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7.『まだ、死んだって実感がないんですよね』

『火ノ丸相撲』を読んでいると、つくづく禍福は糾える縄の如し、と実感する。

 日本出身力士が優勝していないという触れ込みで連載をスタートしたら豪栄道が優勝した。

 日本人横綱が現れていない、という世界を現実の稀勢の里が覆した。

 日本刀に由来する名前を冠した力士を描いたら、刀剣乱舞とモチーフが被った。

 大相撲編に突入した途端、相撲を巡る不祥事が頻発した。


 これを運が良いと見るのか、運が悪いと見るのか。

 不運を強みに変える力強さというのも、クリエイターの強みの一つ。

「初めまして、堀さん。フリーライターの徳川マイトと申します」

 安達原要の関係者から話を聞くのは、これで六人目だった。

 安達原花恵の依頼という大義名分はあるものの、警察のようなバックグラウンドもなく捜査ごっこをするのは思った以上に骨の折れる仕事だった。

 中には興味津々で自分から積極的に話してくれる人もいるが、それはそれでマイトが大した情報を持っていないことを悟ると露骨につまらなそうな顔をする。

 大抵の場合は、警察でもないのに取り調べじみたことをしているマイトを警戒して、花恵の依頼ということを聞けば仕方なさそうに口を開くという感じだった。

 それでも、花恵の名前さえ出せばなんとか話を聞き出せたのが救いだろう。

 それに、安達原要の評判が生前よりごく良かったのもありがたかった。

「はじめまして、徳川さん」

 堀慎也は笑顔でマイトの挨拶に応じ、片手を差し出した。

 マイトもそれに応じる。

 爽やかな中年、というのがファースト・インプレッションだった。

 歳の頃は安達原夫妻と同じくらいだが、どこか活動的な大学生のような溌剌とした印象が漂う。

 ワイシャツから覗く筋肉のラインが浮き上がった腕、引き締まったシルエットを見ると現役でスポーツを嗜んでいるのかもしれない。

「徳川さんですか。素敵な苗字ですね。徳川一門の関係者ですか?」

「いいえ」

 マイトは、人生で何度聞かれたかわからない質問に笑顔で応じる。

「どうやら僕は、徳川家康の末裔ではないみたいです。明治時代の平民苗字許可令の時に、どさくさにまぎれて名乗り出したみたいで」

「通るの? それ」

「通っちゃったみたいです。一発で覚えてもらえるので、仕事柄、重宝しています」

「そっか。フリーライターさんですものね」

 堀は感じよく微笑んだ。

「事情聴取ですよね? 話はだいたい伺っています」

「?」

 マイトは首を傾げた。

「あなたが既に聴取を行った人から聞きました」

「ああ、そうか」

 考えていなかったが、確かに、『安達原花恵未亡人の依頼を受けて探偵ごっこをしている男』は広まっていてもおかしくない。

 今後、有利に働くのか不利に働くのかは微妙なところだ。

 堀と同じように話がスムースになることもあれば、逆にうっとうしがって接触を避けようとする人もいるだろう。

「話が早くて助かります。なにしろ花恵さんのお願いですので協力してもらえると有り難いです」

 ともかく、この場はにこやかに応じることとした。

「もちろんです」

 堀が頷いてくれたので、マイトは内心でほっとした。

「私にとって要は友人であり、ビジネスパートナーであり、ライバルでしたからね。彼に関することならば、そして彼の奥方の頼みとあれば是非もなく協力しましょう」

