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10:変わり者の皇子

 次に誠英に会ったらお礼と謝罪をしよう。そう思ってはいたけれど、きっとそれはだいぶ先になるだろうし余程の運がないと無理だろうとも思っていた。


 何せ清乃は松本に守ってもらっているだけのオマケで、相手は腐っても皇子だ。身分が違いすぎるから、誠英の住む宮を訪ねるわけにもいかない。

 それに不良と呼ばれるほど遊び歩いているならば、後宮内だけでなく城の外にも出かけているだろう。青藍城の周りにはかなり大きな町が広がっているらしい。歴史ある大国の都に相応しい栄えぶりだと聞いている。

 そこへ誠英がどの程度出かけるのか知らないけれど、ただでさえ広い後宮内で偶然顔を合わせる確率は相当低いはずだった。


 だからそれから数日間、特に予定がないという松本とのんびり宮内で過ごしても焦らなかったし、また皇后に呼ばれたと松本が出かけた際に、今度こそ書庫に行こうと一人で宮を出た時も出会えるとは思っていなかった。


(そういえばこの前会ったのはここだったっけ。確かこの辺を歩いてたんだよね。そしてあっちの木で寝てるのを初めて見かけて……)


 数日ぶりの書庫への道を完全に気を抜いて楽しみつつ、誠英との出会いをボンヤリと思い出していた時だった。不意に「清乃」と横から声をかけられて、ビクリと肩を震わせる。

 立ち止まると驚いた事にいつの間にか誠英が立っていた。これほど近くに来ていたのに全く気付かなかったのかと、清乃は自分に呆れた。


「八の皇子」


 慌てて拱手して頭を下げようとすると、誠英に肩を掴まれ止められた。


「今日は陽妃も女官もいないだろう。そういうのはよしてくれ」

「ですが」

「お前には名を呼ぶ事を許したんだ。初めて会った時のように気楽に話すがいい」


 誠英は機嫌良さげに笑みを浮かべているが、そういうわけにもいかないだろう。


「あの時の事は謝罪させてください。知らなかったとはいえ、失礼なことを」

「だからそういうのはやめろと言っている。お前は女官ではなく、召喚された異界人だろう? 世界の理から外れているのだから、私が皇子でも関係ないはずだ」


 思いがけない言葉にハッとする。清乃は名前以外自身の事を話していないのに、なぜ誠英は知っているのだ。書庫などでたまに鉢合わせる他の妃付きの女官や宦官たちにも、下っ端の女官だと思われているというのに。


「どうして……」

「召喚の儀には、私も他の皇子も皆いたからな。まあ、下の二人は子どもだからいなかったが」


 思い返してみれば、確かに皇帝のそばに何人も宮廷衣装を着ている者たちがいた。清乃はてっきり大臣のような人たちかと思っていたが、皇子たちもいたらしい。

 そこに誠英もいたなんて、と清乃は驚いた。


「じゃあ最初から、私のことを知ってたんですか?」

「まあな。まさか勘違いされた上に、逃げろと言われるとは思わなかったが」


 誠英はクスクスと愉快げに笑う。

 何て人が悪いのだろう。誠英は清乃を揶揄って遊んでいたのだ。清乃は思わずじっとりとした目で睨んでしまった。


「そう拗ねるな。菓子は口に合ったか?」

「それは……美味しく頂きましたけど」


 それで手打ちにしろという事なのだろう。皇子なのだから清乃の機嫌を取る必要なんてないのに、とことん変な人だと思う。

 何だか呆れてしまうけれど、こんな風に子どもじみたやり取りなんて久しぶりで自然と笑みが溢れた。


 というのも、綺羅蘭たちから揶揄われた時と違って誠英から悪意は一切感じられなかった。言葉を交わしたのはまだ三回目なのに、どこか親しみすら感じられる。

 これも誠英が不良皇子と言われるほど遊び慣れているからなのだろうか。違和感なく、いつの間にか近しい距離にスッと入り込まれている気がするけれど、それすらも全く嫌ではなかった。


