第14話 「完敗、そしてスペシャルパフェ」
約5500字です。
「ふぅ。お腹いっぱい」
そう言ってお腹をさする俺に、昼食の後片づけをしているイチカが新しいお手拭きを渡してくれる。
「お粗末さまでした。美味しかった?」
「ああ。めちゃくちゃ美味しかったよ。――イチカ料理できたんだな」
俺の最後の一言が、イチカの何かを刺激してしまったらしい。彼女はそのピンク色の頬を小さく膨らませる。
「失礼ね。誰かさんと違って、私は料理くらいできます」
「はは……。返す言葉もございません」
――何かまずいこと言ったか? 褒めたつもりなんだけど……。
そう心の中でぼやいたとき、あることが疑問に浮かぶ。
「イチカって、もしかして前の世界でも料理してたのか?」
「えっ? ……どうして?」
彼女は俺の言葉に、荷造りの手を止めてこちらを見る。
「あ、いや……」
思わぬ反応に、俺は一瞬言葉が詰まるも、そのまま疑問を口にする。
「ほら、こっちの食材って見た目とかは似てるけど、味や香りは全然違うだろ? 調味料とかも見たことないものばかりだし。だからそんな食材で料理出来るってことは、元の世界でもしてたのかなって」
「ああ、そうね……」
彼女はなぜか安堵したようにそう呟くと、また手を動かし始める。
「あなたの言う通り、前の世界でも料理はしてたわよ。というか、私にはそれぐらいしか出来る事がなかったから……」
「…………」
彼女らしくない含みのある言い方だったが、俺はそれ以上聞くことができなかった。彼女の綺麗な瞳が、あまりに悲しそうで寂しそうだったから。
今クトーリアで生活する全ての人間が、自分の意志とは関係なくこの世界に召喚された者たちだ。そして、漫画やゲーム、小説の登場人物たちとは違い、彼ら彼女らのほとんどが元の世界に戻りたいと願っている。もちろん、この世界で生きていきたいと思っている人たちもいるにはいるが、全体で見れば少数派だ。
しかしそれは、この世界よりも元の世界の方が幸せだったということではない。あのコウジですら、元の世界では罪を背負っていた。彼だけじゃない。この世界に生きているほとんどの人間が、元の世界に色々な思いを抱えている。
ゆえに、この世界では元の世界のことは聞かないという暗黙のルールがあった。
――俺は何をしているんだろうな……。
久しぶりの温もりある手料理に、気が緩んだのだろうか。
いつもなら、どんなに親しくなった相手でも、プライベートのことを聞いたりはしない。それが元の世界に関わることならなおさら。
俺は自分の間抜けさに辟易しながらも、彼女に頭を下げる。
「すまなかった……」
「……どうしてあなたが謝るのよ」
「元の世界のことは聞かない。それがこの世界のルールだろ? だから……」
彼女は小さく笑うと、俺の言葉を遮るように言葉を紡ぐ。
「いいわよ、別に。元の世界では色々あったけど、それは私の問題。誰のせいでもないわ。ましてや、あなたが謝る必要なんてないのよ」
そこまで言ったとき、彼女は何かを思いついたようにニヤリと笑う。
その笑みは悪戯を思いついた無邪気な少年のそれだった。
「でもそうね。もしあなたが本当に私に悪いことをしたと思ってて、どーしても謝罪したいというのなら、いい考えがあるわ」
「…………」
――何だろう。嫌な予感がする。
「甘味処ポムポムの超特大スペシャルパフェを奢ってくれたら、今回のことは綺麗さっぱり水に流すわ」
「なっ……」
彼女の言葉に、俺は思わず言葉を失う。
甘味処ポムポムと言えば、今話題のスイーツ専門店だ。その人気は凄まじく、甘味処ポムポムの名前を出せば、どんな女性でもデートに誘うことが出来ると男性冒険者の中で噂されるほど。そんな有名店の看板メニューが、彼女が言った超特大スペシャルパフェだ。それは全長六十センチにも及ぶ巨大なもので、生クリーム、アイス、果物とクトーリア中の甘いものがこれでもかというほど詰め込まれている。
しかし驚くべきところはそこではない。
その値段だ。
クトーリア金貨五枚。元の世界の金額に直すと五万円だ。一般的なケーキが銅貨五枚(五百円)程度なので、単純計算で百倍だ。
決して払えない金額ではないが、それでも簡単にポンと出せるものでもない。思わず財布と相談しようとする俺に、彼女はすかさず口を開く。
「無理ならいいわよ。渋々奢ってもらうのもなんか悪いし」
「うっ……。い、いや、無理ってわけじゃ……」
たじろぐ俺を横目に見て、彼女はこれ見よがしに一つため息。
「はぁ……。一度でいいから食べてみたかったなぁ、甘味処ポムポムの超特大スペシャルパフェ」
その整った眉は角度を下げ、透き通った瞳は憂いの光を宿していた。
完敗だ。
「分かった。分かったよ。奢らせていただきますよ。甘味処ポムポムの超特大スペシャルパフェ」
