3.死を謳え
ジャンプ連載陣のうち、良くも悪くも期待しているのは『ノアズノーツ』。
作者の節操なく設定を盛る外連味が、今のところはよく働いている感じ。
先史文明が残したガスライターが『グングニル』の伝承になっている、という設定はセンスがある。
「おっす」
と姿を現した遠子は、普段と雰囲気を異にした装いをしていた。
普段は広がったシルエットの、ドレッシーな格好をすることが多い彼女だが、今日は黒を基調としたフォーマルかつシンプル格好をしている。小動物のような可愛らしい印象が強かった彼女だが、なんだか今日は大人っぽいみたいで身長まで高く見える。
見れば、化粧までも普段とは違うようだった。
「どうしたのぉ? マイト」
じっと彼女を見つめていたことに気づいたのか、上目遣いに顔を覗き込まれて、思わずマイトは視線をそらした。
「今日は格好いいな、遠子」
「わかる?」
得意げに微笑んで、遠子はその場でくるりと回ってみせた。
「なんで今日はそんな格好なんだ?」
「ほら、私、見た目が子供っぽいじゃない? 背も低いし」
遠子は自分の頭の高さを示して言う。
「それに対して、私の作品は硬派で重い。ファンから見た私のイメージに、ギャップがあると思うの。誤解を恐れずに言えば、ガッカリすると思うの。こんな子供みたいな奴が書いていたのかって」
「かもな」
見た目というのは、一般に思われている以上に印象が強いものだ。
マイトの同業者には動きやすさを重視している人も多いが、あまりにも見た目に構わないのも考えものだ。
同じようなことが、遠子にも言えるのだろう。
「その間隙を埋めるためにはこういうファッションをするようにしているのよ。キュートな私よりも、クールでソリッドな私を見せてあげるというわけ」
「なるほどね……」
自分でキュートというのはどうかと思うが、彼女の言う事は言い得ている。
「何よ」
自信満々な様子で、遠子は肩にかかった髪を払った。
「似合わない?」
「そうじゃなくて……意外とちゃんと考えてるんだなって思ったんだ」
「もちろんよ。このくらいのファンサービスをする甲斐性はあるわ、私だって」
「このすっかりプロ作家だな」
「流石に、私だっていつまでも天才ぶってはいられないわ。プロ精神のカケラくらいはある」
それにしても、と遠子は建物を見上げた。
「随分儲かっているのね。安達原さんっていうのは」
安達原の自宅があるらしいマンションは、天を衝かんばかりの高さのビルディングだった。
きっと、家賃も気が遠くなるほどの金額なのであろう。
「安達原さんの本がベストセラーランキングにもよく名前が載っているのを見ても、よっぽど儲かっているんだろうなとは思ってたけどな」
「うわー。こんなに儲かっている人が私の本を愛読してくれているわけ? 信じられない」
遠子は肩をすくめる。
「こういう高所得者は、娯楽小説なんて読まないのかと思っていた」
「遠子だって負けず劣らず儲けているんだろう?」
「どうかしらね?」
話しながら、インターホンを押した。
反応がない。
マイトと遠子は顔を見合わせた。
「約束、十時だよね」
腕時計を見ると、九時四十三分。
少々早いか。
「外出中なのかもね」
半目になって遠子は言うのを聞きながらもう一度インターホンを押した。
やはり返事はない。
「あるいは、ねぼすけな人ならまだ寝ている時間だわ」
「うん……でも」
マイトは考え込んで言う。
「前に取材した時は、朝六時には起きてジョギングするって言っていたんだ」
「じゃあ、ジョギングしているんじゃないの」
「この時間にか?」
「私に聞かれても知らないわよ」
遠子は肩をすくめて言った。
「でも、返事がないってことは出かけているか寝ているか、どっちかでしょう? ご家族はいるの?」