「助かります」

「はは、疲れてらっしゃいますね」

 マイトの声に疲れを感じ取ったのか、堀は笑みを浮かべて言った。

「皆さんが、あなたのように快く協力してくれるわけではありませんから」

 力なくマイトは微笑んだ。

 明日で、調査を開始して一週間になる。

 つまり、板坂遠子が最初に設定した、花恵への報告のリミットだ。今日中に花恵へ一度報告をしなければならない。

 今のところ、捜査をした上でめぼしい情報はなかった。

 メディアによる報道や、大久保こはくが語っていた情報の再確認ができているというだけで、改めて花恵に報告できる内容は得にない。

 自分が花恵に失望されるのは構わないにせよ、遠子が失望されるのは心苦しい、というのがマイトの思いだった。

 焦っても仕方ないとはいえ、そろそろ有用な手みやげを持ち帰りたいところだ。

「正直言って、探偵というのは楽しい仕事ではありませんね。物語のようにはいきません」

「でしょうね」

 弱音を吐くマイトに、堀は頷く。

「私も、飲食業をしているのですが、なかなか夢に描いていた風にはいきません」

 下調べによれば、堀慎也の安達原要との関係はビジネスパートナーだった。堀慎也はケータリング・サービスの会社を運営しており、野菜ソムリエである安達原がプロデュースするという関係を築いていた。

 最初の関係は、大学時代に安達原の先輩だったということに由来するらしい。

 安達原が野菜ソムリエとしてデビューしたのと堀が起業したのも同時期であり、友人にしてビジネスパートナー、さらにライバルという表現はそこに起因するのだろう。

「要はかなり手広くビジネスを展開していましたが、私の会社はまだまだこれからというところでして。恥を忍んで要の協力を得て、ようやく軌道に乗ってきたところだったんですよ。だから、ここで要が死んだというのは、はっきり言って痛恨です……もちろん、友人を失った痛みも大きいのですが、今のところは会社を立て直すので精一杯です」

 薄情でしょうか? と堀は首を傾げたのを、マイトは笑顔で受け止めた。

 こうやって、自分から話してくれる相手は楽で良い。

 あるいは、経営者という立場上、利害関係がない話し相手が欲しかったのかもしれない。

 しかし、中には逆に隠していることがあるからこそ冗舌という人物もいる。

 油断はできない。

「堀さんは社長さんですからね。社員さんの生活も思えば、仕事に専念されているのは立派なことだと思います……僕も、親族ぐらいしか近しい人間が死んだ経験がないので、わかりませんが」

 まだ名刺を渡していませんでしたね、と堀はスーツのポケットから名刺入れを取り出した。

「……株式会社アペイロン・ワークス代表取締役、堀慎也と申します」

「これはわざわざどうも」

 それを受けて、マイトも名刺を差し出す。

「しかし、そうは言っても随分お仕事は好調だと伺っておりますが」

 今まで色々な人から話を聞いているうちに、堀の仕事については耳に入ってきた。

「さっきも言った通り、要のお陰だったんですよ。彼がいなくなった以上、今後はどうなるかわかりません」

 堀は肩をすくめた。

「今のところはなんとか……って感じですね。要がいてくれたお陰で軌道に乗っていた事業がありますから。これからが、僕のビジネスマンとしての勝負所になるんじゃないかと思っています」

