転生魔王とエゴイズム
自殺願望はなくても被他殺願望はあるって人は多いんじゃないでしょうか
魔王城で魔王と勇者パーティーが対峙していた。
「悪逆なる魔王め! 今こそ我らが成敗してくれる!!」
勇者が啖呵を切ると、堰を切ったように取り巻きが喚き散らす。皆が魔族を悪し様に罵った。彼らは魔族が諸悪の根源なのだと信じて疑っていない。その濁りきった眼を充血させ猛り狂った姿はもはや獣のそれだ。
「汝らは本当に直情的だ。イノシシにも劣る。理性も力もない取り巻き諸君は、さながら金魚の糞といったところか?」
「なんだと?」
「我は金魚掬いが得意でな。汝の命もすぐに掬ってあげよう。感謝してくれ給え、鰓呼吸の勇者くん?」
魔王は極めて平坦な口調でそう皮肉った。勇者が来るのはこれでもう何度目だったか。殺しても殺しても、また新しい勇者がやってきた。今回もいつもとほとんど変わりない。いい加減、幾度となく繰り返した展開に飽き飽きとしていた。この後は激昂して突っ込んで来る阿呆を屠るだけだ。
「貴様ァアアアア!!! 我らを愚弄するか!!!」
「許さねぇ。お前だけは絶対に許さねぇえええ!!!」
戦士が叫びながら突っ込んで来る。魔術師が詠唱を始め、聖女が勇者の影に隠れる。本来は勇者と戦士の立ち位置は逆であるのだが、怒り狂った戦士が役目を忘れて突っ込んでしまったのだ。
「ふふふ......ふっ、フハハハハハハ!!!」
戦士のあまりの馬鹿さ加減に思わず哄笑してしまう魔王。闘牛の如き猛突進を軽くいなして右脚の膝関節を蹴り砕き、バランスの崩れた戦士の頭蓋を間髪入れずに叩き割る。それは聖女の回復が割り込む余地のない瞬殺だった。
「そんな......嘘よ、こんなの嘘よ......」
「巫山戯るなぁあああああ!!!!」
聖女は恋仲の死に錯乱し、勇者は仲間の盾役を放り出して駆け出した。唯一冷静を保っている魔術師が援護射撃を放った瞬間、魔王の姿が揺らめく。直後、聖女と魔王の位置が逆転していた。そこには魔術師の魔法に焼かれ、勇者の剣に貫かれた聖女の成れの果てがあった。
「ぁ、あっ......ぁあああああ!!!!」
嗚咽を漏らす勇者と呆然とした魔術師。魔王は一切の容赦無く魔術師の首を刈り取り、勇者に向かって放り投げる。能面のような生首の光を失った瞳に見つめられ、勇者は発狂する。
「殺す。お前だけは絶対に殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
すっかり壊れてしまった勇者。我武者羅に剣を振り回すだけの人形は、魔王の一閃に動きを止めた。魔王は返り血一つ浴びることなく、溜め息を吐いてその場を後にした。
♢
彼女とは、勇者と魔王の宿命の中で出会った。それはなんの変哲も無い、常と同じものであった。すなわち、勇者パーティーが人類の敵である魔王を討伐するというもの。彼女も他の勇者と同じように魔王に挑んだ。運命が分岐した原因をあげるとすれば、それは仲間が全て倒れ伏した後の行動だろう。彼女は決して自暴自棄にはならなかった。
「どうした? かかってこないのか? 汝の仲間を倒した男が目の前におるのだぞ?」
「あなたこそ私を殺さないの? 挑発なんかしなくても、そのくらい簡単なのでしょ?」
彼女は仲間の犠牲を糧に、魔王との力量差を正しく認識した。おかげで、人類で初めて魔王の挑発に乗らないという快挙を成し遂げた。そんな彼女に、魔王は少しばかりの興味を抱いた。
「ああ、容易いとも。汝らは脆弱に過ぎる。我が直接相手をするまでもないほどに」
「そう。ここから逃がしてくれってお願いしたら、聞いてくれるかしら?」
「今更命乞いか? 恥ずかしくはないのか?」
「死んでしまうよりはマシよ。私には守らなければならない人がたくさんいるの。魔王様は、私を生かしておくのが怖いとでも言うのかしら?」
彼女は賭けに出た。安い挑発。根拠に乏しい大博打。それでも何故か、勝てる自信があった。
「よかろう。我は汝を見逃す。同種からの非難に晒され、汚辱に塗れて生き延びるがいい」
魔王は彼女の魂を試すことにした。人の悪意を受け、彼女がどんな選択をするのか。それは魔王にとって、久しぶりに心が踊る戯れだった。
♢
一人逃げ帰った彼女に降りかかった災難は生易しいものではなかった。
「この人殺しが! この街から出て行け!」
「悪魔だ。お前は悪魔だ。人を見捨てて逃げ帰って来て平然としやがって」
「近寄るんじゃねえ! 魔王の手先め! お前に売る飯はねえよ!」
「あんたなんて産まなければ良かったわ」
