第三章3 小悪魔剣姫
壮絶な戦いに決着が着いて数時間が経過していた。
空を覆っていた太陽は沈み、頭上を見上げればどこまでも広がる満天の夜空が広がっていて、瞬く星を圧倒する輝きを放っているのは満月だ。
船に備え付けられた風呂場で身体を洗い、乾き切らない髪を夜風に当てるために航大は甲板で一人、眼前に広がる海を眺めていた。
「はぁ……今日は疲れたな……」
あと数時間もすればハイラント王国を出て丸一日が経過する。
異世界にやってきてしばらくの時間が過ぎたが、ここまで一日が短く、そして肉体的にも精神的にも疲れたのは久しぶりかもしれない。
一人で静かな海を眺めていると、航大の脳裏には異世界で体験した様々な出来事が走馬灯のように蘇ってくる。楽しい記憶もあれば、苦々しい記憶もある。
「……部屋に戻りたくねぇ」
決して忘れることの出来ない生々しい記憶を脳裏から振り払い、航大は眼前に迫っている危機に対してしっかりと向き合う。
今現在、航大の身に迫っている危機。その原因を作り出しているのはシルヴィアである。
昼間。船上で繰り広げられた女性陣の熱い戦い。
それは今日の夜、誰が航大と一緒の部屋になるかを賭けたものであり、その勝者がハイラント王国の新米騎士であるシルヴィアなのだ。
身体つきはしっかりとした大人の物をしていて、しかし内面は年相応の子供ときている。
肩の上で短く切り揃えられた金髪、そしてどこか小悪魔的な表情で航大を惑わしてくる厄介者の一人だ。
「……おにーさんッ!」
「うわわッ!?」
「ちょっと、ビックリし過ぎじゃない?」
ぼーっと海を眺めていた航大の肩を誰かが叩く。
まさか、こんな時間に甲板に人が現れると思っていなかった航大は、突然の事に大声を上げて身体を跳ねさせる。
「はぁ、はぁ……なんだ、シルヴィアか……ビックリしたぁ……」
「なんだって何よー、なんだってッ!」
「ちょうど考え事してたからさ……いきなり目の前にシルヴィアの顔があれば、誰でもビックリするって」
「ふーん、考え事って何を考えてたの?」
「うッ……それは……」
「ははーん、その様子からすると…………私のこと考えてた?」
「ギクッ……」
「あはははッ! おにーさんってば、分かりやす過ぎッ!」
「う、うるさいなッ……これから同じ部屋で寝るんだから、考えるのは仕方ないだろッ!」
「へぇ……おにーさんも、少しは私のこと考えてくれてるんだ……」
「ん? 何か言ったか?」
「ううん、なんでもないよーだッ! まぁ、私にも少しはチャンスがあるのかなってだけ」
「……チャンス?」
シルヴィアが小声で何かを呟いていたのだが、油断していた航大はそれを聞き逃してしまった。シルヴィアに呟きの内容を聞こうとするも、彼女は嬉しそうにその顔を歪ませて、軽やかな足取りで甲板をスキップする。
「今日は星が綺麗だね?」
「あぁ……そうだな……」
「なんか、こうして二人で星を見てると……世界が私たちだけになったみたいな気がしない?」
「……なんだそれ」
「えへへ、さすがにそれはないかッ……」
シルヴィアも入浴を済ませたばかりなのか、完全に乾いていない艶めいた金髪を夜風に靡かせ、肩から先と太腿から先を露出した純白の薄着をひらりと虚空に舞わせる。
「…………」
月明かりが差す無人の甲板で優雅に踊るシルヴィアの姿に、航大の視線は釘付けになり無意識に生唾を飲む。
「へくしょんッ! うぅ……寒くなってきたから、そろそろ部屋に行こうよ、航大ッ」
「うッ……そう、だな……」
「ほらほら、早く早くッ!」
足が重い航大の腕を掴み、シルヴィアは軽い足取りで割り当てられた客室へと歩いていく。いよいよ逃げられない……と、航大も腹を括って重い足を動かしていく。
今日は無事に眠りにつくことができるのだろうか。
航大はそんな不安に心内で小さくため息を漏らすのであった。
◆◆◆◆◆