「大変ですね」

「仕事に忙殺されていたせいで、まだ、死んだって実感がないんですよね~」

 ふふ、と堀は笑みを浮かべた。

「仕事のこともありますが、趣味の話ができなくなったのが残念なことですよ」

「趣味ですか」

 堀の言葉に、マイトは身を乗り出して言った。

「なんです、趣味って」

 と、質問を重ねたのは、半ば興味で半ば調査だった。

 被害者に関しては、どんな情報も重要だ。

 あくまでブレインが遠子である以上、自分では判断ができないので尚更にどんな情報も収集しておく価値がある。

「まあ、色々ですよ。ボルダリングとか、ゴルフとか色んなスポーツをちょっとずつ要と一緒に嗜んでいたものですから」

「スポーツマンなんですね」

「ええ、まあ」

 恥ずかしそうに、堀は笑う。

「他にもいろいろなさっているのですか?」

「学生時代はラグビーやっていました。今は一人でできる水泳やっていて……あとは今言った、要と一緒に楽しめるスポーツって感じですね」

「多趣味でらっしゃるのですね」

「スポーツだけってわけじゃないですよ。仕事柄、料理も好きですし、あとはスポーツは見るほうも好きです。野球とか相撲とか……あ、そうだ」

 と堀はふと思い出したように、

「要の遺体が見つかった時は、発見者には板坂遠子さんもいたのだそうですね」

「板坂をご存知でしたか」

 板坂遠子は小説家としては著名だが、ここで名前がでてくるのは意外だった。

 読書というのは、思われているほどメジャーな趣味ではない。

 マイトにとっては遠子は友人としてが先に立つので、小説家としての彼女の名前が知られているのは、なんだか気持がこそばゆい。

「ファンです。どの作品も楽しく読んでいます」

「ありがとうございます。板坂もきっと喜びますよ」

 マイトも破顔して応じる。

「実は、事件の再調査を取り仕切っているのは板坂遠子なんですよ」

「そうだったんですか!」

 少々興奮した様子で堀は身を乗り出した。

「板坂さんの本を読み始めたのも、実は安達原から紹介されてなんですよ。奴とは読書仲間でもあったんです」

 身を乗り出したままで、堀は言う。

 心なしか、言葉遣いも砕けているようだ。

「私、普段は小説はあまり読まなくてビジネス書や啓発書が中心のほうなんですけど、板坂さんの本だけは本当に面白くて、一気に読んじゃいました。『偉人』シリーズはサイコーに面白かったとお伝えください」

 突然、興奮が途切れたようにふう、と堀は椅子に身体を委ねた。

「でも、そっか、もう、要と小説トークをすることもないんですね……寂しいな。急に悲しくなってきてしまいましたよ」

 目元に涙を浮かべて、堀は言う。

「あー、あいつは死んだんですね……」

 急に感極まってしまった堀のことを、マイトは無言で見つめていた。

 泣き出してしまった人も、今まで話を聞いてきた中ではいないわけではない。

 マイトからは、どうしてやることもできない。

 無言で、感情が落ち着くのを待つ他ない。

「そんなに楽しんでいてもらえたんですね。きっと板坂も喜びますよ」

 コーヒーを飲んで時間が過ぎるのを待ち、堀の感情が落ち着くのを待ってからマイトは切り出した。

 急に昂ってすみません、と呟いてから堀は、

「『偉人シリーズ』、完結しちゃったんですよねえ」

 と力なく笑った。

「板坂さんと会うんですよね? 是非、シリーズ続刊を期待しているとお伝えください」

「貴重なファンの声、伝えておきます。きっと板坂も喜びます」

 果たして、遠子が一度完結させたシリーズの続きを書くなどするだろうか。

 遠子の執筆哲学はマイトにはよくわからない。

 到底するとは思えないが、それでも伝えることは伝えておこう。

 遠子が喜ぶのは事実であろうし。

「うん。ちょっと元気出てきました。ありがとうございます。本題に入って頂いて結構ですよ」

「すみません。それでは失礼させてもらいますね」

 マイトはふーっと息を整えて切り出した。

「ちょっと込み入った質問をするかもしれませんが、怒らないでくださいね」

「もちろん……と言いたいですが」

 堀は破顔する。

「なにしろ、私にとって要は親友です。あまりにも不躾な質問には口を閉ざさせて頂くかもしれません」

「ええ」

 マイトは応じる。

「それで結構です」

 なんでもベラベラ喋る人よりも、最初から正直にそう言ってくれる人のほうが信頼できるというものだ。

「では、まず最初に。安達原要さんについて、最近、様子がおかしかったことなどありますか?」

「そうですね……警察にもさんざ聞かれましたが、そう言われてもなかなか思いつかないものですよね」

 あごに手を当てて、堀は考え込む。

「なにしろ自由な男でしたので……ちょっとおかしいぐらいは、いつものことです。そういうところが魅力でもありましたしね」

 堀はコーヒーに手を伸ばし、静かにすする。

「敢えて言うのならば……」

 堀の表情が、出し抜けに歪んだ。

「どうかしました?」

「いや……」

 苦虫を噛み潰したような顔で、堀は言った。

 ほとんど絞り出すような声だった。

「何か、味が」

 ぐらり、と堀の身体が傾いで床に倒れ込んだ。

「堀さん!」

 慌てて立ち上がる。がたん、と椅子が倒れる音がした。

「堀さんっ!?」

 倒れ込んだ堀さんの顔からは、血の気が引いていた。

「誰か……っ」

 すぐさま、大声を上げて左手で救急車を呼ぶ。

「誰か、助けを呼んでください!」

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