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第二章43 王国への帰還

 自分の深層に広がる世界へ別れを告げ、航大の意識は急速に覚醒へ向かおうとしていた。心地良いまどろみの中に身体を漂わせる航大の元に、誰かの声が届く。


「――ッ!」


 身体が左右に大きく揺さぶられている。

 声をかけてくる人物が航大を起こそうと必死になっていることが分かる。


 しかし、酷い疲労感に苛まれる航大は、起こそうとする動きに抵抗するかのように、きつく目を閉じる。


「――ッ!?」


 航大が抵抗していることを察したのか、左右に揺れる身体の動きが一際激しくなった。そんな動きにも負けず、航大はこのまどろみの中に身を沈めることを決意する。


「…………」


 どうやっても起きようとしない航大に諦めが付いたのか、身体を揺らして起こそうとする動きがピッタリと止んだ。


 その時、航大は浮遊する意識の中で得体の知れない相手に対して勝利宣言をしたくなった。どんな障害が襲ってこようとも、航大の眠気が負けることはないのだ。


「……んっ?」


 物理的な身体への刺激が止んだことで油断していた航大は、突如全身を襲ってくる異常な冷気を感じた。


 それは裸で豪雪地帯に繰り出した時のような感覚に近く、常軌を逸した冷気は冷たいという感覚よりも先に『痛い』という感覚を航大にもたらした。


「ひぎぃッ!?」


 これ以上は危険である。

 脳がそう判断するや否や、航大は身体を飛び跳ねさせて現実の世界へと意識を戻すのであった。


「死ぬッ!?」


「ふん、ようやく起きたか? 主様よ」


「さ、さささ寒いんだけどッ……!?」


「それはそうじゃろうな。儂の氷魔法はそこら辺の魔法使いなんかには負けんぞ?」


「氷魔法ッ!? って、身体が凍ってるじゃねぇかッ!」


「当たり前じゃ。あと数秒でも起きるのが遅かったら、凍結しておったぞ?」


「凍結って、それ死ぬんだけどッ!?」


「まぁ、殺す気で起こしたからの、それも当然じゃ」


「ふっざけんなああぁッ!」


「ふんッ、この儂が起こしてやってるのに、無視するからじゃ」


 慌てた様子で飛び起きた航大は、すぐさま自分の身体を確認する。すると、肌に張り付いた薄い氷がパリパリと音を立てて馬車の床に落ちていくのを見て、少しでも起きるのが遅かったら本当に死んでいたかもしれないと戦慄を禁じ得ない。


 航大を氷漬けにしようとした張本人である、永久凍土の賢者・リエルはようやく目を覚ました航大を見て、頬を膨らませるのと同時に唇を尖らせている。


 どうやら、さっきからずっと起こそうとしていたのはリエルであり、航大が起きないことに腹を立てたらしい。


「もう少し寝かせてくれてもいいだろうよ」


「そういう訳にもいかぬ。ほれ、正面を見てみるがいい」


「……あっ」


 リエルが指差す先。

 そこには青空が広がっていて、しっかりと舗装された道を走る馬車の遥か前方には、見慣れた西洋風の城が見えてきて、それを視界に収めた航大は自分がハイラント王国へ帰ってきたことを理解するのであった。


◆◆◆◆◆


「……眠い」


「はぁ……まさか、主様より起こすのに苦戦する者がいるとは思わなかったぞ……」


「ユイは一回寝ちまうと長いからなぁ……」


「……こうたぁ、眠い。抱っこして?」


「……嫌です」


「……むぅ」


 航大が起きた後、もう一人深い眠りについている人物がいた。

 それが白髪の髪を寝癖でボサボサに乱した少女・ユイである。


 彼女を起こすまでに航大とリエルはあらゆる手を尽くすこととなった。

 まず、人を起こす時の基本形である身体への刺激。眠っていて無防備なユイの身体を左右に何度も揺するが、彼女は微動だにせず起きる様子を見せない。


 次にリエルの魔法が炸裂した。航大を起こした時のように、眠っている身体へ氷魔法を掛けてみたのだが、なんとユイはそれでも起きなかったのだ。


 もう少しで身体が完全に凍結してしまう……その瀬戸際になった所でリエルが魔法の行使を止めた。

 最終的にお腹の虫が豪快に鳴るのと同時に、ユイは自主的に起きたのであった。


「お主ら、もっとしゃきっとせんか。これから王女様に会いに行くんじゃろ?」


「まぁな……」


「……それよりも、航大と一緒にお昼寝したい」


 リエルの言葉に航大は気が重くなるのを禁じ得ない。

 元々、航大たちが氷都市・ミノルアへ派遣されたのは、魔獣を討伐することで街の人々の安全を守るためであった。しかし。帝国騎士の襲撃があったとは言え、結果は最悪だと言わざるを得なかった。