「いやー、さすがにコレは私も予想外って奴ですよ」
「な、なんでこんなことに……」
シルヴィアと共に割り当てられた客室へと向かったまでは良かった。ここまで何だかんだ忙しかった航大たちは、この瞬間に初めて自分たちの客室へと足を踏み入れた。
木造の船にある木造の客室は簡素な作りをしていて、部屋に入ってまず目に入ってきたのは小さな鏡台に机と椅子。ここまではよく見る光景だったので問題はなかった。
しかし大問題なのがベッドである。
「……どうして、二人部屋なのにベッドが一つしかないんだよ……」
「うーん、これにはさすがの私もビックリだよー」
「その割には落ち着いてるな……?」
「まぁ、こうなっちゃったらしょうがないよね。幸いベッドは大きいし……一緒に寝れば問題ないでしょッ!」
「いやッ、問題しかないわッ!」
ふかふかのベッドに身体を投げ出し一緒に寝るという事実に臆することなく、シルヴィアはご機嫌な様子でゴロゴロと転がり続ける。
「ほらほらー、おにーさんも早くー」
「でも、コレはさすがに……うーん……」
「もー、男ならシャキっとするッ!」
「うわわッ!?」
煮え切らない様子の航大に痺れを切らしたのか、シルヴィアはむすっと頬を膨らませると航大の腕をガッチリと掴み、横に広いベッドへと引っ張ってくる。
「わーいッ、これで一緒に寝れるね、おにーさんッ!」
「あ、ああああんまりくっつくなってッ!」
「えー? おにーさんが暴れるから、私のおっぱいに当たっちゃうんだよ?」
「お、おおおおっぱいとか言うなッ! どう見ても、シルヴィアが押し付けてるだろッ!」
どこか幼さを残した顔からは想像も出来ないたゆんたゆんと揺れる胸の谷間に腕を挟み、シルヴィアはこれでもかと身体を密着させてくる。
お互いの吐息を感じる距離に接近しているこの状況はまずい……と、瞬時に理解した航大は身体を反転させて何とかシルヴィアから背を向けることに成功した。
背後のすぐそこでシルヴィアの気配と体温を感じ、彼女の身体から漂ってくる甘い香りに航大の心臓は痛いくらいに早鐘を打っていた。
「もー、おにーさんってば本当に恥ずかしがり屋なんだからー」
「あ、当たり前だろッ……こんな状況で冷静になれるかッ!」
「むー、まぁいいか……えいッ!」
「――ッ!?」
背後でもぞもぞと動くシルヴィアの気配がすると思った次の瞬間だった。
シルヴィアの腕がガッシリと航大の身体を抱きしめ、彼女の豊満な胸が背中の上で潰れていくのを感じる。
その時、航大はシルヴィアから抱きしめられていると瞬時に判断し、緊張と背中に感じる至福の感触に身動きが取れない。
「……おにーさん、本当に……本当にありがとうね」
「な、なんでこのタイミングでお礼なんだよ……」
「だって、まだちゃんと言えてなかった気がするし……それに、おにーさんになら何回でもお礼を言いたいって思ってるもん」
「お、俺はお礼なんて言われるようなことしてないぞ……」
「ううん、そんなことない……」
先ほどまでのふざけた様子は鳴りを潜め、彼女なりに真面目でありったけの想いが込められた声音が航大の鼓膜を震わせる。そんな彼女の言葉に航大の火照った身体と心は休息に落ち着きを取り戻していく。
「貧民街で暮らして、王女様を誘拐した私が……今、こうして生きていられるのも、全部おにーさんのおかげ」
「……何回も言うけど、俺は何もしてないんだよ」
「私だって何回も言うけど、そんなことない。あの日、あの場所でおにーさんと出会って、間違いなくあの瞬間に私の運命は大きく変わったんだよ」
「…………」
「暴走した私を助けてくれたのは、ユイちゃんだって知ってる。それでも、あの場所に駆けつけることが出来たのは、おにーさんが居たからでしょ?」
「……そう、だな」
