第三章29 戦火の王都
「魔獣の襲撃ってどうなってんだよッ……」
アステナ王国の筆頭治癒術師であるプリシラ・ネポル邸からアステナ王国を目指すため、航大たち一行とプリシラは地竜が引く客車の中に身を寄せていた。
地竜の操者はセレナが努めており、木々が生い茂る森林の中を巧みな操縦で走り抜けている。客車の中から外を見ようとすると、流れていく景色の速度が凄まじく彼女の運転技術が高いことを証明していた。
「……アステナ王国という場所には昔から魔獣たちが襲撃してくることはありました」
「そ、そうなの……?」
苛立たしげに言葉を漏らすライガ。
それに答えたのはローブマントに身を包んだプリシラだった。
客車に乗り込んでからというものの、プリシラはその表情を険しいものに変えていて、異様な雰囲気を醸し出す彼女の言葉にシルヴィアも気圧されている。
「しかし、私に緊急招集が掛かることはありませんでした。これはアステナ王国に危機敵状況が迫っていることを意味しています」
「……なるほどじゃな。魔獣たちは普段は森の奥に生息していると聞いたが?」
「それが普通の考えです。数日前から森の様子がおかしいことには気がついていました。その原因を特定することは難しいですが、微細な変化はあったのです」
「森の様子がおかしい……それは俺たちを襲った魔獣たちにも関係してそうだな」
リエルの問いかけに対してプリシラはうつむき加減に答えると、航大は自分たちがこの森林に立ち入った時のことを思い出していた。普段は表に出てこない魔獣たちが無限に湧いてきたあの光景。あれと近いことがアステナ王国で起こっているというのだ。
「……何か、嫌な予感がします」
「嫌な予感……?」
静寂に包まれる客車の中で、そんなプリシラの弱々しい声音が響く。
よく見れば握りしめられた彼女の手は小刻みに震えており、その尋常じゃない様子に航大は生唾を飲む。
「ふむ……確かに、この森林を不穏な気配が包み込んでおる。この禍々しい魔力を、儂は感じたことがない……」
プリシラの言葉を続けるようにして、リエルが外の様子を見ながら呟いた。
航大には感じることが出来ないが、今このアステナ森林には禍々しい魔力が満ちているらしい。
その言葉に航大はあることを思い出していた。
自分の深層世界で生きていた魔竜の存在。
北方の女神・シュナも魔竜の力を感じて、禍々しいものだと断言していた。今、この森林を漂う禍々しい魔力……もしかしてそれは、魔竜のものなのではないのか?
「……プリシラさん。一つ聞いてもいいですか?」
「……はい、どうぞ」
航大の問いかけに対して、プリシラは顔を上げるとしっかりと航大の視線を受け止めて返答する。
「アステナ王国には、魔竜は封印されていないのか?」
「「……はっ?」」
真剣な表情を浮かべて問いかける航大の言葉に真っ先に反応したのは、ライガとシルヴィアだった。二人は航大を見ながら、信じられないといった様子で目を見開いており、プリシラが返答するよりも先にライガとシルヴィアが口を開いていた。
「おいおい、航大……何を言い出すかと思えば、魔竜って……そんなもん、居る訳がないだろ?」
「そうだよおにーさん、魔竜って奴は今じゃおとぎ話みたいな感じなんだよ? それに魔竜が本当に復活したなら、もっと大事になってると思うけど」
この異世界で生まれ、生活をしているからこその反応であった。
魔竜が猛威を振るっていたのは遥か昔である。今を生きる人々にとって、世界を守護する女神ですら忘れ去られようとしている中で、魔竜という世界を滅ぼす存在について信じる者は居ないのであった。
細かい戦争は発生していようとも、それほどにまでこの異世界には長い平和が訪れていることである証拠であり、恐怖に怯える日々を過ごさなくていい面だけを見れば喜ばしいものであると理解することができる。
「…………」
ライガとシルヴィアが魔竜の存在を否定する中で、プリシラは沈黙を保ったままだった。