「奥様は一緒に暮らしている。息子さんは今、ニュージーランドに留学中だって言ってたな」
一人で頷いてマイトはインターホンから離れて管理人室へと向かおうとした。
「あら、先日の記者さん」
と、声をかけられてマイトは振り返った。
「早かったですのね」
声をかけてきた女性には見覚えがあった。
肌がつやつやと輝いていて溌剌としたオーラを放っており、笑顔も柔らかい。
年齢は中年にさしかかっているはずだが、それを感じさせない若々しさのようなものが発露している。
安達原要の妻である、安達原花恵だった。
小さなビニール袋を手にしている。
「奥様。以前インタビューで取材しました、徳川マイトです。本日はよろしくお願いします」
慌ててマイトはぺこりと頭を下げた。
「こっち、以前話に上がりました小説家の板坂遠子です」
マイトは片手で遠子を示した。
それに応じるように、遠子もぺこりと頭を下げた。
「まあ、初めまして、どうも。夫からお噂はかねがね」
彼女の来訪を歓迎して、花恵も顔を一層に綻ばせた。
「板坂先生、随分可愛らしいんですのね」
「えへへ。照れますぅ」
花恵に合わせて、遠子も笑顔を作る。
「私にとっても、安達原さんと会えるのは望外の喜びですよ」
学生時代の彼女からは考えられないようなリップサービスが迸って、なんだか面白い。
「夫も、今日、板坂さんと一緒に尋ねてくれるのを楽しみにしていて、中々寝付けませんでしたのよ」
「ご主人は今どこに?」
「家におりますわ」
安達原花恵の言葉に、マイトと遠子は顔を見合わせた。
「どうしました?」
「いえ……今、インターホンを押したんですが、反応がなかったものですから」
「それはおかしいですね。ついさっきまでいたのに」
花恵は片手に持ったビニール袋を示した。
「お茶が切れていることに気づいて、そこまで買いに行っただけでしたのに。ソファで寝てしまったのかしら」
安達原花恵は首を傾げて、ポケットから取り出したキーでゲートを開けた。
「上まで行けば、夫も気づくでしょう。入られてください」
婦人に勧められるまま、エレベーターに乗って部屋へと向かった。
「こちらです」
と部屋を示して、花恵が扉の鍵を開けた。
ゆっくりと、静かに、扉が開く。
その瞬間。
むわっと強烈な血の匂いがした。
「!!」
それまで後ろにいた遠子が、突如安達原花恵をかばうようにして前に立った。
一瞬にして目つきが鋭いものに変わっている。
作家から、名探偵に意識が切り替わっているのだ。
「奥様……花恵さん。後ろに下がっていてください」
今までとは打って変わって緊張した声で、遠子は言う。
「お部屋の中で、何かが起きています」
「何か、ですって?」
怯えた様子で、花恵は言う。
「何が起きているとおっしゃるの? 板坂さん」
「私にはわかりません……まだ」
くんくんと遠子は鼻をうごめかす。
「マイト。悪いんだけど、先に入って、見て来てもらえる?」
「わかった」
マイトはすぐに応じた。
元よりそのつもりだった。花恵や遠子を先に入らせるわけにはいかない。
何しろ。
仮に殺人事件が起きているのだとしたら、この部屋の中に、まだ犯人が潜んでいるかもしれないのだから。
自分が先んじて入るのが道理というものであろう。
それに、花恵には遠子がついていてあげたほうがいい。
「遠子。花恵さんを頼む」
そう言い残して、マイトは部屋の中に侵入した。
玄関には、血の跡はない。
何か、異常が起きているとしたらもっと奥の……。
土足のままで、一歩一歩慎重に歩を進める。
心臓がぎゅっと握りしめられたように緊張していた。
せめて、棒のような、武器になるものだけでもあれば気持も違うのだろうが、今は徒手空拳だった。
一つずつ、キッチン、トイレ、バスと、部屋をチェックするがやはり異常はない。
血の匂いは痛いほどに強くなる。