「……ほんと?」
「ほんと」
「いいの?」
「いいよ。任せとけ」
俺がそう言うや否や、
「やったー!!」
彼女はそう言って、今までの表情が嘘のように満面の笑みを浮かべて飛び跳ねる。
その様子を見て、俺は全てを悟った。
――してやられた。
しかしそう思ったのも一瞬だった。
彼女の本当に嬉しそうな笑みを見て、騙されるのも悪くないと思ってしまったのだ。
――もともと勝ち目のない勝負だったってわけか……。
「ねぇ」
「ん?」
「いつ行く?」
「俺はいつでもいいよ」
「じゃあこのダンジョン探索が終わったらどう?」
「ああ、俺は問題ないよ。帰り道にってわけにはいかないだろうけど、この探索が終わったらしばらく休息するつもりだったから、そこらへんで行くか」
「やった! 約束よ」
彼女は言うや否や、フードを被り、リュックを背負って立ち上がる。
「そうと決まれば、さっさと行きましょう。パフェが私たちを待ってるわ!」
「急にやる気満々だな」
「当たり前でしょ。甘いものは人類の生きる希望よ」
そう言って、一人で先に進む彼女の背中を追いかけようと立ち上がった、その時。
今しがた自分たちが通ってきた道から、微かに何者かの気配を感じる。
「…………」
「どうしたの?」
じっと後ろを見つめる俺に、彼女がそう問いかけてくる。しかし俺はそれにこたえるようなことはせず、人差し指を唇に当て、静かにするようジェスチャーで指示を出す。
彼女が怯えたように体を固くした。声をかけてあげたい。大丈夫だと励ましてあげたい。自分のその願望を無視して、俺はしゃがんで地面に耳をつける。
すると、金属同士が擦れる音と共に、男たちの話し声が聞こえてきた。
「おいタケル、さっきの俺の刀さばき見たか? 完璧だったろ」
「どこがだよ。ただの力任せじゃねぇか」
「っるせぇ。お前には聞いてねぇよ、ソウマ。俺はタケルに聞いてるんだ」
「二人とも、喧嘩はやめてください。私はシュウの戦い方好きですよ」
そんな会話をしながら、足音はどんどん近づいてくる。イチカも彼らに気づいたらしく、足を止め聞き耳を立てていた。俺はそんな彼女を手招きしてこちらに呼び寄せる。
「この声って、まさか冒険者? こんな所に?」
「――ああ、そうみたいだな」
イチカが驚くのも無理はない。今俺たちが潜っている脇道と呼ばれるダンジョンは、シュベルツガルムの主階層からは完全に独立したダンジョンで、得られるアイテムも主階層に比べて質が悪く量も少ない。これらの理由から脇道に潜る冒険者はほとんどいない。それこそ俺やイチカのように特別な理由がない限りは。
「ねぇ、どうするの? 見つからない内に、先に進む?」
「……いや、それは難しいかもしれない」
「どういうこと?」
ここは主階層とは違い、全体的にマップは狭く、通路も細い一本道が続いている。仮にここを凌げたとしても、いつかは追いつかれてしまう。
それなら。
「――あえてここで接触しておこう」
「本気?」
「ああ」
イチカの不安もよくわかる。相手がどんな人間か分からない以上、接触するのは得策ではない。しかしストムの話を信じるならば、今このダンジョンには二つのパーティーが潜っており、その一つは仲間殺しの疑いのあるパーティーだ。もし目の前から来ているパーティーがその人物たちなら、後ろから奇襲される可能性がある。なら今のうちに接触しておいた方がいい。最悪イチカだけなら逃がすこともできる。
――とは言え、出来ることはしておくか。
「イチカ、君はそのままフードを被って俺の後ろにいろ。悪いが、俺の言うことに話を合わせてくれ」
「――どうするつもり?」
「相手には申し訳ないが、身分を偽らせてもらう」
不思議そうな顔をするイチカをしり目に、俺は左手の人差し指にはめていた指輪を外し、代わりにウエストポーチから取り出した新しい指輪をつける。
そしてフードを被り、その言葉を唱えた。
「〈偽物指輪、解放〉」
俺の掛け声とともに、先ほどの指輪が一瞬キラリと光を放つ。
「それって……」
彼女が疑問を口にしようとした時、彼らは現れた。
日本刀を腰に差している赤髪の強面、片手剣とショートシールドを持っている小柄な短髪男、そして片眼鏡にロングボウとショートボウの二つの弓を携帯しているリーダーと思しき長髪の男性の計三人。
その中の一人、赤髪の男が俺たちを見るや否や大げさな身振りをしながら口を開いた。
「おいおいおいおいおい、嘘だろ。なんで俺たち以外に冒険者がいるんだよ。ここ脇道だろ?」
「脇道にも冒険者くらいいるだろ。バカなのか?」
「あぁ? 誰がバカだって?」
「お前に決まってんだろ、脳筋野郎」
「口に気をつけろよ、ハゲ!」
赤髪と短髪の男はそう言うと、それぞれ武器を手に取り、互いに向ける。
――こんなところで仲間割れ!?
