13:拭えない違和感
目を覚ました清乃は、食事中に倒れたはずなのになぜか寝台で横になっていたから少々混乱してしまった。
何かおかしな物を口にして倒れ相当苦しい思いをした記憶があるが、痛みも何も感じない。むしろこの数年で一番体調は良く、あれは夢だったのかと思うほどだ。
不思議に思いつつ身を起こし、清乃は寝台を抜け出す。すると物音に気付いたのか、慌てた様子で松本が部屋へ入って来た。
「菅原さん、気がついたのね!」
「先生? 私……」
「体は大丈夫? 痛いところは? 吐き気はない?」
「大丈夫です。すごく元気ですよ」
「そうなのね、良かった……!」
不安げな松本に微笑んで答えれば涙目で抱きしめられたから、やはり自分は一度倒れたのだと清乃は悟った。
「あの、何があったんですか?」
「落ち着いて聞いてね。菅原さんは毒で死にかけたの。八の皇子のおかげで命は助かったけれど、五日も眠っていたのよ」
ずっと松本が清乃の看護をしてくれていたそうで、顔には疲れが見えるが余程安心したのだろう。松本は心配そうに眉根を寄せつつも、ホッとした様子で話してくれた。
けれどまさか五日も経っていたとは思わず、清乃は唖然としてしまう。しかも毒で死にかけたなど、どんな猛毒だったというのか。よく生き残れたものだと清乃は震えた。
「毒って、あの料理に入っていたんですか?」
「そうね。これから詳しく話すけれど、まずは着替えて食事にしましょう?」
松本が声をかけると、部屋に女官たちが入ってくる。けれどその顔触れは、これまで北陽宮にいた者たちと全く違っていた。
そればかりか、女官たちは気味の悪いほど和やかに清乃の世話をあれこれと焼いてくる。ずっと放置されていた清乃は、初めての事に翻弄されるばかりだった。
そうしてまだ無理はしない方がいいからと、以前夜食を食べた時のように寝室に食事が用意された。
時刻は昼過ぎのようで松本にも点心のような軽食が用意されたけれど、清乃には胃に優しいようにと気遣われたのだろう。出されたのは消化に良さそうな粥だった。
毒で倒れたらしいと分かったから食べるのは正直恐ろしかったが、わざわざ女官が毒味をしたものを差し出してくる。
そこまでしてもらうのもかえって恐縮してしまうが、何も食べないままでは松本も話をしてくれない様子なので恐る恐る匙を口に運んだ。
「良かった。食べられそうね」
「はい。ご心配をおかけしました」
「いいのよ。私のせいだもの。巻き込んでしまってごめんなさいね」
食後のお茶を飲みながら、松本は何があったのかを順を追って話してくれた。
清乃が倒れた時、皿を巻き込んでしまったから、毒がどの料理に混入していたのかを調べるのは大変だったそうだ。
けれどそれを、皇帝が指示して突き止めてくれたらしい。驚いた事に、毒は皇后から贈られた菓子に含まれていたという。
「あの日届けに来た女官はすぐに捕まえられて陛下が直々に調べて下さったそうなのだけれど、皇后娘娘の指示かは分からなかったそうよ。ご本人は否定されてて嵌められたと仰ってるらしいの。でもあのお菓子だけじゃなく匂い袋にも堕胎作用のある毒草が入っていたみたいで……。疑いは晴れていないから、今は謹慎なさっているわ」
清乃の記憶では菓子に手を付けた覚えはないのだけれど、匂い袋にも仕込まれていたのならそうなのかもしれない。
松本と皇帝の間に男女のあれこれは何もないけれど、後宮の女たちは不安を感じていたらしい。そこで狙われた松本の代わりに、清乃が倒れてしまったという事のようだ。
仲良くしてくれていた皇后や妃嬪の中に犯人がいると知って、松本もショックだったのだろう。松本は悲しげに目を伏せていた。
「それでどうして私を助けてくれたのが八の皇子なんですか?」
「それは後宮のお医者様が助けてくれなかったからなの。異世界人の体は分からないからと言うから、どうしたら助けられるのかを聞いたら祠部なら分かるかもしれないと言われてね。それで八の皇子に来て頂いたの」
「そうなんですね。誠英様が……」