勇者としての名声は地に落ち、人々の鬱憤は全て彼女に向いた。家は破壊され、道を歩けば石と罵声を浴びせられ、食料を買うことすら許されなかった。彼女の家族も標的となり、暫くすると耐えきれなくなった家族からも疎まれるようになった。
全ての居場所を失った彼女はスラムに隠れ住んだ。泥水を啜り、残飯を喰らって生き延びた。深夜には男たちが忍び寄り彼女を犯そうとするため、熟睡することもできなかった。それでも彼女は鍛錬を続ける。人々を守るため、再び魔王と戦う決意をしていた。
しかしそんな彼女を魔王は更に追い詰めていく。彼女がいる街に配下を送り、住民を嬲り殺した。一回の襲撃で殺すのは一人だけ。長時間かけて甚振り、彼女が駆けつけたと同時に殺して去っていくのだ。それは蹂躙だった。ある人は手足の爪を一枚一枚剥がされ、またある人は頭皮を捲り取られた。目玉をえぐり取られたり、歯を一本一本抜き取られたりすることもあった。思いつく限りの残虐が施された。
住民は恐怖に震えるとともに、愚かにも彼女を一層責め立てた。
「お前がいるから襲われるんだ! 出て行け!」
「この役立たず! 疫病神の居場所はここにはないんだよ!!」
彼女が悲壮な覚悟で以って街から立ち去ると、魔王はすかさず街の住民を殲滅した。特に彼女に敵意を抱いていた数人を生き残らせ、各地に散らばらせる。
すると、その噂はすぐに広まった。すなわち、「勇者が仲間を見殺しにして逃げ帰り、今度は街一つを見捨てて壊滅させた」と。
これにより彼女は一躍お尋ね者となった。そして当然のようにどこの街の門番も彼女の侵入を拒んだ。「魔王軍の手先に成り下がった人類の敵は即刻排除しなければならない」と宣う兵士が容赦無く攻撃を浴びせる。彼女の生存を人類は許さなかった。指名手配され、魔王に次ぐ懸賞金が懸けられると、今度は冒険者が四六時中彼女を追い回した。
そんな彼女が最後に行き着いた場所は、皮肉にも魔王城だった。
♢
「どうしてこんな酷いことをするの?」
窶れた彼女の第一声はそれだった。覇気の失われた声音はか細く消え入りそうだ。
「それは我に申しておるのか?」
「そうよ。他に誰がいるの?」
「フハハハハ!! 我が獲物をタダで逃すわけがなかろう?」
「卑怯だわ......みんなに嫌われた私を見るのがそんなに楽しいの? 悪趣味ね」
「確かに我は楽しんでおる。しかしな、我が関与せずとも汝はいずれ同じ道を辿ったはずだ」
「......どういうことよ?」
「人はどうしようもなく愚かで醜い存在だということだ」
そう言ったきり魔王は彼女に目もくれない。配下に命じて彼女の寝床を用意させると、そのまま部屋から追い出した。
「これじゃあ本当に私が魔王の配下みたいじゃない......」
この日彼女は久しぶりに心を休めることができた。衣食住に満たされたのは魔王に敗北して以来初めてだった。
♢
「どうして人を襲うの?」
今日も彼女は魔王に語りかける。ここ最近は毎日こうして話している。魔王は暇つぶし感覚で彼女に付き合っていた。
「人が魔族を襲うからだ」
「嘘よ。それは屁理屈だわ」
「ではなぜ人は魔族を倒そうとする?」
「私たちの標的は魔王だけよ」
「同じことよ。我が人を無差別に襲うのは、意思を統一する長が人には存在しないからだ。人は魔王がいなければ、同じように見境なく魔族を襲うはずだ」
「......どうしてそんなことが言えるのよ」
「烏合の衆の意思を挫くためには殲滅するしかないからだ」
「人はまとまりがないと言いたいわけね?」
「人は動物を下に見る。自分たちは神に祝福された種族であると奢っているからだ。人は階級社会を作りあげ、奴隷を物として扱う。血に尊さとやらがあるらしい。そしてまた、人は魔族の上にも立ちたがる。一体どれだけの魔族が人に攫われたかわかるか?」
僅かに気色ばんだ魔王の威圧感に彼女は怯んでしまう。
「......人を恨んでいるの?」
「恨んでいるとも。汝の魔族に対するそれよりもずっと深く」
「私は恨んでなんかいないわ。ただ人を守りたかっただけよ......」
「守ろうとした人々に向けられた悪意はさぞ心地良かったであろうな?」
「......最低ね」
彼女の睨め付ける視線を意に介さず、魔王は吐露する。
「我は汝に期待していたのだがな」
「一体なんのことよ?」
「もう良いのだ......」
「そう......」
♢
次の日も、その次の日も会話は続いた。
「どうして私にあんなことをしたの?」
「......面白かったからだ」
答えが一瞬詰まったことを彼女は見逃さない。
