とある執事の仕事ぶり
カトリナ・アルブ・レゼント。
レゼント家はラーゼルン国の王族に忠誠を誓っている貴族家の1つ。そう教えられ気まぐれにと拾われた身。元から自身の両親について知ろうなどとは思わない。
魔法に優れ、その道具により富を得たラーゼルン国。
それでも一定数の貧富の格差は存在する。俺がそうだからだ。
「お前にはこれからレゼント家でのお嬢様の専属執事をして貰う。恩を返したいのなら落とされるな」
俺を拾った人物はレゼント家の執事であり、聞けば俺と同じようにスラムでの出身者だ。彼もその家の旦那様に拾われ仕えている。俺を拾った理由を聞けば、昔の自分を思い出すからだと言う。
拾われた時の俺はボロボロになったシャツに、ダボダボのズボンと言うみすぼらしい格好だ。だけど、彼は磨けばダイヤにでもなるだろうと言う事で勝手に拾われた。
……一応の返事くらいは聞いてくれも、良かったのではとあの時は思った。
「お嬢様ですか……」
もうすぐ6歳になられるカトリナ様。
3つ上の私は9歳になるが、執事のスキルを学びながらカトリナ様の事は見ていた。まだ顔を合わせていないが、それでもこの屋敷で働いている以上知らないでは通らない。
ふんわりとした茶色の髪、同様の瞳の色はキラキラと目を輝かせて走り回っている。その姿を何度かお見掛けしていて、自分が呼ばれた訳を理解した。
ゴンッ、と言う大きな音。
カトリナ様が思い切り壁にぶつかったのだ。よく見ればその手には「ワン!!」と元気よく鳴いている子犬が見える。白い毛並みの子犬を追いかけている内に、激突したというわけか。
泣いているかもと思ったがすぐに杞憂だと分かる。
自分の怪我よりも子犬の方に「へいきだった?」と聞く辺り、ご自分の体を気にして欲しい。頭から血を流しながら聞くその姿に、メイド達は血相を変えて駆け寄り早々に着替えをしに戻った。
「カトリナ様は動物がお好きなのですね」
「それとよく犬達に好かれる。見ただろ? 自分よりも犬を優先している。大事にしているのは分かるがあれでは、旦那様と奥様の気が休まらない」
確かに。
専属執事として俺をつかせるのなら、見張りも出来るしお嬢様の行動を制限できるという訳か。理解した俺に「そう言う事だから頼むぞ」と大きな手が頭を撫でる。
……なんだか恥ずかしくなり、そっと視線を外す。
こういう経緯もあり、俺はすぐにカトリナ様と対面して速攻で子犬から頭突きをされるとは思わなかったが。
「わ、私の……。私を犬にしてください!!!」
そう言ってカトリナお嬢様に黒い首輪を差し出しながらそう告げた相手――ルーカス・フォン・ラーゼルンの事を反射的に殴ってしまったのは仕方がない。あの時の俺は今でも間違っていないと思う。
流石のお嬢様も時が止まったように体が動かないでいる。
それもそうだろう。7歳が言うセリフじゃない。それも王城の庭園でそんな事を言う王子も王子だ。
「……バカ犬」
グシャ、と読んでいたであろう本のページが破れる。破かれる度にそう発した人物の怒りが読み取れる。
(確か……宰相の息子、だったか。彼も大変だな)
「え、と……よろしくお願いします」
「「何で!?」」
お嬢様のまさかの返答に俺とその息子、ラング様の方が驚く番だ。
だけどルーカス様は嬉しそうにしていた。早速とばかりに首輪を付けられているのにうっとりしている。
(……危険だ)
自分の体温が分かりやすい位に冷えていく。
ラング様は呆れた様にルーカス様の事を「バカ犬」と呼び、何故だか「ワン!!」と返事を返す。
この国の未来が、お嬢様の未来が心配だ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その時に思った俺の予想はある意味では当たってしまったのかも、知れない。
お嬢様の通う学園に迎えに行った時の事。教室に居られる筈のお嬢様の姿が見えず、探していると保健室に居ると聞き何故だか不安に駆られた。
「お嬢様!!!」
自分の息が乱れる事はどうでも良かった。
変わらない笑顔を向けて来るお嬢様はいつもと違っていた。頭に包帯を巻き、右腕にも同様に包帯がされている。
保険医の先生に聞けば階段から誰かに突き落とされたという。
すっと自分の目が細められていくのが分かる。同時に沸き上がるのは怒りだ。その雰囲気にギョッとした先生は、お嬢様の事を見てから俺だけを部屋から出させた。