誠英が祠部郎中として救ってくれたのだと聞いて、清乃は驚いてしまった。ちゃんと仕事が出来たのだなという思いと、いつもフラフラしている彼をよく捕まえられたなという意味でだ。
けれどそれも一瞬の事で、次いで湧きあがったのは助けてくれた事への感謝と、自分のために駆けつけてくれた喜びだった。清乃の頬が自然と緩んで、紅潮していく。
「お礼を言わないといけないですね」
「そうね。でも一度ちゃんと診てもらってからにしましょう。それまで出かけるのは禁止。無理は禁物よ」
松本が呼んでくれたようで、それから程なくして初老の医官がやって来たのだが、驚いた事にその人はただの宮廷医ではなく、皇帝の主治医であり宮廷医官の長でもある太医だった。
「後遺症もないようですし、全て正常ですな。身体機能に問題は見られませぬが、眠り続けた事で体力は落ちておりましょう。よく食べて適度に体を動かし、日常生活に支障がないようになれば出歩いても構わないでしょう」
「分かりました。ありがとうございます。……良かったわね、菅原さん。太医のお墨付きならもう安心だわ」
あの日、清乃の治療を断った医官も、医官を呼びに行くのを渋った女官たちも皆更迭されたそうだ。代わりに元々皇帝の世話をしていた女官たちが北陽宮へ来ているそうで、診察を終えた清乃の服を丁寧に着付けてくれた。
今回太医が来てくれたのも、皇帝がそう指示してくれたかららしい。これまでとは真逆のあまりに丁重な扱いに、清乃は有り難みを通り越して空恐ろしく思えた。
太医の話を受けて、清乃はもう数日大事を取り療養に努める事となった。
その間、松本もずっと宮内にいてくれるのだが、なぜか皇帝が朝だけでなく夜も顔を出すようになっていた。
「ようやく目を覚ましたか。これで安心出来るな、陽妃」
「はい、陛下。これも陛下のおかげです。本当にありがとうございます」
「何、このぐらい。そなたの憂いを払うためだ、造作無い事よ。これからも何かあれば遠慮せずに言うのだぞ」
どうやら松本は、清乃が倒れてからの数日間ですっかり皇帝に気を許してしまったらしい。皇帝と松本は二回り近い歳の差があるが、二人の間の距離はぐっと縮まっていてまるで恋人のように甘やかだ。
けれど皇帝に信頼を寄せる松本の姿に、清乃は安心していいのかどうか悩んでしまう。
確かに皇帝のおかげで犯人の目星は付けられたようだし、清乃への対応も良い方へ変わったのだが、あまりに変化が急過ぎてどうにも違和感を感じるのだ。
何せこれまで清乃の事など眼中になかったはずの皇帝が、今はしっかりと清乃と目を合わせ時折微笑みまで見せてくる。そこには松本への印象を良くしようとする下心がありありと感じられて、清乃としては素直に親切さを受け取れない。全てを額面通りに受け取っていいのか、何か裏があるのではと考えてしまう。
そしてそれを微笑ましいような目で見てくる女官たちも、何だか薄気味悪く感じてしまう。
良くしてくれる相手を疑うなんていけない事だと思うし、毒を盛られたからと疑い過ぎているのかもしれないとも思うが、世話をしてもらう度になぜか周囲を欺く綺羅蘭の顔が思い出されて仕方なかった。
かといって、そんな事を松本に言えるはずもない。皇帝と過ごす松本はこれまで見た事がないほど幸せそうで穏やかな顔をしている。
自分の狭い心が感じる不安をぶつけて、それを壊してしまうのは嫌だった。
(誠英様に会いたいな……)
環境は良くなったはずなのに清乃はあまり落ち着かない。疑心暗鬼に囚われているからか、宮内で一人だけ浮いているような気分になってくる。
不安を振り払いつつ過ごす日々で思うのは誠英の事ばかりだ。
こんな時、誠英なら清乃の感覚をどう受け止めてくれるだろうか。皆が親切になって良かったなと喜んでくれるのか。それともやはり怪しいと言ってくれるのか。
もちろん相談したいだけではない。あの日、助けにきてくれたのだ。きちんとお礼を言って、元気になった姿を早目に見せて安心してもらいたいとも思う。
けれどようやく外出許可が出ても、誠英に会う事は出来なかった。




