崖の上で
身を激しく叩く風雨の崖上で、男と女がしきりに叫び合っていた。
「やめろ!死ぬなんてことは本当に生きる価値がないやつのすることだ!」
「ならいいじゃない!私は生きてく価値なんてないし!これから生きてく勇気もない!」
「あー、違う!そういう意味じゃなくて!俺みたいなクズが死ぬべき、って意味で!だから、違うんだって!」
「わけわからんこと言わないで!」
○ ○ ○
死にたいと思うことは異常なことではない。大小の差はあれ、一度も死にたいと思ったことがない奴なんているわけがない。これは当たり前のことだ。
だが、死にたいという意思を行動に移そうとするのは異常なことだ。パッと思いつくのは紐状のものに関心を示してみたり、刃物を肌にあててみたり、遺書の内容を考えてみたり。
この状態ならまだ大丈夫、と考える奴もいるかも知れない。しかし、ここまで来た時点で正常に戻ることは非常に困難だ。なぜなら、思考が死という選択肢に蝕まれていくから。
口で説明するのは難しいので、簡単な例を挙げよう。
ある人が学校のテストでいつもより悪い点数を取った。受験を目前にしてだ。そいつの家族は温厚だがエリート家族で、兄貴もいい大学に進学していた。
……まともな精神状態なら、もっと勉強を頑張ろうとか、こんな結果になるなんて……嘘だろ、とかポジティブにせよネガティブにせよ結果を受け止めるだろう。
けれど、「死ねば全部なかったことになるし、これからの苦痛もなくなる」と考えたのがそいつだ。「死」と「勉強」を秤にかけたら、どっちがこなすのが大変かなんて、俺みたいなのでもわかったのにな。
いや、俺みたいな適当な奴だからこそわからなかったんだろう。そいつがその思考に至るまでの苦悩を、そいつがテストで悪い点を取るという意味をわからなかった。
その後のそいつは日に日にやつれて、勉強もしなくなったし、普段から多かったため息の数がますます増えていった。代わりに、諦めたような笑いをするようになった。曰く、楽な選択肢を思いついてしまったかららしい。
今ならわかるよ、その気持ち。目の前の壁にぶつかった時、死ねばその壁もなくなるかもって考えが浮かぶんだ。その考えに釣られて乗り越えるのをやめたら、今度はさっきより小さな壁も乗り越えられなくなった。最後には、段差くらいの小さな壁ですら、乗り越えようとしなくなった。
最初は本気じゃなかったんだよ……けれど、今の俺は本当に死ぬしかないんだ……こんな社会不適合者は死以外の道を選ぶしかないんだ。もうこの死に至る病から逃げられない、それが楽だと思うようになってしまったから。
俺は身辺整理を整えた後、傘、言い訳用のカメラ、カロリーメイトと旅支度をした。そして、新幹線とサンダーバード、加えて人生で初めてのローカル鉄道に乗り、この自殺の名所へとやってきた。外出するのは久々だったので、三国港駅に到着した後、死への使命感を頼りに這う這うの体でここまでたどり着いた。しかし、肉体的な疲労もそうだが、大きな誤算であったのは、先客がいる可能性を考慮していなかったことだ。
○ ○ ○
若い女性が、傘も持たずにスマホを手に持ち、奥へ奥へと崖を進んでいく。その意図するところがわかった俺は、やたら大きな声を耳にし、反射的に驚いた。しかし、それは、自分の声だった。
「だめだーー!」
女性は驚いてこちらを振り向く、風になびく長髪が邪魔そうに揺れているが、振り向いた後は震えるばかりで何も言わない。
何をやっているんだ、俺は。そう思いつつも、女性を刺激しないようにゆっくりと歩み寄った。女性との距離があと7歩、というところで向こうが後ずさった。そして、女性はスマホを胸元で握りしめ、震える声で言った。
「わ、私は、ポケモンG○をしに来ただけです!」
?!