シルヴィアの声が、言葉が真剣な物であると痛いくらいに伝わってくるから、航大はそれ以上の否定をしなかった。彼女の純粋な気持ちをぶつけられ、航大はそんなシルヴィアの気持ちを無碍にしたくなかった。
「私が騎士になれたのも……四番街に住むみんなの生活が少しずつ変わってきたのも……全部、おにーさんが居てくれたおかげ。おにーさんと出会えたおかげだから……」
「…………」
「私ね、おにーさんが望むなら何だってする。私に出来ることだったら、何でもお願いを叶えてあげるよ? 今の私にはそれくらいしか出来ることはないけど……いつか、おにーさんに頼られる…………おにーさんだけの私になれたらなって思うよ?」
「……それって」
「……えへへ。ちょっとドキってした?」
「うッ……からかうなってのッ!」
「あははッ……とにかく、今はお礼を言わせて? おにーさん…………航大、本当に、本当にありがとッ」
「うおぉッ!?」
お礼を言いながら、シルヴィアは航大を抱きしめる腕の力を強めていく。
すると、背中に押し当てられるシルヴィアの胸が持つ感触がハッキリとした形となって襲ってきて、航大の意識は再びパニックに陥る。
「おにーさんって、結構イイ身体してるんだね?」
「ちょッ!? どこ触ってんだよッ!」
「うりうりー、ココとか? ココもガッチリしててイイ感じッ」
背中を向けていて、航大が自由に身動きが取れないことを利用して、シルヴィアはあちこちに手を伸ばしていく。
シルヴィアの顔が、胸が、腕が、そして足が……彼女の身体を構成するあらゆる部分が航大の身体に触れ、絡みついてくる。
あまりにも刺激的なシルヴィアの行動に、航大の頭は沸騰寸前だった。
「…………こんなことが出来るのも『――』かもしれないし、今日だけは……この瞬間だけは……私だけのおにーさんになって?」
「え?」
「おにーさんってさ、案外自分がモテてるって知ってる?」
「お、俺がモテる? んな訳――うぎゃぁッ!?」
「うりうりうりーーッ! 鈍感な男は嫌われるんだぞーッ…………えへへッ!」
航大の身体を抱枕にするようにして、シルヴィアはその端正に整った顔を押し付けてくる。全身という全身がシルヴィアという存在に包まれていくのを航大は感じていた。
「……今日はすっごくイイ夢が見れそう」
「は、離れてくれぇ……」
「むにゃ……むにゃ……眠くなってきちゃった……」
「……え? まさかこのまま寝る気かッ!?」
「おやすみなさぁい……おにーさん……」
その言葉を最後に、シルヴィアは静かになってしまった。
すやすやとした規則正しい寝息が聞こえてきて、彼女の意識が夢の世界へと旅立ってしまったことを痛感する。
全身に絡みついてくるシルヴィアの四肢は意識を失っても尚、強力な力で航大を締め付けている。最早、この拘束から抜け出すことは不可能である。
「はぁ……寝れるかな、俺……」
そんな心配が口をついて出る。
「むにゃぁ……おにーひゃん……えへへ……」
「…………」
耳元で寝言を呟くシルヴィア。
その声は言葉にできないほどの幸福感に包まれていて、今の航大にはその幸せな睡眠を壊すことなど出来ない。
「……俺はお前に何をしてやれるんだよ」
触れる彼女の身体にドギマギしながらも、静かな時間が続けば航大の心も落ち着きを取り戻していく。
これだけの好意を向けられても、航大の脳裏には今は別の部屋で寝ているであろう少女の姿が蘇ってくる。彼女に抱く感情と、幸せな眠りにつくシルヴィアに抱く感情。その二つに違いがあるのか、それすらも今の航大には分からない。
「……おやすみ、シルヴィア」
今は考えても答えは出ない。
いつか答えが出たならば、しっかりと彼女に伝えよう。
遠くから聞こえてくる波の音。
すぐ近くで聞こえてくる吐息。
心臓の鼓動は少しずつ落ち着きを取り戻し、規則正しい鼓動を刻んでいく。
こうして新たな大陸へと向かう船の中で夜は静かに更けていくのであった。
桜葉です。
次回もよろしくお願いします。