 グレオとハイラント王国の騎士たちの活躍により全滅というシナリオは回避できたのは事実であるが、それでもあまりにも多くの命を失ったことは事実なのである。


「……航大、あまり気を重くするな」


「この度の遠征、責任は全て私にある。航大くん、君の力が無ければ救えなかった命があることを忘れてはならないよ」


 王国を出てから数日ほどしか経ってはいないのだが、やけに懐かしく感じるハイラント城の内部を歩く航大、ユイ、リエル、ライガ、グレオの五人。


 それぞれの表情に笑顔はなく、どこか沈痛で重苦しい雰囲気が流れる。

 航大たちの前に立ち、謁見の間まで案内をするのはメイド長であるルズナだった。


「…………」


 城内へ戻ってきた航大たちを誰よりも先に出迎えてくれた眼帯をしたメイド長は、無事に帰ってきた航大たちへ安堵の笑みを浮かべたのを最後に、ここまで一言も発することなく歩き続けている。


 歩く度にぴょんぴょんと跳ねるルズナのポニーテールを見るのが懐かしかった。

 彼女が浮かべた安堵の表情。それを思い返す度に、航大の胸は暖かくなる感覚と、期待に応えられなかった苦しさとがごちゃ混ぜになる。


「……航大さん」


「あっ、はい……」


「……本当に無事で良かったです。私には詳しい事情は分かりかねますが、今はただ貴方たちが無事に帰って来たことが嬉しいです」


「……ルズナさん」


「ふふっ、私は早く航大さんの可愛らしい寝顔が堪能したいです」


「……それはやめてください」


 ルズナの声にはどこまでも深い慈愛の念が込められていた。

 明らかに出発時よりも数が減った騎士団と、沈痛な表情を浮かべる航大たちを見て、失敗を咎められるかもしれないと身構えていた航大は、背中を見せて眼前を歩くメイド長の言葉に驚きを禁じ得なかった。


 ただのメイド長であるルズナにとって、航大たちが失敗を重ねた遠征の結果などはどうでもいいことなのだ。

 それよりも彼女は航大たちの無事をただ願っていて、結果はどうであれ無事で帰ってきたことが何よりも嬉しいのだ。


「……むぅ、航大が浮気しようとしてる」


「主様よ、まさか三人目の愛人までおるとは……」


「ち、違うからッ!?」


「あら、違いませんよ? 私たちは一緒のベッドで寝た仲ですから」


「ルズナさんッ!?」


 ちらっと肩越しにこちらを見て笑みを浮かべるルズナは、くすくすと悪戯な笑みを浮かべながら爆弾を放ってくる。その言葉にいち早く反応を見せたのは、航大を挟んで歩くユイとリエルだった。


「……ほうほう。主様よ、儂が知らない所でこの女性と何があったのか……じっくり、詳しく教えてもらうことは可能かの? もちろん、拒否権は最初からないぞ?」


「……もしかして、私が怪我して寝てる間に何かあったの、航大?」


 左右から刺さってくる視線が痛い。

 見えない針のようなもので心臓を射抜かれるかのような緊張感の中で、不穏な気配を纏っていく二人に胸が苦しくなるのと同時に冷や汗が流れて止まらない。


「……全く、こいつらは」


「まぁ、これくらいが今の航大くんにはちょうどいいのかもしれないな」


 二人の女の子に挟まれ四苦八苦する航大の様子を、少し離れた場所で見るグレオとライガ。


 やれやれといった様子で溜息を漏らしつつも、この遠征で多くの傷を心に刻んだ少年が少しでも早く日常に戻れるのなら……と、願わずにはいられないのであった。


◆◆◆◆◆


「……以上がミノルア遠征のご報告となります。王女」


「…………」


 あれからしばらくの時間が経った。

 ルズナの案内によって、謁見の間へと通された航大たちはハイラント王国の王女・シャーリーへと、この度の遠征について報告をしていた。


 シャーリーへの報告はその全てをグレオが行った。ハイラント王国が誇る騎士たちの隊長であり、此度の遠征でも隊長としての職務を果たした男である。


 王女への報告は全て自分がやると、片膝を付き頭を下げながら報告を続けた。


 傷だらけのグレオとライガ。そして表情を暗くする航大の顔を見て何かを察したのか、険しい表情を浮かべて報告を聞くシャーリーは、グレオの説明が全て終わるまで無言を貫いていた。