「……これは噂なのだけれど。最近のルーカス様の変化はご存知?」
「そう言えばあまりお嬢様と会わなくなりましたね。ルーカス様はお嬢様とでない方といるのも聞いています」
「え、えぇ……」
嫌な回答をしている自覚はある。
お嬢様もルーカス様との婚約が決まり、嬉しそうにしていたのも事実。ルーカス様は相も変わらず「カトリナ!!!」と必ず王城へと呼んでは、内緒の遊びをしている。
幼い時にプレゼントされた首輪を彼に装着し、頭を撫でて貰いじゃれたりと言う世には出してはいけない遊び。無論、俺とラング様はそれを見ているし空気になっている。
ルーカス様に用があった場合の対応もあるからだ。
急用の場合、即座に首輪を外してキリッとした表情で対応している姿は威厳のある方だ。
だが……。
「カトリナ、撫でてぇ~~」
終わった直後、パタンと自室の扉を閉めれば犬モードだ。
お嬢様は素直に「流石です、ルーカス様」と褒めちぎり、じゃれ合う危険極まりない遊びなのだか交流? をしている。
ラング様に聞けば王子の両親と宰相の家族、そして婚約者として認められているお嬢様の両親だけだ。……他では見せれない姿だ。その一面を見ても尚、お嬢様は引くことなく相手をしているのだから凄いと思う。
王子の妃にと他の令嬢が見れば卒倒するし、こんな秘密を他国に漏らす訳にもいかない。
「カトリナだけは普通にしているから、助かっているんだよ。あのバカ犬の本質を見て普通なんだから」
「お嬢様は素直な方ですから」
「ありのままを受け入れるって……大変だよ?」
俺達がそう嘆いているとも知らず、お嬢様とルーカス様はじゃれている。このまま婚約した方が互いの為だと思う。無理に付き合っているのかと思えば、お嬢様ははっきりと言った。
好きな人なのだからと。
あの醜態を晒せる王子もそれだけ、安心しきっていると言えるのだからそうなのかも知れないが……。
「お嬢様に何の恨みがあるのでしょうね。必ずほふ……いえ。地獄に落として後悔させても足りない」
そう。実行したものがいるのだから、後悔させるだけでは足らない。誰に手を出したのか、それを分からせる必要だあるようだ。
「ファール。な、何を考えているの?」
屋敷に戻ってからお嬢様にそう聞かれる。
不安げに揺れる瞳は俺を気遣うもの。ご自分が怪我をされているのにも関わらずに、だ。
魔法での治療は痛みを和らげるもので、完全にではない。そうしては自己治癒を促せないからと言う事で先生は実行した。
「大丈夫です。少し夜風に当たっていきます。ご心配せずとも、実行犯を捕らえて罰を下そうだなんて思っていませんから」
「そ、そう……? でも、今日は傍にいて欲しいの。流石に痛いから」
「分かりました。俺はお嬢様の専属です。なんなりとご命令ください」
その日は落ち着くまでお嬢様の傍にいた。
ルーカス様と会っていないからか寂しそうにしているのを見るのは辛い。1番傍にいて欲しい時に居ない彼を想うその姿が……見ていられない。
寝ているのを確認し、俺が向かったのは宰相の息子であるラング様のお屋敷だ。
「……どうやって来たかはあえて聞かないけど。気配無く背後に居るのは怖いぞ」
「失礼。緊急な事で俺も自制が出来ない、と思って欲しい」
「カトリナの事だろ。睨まなくても君が行動するのは彼女以外の事だとあり得ないし」
「一応、俺は年上だ。それなりに知る権利はあると思うが?」
「……怪我の具合はどんな感じなの」
ラング様の部屋に入り、見張りを潜り抜ける。警備も万全だし、王城並みの配置だから流石だと思う。
だけど、俺はお嬢様の専属だ。
その名にかけて恥はさらせない。どんな事でも行い、彼女の為に実行する。そう訓練してきた。
「最初の執事は武闘派らしく、護衛も兼ねて色々と仕込んでいるとだけ言います」
「成程。聞いたら危なそうだ。……カトリナが気付かないと言うより、歴代の執事の有能さが凄いのかも」
「お褒め頂き光栄です。あとで俺を拾った方に伝えておきます」
「んじゃ。そう言う事なら君に仕事を頼もうか。あと……こちらの計画も、ね」
互いに笑みを浮かべるも、目が笑っていない。
お互いに大事にしている者の為なら、手を汚すだって構わない。俺達は恐らく……似ている。
違法に取引されているという香水。
魅了を付与されたそれを使い、国を乗っ取られるという事態が起きている。製造元を叩き尚且つ、この国にも乗っ取りをしようと企んでいる者を成敗する。
