状況開始
僕は天才だ。僕は真面目な人間だ。
僕は素晴らしい人間だ。だから――アイデアをくれえいよう。
高校一年の夏、塾の夏期講習をサボって図書館に逃げ込んだ僕は頭を抱えていた。
塾をサボったことを気に病んでいたのではない。
今日の授業は古典だ。何時間勉強したって分かるはずがない。
秋にある漫画のコンテストに応募するためのアイデアがまったく浮かばないのだ。
盛り上がる展開ってどんな展開だろうか。
口癖って魅力的かな? 萌えるかな?
どうすればストーリーに起伏ができるだろうか。
泡沫のごとく湧いては消え行くアイデアの数々。
クーラーの効いた図書館の椅子で、深い溜め息をつく。
こんなことではだめだ。
僕は天才だ。
自分に言い聞かせる。
僕は真面目な人間だ。
まだ足りない。
僕は素晴らしい人間だ。
結局その日はひとつもアイデアが浮かばなかった……。
図書館を出ると綺麗な夕焼けだった。
自転車に乗り、ペダルを漕ぐ足に力を入れる。
また今日もアイデアが浮かばなかった。
六月から構想を練り始めているというのに、まだ何一つ出来上がっていない。進んでいない。
駅前に差し掛かったところで、天気が急変した。
東側から急速に黒雲が流れてきて、日野市上空を覆い、立川の方面へと続いていた。
人気のない畦道を猛スピードで突っ切る
振られなければいいが、と思ったその時だった。
黒雲の中に白い点が見えた。
あれは……。
UFO? いや、どんどん近づいてくる。
何かヒラヒラしたもの。あれが噂に聞くケセランパサランだろうか?
いや、どうやらそれも違うらしい。
「女の子だ!」
僕は叫んだ。
中空に浮かび、ゆっくりと地上に落ちてくる女の子。
漫画家の、いや漫画家志望者の血が騒ぐ。
面白いことが起こるに違いない。
空から落ちてくる女の子。
白いワンピースを着ているようだ。
まるで天空の城ラピュタのヒロイン、シータのように。
あるいは化物語のヒロイン、戦場ヶ原ひたぎのように。
待てよ、と思う。
漫画家を志望しているというのに、この発想の貧困さはどうだ。
空から落ちてくる女の子を見て、「シータみたいだ!」とは。
だから僕はあの女の子を見て、『小さな金鳳花』みたいだ、と思うことにした。
トマス・ピンチョン初期の短編The Small Rainに出てくる女の子みたいだと。
自転車を止め、落下予想地点へと歩いていく。
焦る必要はなかった。
女の子はそれほどまでにゆっくりとしたスピードで落下していた。
「So cute」僕は言った。
完全に頭がピンチョンになっていた。
女の子は金髪で、色白、まぶたは閉じられていたけれど、まつげが長くてまるで外人のようだと思った。
これはアングロサクソンだぞ、と僕は思った。
きっと瞳は青色で、ドイツ語訛りの英語を喋るだろう。
もしくはフランス語。
女の子の体がようやく僕の腕の中に入ってくる。
体重が感じられる。
Easy……take it take it……。
女の子の体重が完全に僕の腕にかかった。
体感で45kg、実際に測ったら48kgくらいありそうだ。
「いや! やめて!」
気づけば僕は田んぼのど真ん中に寝転んでいた。
「What the fuck are you doing!?」
これは僕が最近覚えた英語。
「わっ、外人?」
女の子は言った。
「いいえ、違います。日本人です」
「あー、よかった。日本人を探していたから」
「日本人を探してた?」
「お願いがあります!」
女の子は唐突に叫び、僕に頭を下げた。
「私と契約してください。どうしてもあなたの力が必要なんです」
「いいよ。わかった」
「ですよね……やっぱりいきなりは……え? 今なんて言いました?」
「いいよって言ったんだ」
女の子は信じられないといった表情をしている。
なるほど、たしかにそうだ。
僕の見た目はなんというか、完全に陰キャラを極めている。
それに引き換えこの子はリッチで、オープンで、ミレニアルって感じだ。
僕のいうことをすんなり信じてくれないのも致しかたない。
彼女とは住む世界が違う僕は、彼女と意思疎通する術を持たない。
自分の言葉を持たない僕は、こういう子がいかにも読みそうな本から引用して言った。
「僕には権力欲とか金銭欲とかいうものは殆どない。本当だよ。僕は下らん身勝手な男かもしれないけど、そういうものはびっくりするほどいらないんだ。いわば無私無欲の人間だよ。ただ好奇心があるだけなんだ。そして広いタフな世界で自分の力を試してみたいんだ」※1
呆れるほどの長広舌だったかもしれない。
しかし彼女は感銘を受けたかのように、僕の手をぎゅっと握ってきた。
「ありがとう……ありがとう! これで世界は救われる! 本当にありがとう!」
「どういたしまして」
それから彼女は僕の手を握ったまま半歩僕に近づき、耳元で何かを囁いた。
英語ともフランス語ともとれない奇妙な言葉。
その瞬間、急な立ちくらみを起こし、視界が暗転した。
目覚めた時、僕は異世界にいた。
その場所が元いた世界ではないことは一瞬にして分かった。
ベッドから上体を起こし窓の外に目をやると、無数のロボットが街を闊歩していたからだ。
青いヤツ、黄色いヤツ、スリムなヤツ、ゴツいヤツ、デカイヤツ、小さいヤツと種類は様々。
もちろん、最初は夢だろうと思った。
しかし……。
「おはよう! 目が覚めた?」
「ここは……」
「私の世界、私の国。順を追って説明するから、よく聞いて」
彼女から聞かされた話を整理する。
ここはリッベントロップ。ヴィスワ川西方に位置する内陸国で、主な産業は鉄鋼業。
僕が見たロボットは本物で、三種類にわけられるという。
1.製法も操作法も不明な自立式のロボット
