1-66
やがて数分と経たず――
向けられた背中から静かな寝息が立ち始め、
「さぁて、僕は昼食作りを始めますかぁ♪」
ラディッシュが腕まくり。
すると半信半疑であったのか、パストリスが少し驚いた顔して、
「本当に調理を、ラディッシュさ……」
言いかけて、
「!」
慌てて口をつぐみ、ラミウムの背中をそっと窺い見て、
「…………」
寝息に変化が無いのを確認すると、安堵した表情で胸を撫で下ろし、
「ラディさんが?」
改めて尋ね直した。
(あんな風に言われたら、そう言う反応になっちゃうよねぇ~)
苦笑するラディッシュは当然と言った口振りで、
「そぅだよぉ♪」
「…………」
文化的な違いから違和感を拭いきれないパストリスを前に、周辺に転がっていた石や枝を使い、慣れた手つきで竈を作り始め、横に渡した枝には鍋を吊るし、調理場をセット。
吊るした鍋には溢れんばかりの野草を入れると、上に無理矢理フタを乗せ、更にその上に、干し肉と水の入った竹筒を「重し代わり」に置き、最後に、竈の薪にドロプウォートから借りた火打石を使って火を点けた。
枯れ葉で種火を作り、それを薪に乗せて燃え移らせたと言うのが「正確な手順」ではあるが、竈の中で成長した炎を前に、
「ちょっと火が当たり過ぎかなぁ~?」
鍋を直火から少し遠ざけるラディッシュと、その傍らに屈み、調理手順を不思議そうに見つめるパストリス。
「どうかしたの、パストさん?」
物言いたげな空気を察したラディッシュが声を掛けてみると、
「いえ、そのぉ……」
(オマエ如きが知った風な口をきくなって、言われちゃうでしょうかぁ……)
叱責されるかも知れない恐怖心と戦いながら、
「その……お鍋に、お水が全然入ってませんでぇすよ……それに調味料も……」
躊躇いながら、おずおず尋ねた。
無論、ラディッシュが「その様な侮蔑」を口にする人間でない事は、未だ短い付き合いとは言え重々承知していたのだが、その身に沁みついた差別から来る恐怖心は易々と消えるものではなく、癖の様につい顔色を窺う聞き方をしてしまったのであった。
それを理解してか、知らずかラディッシュは気にする風もなくニコやかに、
「あぁ~これはねぇ「蒸し焼き」って言う調理法なんだ♪」
その笑顔に、パストリスは内心ホッととしつつ、
「むしやき?」
この世界(中世)において調理と言えば「焼く・煮る」であり、「蒸す・炒める」など手間数の増える調理法は存在せず、大量の油を使用する「揚げる」はあるにはあるが、貴族、王族など、一部富裕層の贅沢料理であった。
「蒸し焼きって言うのは水分を使って焼く? みたいな方法で、今みたいに食材が持つ水分を使って蒸すと、余分な水を使わないから美味しくなるんだ。水の節約にもなるしね♪」
「だから調味料も使わないんでぇすか?」
「流石にそこまではねぇ」
ラディッシュは小さく苦笑すると、
「干し肉を作る時に保存性を高める意図もあって、あらかじめ強めに調味料をまぶしてあって……干し肉って、今は竹筒の中で水に浸しているでしょう? これは固くなった肉を戻して柔らかくする意味もあるんだけど、調味料が溶け出た水を使って味を仕上げるのにも使うんだよ♪」
「なるほどでぇすねぇ~」
理屈が分かり、頷いてはみたものの未知料理の話で想像がつかず、
(そんなに美味しくなるのかなぁ?)
内心で半疑のパストリスであったが、ラディッシュが「柔らかくなった干し肉」だけを竹筒から取り出し、鍋に入れようと蓋を開けた途端、
「!?」
解放された蒸気に、
(イイィ香りぃ~~~)
ウットリ目を細めた。
鍋の中に封印されていた、蒸された食材から出た「甘い香りを纏った蒸気」が、蓋を開けた事により一気に解き放たれたのである。 彼女は後にこう語る。
※ ※ ※
『あの日、ボクも胃袋ごとラディさんに掴まれてしまったんでぇす』
※ ※ ※
好反応を見せるパストリスに、ラディッシュは嬉しそうな笑顔で、
「良い香りでしょう?」
否応なしに食欲を刺激されたパストリスも、
「はぁい♪」
笑顔を見せると、
「鍋に「戻した干し肉」も入れて蓋をして更に蒸す。で、最後に蓋を外して干し肉の味が染み出た水を調味料代わりに入れて、ある程度水を蒸発させたら完成ぇ。なんだけど……」
ラディッシュは少し残念そうな顔して、
「流石に本当の調味料を使うより、どうしても味が薄くなっちゃうんだよねぇ~」
しかしパストリスは「蒸す」と言う新しい調理法に感心しきり、
「ボクは「煮る」か「焼く」しか知りませんでぇした! スゴイなぁ~これが「異世界の調理法」と言うモノなんでぇすね」
感嘆の笑顔を見せたが、当のラディッシュはクツクツ音を立てる鍋を見つめたまま、
「どう、なんだろうぅねぇ……」
その笑顔の横顔は、どこか悲し気で、
「え?」
「僕には向こうの世界の記憶が無いんだ」
(!)
「と言うより、多分、ラミィに消してもらったんだ」
「多分?」
「あの揺れる寝床籠もそうだけど、必要に迫られた時だけ頭にパッと浮かぶ。それが思い付きなのか、異世界の記憶の断片なのかは、僕にも分からない……」
微かに感じる哀愁に、
「その……聞いても良いでぇすか?」
「ん?」
「どうして記憶を?」
「さぁ……どうしてだろ?」
ラディッシュは薄く笑い、
「それも、何も、覚えていないんだ」
「記憶が無くて、その……寂しくは無いんでぇすか?」
「僕は「この世界の人間」じゃないからね。知り合いもいないし、何の思い出も無い」
「…………」
「それに自分から望んで「記憶を消してもらった」って言う事は……多分そう言う事なんじゃないのかな?」
陰りを感じる笑顔に、
(あっちの世界は「消したいほどの記憶しか無かった」と、言う事なんでぇすね……)
数々の辛酸を嘗めて来たパストリスも話に釣られる様に、次第に表情を曇らせて行くと、察したラディッシュが、
「でもね、これは強がりじゃなく、本当に寂しさは感じてないんだよ」
ニコリと笑いながら、
「パストさんも一緒に居て分かるでしょ?」
「?」
「だってほらぁ、ラミィは毎日毎日ワガママ言いたい放題だし、ドロプさんは頭が堅くて融通が利かないうえに、すぐ調子に乗って大失敗するし、放っておくと二人はすぐケンカを始めるし、寂しいなんて思ってる暇は無いんだよぉ~」
困惑笑いに、パストリスも気分が少し軽くなり、
「確かにそうでぇすよね♪」
「でしょ♪」
同意して笑い合った途端、
『戻りましたですわぁ!』
唐突に、森の方から声が上がり、
「「!」」
ギクリとする二人。