第三章4 賢者と少女
「……気になる」
アステナ王国が統治する自然豊かな大陸・コハナを目指す船の上。
壮絶なる戦いの末に敗北を喫したユイとリエルは、同じ部屋で過ごしているだろう少年と少女の動向を気にかけている。
「船の上で寝るのは初めてじゃな……大丈夫じゃろうか……?」
「……貴方は気にならないの?」
「貴方ではない、儂にはリエルという名前があるぞ、小娘」
「……それなら、私だって小娘じゃない。航大が付けてくれたユイって名前がある」
「……ユイ。いい名前じゃの。さすが我が主様が付けた名前じゃ」
「……どうして航大が主様なの?」
「それは、儂と主様が契約を結んだからじゃ」
あみだくじに負け、割り当てられた質素な部屋でユイとリエルは面と向かって話をする。
ここまで恋のライバルを演じてきた二人ではあったが、こうしてゆっくりと会話するのは初めてと言っても過言ではなかった。
お互い、聞きたいことは山のようにある。隣の部屋で就寝しているであろう少年のことが気になるという思いはあるのだが、それよりも先に話しておきたい相手がいるのであった。
「主様の体内には女神がおる」
「……女神?」
「北方の大地を守護していた女神・シュナ。その人は帝国騎士の襲撃によって氷山で身体を失い、魂だけを主様の体内に宿したのじゃ」
「……私が気を失ってる間に、そんなことが」
「そうじゃ。儂は元々、女神を守護する賢者として生きてきた。だから、主様の身体に女神が宿っている限り、儂の守護対象は主様になる訳じゃ」
「……一応、ちゃんとした理由があったんだ」
「今まで何だと思ってたんじゃッ!?」
リエルと航大が邂逅した物語を聞き、ユイはやはり感情の篭もらない声音が簡潔に感想を述べる。表情の乏しいユイにリエルは鋭いツッコミを入れていく。
「ふん、つまりはそういうことじゃから、儂と主様は離れる訳にはいかんのじゃ」
「……それでも、航大は私が守る」
リエルの話を聞き、それをしっかりと理解した上でユイは宣言する。その声音には相変わらず覇気というものが感じられないのだが、彼女が相当な覚悟と決意を持っているのが、リエルには痛いほど分かった。
「まぁ、儂の話はこれくらいじゃ。次はユイ、お主の話を聞かせてもらうぞ?」
「……私に答えられることなら」
「前にも話したかもしれぬが、本当にお主は記憶喪失なのか?」
「……私は私という存在について、何も知らない」
「ふむ、何も覚えてないと言うのか?」
「……分からない。気が付けばこの世界に居た。そして、すぐに航大と出会った」
「…………」
静かな声音で自分のことを話しだしたユイに、リエルは無言を持って肯定として続きを促す。
「……何も知らない。だけど、一つだけ使命があることは知っている」
「使命?」
「……航大を守ること。あの人を命懸けで守る。それが私に与えられた使命」
「誰から与えられたかも分からぬ使命か……」
ユイの話を聞き、リエルはその表情を顰める。
自分のことも分からない。誰に与えられたかも分からぬ使命。リエルから見て、ユイという名前を与えられた少女は空っぽの傀儡だった。
――しかしそれはリエルも同じだった。
数百年という時の中で、彼女もまた自分という存在に疑問を持ちながら日々を過ごしていた。日が経つごとに薄れ行く姉であり、女神である少女との記憶。何も変わらない退屈な日々の中で、リエルもまた自分という存在の意味を見失いかけていた。
「似た者同士なのかもしれんな」
「……似た者同士?」
「儂も同じような空っぽな人間だった時があるってことじゃよ」
「……よく分かんない」
「今はそれでいいじゃろう。いつか、自分のことが分かるといいの」
可愛らしく小首を傾げるユイを見て、リエルはその顔に微笑を浮かべる。