険しい表情も崩れることはなく、その様子を見てライガとシルヴィアの表情にも固いものが生まれるようになる。
「……確かに、アステナ王国には魔竜・ギヌスが封印されています」
「……マジかよ」
「ま、魔竜って本当に居るんだ……」
重く放たれたプリシラの言葉にライガとシルヴィアの二人が絶句する。
リエルは目を閉じたままであり、女神の妹である彼女は魔竜の存在について疑いを持つことはなく、ただ静かにプリシラの言葉を待っている状態だった。
ユイに関しては一人だけ話に付いていくことが出来ず、航大を見て首を傾げるだけ。
全員がそれぞれの反応を見せる中で、プリシラは沈痛な表情のままで口を開く。
「魔竜が封印されている。それは事実です。しかし、あの場所に封印されているのは、魔竜本体ではありません」
「……魔竜だけど魔竜本体じゃない?」
「んー? どういうこと?」
プリシラの言葉にライガとシルヴィアの二人が今度は目を丸くして首を傾げる。
「魔竜・ギヌスの本体は別の場所にてしっかりと封印されています。魔竜の力は膨大であるので、分割して封印していると言ったところでしょうか」
「じゃあ、もしかしたら魔竜の分身が暴れてる可能性が……?」
「……緊急招集の件もありますので、もしかしたらその可能性もあるかと」
「魔竜の分身って奴は強いのか?」
「本体とは切り離された分身……とはいえ、元は魔竜・ギヌスであることを考えれば、世界を破壊することは難しくとも、王国を一つ消し去るくらいの力は持ち得ているかと……」
魔竜の本体が屋敷の地下に封印されていることについては語らず、プリシラは魔竜・ギヌスの分身が存在する可能性について語る。その話は航大にとって初耳なものでもあり、最悪の可能性を考慮するとどうしても気持ちが早ってしまう。
「もし、本当に魔竜の分身が暴れてるんだとしたら……急がないとッ!」
「分かっています。今、急いで向かっている最中です。超特急です」
焦る航大の言葉に地竜を操縦するセレナが答える。
客車の窓を見れば、凄まじい速度で風景が流れているのが分かる。
「王国まではどれくらいだ?」
「もうまもなく見えてくるかとッ……」
セレナは地竜を背中を縄で叩くと、地竜は主が急いでいることを理解して咆哮を上げるとその速度を上げていく。
「……近づく度に禍々しい魔力が強くなっておるの」
「そうですね……魔獣の気配もあちこちに感じます……」
地竜が森林を進む度に、プリシラとリエルは禍々しき存在を感じるようになっていた。地竜が引く客車の中を静寂と緊張感が包むようになる。
「――そこの地竜はッ、ネポル様ですかッ!?」
そんな静寂と緊張感を引き裂いたのは、外から響いてきた男の声だった。
「あ、あれは……アステナ王国の騎士……?」
客車の窓から外を見れば、航大たちが乗る地竜と並走する形で走る存在があった。
アステナ王国の騎士服に身を包んだ男は、額にいっぱいの汗を浮かばせながらも必死に声を上げていた。
「王国に何があったのですかッ?」
客車から身を乗り出すようにして、プリシラが王国の騎士に声をかける。
「魔獣たちが突如アステナ王国を襲撃ッ……今までにない規模ですッ……!」
「――ッ!?」
「事態は最悪の一途を辿っていると言わざるを得ませんッ……城下町は半壊ッ……魔獣たちの手は城にまで及ぼうとしていますッ……」
アステナの騎士が話す内容を聞いて、航大たちの表情が一気に険しくなる。
プリシラの瞳も大きく見開かれており、しかしそれでも無言で騎士の報告を待っている。
「現在、アステナ王国を襲っているのは無数の魔獣たちと――魔竜・ギヌスだと思われますッ!」
続けざまに語られたアステナ王国の現状。
それは航大たちが考えていた最悪の可能性を決定づけるものだった。
「魔竜、ギヌス……」
その名が客車の中に轟き、航大たち一行はこれから始まるであろう死闘を前に絶句するのであった。
桜葉です。
次回もよろしくお願いします。