2.[1]を真似てリッベントロップ国が作成したロボット
3.[2]を真似て他国が作成したロボット。
土に埋まった[1]のロボットを発見したリッベントロップ国は、模倣品である[2]を開発し、超大国の座にまで上りつめた。
しかし、[3]を開発した他国の勢いに負け、土地を手放し、富を手放し、人を手放し、最後には国自体を手放さなければならないという段階に至った。
そこで、リッベントロップ国を救うべく一人の少女が立ち上がった。
僕の目の前にいる少女、シルヴィエだ。
「あなたには世界を変えるロボットを操縦してもらいたいの」
「でも、どうして僕が……?」
「それは誰でもよかったのよ。あなたのいた世界の人間なら誰でも。ちょうど最初に会ったのがあなただったというだけで。運がよかった……まさか最初の一人から快諾を得られるなんて」
「なるほどね」
ものは考えようだ。
僕とアスリート選手、医者、漫画家大先生が等価値だと思えば喜べる。
「でも、どうして僕が……?」
「さっき言ったでしょ。私たちは古代の技術を模倣してロボットを作ったけれど、肝心の古代ロボットに関してはほとんど何も分かっていない。製造法から操作法までね。それがどうしてなのかというと」
そう言って、彼女は一冊の本を僕に手渡した。
タイトルは『未来への希望』
「そう、見て分かる通り、技術書は日本語で書かれてるの」
異世界の古代文明が残した、日本語で書かれたロボットの解説書。
これはミステリーだ。
なぜこの世界に日本語が残されているのか。
しかし僕に期待されている役目は、異世界探偵ではない。
日本語で書かれたロボットの操縦方法を読み解き、実際に操縦することだという。
シルヴィエ曰く、普段は一定のパターンで行動している自立式ロボットを自由に操縦することは、リッベントロップ国を救うばかりでなく再び超大国に返り咲く契機になる。
「ご苦労、シルヴィエ」
奥の扉から白い髭に白い髪の老人が入ってきた。
What the hell……?
仰々しい風貌もさることながら、その老人、身長が二メートルはある。
明らかにコーカソイド風の顔立ちなのに、流暢な日本語を喋っているところがなんとも不気味だ。
「娘が世話になったようですな。ええと……」
「ああ、僕は恩智英です」
「恩智英くん、あとの説明は私からしよう。シルヴィエ下がりなさい」
「はい、お父様」
頭を下げ、シルヴィエが去っていく。
初対面の巨体老人とふたりきりになって、緊張で汗が吹き出る。
「申し遅れました。わたくしこの城の領主をしております、ペドロ・デ・アルバラード・イ・コントレーラスと申します。この度は急なお願いをお聞き入れくださり、誠にありがとうございます」
お願いとはシルヴィエが言っていた世界を救う云々のことだろうか。
日本語で書かれた技術書を読むには、日本語に長けたもの、つまりは日本人の力がいると。
しかしシルヴィエにしても、このスペイン語のパクリの名前をした老人にしても、スラスラと日本語を喋っているではないか。
日本語の熟練度は公立中学校にいる英語教師を遥かに凌いでいる。
奴らはコンビニでAmazonの支払いをすることさえ難しい日本語能力しかない。
前に外人に貯金を下ろすからAIMを操作してくれと言われたことがある。
暗証番号をベラベラ読み上げる外人に、Are you serious!? と思ったものだ。
そんな僕の疑問を察したかのように、老人は語りだした。
「最初に訂正しておきますと、私達は日本語を解しません」
「え? でも……」
「はい、私の言葉はあなたには慣れ親しんだ言語に聞こえていることでしょう。その逆も然り。私にはあなたの喋る言語がリッベントロップ語に聞こえているのです。だから私やシルヴィエにあの技術書を読むことはできません」
「それは何か魔法的なアレで?」
「その通り。古来よりこのリッベントロップ国は意思疎通の魔術に特化した国でした。外国語を学ぶ必要がなく意思疎通できるというのは大きなアドバンテージとなります。一度は超大国に上り詰めたのも、その魔術があってこそだったのです。けれども意思疎通できるというのは口頭での話。文字には適用できません」
なるほど。
きっと彼らにとって日本語で書かれた文章は、異世界の言語に見えているのだろう。
ジェイムズ・P・ホーガンの小説『星を継ぐもの』に出てきたルナリアン語のように。
あるいはドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の映画『メッセージ』に出てきた丸い宇宙人語のように。
ダ・ヴィンチ・コードの作者ダン・ブラウンの小説『パズル・パレス』でも、外人の言語学者が中国語と日本語の区別がつかずに慌てている。
それでよく言語学者になれたものだ。
きっと偏差値36くらいだろう。
Anyway 僕は大まかの事情を理解した。
まずは技術書とやらの読解だ。
夏期講習の宿題で出た不思議の国のアリスの英文読解よりは楽しそうだ。
なにしろ技術書は日本語で書かれているのだから、読み間違いようがない。
「それでは早速はじめますよ」
『未来への希望』の一ページ目を開く。
『この世界は有徳者には到達しうる世界であり、超感性的なものである。ということは、存在者の存在には身近な感性的世界の否認が属しているかぎり、徳は感性的なものからの離反である、という意味である』※2
前言撤回。
まったく意味がわからないし、不思議の国のアリスよりつまらない。
※1 村上春樹著 ノルウェイの森 より引用
※2 Martin Heidegger著 ニーチェⅠ 美と永遠回帰 細谷貞雄・杉田泰一・輪田稔訳 より引用