そう呆気に取られる俺たちをよそに、二人の間に緊迫した空気が漂う。
しかしその時だった。
今まで後ろに立っていた片眼鏡の男がため息を吐いた。
「今は喧嘩なんてしている場合じゃないでしょ? ほら、あちらの冒険者の方々も引いてるじゃないですか」
彼の言葉で、二人の視線が俺たちへと向く。
「確かに、タケルさんの言う通りだ。今はそれどころじゃなかった」
「だな」
そう言うと、二人は今までそれぞれに構えていた武器をこちらへと向けた。
「何者だ? どうしてこんなところにいる?」
俺は相手を刺激しないよう、ゆっくりと両手をあげながら一歩前に出て、フードを脱ぐ。
後ろでイチカの息を飲む音が聞こえたが、俺はそれを無視していつもより少し高いトーンで声を発した。
「ぼ、僕たちは決して怪しい者じゃありません。ただの冒険者と、その付き添いです」
俺の言葉に、短髪の男が眉をひそめる。
「付き添い? 二人とも冒険者ってわけじゃないのか」
「は、はい。僕は第七等級の聖遺物しかあつかえないので……。今はこの方の
荷物持ちとして働かせてもらってます」
「じゃあ、その冒険者の仲間はどうした? さすがにソロってわけじゃないんだろ?」
「えっと、今主階層に潜っています。ダンジョン探索中にこの方が怪我をしてしまったらしくて、ここへはリハビリに来ました」
「冒険者一人に、荷物持ちが一人。しかも唯一戦闘が出来る奴が手負いか……」
赤髪の男は刀を下ろして思案顔でそう呟くと、不意にニヤリと笑った。
「なるほどな」
「分かってもらえましたか?」
「ああ、分かったよ。お前らがやっぱり怪しい奴らだってことがな!」
そいつはそう言うと、一度下ろした刃先を再度俺たちに向ける。
「なっ……!? ど、どうして……」
「どうして? そんなの決まってんだろ。脇道とはいえ、戦闘できるのが手負いの冒険者一人だけ。普通はあり得ねぇ。何かあるって考えるほうが自然だ」
――やっぱりだめか……。
自分で言っていても、無理があることは分かっていた。彼の言う通り、通常そういうことはあり得ない。それでもこれ以上の言い訳が見つからなかった。そもそも、普通の冒険者なら二人でダンジョン探索に出かけるような自殺行為はしない。
二人の男は武器を構えたまま、ゆっくりと距離を縮めてくる。
「安心しろ。殺しはしない。多少痛めつけて、ここに来た目的と嘘をついた理由を聞くだけだ」
彼らが俺たちに近づくにつれ、ダンジョン内の空気が張り詰めていくのが分かる。肌がピリピリと痛み、呼吸がしづらくなる。強者と対峙したとき独特の感覚に恐怖を覚えながらも、俺は必死に思考を巡らせる。
――どうする? 俺はどうしたらいい? この様子だと説得はもう無理だ。俺一人ならどうとでもなるけど、こっちにはイチカがいる。彼女を面倒ごとに巻き込むわけにはいかない。でも……。
やるしかないのか。その考えが頭をよぎって戦闘態勢に入ろうとした時、一人の男の怒鳴り声がダンジョン内に響き渡った。
「いい加減にしなさい!!」
二人を含めた全員の視線がその人物に集まる。
片眼鏡をかけた長髪の男性。先ほどまでの柔和な雰囲気とは打って変わって、ドラゴンすら倒せそうなほどのオーラをまとっていた。彼は地響きが聞こえてきそうな足取りで前に歩み出ると、二人の首根っこを掴んで自分の方に手繰りよせ、その固く握り閉められた拳を容赦なく彼らの頭に振り下ろした。
「「いってぇぇえぇ!!」」
今までの空気が嘘のように、自分の頭を押さえてうずくまる二人の男。
そして、呆気に取られる俺とイチカをしり目に、リーダーによる説教タイムが始まった。
「何度言えば分かるんですか? 人様に迷惑をかけるんじゃありません」
腰に手を当てて、子供に言い聞かせるように叱る彼に、赤髪が涙目で反論する。
「で、でもよぉ、タケル。脇道に二人だけっておかしいだろ? 怪しんでも仕方ないんじゃ……」
「そんなんだから、あなたはバカだと言われるんです!」
「うっ……」
「いいですか、彼をよく見てみなさい」
片眼鏡のその言葉に、三人の視線が一斉に俺に突き刺さる。
怖い。
「まず、彼が背負っているリュック。普通の冒険者なら、あれほど大きなリュックを背負う人はいません。背負おうとしても、重くて普通の人にはできないんですよ。つまり、あの大きなリュックを背負っていること自体が、彼が荷物持ちもしくは荷物持ち経験者であるというのを証明しています。――それに、もし彼らが私たちに害をなそうとしているのなら、すでにやっているでしょう。なにせ、私たちが気づくずっと前から彼らは私たちの存在に気づいていたんですから。ですよね、荷物持ちさん」
静かに微笑みながら、当然のようにそう告げた彼を見て、俺は思わず言葉を失った。




