プロローグ:オマケと不良皇子
初めての中華風異世界モノです。
色んな時代の中国っぽさを寄せ集めた世界を設定して書いてます。
よろしくお願いします!
菅原清乃は昔からツイていなかった。幸運とは言えない星の下に生まれた事は自覚していたけれど、どうやらそれは世界が変わっても同じらしい。
昼間でも薄らと見える大きな青白い月が空の半分を覆う瑞雲国。その中枢である青藍城の片隅で、清乃は今日も重い水桶を吊るした天秤棒を担いで歩く。
清乃は今、瓦屋根の宮殿がいくつも集まる広大な城で下女として働いている。主な仕事は住み込みで働く者たちの台所である膳房への水汲みと食材の運搬だ。水汲みは朝昼夕の三回。水道を捻れば簡単に水が出た現代日本と違って、この世界では井戸から汲み上げてわざわざ運ばなければならない。
午前中の食材運びを終えた足で休憩する間も無く昼の水汲みに従事しているが、このひと月で慣れて来たとはいえ色々と辛い。
この世界へ来た時に着ていた高校の制服は、珍しいからとすぐに取り上げられてしまった。今はここ瑞雲国の女性たちの一般的な装いである襦裙という上下で分かれた衣に帯を締め、前掛けをしている。
下女とはいえ城で働く者の服だから破れや汚れはないけれど、女官の物と違って質は悪くゴワゴワとした硬い肌触りだ。巻きスカートのような形をしている裙の下に袴のような褲子を履いているから意外と動きやすくて楽ではあるが、生地が薄いから天秤棒を担ぐと肩に食い込んで痛かった。
靴も同じく履き慣れたローファーを奪われて布靴を渡されたが靴底が薄く、長時間歩くと足裏が痛くなる。筋肉痛こそようやくならなくなったけれどかなりの重労働だ。
それなのにこの世界の食事は朝夕の二回だけ。これは日本にいた時も似たようなものだったけれど、運動量が段違いに多い今はとにかくお腹も空いている。いつもの事とはいえ、さすがにもう清乃もフラフラだ。
それでもどうにか、担当分の水汲みは終わらせたのだけれど。
「おや、まだ足りてないよ。もう一回汲んでおいで」
「……はい」
「まったく愚図だねぇ。使えないったらありゃしない」
先ほど満杯にしたはずの水甕の一つが、なぜかもう空になっている。嫌がらせなのは明白だけれど、それを訴えた所でどうにもならないのは分かっているから黙って再び水汲みに向かう。
今の時間、皇帝やその妻の妃嬪たちは間食として点心を楽しむ事が多い。多めに作られるそれらは下働きの者たちにも時折配られるが、全員に行き渡るわけもない。大方、取り分を増やすべく清乃の仕事を増やしたのだろう。同じ下女とはいえ異分子である清乃への風当たりは強く、こんな事は日常茶飯事だ。
(またか……。キララがいてもいなくても、結局私はこうなるんだ)
ため息を堪えて井戸へ戻ると、水を汲み直すついでに自分も水を飲み、グゥと鳴いて空腹を主張する胃袋を誤魔化す。そうしてふらつく身体を叱咤して重い天秤棒を担ぎ歩き出したが、少し離れた所で限界を迎えて倒れそうになる。
このまま運ぶのは到底無理だと思い、天秤棒を下ろした――その時。
「ずいぶん大変そうだな」
いつからそこにいたのか。ハッとして顔を上げると、葉を茂らせた木の太い枝上に、片膝を立てて気怠げに座る青年の姿があった。
美麗という言葉がこれほど似合う男はそういないだろう。深衣という裾の広い長衣に帯を締め、細かな刺繍が施された薄青の羽織を纏っている姿は、整った顔立ちも相まって映画のワンシーンかのように美しい。高貴な人物だと一目で分かるが冠や簪は付けておらず、緩く結ばれた長い銀髪がその肩からさらりと流れ落ちる。
つい見惚れてしまいそうになるが、こんな姿の人物はこの城で一人だけだ。
城にいる男たちのうち下男や兵士はこのような上質な服を着る事はないし、官僚や宦官は筒状の服に帯を締める袍衫という朝服を着て帽子を被っている。皇帝や何人もいる皇子たちだって同じはずで、真昼間に私服となる深衣を着て城を彷徨く者など普通はいない。
何より髪染めの文化もなく黒髪の者ばかりなこの国で、若くして銀髪なんて目の前の彼しかいない。
妖艶さすら感じられる切れ長の目に見据えられて、清乃は慌てて頭を下げた。
「八の皇子」
「顔を上げろ。お前には誠英と名で呼ぶのを許したはずだ。もう忘れたのか?」
「でも今の私は……」
「何度も言わせるな。陽妃の元を離れても関係ない。お前だって国を救うために呼び出された異界人だろう? たとえ期待外れのオマケだとしても」
瑞雲国皇帝の八番目の息子、誠英はそう言ってひらりと枝から舞い降りた。
意地悪気に口角を上げ煽るように言われて、清乃は思わずムッとした。
「あなたにはそんな風に言われたくないです。不良皇子の誠英様。こんな所でサボってないで、お仕事に行かれた方がいいんじゃないですか」
第八皇子の誠英は遊び歩いてばかりだと有名で、裏では不良皇子と呼ばれている。今もよく見てみれば、片手には酒器をぶら下げていた。
彼がサボり魔なのはいつもの事とはいえ、昼間から酒を飲むなんて感心しない。眉を顰めて苦言を言うと、誠英は愉快げに眉を上げた。
「へえ? そんなことを言うのか。一人で食べるのも何だし、一緒に饅頭でもどうかと思ったんだが」
「食べます! 頂きます! 不良皇子だなんて言ってすみませんでした!」
どこに隠し持っていたのか、いつの間にやら誠英の手には布の包みがある。清乃はこの世界で唯一奪われなかった瓶底メガネの奥で、瞳をキラキラと煌めかせた。
食べ物に罪はない。それどころか今の清乃には天の助けだ、悪魔にだって平気で魂を売ろう。昔の中国に似た雰囲気のこの異世界では、鬼とか妖怪と言うべきなのかもしれないけれど。
「お前は本当に面白いな。故郷では書生のまとめ役で真面目だったのではないのか」
「ここにはまとめる相手なんていませんから。これでいいんです」
二人並んで木の根元に腰を下ろすと、誠英はどこかの膳房から酒と一緒に調達してきたらしい肉饅頭を分けてくれた。解れたお団子頭から落ちてきた髪を耳にかけ、清乃は肉汁が落ちないように気をつけてかぶりつく。
腐っても皇子だというのに誠英は変わっている。遊び人だという以外にも、高貴な人は近寄りたがらないこんな裏手にわざわざやって来るし、誰も見向きもしない清乃に声をかけるのだから。
けれどそんな誠英だからこそ、清乃は臆せずに向き合えるというものだ。
辛い事はたくさんあるけれど、この変わり者の皇子様と知り合いになれたのだけは唯一幸運だったと思える。
彼と出会う前、日本にいた頃の清乃は本当にひとりぼっちだったから。