「そうは思えない。あなたは悲しんでいるように見えるわ」
「......汝が人の悪意に触れてどうするのか興味が湧いたのだ」
「そんなことのために?」
「勇者なんてのは揃いも揃って愛されて育った奴ばかりだった。それ故にどこまでも真っ直ぐで、またそれ故に固定観念の傀儡であった。奴らは人のためではなく、自分のために我を倒そうとしたのだ。奴らは常に自らが中心にあって、返り討ちにされると途端に激昂するのだ」
「......なんとなくわかったわ。でもどうしてもわからないことが一つあるの」
「申してみよ」
「あなたは人の感情に詳しすぎるわ。何故なの?」
「魔族にも感情はある......と言っても誤魔化すことはできないであろうな。答えは我が元人間だからだ」
魔王はこの日初めて秘密を打ち明けた。彼女はどこか感づいていたのか素っ気なく嘯く。
「驚いた。そんなことがあるなんて」
「ああ、この世は不思議で満ちている。我は魔族が存在しない世界で生きていたのだ。異種の敵がいないからこそ、人の悪意は表層に溢れていた」
「あなたは人が嫌いなのね」
「ああ」
「そして人に光を求めてもいる」
「......あぁ、その通りだ」
「私があなたを殺そうとしなくて残念ね?」
「ふんっ......」
魔王は彼女に見えないように顔を背けた。
♢
その日は珍しく、魔王の方から問いを投げかけていた。
「我が憎くはないのか?」
「不思議とそんな気持ちもなくなってしまったわ」
「人が憎くはないのか?」
「それもないわね。今は諦めにも似た感情に支配されているの」
「では汝はこれからどうする?」
「さあ? あなたのお嫁さんにでもなろうかしら?」
魔王は精一杯顔を顰めた。それを見た彼女のしたり顔に文句を言う気勢も削がれてしまう。
「我が汝に期待した役目は......」
「わかっているわよ。人の悪意に打ち勝って人類と、ついでにあなたを救済することでしょう?」
「......」
「あなたは魔族のために戦ってなんていないわ」
「どうしてわかる」
「あなたは最初っから諦めているじゃない。世界は、人はそういうものであると。それらがどうなろうと構わないと思っているのよ。無関心とも言えるわね」
「......そうだな」
「消去法でこの道以外選べなかったんだわ。可哀想な人」
「......我もわかっている。そしてこの道を踏破した時、おそらく虚無に飲み込まれているのであろうことも」
「だから道半ばで倒れたいのよね。目的を失うのは酷く恐ろしいことだから」
「とはいえ有象無象に殺されてやる気にもなれなかった。だから我は汝を選んだのだ」
「......身勝手な人」
「すまない......」
「それだけじゃないわ。あなたは同じような諦めに至った私がどんな答えを出すのか知りたいのでしょう? なんでも人に押し付けるなんて最低ね......」
「............」
魔王はそれっきり口を噤んでしまった。
♢
遂に新しい勇者パーティーが魔王城に攻め込んで来た。魔王はこれが最後だと言って彼女に選択を迫った。
「勇者パーティーと共に我を打ち滅ぼすか、我と共に死ぬか選べ」
「......あなたが生き残るという選択肢はないの?」
「我はもう疲れてしまったのだ」
「なんのために生きればいいのかわからないだけでしょう?」
「同じことではないか?」
「そうね......」
それから暫くはお互いに無言のままだった。程なくして階下の騒々しさに気が立った魔王が急かすように口を開く。
「......早く選べ」
「私では......あなたの目的になれないのね」
魔王は目を見開いてまじまじと彼女を見つめた。初めてピントを合わせた双眸に、南国の海を思わせる鮮やかな宝玉と、白銀の金属光沢と紛うほどの艶を纏ったしっとりと柔らかな布が映る。その美しい姿に、魔王は我を忘れて見入ってしまった。
見つめ合ったまま呆然としていると、とうとう勇者が部屋に上がり込んで来た。
「見つけたぞ魔王! 裏切り者も一緒だとは都合がいい。二人まとめてあの世に送ってやる!」
「悪いな勇者よ。我は今どうしても隠居したい気分なのだ。人類も魔族も、或いは世界が滅びようとも構わん。好きにせよ」
「お前は絶対に逃がしはしねえよ!! 死ねぇええええええ!!!!」
魔王は勇者の攻撃に目もくれずに彼女を抱く。二人の姿は次第に朧げとなり消滅した。
その後、二人の姿を見た者は存在しないという。
若輩者の拙筆に最後まで目を通してくれた方々、本当にありがとうございました。
内容ペラッペラですが許してください。