そんな風に思っていたからこそ、この話を受けたのだけれど。その予想が甘かったと気付いたのは、後戻り出来ない所まで行ってからだった。

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