「え?あ、じゃあすみません。えっと、濡れるんで、傘使います?ポケモンG○ってまだ流行ってたんですね。俺はてっきり……」
雨風の中で傘も持たずに立つ女性がポケモントレーナーであるはずがない。彼女は言ったきり、俯いて嗚咽を漏らして泣いてしまっている。
「ホ、ホウエン地方のポケモンを……ヒッ、捕まえに……」
「………」
「………」
気まずい沈黙が流れる。そして、数秒の後にその沈黙を破ったのは女性の方だった
「う、ズズッ……嘘なんです!私、死にます!」
女性は振り返って再び崖の奥へ進もうとする。自分も自殺しようとしているのに、俺はこれを見逃すことができなかった。
「やめろ!死ぬなんてことは本当に生きる価値がないやつのすることだ!」
「ならいいじゃない!私は生きてく価値なんてないし!これから生きてく勇気もない!」
「あー、違う!そういう意味じゃなくて!俺みたいなクズが死ぬべき、って意味で!だから、違うんだって!」
「わけわからんこと、言わないで!」
お互いにむき出しの感情をぶつけ合う。俺は、この時点になっても何故彼女の自殺を止めたいのか、思考の整理がつかなかった。
「俺も、死ぬためにここに来たんだ!」
女性は一瞬たじろいだ後、語気を強めて反論する。
「じゃあ止める理由なんてないでしょ!?」
その通りだ。
「俺は、大学中退して、バイトもクビになって、友達とも疎遠になって……先が真っ暗だけど、あなたはどうなんだ?!」
「私は、その……彼氏が浮気して、その浮気相手が親友で……」
「リア充予備軍め!」
「なにそれ?!私、他の友達から励まされたけど、全部、ほっといて!って辛く当たって、それで皆から連絡も来なくなっちゃって、だから……私、最低で……」
「謝ればいいだろ!?傷心のやつが迷惑かけんのなんて当たり前だ、まだ元の関係に戻れる可能性はある」
「なら……貴方もそうじゃないの?」
「いや……自分が使ってた中退ジョークを同級生に使われたら、その……なんか」
「どうしたの?」
「カチンときちゃって……顔面に1発入れちゃって」
「そう……」
再び沈黙が流れる。そして、それを破ったのはまたしても女性の方だった。
「貴方にはわからないだろうけど、貴方にはくだらない理由でも、私には死ぬ理由として十分なの」
「それは知ってる」
女性は意外でもなさそうにして、次の句をついだ。
「……じゃあ、何で止めるの?」
どう答えたものか自分でも分からず、疲れた頭を何とかして働かせる……すると、自殺した彼の辛そうな顔が頭に浮かんだ。そして、自分が死のうとしているということを改めて思いだした。
そして、やっと分かった。俺が自殺を止めようとした理由を。
「何やっとんが!!」
「「!」」
俺たちは自殺防止のNPOの人達に見つかり、なし崩し的に当日の自殺計画は破綻することになった。というのも、有無を言わさず「落ち着いた場所へ行こう」と連行されて、経緯なり何なりを話すうちに、本当に落ち着く頃にはお互いクタクタになっていたからだ。
ちなみに、俺は風雨の東尋坊を撮りに来た趣味人であるという嘘は通じたが、女性がポケモンG○をしに来たという嘘はもちろん通じる訳がなかった。
○ ○ ○
「さっきの理由、聞いてないんですけど、結局何でだったんですか?」
服を着替えた女性が、不機嫌そうな、けれど疲れたような敬語で尋ねてきた。
「俺は死ぬ気でいたつもりだけど、生きたいって気持ちもあった」
「それは……私もそうかもですけど」
「だからさ」
「へ?」
「困ってる俺は、誰かに助けてもらいたかった。だから、困ってる誰かを、誰かとして助けたかったからかな」
「なんですか、それ?」
ずっと暗い顔をしていた彼女は、困ったようにクスリと笑った。俺も恥ずかしいのを隠すために、控えめに笑った。
サンキューポケモンG○、フォーエバーポケモンG○
ポケモンGOはやったことないです