しかしそれも一瞬で、険しいものへと変わっていく。
「守りたいものがあると言うのなら、最後に一つだけ忠告しておくぞ?」
「…………」
「お主が使うあの力……アレは破滅を生むぞ?」
「…………」
「必ずや、その身を破滅させるじゃろう。それでも、戦うのか?」
リエルの表情、声音、その全てが真剣なものだった。必ずやってくる破滅の時を予見し、それでも最終決定権はユイ自身にあると静かに告げてくる。
ユイの身体は異形の力を行使する度、確実に、そして着実に蝕まれていた。自身の身体に蓄積する『負の力』はいつか許容量を越えて、最終的には破滅を迎える。
賢者と呼ばれ、あらゆる魔法に精通するリエルだからこそ、ユイの体内を循環する魔力の流れに不純物が混じっていることに気付くことができる。その彼女が言うのだから、それは真実なのだろう。
「……それでもいい」
一瞬の静寂。
リエルの問いかけにユイは即答する。
それは茨の道。
約束された破滅の道。
「……私は負けない。どんな風になっても、私は航大を守る」
窓から差し込む月明かりをその身に受けて、白髪の少女はそれでも少年を守ると誓うのであった。
「……分かった。お主の覚悟は本物のようじゃの」
ハッキリと宣言したユイを見て、リエルはやれやれと溜息を漏らす。
その顔に微笑を浮かべ、しかし瞳には寂寥が滲むという複雑な表情をしながらも、リエルはユイの覚悟を尊重する。
「まぁ、ライバルが簡単に死んでも困るからの。儂も出来る限り、お主の身体を癒そう」
「……癒せるの?」
「もちろん完全に癒やすことは出来ぬ。しかし、終わりの時を長引かせることくらいは出来るじゃろう」
「……ありがとう」
「お礼を言われるようなことではない。結局の所、結末は変わらぬのじゃから」
「……変えてみせる」
「はぁ……これは、何を言っても無駄じゃの。奇跡は起こるかもしれん。それを期待するとしよう」
強情なユイの様子に苦笑いを浮かべながらも、リエルはそれ以上の追求をしない。
「……難しい話は終わり?」
「うむ……そうじゃ。そろそろ寝るとするかの」
「……寝るなら航大の隣がいい」
「…………」
勝負には負けた。それでも隣の部屋で王国騎士・シルヴィアと寝ているであろう少年と共にありたいと願うユイ。どこまでも貪欲なユイの言葉に、さすがのリエルも唖然とした表情を禁じ得ない。
「いや、でも……儂たちは負けたんじゃぞ?」
「……もう日付も変わったし、あの勝負は無効」
「えぇ……誰が決めたんじゃ、そのルール……」
「……行ってくる」
「ちょ、ちょっと待たんかッ!」
居ても立ってもいられない。そう言わんばかりに、ユイはスタスタと歩き出してしまう。
扉を開け放つと、向かう先は隣の部屋。
「はぁ……怒られても知らんぞ?」
「じゃあ、リエルはそこで待ってる?」
「…………儂だけが仲間外れになることを、許すと思うか?」
「……それなら共犯。一緒に怒られよ?」
「やれやれ……本当、お主のそのひたむきさには敵わんな」
歩き出す白髪の少女。
その背中を見ながら賢者の少女も歩き出す。
「…………」
リエルの表情は晴れない。
眼前を歩く少女の身を考えれば、その表情はどこまでも深い沼に沈んでいくかのように沈痛なものへと変わっていってしまう。それを悟られてはいけない。
少年を守る。それはリエルも同じ気持ちだ。しかし、リエルは白髪を揺らす少女のことも守り、救いたいと思うようになっていた。初めて真剣に言葉を交わしあって、リエルの心にはそんな想いが芽生え始めていた。
頭上で瞬く満天の星空。
星たちが見せる輝きとは裏腹に、リエルの心を晴れぬ曇天が覆っていくのであった。
桜葉です。
主人公の周りに在り続ける少女たちのお話でした。
次回もよろしくお願いします。