「誠英様はここによく来るんですか?」


 誠英の希望を受け入れて名前で呼ぶと、誠英は嬉しそうに微笑んだ。


「まあ、そうだな。この花が好きなんだ」

「綺麗ですよね。私のいた国にもこれに似た花を咲かせる木がありました。これは何ていう木なんですか?」

「これは鳳梅(フォンメイ)という。良い香りがするだろう? 香木にも使われるんだ」

「そうなんですか」

「お前の国では何というんだ? 良かったら少しお前がいた世界の話を聞かせてくれないか」


 誠英の誘いに清乃は頷き、木陰に置かれている長椅子に腰を下ろす。そうして誠英の問いに答える形で、日本や地球の事を話して聞かせた。


 考えてみれば、この国へ来て初めて日本の事を聞かれたなと清乃は思う。もしかしたら綺羅蘭たちは何か聞かれているのかもしれないが、毎朝松本を訪ねてくる皇帝ですら松本個人の好みや日々の暮らしへの感想などを聞きたがるばかりだ。

 もし皇帝のように、誠英が清乃自身ついて尋ねていたら、何と答えていいのか分からなかったかもしれない。父を亡くしてから、清乃はとにかく自分を殺してきた。他人に語るような何かを持ち合わせてはいないのだ。


 だからだろうか。それほど長い時間話していたわけではなかったが、誠英と過ごす時は存外楽しく感じられた。


「お前はいつもここに来るわけではないのか? この数日は姿が見えなかったが」


 そろそろ戻らなければならないかと考え始めた頃、不意に誠英は清乃自身について問いかけてきた。

 どうやら誠英はあれから毎日この庭園に来ていたらしい。まさか清乃を待っていたわけではないだろうが、気にしてくれていたのだろうか。

 意外な事を言われて、清乃は驚いた。


「ええと……。私はよく本を借りに行くので、その時にここを通るだけです」

「本? そういえば眼鏡をかけているな。目を悪くするほど本が好きなのか?」

「これは高校受験……じゃ伝わらないか。勉強のし過ぎでなっただけですけど、本は好きです。誠英様は本を読まれますか?」

「そう見えるか?」

「……見えないですね」

「はは、やはり面白いな。お前は」


 誠英は一つ頷くと、ニッコリと笑った。


「清乃、明日もここへ来い」

「えっ」

「もっとお前の話を聞かせてくれ。明日は酒を持ってきてやるから、飲みながら話そうじゃないか」

「いや、いらないですよ。お酒なんて。……そういえば、今日は飲んでないんですね」

「いや、もう飲み干しただけだ。もう少し持ってきていれば、分けてやれたんだがな」

「だから私はお酒は飲みません! それに誠英様、いい加減お酒はやめましょう? お仕事だってあるんでしょうに」

「なんだ、今さらだな。お前が気にする必要はないだろう」

「気にしますよ! サボりに付き合わせようとしないでください! 私は忙しいんです!」


 一体どこまで本気なのか分からないが、珍しい異世界人だからだろう。どうやら清乃は暇潰しにちょうど良いと思われたらしい。

 清乃は別に忙しいわけではないが、こうでも言わないと本当に誠英は清乃を待っていそうだ。結局今日も書庫には行けず仕舞いだったし、明日こそは行きたいと思う。


 けれど清乃の思いとは関係なしに、この日から頻繁に誠英と顔を合わせる事になる。鳳梅の庭園だけでなく、書庫や東屋、蓮池など、清乃が一人でいる時に限って後宮内の至る所に誠英はフラリと現れるのだ。

 その都度誠英に揶揄われたり酒の飲み過ぎを止めたりと、何かと忙しく過ごす事になるのだが、不思議な事に清乃はそれらを少しも嫌だとは思わなかった。むしろ回数を重ねる度に、誠英に会えるのを楽しみに感じるようになっていった。

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