自分の中の生存本能が、まるで、今、ここが戦場であるかのように濃密に警鐘を鳴らしている。
一番奥の部屋である、リビングに、そこに彼はいた。
頭蓋を吹き飛ばされた姿で。
「う……っ」
喉の奥から異物がせり上がってくるのを、懸命にこらえなければならなかった。
安達原要の頭部が、きれいに吹き飛んでいた。正確に言えば、下あごだけが胴体に残って、上あごから上が吹き飛んでいる。
下あごから下、胴体はほぼ無傷で床にそのまま転がっているので、まるでマネキンか何かのように見える。
吹き飛んだ頭部は脳漿と血液が混ぜこぜになって、部屋中に無惨に広がっていた。
口元をおさえて、マイトは可能な限り周囲を観察する。
どうやら、犯人は既に立ち去ったようで、この部屋には誰もいない……ように見える。
部屋の隅にあった天井まである大きな本棚に学術書がぎっしりと詰まっている。
その中に混ざって、板坂遠子の著書がありその上から血が飛び散って背表紙を汚していた。
念のために、と犯人がどこかに潜んでいないか確認していると、ごつりと足に当たるものがあった。
大型拳銃。
どうやら、これが得物らしい。
身体をかがめて、ためつすがめつすると、デザートイーグルらしいことがわかる。
遺体の損壊具合から、どうやらこの銃で頭部を吹き飛ばされたような格好になるか。
犯人は、犯行に使った道具を打ち捨てていったらしい。
ここまで考えて、吐き気に限界がきた。
転がるように踵を返して、玄関まで戻った。
「大丈夫? マイト」
戻って真っ先にかけられたのはそんな言葉だった。
「顔が真っ青だわ」
「入らないほうがいい」
知らず、息を止めていたらしい。それだけを言うのに、息も絶え絶えになってしまった。
「要さんは、既に亡くなっている。警察に通報を」
「そんな……っ」
動いたのは、花恵だった。
マイトを押しのけて部屋に入ろうとしたのを、後ろから遠子が引き止める。
「いけない! いかないほうがいい!」
遠子がぎゅっと背後から抱きしめたが、花恵はとても人間とは思えない力でそれをはね除けて、部屋へと入り込もうとした。
「マイト! 花恵さんを止めて!」
「わかっているけどさぁ!」
横から回り込むようにして、花恵の突進を防ごうとした。
しかし、花恵のほうが強かった。
マイトの身体が軽々とはね飛ばされて、マイトはすがりつくようにして花恵の動きを止めるのが精一杯だった。
「遠子! 通報をしてくれ! 警察と、救急!」
「今やってる!」
マイトにできたのは、花恵に組み付いて、なんとか花恵をそこにとどめ続けることだけだった。
全く手加減をする余裕はなかった。
本来ならば、相手は四十路の女性である。マイトのほうが若いし、男性だから筋力がある。
組み敷くのはさほど難しくもないはずだったのに、花恵の身体を押さえつけるどころか、その場に押しとどめるのが精一杯。花恵を慮ってやる余裕もなく、全力で身体を押し付ける。
「通報したよ、マイト!」
しばらくして、遠子がそう声をかけてきた。
時間的にはほんの数分だったのだろうが、ひどく長い時間のように感じられた。
「私も手伝う!」
「手伝わなくていい! 離れていろって」
遠子は名探偵ではあるが、肉体的には身長相応でしかない。
ここで花恵のことを彼女に手助けさせるのはリスクのほうが大きい。
「でも……」
「見ろってば! 花恵さんの様子が普通じゃないのはわかるだろうが!」
マイトが身体でのしかかるようにして動きを封じている花恵は、獣のようにうなり声を上げて、時折うわごとのように夫の名を呟いている。
間もなくして、マンションの他の部屋の住人が様子を伺いにやってきた。
騒音や異臭に気づいたのだろう。
それから、警察のサイレン音が聞こえ出すまでに、さほどの時間はかからなかった。