「……そうですか。やはり、帝国が関わっていましたか」


「……はっ。帝国ガリアの騎士を名乗る人物は、それぞれが不可思議な力を使い、その権能を使うことでミノルアを壊滅へと追いやりました」


「……不可思議な力」


 その光景を目の当たりにした訳ではないシャーリーにとって、グレオの報告に上がった帝国騎士たちの力に怪訝な表情を禁じ得ない。


 しかし、そんなことがあるはずないと足蹴に出来ないのも事実であった。


 過去の大陸間戦争にて帝国ガリアとハイラント王国は壮絶な戦争を経た歴史を持つ。だからこそ、ハイラント王国はガリアという存在に関するあらゆる物事を無視することが出来ない。


 帝国ガリアの行動を予測することは不可能である。


 ならばあらゆる可能性を思い浮かべ、それに対する手段という物を模索しなければならない。それがシャーリーの考えであった。


「……分かりました。騎士隊長である貴方が、そして航大さんたちが言うのであれば、それだけで信じるに値する情報であると確信します」


「……此度の遠征、これほどまでの甚大な被害を出してしまったのは、全て私の責任であります。どうか、何なりと処罰を与えてくださいませ」


「…………」


 王女の言葉を聞き、グレオは頭を下げたままの状態で、自分の責任を追求して欲しいと懇願する。歴戦の英雄であるグレオの言葉に、航大は驚きを隠せず、それは王女であるシャーリーもまた同じであった。


「若い騎士たちに責任はありません。全て私が命じたままに動き、そして迎えた結果であります。処するのであれば、どうか私だけを――」


「……処罰はしません」


「――ッ」


 それはグレオにとって残酷な言葉であった。

 英雄として語り継がれ、数多の戦場を駆け抜けた騎士・グレオ。


 彼は誰よりも責任感が強い男だった。だからこそ、自分の責任によって受けた被害の大きさを客観的に評し、罰せられるのが妥当であるとの結論に至った。


 そんな彼の悲痛な決意を知っていながら、王女・シャーリーは全てを許すと言うのだ。

 それでは、グレオは自分の命で動き、戦い、そして戦地で命を落とした部下たちに顔向けが出来ない。


「……確かに、今回の遠征で失ったものが大きいことは間違いありません。しかしグレオ……貴方が居たことで救われた命があるはずです。絶望的な状況の中で、貴方に命を救われた人はたくさん居る。それは貴方が一番よく知っているはずです」


「し、しかし……それでも、失った命の方が多いのが事実です」


「――貴方たちは最善を尽くした。私はそれを信じています」


「…………」


「どうしても罰して欲しいと言うのなら、それは全ての戦いが終わってからにしてください。今、貴方には守らなくてはならないものがある。戦わなくてはならぬ敵がいる」


「…………」


「全てを片付け、そして真の意味で平和が訪れた時、改めて私に処罰を受ける旨を伝えてください」


「…………」


 王女の言葉にグレオを始め、誰も声を漏らすことができない。


「重ねて言います。今回の遠征で失ったものは遥かに多い。しかし、英雄である貴方にはまだ数多の人々が持つ命を守る義務がある。それを忘れてはなりません」


「…………はっ」


「それでは、今日のお話はここまでにしておきましょう。帝国がいつ動くか分かりません。全員、今はしっかりと身体を休めて次の戦いに備えてください」


 グレオの返事を聞き、シャーリーは一つ頷くと、今回の謁見に幕を下ろす。


 唇を強く噛み締め、俯き微動だにしないグレオを見て、航大は静かに拳を握りしめるのであった。


桜葉です。

あとニ、三話ほど後日談を経て、物語は第三章へと突入します。

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