俺が頼まれたのはその工場の制圧、か。
「ぐおっ……」
「がふっ!!」
「さて。これで全部か」
蹴り飛ばした大男を2人地面に転がし、ラング様が突き止めたという製造元へと向かった。国内の廃棄された工場跡。全ての機械が止まっている訳ではないから稼働しているものもある。
雇われたと思われる者達は傭兵か。……組織がらみの犯行だと言う予想は当たっている様子。
「お、まえ……何者、だ」
どうやら気絶し損ねたのがいる。
あまり力を込めないようにしたのが失敗か。そう思って睨めば「ひぃ」と傭兵にしては情けない声をあげる。
「別に。俺は……お前達と同じ雇われ側だ。ただの専属執事だ」
「は? しつ――!!!」
蹴り飛ばして黙らせる。ちょうどその時、兵士達が現場を抑える為にと入ってくる。闇に紛れた俺はそのまま逃走ルートを使い、その場を立ち去る。
「君には制圧をお願いするよ。あとはこちらで引き受けるから」
ラング様の言葉を思い出し、俺の仕事は終わる。あとは彼に任せておけば良いと思い、何食わぬ顔でお嬢様の傍に戻った。
その後は、ラング様の計画通りに進んだ。
組織がらみを捕らえ、ルーカス様を騙しお嬢様の代わりをしようとした者は没落寸前の貴族令嬢。もう後がないからと焦った時に、その組織から良い様に傀儡にされ言われるまま実行したという話。
無論、その後を俺は知らない。
そこからはラング様の仕事だと割り切り、後日ルーカス様が王城へと俺達を呼んだ。
「お勤めご苦労様。カトリナには気付かれてないんでしょ?」
「バレたら執事失格ですから。そうでなくても俺はお嬢様の傍を離れる気は無いんです」
「うん、そんな気がした」
安心したと言うラング様は俺に頭を下げた。
一時的とはいえお嬢様を1人にさせ、囮として使ったのだ。これはどうあっても許されない罰だと言い、何か出来ることはないかと聞いてくる。
「そうですね。ルーカス様は締め上げましたし、今までの分も合わせて怒りをぶつけたので満足です。ただ――」
俺はそこで笑みを浮かべた。
一気に青ざめたラング様は俺の殺気を感じ取ったようだ。
「何か裏工作が必要なら、俺が手伝います。お嬢様の邪魔になるものは許す気はないので」
「……え、それだけ? 良ければあのバカ犬の事、思う存分殴っても良いんだけど」
俺の事を何だと思っているのだろうか。あ、いや。確かにルーカス様を絞め上げたのは楽しかったけど……うん、勘違いだ。そうしよう。
そして王子を普通に差し出す彼も彼だと思う。
チラリとお嬢様の方を見れば、楽し気にルーカス様とお話をしている。
私にはその笑顔だけで、十分な報酬だ。そんな表情を読み取ってくれたのだろう、ラング様も満足気にしている。
「良いお嬢様に出会えてよかったね」
「えぇ。神様に感謝しています」
「まっ、君を怒らせたらどうなるかは分かったから……。何かあれば頼るね」
「そうしてくれると助かります」
お嬢様とルーカス様は婚約者同士で、この国を背負う立場になる。俺はその助けが出来るのなら、力を尽くすのに加減はしない。
「カトリナ、会えなくて寂しかった!!! 今からべったりで良い? 今まで会っていなかった分、いっぱい遊んでね。好きだよーー」
「はい、ルーカス様。私、今回の件で気付きました。ルーカス様の事が好きです。私の事、離さないで下さいね? すっごく寂しかったんですよ」
「もっちろん!!!」
そう言いながら、ちゃっかりルーカス様に首輪をはめたお嬢様。いつの間にそんな技術を身に付けたのやら。
「カトリナの犬だワン!!! 嬉しいワン」
もう既に「ワン」が当たり前になって来た……。
頭痛を覚えるように頭を抑えれば、ラング様も同様の反応だ。お嬢様はそんなルーカス様を甘やかす様に頭を撫でている。
「ごめん。暫くは力を借りる形になるかな」
「……そのようですね」
呆れる俺達を気にした様子もなく、2人は幸せそうにしていた。
ちょっと……いや、かなりこの国の未来を心配した。ルーカス様は執務は普通だし、振る舞いは王子そのもの。
やっぱりお嬢様の前だけなのだろう、あの犬モードは。
「今日も頑張ったワン、褒めて欲しいなカトリナ」
「お勤めご苦労様です。ご褒美にナデナデしますねー」
「嬉しいワン♪」
大人しく撫でられているルーカス様。
ラング様は見なかった事とし、報告書に手をつける。……俺も空気に徹しよう。
きっと、多分……お嬢様なら平気だと信じて。